カメラは嘘つかない
「当店の警備責任者をしております、黄と申します」
一勝負五万香港ドルの卓の脇で、俺は監視歴二十二年の男と向き合っていた。
落ち着け、九条蓮。おまえは何も悪いことをしていない。カードには触っていない。機械も仕込んでいない。ただ、空間を歪めて光を曲げて、シューの中身を視ていただけだ。……うん、文章にすると悪いことをしている気しかしないな。
「これはご丁寧に。九条です。……あの、俺、何かしました?」
「いえいえ。九条様はここ数日、当グループの各店をご利用いただいている上顧客ですので、ご挨拶をと思いまして」
にこりともせずに「ご挨拶」と言う男の圧よ。
「日本からのご旅行で?」
「はい。大学の卒業旅行を、少し早めに」
「ほう、ご卒業を。おめでとうございます。……失礼ですが、ご旅行にしては、少々長いご滞在のようだ。それに」
黄さんの目が、卓の上の俺のチップの山を、音もなくなぞった。
「随分と、腕がよろしい」
「ツイてるだけです。最近フラれたんで、その、運が女から金に回ってきたのかと」
「なるほど。それは……お気の毒に」
この男、「お気の毒に」を音読しただけで、一グラムも信じていない。指先の空間感覚が拾う黄さんの心拍は、恐ろしいほど一定のまま、それでも会話の主導権を静かに握りに来る。
「ときに九条様。城戸譲という男をご存知ですか」
来た。ジョーさんの読みどおりだ。ここで隠せば、隠したという事実が残る。
「ジョーさんですか? 知ってます。観光ガイドとして雇ってます。日当三百五十パタカで」
「……ご自分から仰るとは」
「聞かれたので。何か問題が? 彼、モツ煮込みのうまい店とか、エッグタルトの行列の抜け道とか、めちゃくちゃ詳しいですよ」
「そうでしょうな。当店の元従業員ですから」
「らしいですね。客のおばあちゃんを助けてクビになったって聞きました。いい話だなと思って雇いました」
黄さんの心拍が、初めて、ほんのわずかに揺れた。……ん? 今の揺れは、なんだ? 怒りではない。もっと、こう——痛みに近い何かだ。
「……あの件の処分を決裁したのは、私です」
黄さんは、抑揚のない声で言った。
「規則は規則です。カメラは嘘をつきません。彼がカードに触れた以上、処分以外の選択はない。……ですが、九条様。一つだけ申し上げておきます。この街で城戸を『いい話の男』と呼ぶ人間は、あなたが初めてだ。皆、間抜けと呼ぶ」
「間抜けで結構。俺は人を雇うとき、履歴書より、クビになった理由を見るんで」
我ながら、雇用主歴八日とは思えない台詞が出た。黄さんは三秒、俺の目を見た。二十二年分の視線だった。それから、彼はほんの数ミリだけ、頭を下げた。
「……お時間を取らせました。どうぞ、ごゆっくり。当店はいつでも、九条様のプレイを歓迎いたします」
歓迎、の一語に、これだけの圧を込められる人類がいるのか。
黄さんは踵を返し、フロアの雑踏に消えた。俺はぬるくなったオレンジジュースを飲み干し、椅子の背にもたれた。全身の関節が、今さら緊張を思い出して軋む。
出禁ではなかった。警告ですらない。あれは——宣戦布告だ。「見ているぞ」とわざわざ顔を見せに来た。俺が動揺して尻尾を出すか、この街から逃げるか、それを泳がせて待つ構えだ。
「…………ふ」
笑いが漏れた。周囲の客が怪訝な顔をする。
まずいな。怖いのに、めちゃくちゃ面白くなってきた。監視二十二年の職人が、俺の十三年に、正面から「解いてみせる」と言ってきたのだ。これを実績と呼ばずに何と呼ぶ。
——同夜。地下監視センター。
「主任、直接行ったんですか!? Aランク対象に!」
「ああ」黄啓文は自分の椅子に沈み、録画を巻き戻した。画面には、オレンジジュースの若い日本人。
「で、どうでした」
「……九割方、完璧なシロの反応だった」
「九割方? 残りの一割は」
黄は映像を一時停止した。城戸の名を出した瞬間の、若い日本人の顔。
「私が城戸の件を口にしたとき、こいつは怯えるべきだった。仲間の身元が割れたんだからな。だが、こいつの目は——私を、値踏みしていた」
黄は、冷めた茶を一口すすった。
「二十二年で三百七人のイカサマ師を送り出してきたが、あの目をした奴は三人だけだ。そして三人とも、落とすのに一年かかった」
「……今回も一年かけます?」
「いや」黄は静かに言った。「あれはたぶん、三人より上だ。——楽しくなってきた、とか思っとるんだろうな、あの若造」
図星である。




