橋と馬車と②
四人掛けの椅子が二つと幌を備えた荷馬車に四人は揺られていた。四人の中に目に見えて肥え太った者はおらず、特別大きな荷物も持っていない。
料金は四人で金貨一枚、千シード、料金は規定通り支払った。
「それでね!」
八人乗りの馬車の中で、ベロニカの嬌声が響く。
バスや電車が時間通りに出発する無頼の世界と違い、移送する人数が少ない駅馬車には時刻表など存在しない。乗員八人が揃えば出発し、決して空席があるなら動かさない。揃わなければ、最悪何時間も乗客を待つのである。
ラウトが掲げた奴隷関連の話題が終わって三十分が経過した頃、四人は空いた時間を各々の為に使っていた。無頼はこくりこくりと舟をこぎ、ラウトは無頼が作った算数の問題集に取り組む。ミロシュは裁縫に勤しみ、ベロニカは一行以外の客四人と楽しそうに喋り続ける。
最初は乗っていた他の四人も、激流のように流れ出る言葉の数々に打ちのめされ、今では軽い相槌を打つのみである。
「……ん」
寡黙なラウトと騒がしいベロニカに挟まれ瞼を閉じていた無頼は、何の前触れもなく顔をあげ目を開く。意図せず目が合い正面に座った老夫婦を驚かせたが、無頼はお構いなしに立ち上がり、御者に歩み寄る。
「トラブルか?」
「へ? お客さん、何も騒動なんて……」
手綱を引く御者の隣に立ち、無頼は進行方向を睨む。
視界の先、黑い点のような存在は馬車馬が足を動かし車輪が回るにつれて大きくなり、無頼の懸念を後押しするかのように、人垣が現れる。
「あー、馬車が横転してらあ……」
横転している馬車は一台や二台ではない。
しかし五十メートル近くある横幅を全て塞ぐほどではなく、往来の足を止めているのは単純に事故の珍しさから来ている。平坦な道、充分な路肩――軍隊を運用する名目で造られた『雨亡大橋』は、馬車が何台倒れたとしても充分に並んで通れるスペースが空いている。
足を止めて事故の様子を見る人々の興味を引き付けるのは、何故横転事故が起こったか。
(来るとは思っていたが……)
無頼は倒れた馬車と、その傍を通り過ぎていく人々を見て舌打ちする。
横転した馬車の持ち主らが通行人を誘導しているが、その立ち振る舞い、視線の鋭さは一般の商人が持ち得るモノではない。
無頼は警戒を強めるが、御者に金を払って運んでもらっている以上、我儘は言えない。他の三人に注意を促し、無頼はジッと倒れた馬車を睨む。
「無頼さん……?」
警戒を顕わにする無頼の態度に、ミロシュだけでなくベロニカとラウト――優れた感覚器を持つ獣人の二人も訝しむ。
馬車の持ち主たちは往来を止めないようにと人々を整理する。二人が拾う彼らの声に刺々しさはなく、頭を下げて謝り、時に助力を乞う。その姿から、敵意は微塵も感じられない。
「俺を信じろ」
無頼が立ち上がり髑髏マスクを装着したその時、交通整備をしていた馬車の持ち主の一人が幌を捲って覗き込む。
気の良さそうな顔をした壮年の二の腕には荷揚げに使う筋肉が盛り上がり、茶色の髪の毛の合間には、日に焼けて茶色くなった肌が覗いている。無頼たちを見た瞬間、幌を掴んだ無骨な指がギュッと絞まる。
何の用だと待機する四人―― 一行以外の上客たち――とは真逆に、無頼の直感を疑っていた三人は壮年の表情を見逃さなかった。
「いたぞ! 奴らだ!!」
一行が動き出すより先に駅馬車から飛び退いた壮年の男は、作業をしていた男たちに向けて叫ぶ。
無頼は駅馬車の幌を斬り、側面から飛び降り安全を確保する。
それにベロニカ、ラウトと続き、唖然とする四人の乗客を残してミロシュも降り立った。
「ミロシュ!」
無頼は魔法の鞄から短槍を取り出し、ミロシュに投げ渡す。
「ミロ、ラウトと一緒に橋の端に!」
短槍を受け取ったミロシュ、魔弓を手にしたラウトにベロニカは素早く指示を出す。
数秒前まで四人を乗せていた駅馬車が動き出し、御者の男が驚きを浮かべて留まるベロニカと無頼を見つめていた。
「巻き込まれる前に、急いで逃げて!!」
ベロニカの大声に面食らった御者は、慌てて鞭を打ち馬を走らせる。
駅馬車が通り過ぎて広くなった視界には、男たちがぞろぞろと、鎧を着こみ武器を手に包囲を始める。
「無頼、殿よろしく!」
「ああ」
背を向けて駆けていくベロニカの足音を感覚しながら、無頼は包囲を狭めない男たちを睨む。
橋の上には逃げ場がない。
一本道を塞がれ挟撃でもされようものなら、どれだけ無頼の突破力が優れていようが、ミロシュの魔道術が桁外れの威力を誇ろうが、ラウトの射撃が正確だろうが、関係ないのだ。
数に押されては、抗えない。
(場所が良かったな……)
前後で挟まれては勝ち目はない。
けれども今のように、大河を背にして三方向を相手にするならやり様は幾らでもあり、ベロニカの指示はその中で最も効果的な方策である。
ベロニカは自分を餌に遠距離攻撃を持つミロシュとラウトを安全圏まで逃がし、吸い寄せられた相手を無頼に任せる心積もりであった。
四人一斉に下がれば当然相手も好機とばかりに追撃を仕掛けようが、分担して下がり、更に目的のベロニカがその場に留まっている以上、ミロシュとラウトを優先することもない。援護の体勢を整えた後でベロニカを下がらせるのは容易で、集中砲火を向けられたとしても、頑丈な無頼ならなんとでもなる。
追撃を仕掛ける素振りを見せない相手を置いて、無頼は早々に後方に下がる。
集中砲火を浴びても大丈夫、とベロニカと無頼自身は判断したが、受けないならそれに越したことはない。
(それにしても、見覚えのある奴がいるな)
無頼は視線をぐるりと、包囲する男たちに向ける。
赤い槍を持った偉丈夫、額に傷を持つ獣人の少年――その中から、特徴的な二人を見つけて、ベロニカに視線を送る。
「『紅燕の旅団』……、大丈夫だよ、無頼」
ミロシュとラウトを左右に置いて、ベロニカは大きく息を吐き出す。
旅路を歩む最中に憤りを和らげたのかと無頼は思ったが、片腕で抜身の黒短刀を握る姿からは充分な殺意が滾っている。個人の感情は優先しないが、怒りその物は消えていないとの表明だ。
「巷で噂の髑髏マスクが、よもや『銀豹姫』の護衛だとは……」
三十人程度、一行を取り囲む男たちの中から、軽薄そうな男が歩み出る。
「それに魔法使いサクラメントの弟子まで……、やはりグルだったか!」
先頭に立ち無頼と向い合う男――レッドブラフは、腰に佩いた紅剣を抜き放つ。紅の刀身はレッドブラフの魔力を吸い艶やかに輝き、その異質な魔力を目にした無頼は亡霊たちの囁きに耳を傾ける。
"『紅天平徒』"
"あの魔力なら、それしかない。『紅天平徒』だ"
"七遺魔剣の一振り……だが、あれは――"
好意的かつ協力的な亡霊たちが無頼に囁き、無頼は思わず復唱する。
「模造品?」
『風天封剣』の模造品は縮小版であったが、『紅天平徒』の外見は普通の魔剣である。
形状、性能、燃費。
どれかが劣っていなければ、模造品などと呼ばれない。もしも本物に似せて作り本物の性能を越えたなら、十中八九、魔剣の創造者は別の魔剣としての名を与えるだろう。
「……」
レッドブラフの眉がピクリと反応して、亡霊たちの目利きが正確だと無頼は知る。
プライドが高そうなだけあって、レッドブラフは七遺魔剣の模造品しか持てない現状に不満を抱いていた。百歩譲って本物が持てないのは仕方ないとしても、刃を交わす前から見抜かれるのは我慢ならなず、レッドブラフは殺意を織り交ぜた魔力を高めていった。
「副団長殿、落ち着きなさい」
今にも斬りかからんとするレッドブラフの背後から、ぬっと巨大な人影が現れる。
「勧告も何もない斬り合いは団長も望んでいません」
「……チェサ、ああ、分かっている」
レッドブラフは刃を下ろし、背後の人影に頷く。
チェサと呼ばれた大柄の男は、背丈だけをみると無頼と同じか、それより低い。けれども無頼が素直に大きいと感じたのは、肩幅と腰回り、両腕に蓄えた筋肉の所為である。鍛え抜かれた躰、その上の首には笹穂耳が存在感を放っている。
「……エルフ?」
街で見かけるエルフの殆どが華奢で優美な出で立ちなのに対し、筋骨隆々のチェサは完全な武力特化の戦士である。エルフや人間、獣人などの分類を越えた、種族"戦士"と言えなくもない。
「ベロニカ・ウンキア・フォン・フォーサイス姫殿下、そして護衛を務める者たちよ」
一纏めにされた三人は特に反応を示さない。
相手の言葉など聞く耳を持たないとばかりに無頼は魔剣から魔力を垂れ流し、ミロシュは小声で詠唱を続け魔力を溜め込む。
「俺はチェサ・ゴスティル、『紅燕の旅団』の一番隊隊長。訳あってベロニカ姫殿下をお迎えに参った。素直に引き渡して頂けたなら、全ては平和に収まる。刃を交えず、血の雨が橋を染めることもない」
一番隊、と聞き、無頼は記憶の海に手を伸ばす。
(赤槍の騎士オーガスタは自分を三番隊隊長と呼んでいた。サクラメントの隠れ家を襲撃した騎士の数は二十前後……、一番隊と三番隊、二つ合わせて三十人と言うことは……、なるほど、精鋭だけを連れて来た訳か……)
冷静に分析を重ねながら、無頼は魔剣の刃先で『雨亡大橋』を叩く。
カツン……、カツン……と軽い音が緊張に反響する。
太陽が隠れた寒空の下、無頼らを取り囲む騎士たちは手に汗を握る。
「誰の依頼かを言えば、考慮しないこともない」
ベロニカは一歩前に出る。
澄んだ声は良く通り、幾人もの騎士が隊長チェサと副団長レッドブラフの答えを待つ。
「それは答えられませんな」
「依頼人を知ってどうする? 覚悟が決まるのか?」
チェサはさも当然と言わんばかりの口調で返し、レッドブラフはベロニカの要求を嘲り笑う。
ピリッ、と緊張が走る。
橋を叩いていた無頼の腕が止まり、ミロシュの魔力が短槍の穂先に集まる。馬に跨った旅団騎士は手綱を握り直し、徒歩の騎士は剣を握る力を強める。
チェサは腰に佩いた双剣に手を伸ばし、レッドブラフは正面の無頼を睨む。
「そうか、ならば!」
ベロニカが牙を剥き、叫ぶ。
「お前たちと、交渉の余地などない!!」




