第二話 教師で加速するのは聞いていない
教壇に立った女教師は、ファイルを置くと、いかにも「理想の教師」といった風情で柔和な微笑みを湛えた。
「一学年C組担任、担当教科は国語。松岡 絵里です。皆さんがこの1年間で、高校生活の宝物になるような関係を見つけられるよう、全力でサポートします。 一年間よろしくお願いします」
教室に温かな拍手が沸き起こる。
だが、俺の耳に届くのは拍手ではなく、耳障りな「不協和音」だ。
俺のフィルターが、女担任の笑顔を瞬時にスキャンし、裏に張り付いたデータを出力する。
(——口角の引き上げ方が左右でわずかにズレている。あれは、心からの喜びではなく『練習された表情』だ。視線が時折、教室の後ろにある時計に向くのは、この後の会議か昼食の献立を気にしている証拠。関係? 宝物? 吐き気がするな。彼女にとって俺たちは、無難に卒業させて自分のキャリアに傷をつけないための『管理対象』に過ぎない)
大人はもっと巧妙で薄汚いと思っていた。だが、この松岡という女教師の「教育者ごっこ」は、あまりに透けて見えすぎる。
期待なんて、一ミリもしていなかった。それなのに、俺の不信感メーターは勝手にメモリを一つ進める。
「……はぁ」
小さく溜息をつき、俺は視線を机に落とした。
今の俺に必要なのは、こんな安っぽいお遊戯じゃない。
B社の新作 HGUC シリーズの『G・アリュゼウス』『G・XI』の販売情報だ。
「同日発売か・・・これは自転車で持って帰るのは無理だな」
俺は二つのGプラを持ちながら札幌駅の地下鉄に乗ることを想定し、思わずため息が出る。
その時、松岡が口をひらく
「じゃあ、自己紹介をしてもらいましょうか。出席番号順に、一言ずつお願いね」
最悪のイベントが始まった。
目立たず、障らず、空気として処理する。それが俺の出すべき「最適解」だ。
順番が回ってくる。俺は椅子を鳴らして立ち上がり、感情を殺した声を出した。
「……孤崎透です。一年間よろしくお願いします。以上」
教室に一瞬、微妙な沈黙が流れる。
「あら、冴えない見た目の割にクールなのね。よろしくね、孤崎くん」
松岡がまた、あの『マニュアル通りの微笑み』を浮かべる。
(その瞳の奥、今『面倒くさい生徒に当たった』って思っただろ。隠せてないんだよ、あんた)
席に座ると、すぐ横から熱い視線を感じた。
隣の席の、斉木雫だ。
彼女は俺のぶっきらぼうな挨拶に引くどころか、感心したように目を細めている。
「孤崎くん、潔いね。尊敬するな、そういうの」
……まただ。
その「肯定」。その「理解者面」。
俺のフィルターが警報を鳴らす。
(なぜこいつは、俺の防御を『個性』として受け入れようとする? 普通なら嫌悪するはず——まさか、俺を『多少経験値になる獲物』としてゲーム感覚で楽しんでいるのか?)
疑念が渦を巻き、思考が加速する。
すると、教壇の松岡が雫を指名した。
「次は斉木さん、お願い」
「はい!」
雫が立ち上がる。その瞬間、彼女の背中越しに見えた松岡の表情に、俺の心臓が凍りついた。
松岡が雫を見る眼。それは、他の生徒に向ける「義務的な笑み」とは明らかに違った。
そこにあったのは、冷徹な『計算』と、どこか卑屈なまでの『迎合』。
(……なんだ、あの目は? 教師が生徒に対して、あんな媚びるような視線を送るのか?)
雫の自己紹介が始まる。
「斉木雫です! 中学では生徒会をやっていました。このクラスでも、皆様の役に立てるように頑張ります!」
丁寧だ。
丁寧すぎて、グロテスクですらある。
拍手の中、俺は気づいてしまった。
このクラスは、俺が思っていたよりもずっと「毒」が回っている。
嘘つきの教師と、正体不明の隣人。
そして、その二人の間に流れる、奇妙な「既知」の空気。
「……聞いてないぞ。教師まで、俺を陥れるための装置の一部だったなんて」
俺の女性不信は、入学初日のわずか一時間で、制御不能な領域へと加速し始めていた。
姿勢を正し、黒板を見据える。
そこには、松岡が書いた『宝』という楷書が、酷く歪んで見えた。




