第九話 遅れたのは俺のせいじゃない
埃まみれの制服、乱れた髪。
俺たちは、まるで敗残兵のような姿で教室のドアを開けた。
すでに五限目の数学の授業が始まってから十五分が経過している。
「——遅いわよ、孤崎くん。それに斉木さんに、不知火 凛会長、灰原さんも」
教壇でチョークを止めた松岡先生が、眼鏡の奥の目を冷たく光らせる。
教室中の視線が俺たちに突き刺さる。その大半は、優等生の雫やなぜか1-Cにいる会長への心配ではなく、俺への「あいつが連れ回したのか?」という疑念の色を帯びていた。
「すみません、松岡先生。旧校舎で足場が崩れてしまって……」
雫が、申し訳なさそうに、けれど完璧な「被害者」の表情で頭を下げる。
だが、松岡の視線は雫を通り越して、最後尾にいる俺へと固定された。
「孤崎くん。あなた、歓迎会の時も『誰得』なんて言っていたそうじゃない。学校行事を軽視しているから、こういう勝手な行動に繋がるのよ。会長たちを巻き込まないでちょうだい」
(——出た。ステップ一、属性によるレッテル貼り。ステップ二、事実確認を飛ばした犯人特定。……俺が遅れたのは、この『聖女』の顔をした隣人が床を腐らせていたせいなんだ。なぜ俺が加害者扱いなんだ?)
理不尽な不快感が、俺のフィルターを真っ赤に染め上げる。
俺の不信感メーターは、もはや怒りを通り越して、教育現場というシステムの欠陥に対する「冷笑」へと加速していく。
「……遅れたのは事実です。ですが、俺のだけのせいではありません。状況を客観的に判断していただけませんか」
俺の精一杯の反論は、教室に漂う「反抗的な生徒」という空気によって、虚しく霧散した。
すると、隣でうつむいていた灰原もかが、震える声で口を開く。
「あの、先生……孤崎くんは悪くないです。私が迷子になって、それを助けようとしてくれて……っ」
一見、俺を庇う健気な言葉。
だが、俺のフィルターは逃さない。彼女が言葉の合間に、クラスのカースト上位の女子たちへ「私は孤崎くんに無理やり連れて行かれたわけじゃないですよ」というアリバイ作りの視線を送っていることを。
(——灰原。お前のその『善意』も、結局は自分の立ち位置を守るための処世術か。……誰一人、真実を見ていない)
唯一、不知火会長だけが「先生! 私の直感がこのルートを選ばせたのだ! 全責任は私のカリスマ性にある!」と豪語して火に油を注いでいる。
「……もういいわ。四人とも放課後、反省文を提出しなさい。特に孤崎くんは、二枚よ」
理不尽の極み。
溜息をつきながら席に着くと、隣の雫が、机の下でそっと俺の指先に自分の手を重ねてきた。
「……ね? だから言ったでしょ。世界で透くんの味方をしてくれるのは、私だけなんだよ」
耳元で、先生にもクラスメイトにも聞こえない、針のような細い声が届く。
周囲の冷たい視線。
教師の偏見。
そして、この状況を「孤立」という最高のスパイスとして楽しんでいる女。
俺の女性不信は、もはや加速を通り越し、周囲のすべてを「敵」として認識する臨界点に達しようとしていた。
「……遅れたのは、俺のせいじゃない。だが、この世界が狂っているのは、俺のせいでもないな」
俺は、震える手でシャープペンシルを握りしめた。
放課後の反省文——。それは、俺がこの「狂った楽園」への宣戦布告を書くための、ただの原稿用紙になりそうだった。




