第三話 帰り道でも不信は続く
ようやく、監獄のような時間が終わった。
終礼のチャイムが鳴り響くと同時に、俺は誰よりも早く教室を後にする。
「あ、孤崎くん! また明——」
背後から届く斉木雫の声。俺はそれを、物理的な攻撃を回避するかのように身を翻してシャットアウトした。
返事なんてしない。一度でも言葉を交わせば、それは「コミュニケーションの継続」という名の契約を結ぶことになる。
(今の声……。語尾のトーンがわずかに上がっていたな。あれは、俺が無視することまで計算に入れた『健気な私』の演出か?)
思考の加速が止まらない。
校門を抜け、札幌の少し冷たい春の風に吹かれても、脳内のフィルターは稼働を続けていた。
俺が向かうのは、札幌駅近くの老舗模型店だ。
家電量販店のような無機質な棚もいいが、個人経営の店に積み上げられたプラモデルの箱の山には、嘘偽りのない「熱量」がある。
「……ふぅ」
店内に足を踏み入れる。
ラッカー塗料の独特な香りが鼻腔をくすぐり、ようやく俺の心拍数が落ち着きを取り戻した。
棚に並ぶ、精密なパーツの集合体。
彼らは、設計図通りに組めば裏切らない。
プラモデルの世界に、ドロドロとした感情や、相手を出し抜こうとする打算なんて存在しないのだ。
俺は再販されたばかりの目当てのキットを手に取り、レジへと向かおうとした。
その時だ。
「あ、これ。新作のやつだ。……やっぱり、ここの合わせ目は目立つなあ・・・」
店内の隅、マニアックな工具コーナーで、一人の少女が独り言を漏らしていた。
——女子高生?
この店に、女子高生が一人でいること自体が珍しい。
しかも彼女が手に取っていたのは、初心者向けのデコレーションパーツではなく、玄人好みの『Tミヤの白フタ』だった。
俺の不信感センサーが、最大出力で警報を鳴らす。
(待て。こんな偶然があるか? 札幌に模型店はいくつもある。なのに、なぜ俺が選んだこの店に、同年代の女子が、しかもあんな専門的な道具を眺めている?)
彼女は俺の視線に気づいたのか、ふい、と顔を上げた。
「……あ」
その顔に、見覚えがあった。
C組の教室。窓際で自分の髪を弄り、自己演出に余念がなかった女子。名前は確か、内田 茜といったか。
「……孤崎、くん?だっけ? なんでここに」
彼女の目が、驚きで丸くなる。
その表情、その声。
俺のフィルターは、それを即座に解析する。
(——驚きの表情がワンテンポ遅い。あらかじめ俺がここに来ることを知っていて、待ち伏せていたのか? 『共通の趣味を持つ女子』という、オタクにとって最も脆弱な属性を演じることで、俺の警戒心を解くつもりか?)
「……人違いだ。誰だお前」
俺はキットを棚に戻した。
欲しくてたまらなかったはずの機体が、今は得体の知れない「罠」の餌に見えて仕方がない。
「え、あ、ちょっと待ってよ! 逃げなくてもいいじゃん。私、別に変なこと——」
彼女が手を伸ばしてくる。
俺はその手を、汚物でも避けるかのように後ずさってかわした。
「失せろ。……お前たちの『作戦』には乗らない」
「作戦……? 何の話?」
内田は呆然とした顔で立ち尽くしている。
その顔さえも、俺には「計算された困り顔」にしか見えない。
店を飛び出し、夕暮れの街を走り抜ける。
期待は猛毒だ。
優しさは罠だ。
趣味の聖域ですら、彼女たちは土足で踏み荒らそうとしてくる。
俺の女性不信は、もはや学校という箱庭を越え、日常のあらゆる隙間へと浸食し、加速していく。
(……斉木 雫。そして、内田 茜。お前ら、繋がっているのか?)
地下鉄の窓に映る自分の顔は、ひどく青白く、そして何者も信じない獣のような鋭い光を宿していた。
帰り道。
「欲しかったなあ、HGUC PネロPー」
模型屋での数分の時間で、俺のGプラ購入プランは静かに崩れた。




