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橋と馬車と



 対岸の見えない大河と、そこに架かる巨大な橋を前に無頼は言葉を失った。

 上り掛けの朝日が緩やかに流れる大河の水面に反射して眩しいが、目の前に存在する巨大な建造物に釘付けにされ、目を細めることは出来ない。

 無頼の出身世界にも四十キロを超える橋は存在する。けれども実物を目にした記憶はない。

 確かなのは対岸どころか存在する筈の水上都市バウンティすら面影程度しか見えず、そうなると大河の幅が百キロ以上存在することになる。


「スエズ運河並みだな」

「話には聞いていましたが、ここまで大きいとは……」


 そんな大河に橋を架けるなど、正気の沙汰ではない。

 必要な石材の量に建造に必要な人員と技術、そして保守点検で劣化を防ぐ手間まで考慮したなら、たとえ百年運用出来たとしても船舶を使った方が安く済む。


「この橋が出来たのは大体千四百年前、西方進出が始まった直後だよ」


 唖然と大橋を眺める無頼にマグナが苦笑する。

 見ると無頼の近くで世間知らずの三人も、同じような表情で驚きを顕わにしていた。

 ソルトレイクを地元とするマグナには一生分からないが、これほどの大規模建造物を見て驚かない者は、無頼の出身世界を含めて存在しないだろう。

 ただ、そういうものだと納得する現世界人と違い、無頼の出身世界人の建築家が目にしたら腰を抜かす前に疑いの目を向ける。

 組み上げた石材の橋は安定を見せているが、それが物理法則に則った仕組であるとは思えない。何が出身世界にはない要素を含んでいる。具体的には魔法や魔道だが、無頼の出身世界にないそれらは建築家や科学者たちを大いなる混乱に落とすだろう。


「良く完成したな」

「何色か知らないけど、この橋は魔法使いと大勢の人が何十年と費やして作ったものだよ。古龍が衝突してもビクともしないし、端から端まで人で埋め尽くしても落ちないって言われてるよ」


 マグナが慣れた口調で説明を加える隣では、ミロシュが魔道刻印の坩堝と化した橋を恐々と見つめる。

 一般人には分からないが、魔法使いサクラメントと修行を行っていたミロシュは他人より遥かに魔力や魔道術に敏感である。それこそ『雨亡大橋(レインボーブリッジ)』が別物として目に映るくらいには、ミロシュの感覚は敷き詰められた魔道刻印を捉えていた。


「マグナ、ありがとう。俺たちはそろそろ出発する」

「じゃあね、マグナ! テラーさんにもよろしくね!」

「ローニャも元気でね。ソルトレイクに来たら、絶対に寄ってね!」


 マグナとベロニカは抱擁を交わして別れの言葉を紡ぎ、そして離れる。

 無頼にしてみれば、マグナと仲良くなるのは年頃の近いミロシュとばかり思っていたが、ミロシュはあまり友達付き合いが得意ではないらしい。積極的に歩み寄るベロニカや、否が応でも行動を共にしなければならない無頼のような相手以外には、自ら歩み寄り親交を深めたりはしない。

 金蔓はいても知人は少ない――と胸を張った師匠に似て、ミロシュも個人的な知人や友人を作ろうとする素振りを見せていない。


「ミロシュ、ローニャ、ラウト」


 無頼はマグナが市街に戻ったのを確認して、ミロシュにローブ、ラウトにマントを、ベロニカに両方を渡し、無頼自身は纏ったコートの襟を正す。

 自然と着こなす無頼と異なり、ミロシュのローブは魔道士であると明確に伝え、暗殺者のマントは存在を希薄に落とす。街中で着用したらどちらも不自然が勝り、結果として人目を引くことに繋がる。

 だが、移動の最中ならばローブやマントを着用しても不自然ではない。


「飛ばされないように躰に寄せておけよ」


 寒さ除けにと渡したが、想像以上に風がある。

 体重の軽いベロニカは飛ばされまいと無頼にしがみ付き、ラウトもそれに倣う。


「俺に、ではなくてローブを……」


 無頼はそう言い掛け、ふと足を止める。

 吹き荒ぶ烈風は止み、凪を迎えた海原のように周囲の空間から揺れは消えた。


「橋に掛けられた魔道術です」


 乱れた髪を整えながら、ミロシュが強風に曝されていた三人に教える。

雨亡大橋(レインボーブリッジ)』と陸地の接合部はその限りではないが、橋自体には強風を始めとした荒天対策の魔道術が施されている。河畔を通り過ぎて(、、、、、、、、)橋に立ち入れば、忽ち快適な往来が約束されるのだ。


「寒さがなくなっていない。マントは脱ぐなよ」


 風は勢いを失くしても、底冷えする寒さは足回りを覆っていた。

 無頼から離れた後もベロニカとラウトは体を寄せ合っていたが、再び無頼の体温で暖まろうとにじり寄る。ベロニカはニヤニヤと悪戯っ子な笑みで、ラウトも無表情ながらベロニカを真似た表情で、無頼の背中を狙う。


「寒いなら、走ってきたらいい」


 二人に纏わり付かれては堪らないと華麗に躱し、視界の先にある駅舎を指差す。

 水上都市バウンティまで約五十キロ、橋を渡り切るまで百キロ近い道程が存在する。

 馬や馬車を持ち込む者は多いが、全員が全員そうではない。

 旅をしない者でも橋は利用する。ソルトレイクの住民がバウンティの知人に会いに行くのに馬を引っ張り出せはしない。馬は簡単に飼える生物ではない。食わして走らせ、街に住む者が維持するのは難しい。


「走るって……、私たち、小さな子供じゃないんだから」


 ベロニカはふっと息を吐き、小さく首を振る。はしゃいでいた数秒前をまるっと塗り替えたかのように落ち着いた雰囲気を醸し出す。

 無頼はどうも納得がいかなかったが、二人は気にせず無邪気に尋ねる。


「それで、駅舎って?」

「何?」


 無頼とミロシュの合間に割り込んだ二人の疑問を予想していたのか、ミロシュが率先して答えを口にする。


「駅舎とは、人を運ぶ馬車の発着点のことです。誰もが行商の為の荷馬車を持ち、騎士や貴族のような立派な馬を所持している訳ではありません。一般の、ソルトレイクで生活しているような人々は長い道程、景色すら満足に変わらない退屈な橋の上を歩かなければならないので、せめて移動が楽になるように、と馬車が用意されているんです」

「ちなみに有料だぞ」

「にゃああ……」

「足元見られる?」

「足元を見た価格でも、私たちは利用しますよ」


 首を傾げるベロニカとラウトにミロシュは丁寧に説明する。

 橋の上は通常の街道とは違う。景色が変わらず、合間に休憩場所もなければ村落も存在しない。近道も回り道もない一本道は進むか戻るかで、何か緊急事態に見舞われた時、徒歩では対処がし辛いのである。

 それらなば馬車で楽に進んだ方が速く、そして危険も少ない。


「早々に渡り終え、コーラルと再会するまで残り七日間、日雇いでもして取り返せばいい」

「稼ぐ云々は置いておいて、今すぐ使って尽きるほど蓄えに余裕がない訳ではないので、二人は気にしなくていいですよ」


 ミロシュは駅舎の扉を開けて、屋内の受付の男に声を掛ける。

 外で待機する三人は漠然と橋を眺める。

 荷物満載の馬車で進む商人や軽い手荷物だけを持ち早足で通り過ぎる青年、一行と同じように駅舎に入る老夫婦――行き交う人々は様々で、早朝の時間帯だが充分に多い。


「……本当に、色々な奴がいるんだな」


 中原から南部を介して西部の帝国へ。

 地図の上での移動は一瞬だが、実際はそうもいかない。中原国家と帝国では商品として価値のあるモノも、南部自由都市連合では持ち込み不可の禁制品と定められている。


「……」


 無頼の言葉で気付いたベロニカは、目元を鋭く変えていく。

 派手な服装の男が手綱を握る荷馬車に檻は付いていない。六人の子供が乗せられ、生気を失った瞳で揺られている。柄の悪い護衛役の男たちは、何時向けられるとも知れない敵意を警戒して、今まさに向けられているベロニカの昂った感情に気付いていない。


「妙なことを考えるなよ」


 無頼は釘を刺す。

 奴隷商人が連合所属の自由都市を通過する場合、奴隷たちは名目上(、、、)解放される。連れ子として街に入り、橋を渡り終えると奴隷に戻る彼らに、ベロニカが出来ることは何もない。

 都市門を通過する際「助けてくれ!」と叫びさえすれば役人も対処出来ようが、黙って付き従う彼らを解放することが出来るのは、恐怖と言う名の鎖で縛り、その手綱を握る奴隷商人だけである。


「……分かってるよ、無頼」


 橋門都市ソルトレイクから出てきたということは、その行いを都市自体が黙認していることになる。

 商人に手を出して罰せられるのはベロニカの方で、境遇に対しての情状酌量など存在しない。名目上、商人は一人も奴隷を連れていないのだから。


「手は出さない。まだ、出すつもりはない」


 商品名を覆い隠した奴隷馬車を睨みながらベロニカは呟き、その呟きを拾ったラウトもまた、荷馬車に揺られる子供たちを眺める。


「ローニャは、奴隷が嫌い?」

「奴隷より、奴隷商人が嫌いかにゃあ……」

「……」

「……ラウト?」

「ラウトは、奴隷の方が嫌い」


 ラウトの言葉にベロニカは強張る。


「ラウトの村には元奴隷がいた。彼は奴隷の境遇を震えながら話した。辛い日々、逃げ出す抵抗心を削がれる日々。諦め、涙を流したと言っていた」

「ラウト、それは……」

「でもラウトに教えてくれたその時、彼は奴隷じゃない。仲間を捨てて逃げ出したと。後悔してた。でも、誇ってもいた」


 ラウトは純粋な瞳で、橋の彼方へと消える馬車を追う。


「あの子たちが逃げないのは、奴隷だから? それとも、自由を諦めたから?」

「……」

「考えず、戦わず、諦めるのが奴隷なら、ラウトは奴隷を好きになれない」


 馬車は完全に見えなくなり、ベロニカは黙ったまま無頼の手をギュッと握る。

 何か言い返したいが、何も浮かんでこない。

 ラウトの言葉は間違えてはいないが、それで全てではない。

 それを伝えたく、それでも言葉に出来ずにベロニカは無頼に頼る。


「ラウトは奴隷商人を知らないんだな」

「奴隷商人は、村にいなかった」

「いいか、ラウト。捕まった人は、それだけで奴隷になる訳じゃない」


 無頼は目の前を過ぎる人々を目で追いながら、丁寧に言葉を紡ぐ。


「戦災で家を失った人、拉致された人、破産して生活出来なくなった人、自身を犠牲にしてでも身内にお金を残したい者、奴隷よりも酷い暮らしをしていた者……、そして一概奴隷と言っても種類も様々だ。愛玩奴隷に性奴隷、労働奴隷、戦奴隷。望んで堕ちた奴ら以外、まず共通して行われる事がある」


 無頼は続きを口にせず、ジッと黙る。

 ラウトはそわそわと続きを待ち、けれど焦らされ耐え切れなくなり尋ねる。


「何を、されるの?」

「心を折られる」

「折る……?」

「肉体を痛めつけ、罵り精神を摩耗させ、食事を与えず空腹を教え込む。意図的に逃走させ、捕えて叩きのめすと更に効果的だ。いつしか逆らえない逃げられない……それならば今のままでいい、と考えるようになる。水は高きに流れない。上から下へと、それは人間にも当て嵌まる」

「……」

「楽な方、楽な方へと心は擦り寄っていく。意志を保つ、と心に決めていても、それは中々実践できないことなんだ。だからラウトも村の元奴隷の人は、後悔しながらも誇ったんだ。簡単じゃないと、我が身で味わったから」


 ラウトは群青色(アズライト)の瞳を更に丸くして、無頼の高説を吟味する。

 無頼の言葉は一元的な思考に別の視点を与える切欠となり、ラウトの思考は多方面かつ優れたモノへと変質していく。


「ラウト、浅慮だった」


 ぺこりと頭を下げ、ラウトは無頼を見上げる。


「俺が口にしたのは所詮一般論だ。あの子たちがどんな目に合ったのか、これからどんな目に合うのかは分からん。何故戦わないと疑問に思う気持ちも良く分かる……が、戦う意志を持ち合わせている人間はずっと少ない。ローニャも、それを心に留めた上で手を出すか否かを判断しろ」


 駅舎の建物からミロシュが出てくる。

 ジッと黙って道行く人々を眺める三人の姿をミロシュは訝しむが、無口なラウトと比較的黙ることの多い無頼の並びにベロニカも中てられたのだろうと納得し歩み寄る。


「行動には責任が伴う。それを忘れるなよ」


 そして無頼の言葉を耳にして、余計に頭がこんがらがる。


「何の話をしてるんですか……?」

「奴隷の話」


 状況が掴めないミロシュであったが、駅馬車の中で話題を広げるにつれて、無頼に負けない持論を展開してラウトを唸らせた。

 同乗した他の客たちから奇異な目で見られたのは、言うまでもない。


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