橋門都市ソルトレイク②
マグナの祖父、テラー・カーンズは孫娘が初めて連れて来た客を歓迎した。
三十万の人口を抱える橋門都市ソルトレイクは広く、当然住民の数に負けないだけの家屋が軒を連ねている。けれど漠然と無頼の知識に残るマンションのように、一棟で何十何百人と収容出来る大型建造物はない。高くても三階建ての建物に何世帯もの人々が詰め込まれ、結果人口過密が景観となって表れる。
「お屋敷」
その人口過密都市の中で、マグナの祖父テラーの家は大きかった。
一部屋を親族数人で使うのが常識のソルトレイクで、客を泊めようとの発想が生まれるには、相応の下地が無ければならない。
もてなしは労働者をたこ部屋に詰め込むのとは違う。
客室を用意出来ない人々は、まず初対面の旅人を招きはしないのだ。
「また随分と、偏ったパーティじゃのう」
「まあ、子供が二人いますから」
テラーの年頃は無頼世界で五十代前半、現世界換算で六十歳前後。年相応の威厳を携え、滲み出る貫禄は生涯を費やして得られる類のものである。
門番の祖父が何故こんな雰囲気を纏えるのかと疑問を隠しながら会話を重ねていくと、テラーは四人いるソルトレイクの副市長であり、市行政の重鎮なのだと誇らしげに本人が語った。
幸か不幸か、偶然結んだ縁は大きく、重すぎる邂逅にベロニカまでも言葉を濁した。
テラーは自室に戻り、仕事を終えて普段着に着替えたマグナが顔を出す。
「それで、どうするの?」
「うーん……」
テラーとマグナが勧めるソルトレイク名物にベロニカは目を輝かせていたが、事情が事情だけに素直に頷けなかった。
ミロシュにとっても非常に魅力的な提案ではある。けれど渋らなければならない理由もある提案だ。簡単に頷けない。
「荷物の整理や買い出しは俺に任せて、行ってくればいい」
無頼はさも当然のように二人の背中を押す。
ベロニカとミロシュの心配は無頼も理解している。
「ラウトもだ。ここを逃すと、次は何時入れるか分からんぞ」
しかしソルトレイク名物の大浴場――は、全裸で利用するものである。
魔法使いサクラメントの衣服とローブで左腕の欠損を隠すベロニカが、公衆浴場で一糸纏わぬ姿を晒してはならない。類稀な美貌と相成って、ひた隠しにしてきた素性が公になる可能性も充分に考えられる。
「問題ない」
無頼は断言する。
「ローニャは確かに目立つが、目立つだけだ。一目見てローニャの素性に気付く者が公衆浴場にいるか? 万が一いたとしても、どの道カンザス公国の公女にバレているんだ。遅かれ早かれ噂は巡る」
「ですが……」
「そもそも俺たちの旅路を考えてみろ。ソルトレイクで一泊、七日後にはバウンティでコーラルと再会、以降は紫電侯領――つまりは中原の反対側だ。追手が中原の西側を探し回る間、俺たちは東側にいることになる」
「……魔法使いコーラルをそこまで信用してもいいのですか?」
「頭一つ抜けた方法を示されたなら、それに縋るしかないだろ。もしもダメそうなら、南部経由で向かえばいい」
無頼に言い包められ、ミロシュは何も返せなくなる。
マグナは入浴セットを抱えて二人の遣り取りを眺め、ベロニカとラウトもそわそわとミロシュの許しを待つ。
無頼の言葉通り、ベロニカの素性は今更だ。
貴族が身分を隠して旅に出ても気付かれないように、大々的に喧伝して回らなければベロニカの素性など気にする者もいない。仮に気付いたとしても利用しようと考えるのは悪意ある者だけで、マグナとテラーも驚きはしたがそれ以上はなかった。
「分かりました」
溜息と共に、ミロシュは諦めを口にする。
「但し、細工はします。スペリオル、協力してください」
「細工?」
「ローニャ、袖を捲って。《私は造形を刻む者》」
水精スペリオルから水分を徴収してミロシュは半透明の左腕を作り出す。
「ミロ姉、器用」
「へぇ、立派なもんだね」
「にゃああ……、湯気に隠れるから、これなら大丈夫かな」
ミロシュは触りだけ組み立てた手首を崩し、足元に水が散らばる。
「浴場なら、スペリオルの力も借りずに済みます。もっと上手に作れますよ」
「流石ミロ姉」
「それじゃ行こうか。ふふっ、ソルトレイクの公衆浴場は凄いんだよ!」
マグナは三人に声を掛け、早く行こうと促す。
三人は送り出す無頼に少しだけ申し訳なさを感じる。けれど風呂が苦手だと言う本人を無理矢理連れて行くのも悪いと思い、足を進める。
「さて、と」
無頼はミロシュたちがマグナに連れられて離れていくのを見送ると、魔法の鞄の中からメモ帳代わりの日記帳を取り出し懐に忍ばせる。
テラーに街に出てくると言い残し、無頼は『亡霊挽歌』を腰に佩き玄関を出る。
ミロシュとラウトにベロニカの相手を押し付けて稼げる時間は二時間弱。
(その間に、出来るだけ集めなければ……)
無頼は一人街に出て、ベロニカの祖国についての噂を集めることにした。
橋門都市として皇帝街道の要所に位置するソルトレイクは、多くの行商人の中継地点となっている。戦争と政変を経たばかりの北国は不安定で、好き好んで危険に近づく者は商人として失格と言える。
けれど人が多く集まる場所ならば当然危険な地域で稼ごうとする商人も多くいて、彼らは聖王国の情報を求め、増加する需要には必ず応える者が現れる。
(俺は、この世界の情勢に疎い)
だからこそ無頼は世界の動静に敏感な商人たちを経由した情報を求める。
聖王国の情報なんぞ、無頼にとって何の意味も成さない。無頼がベロニカに付き合うのは腕を取り戻すまでで、それ以降ベロニカが祖国に戻る際、無頼は同行しないと決めていた。
(これは、俺の為の情報収集だな)
ベロニカと別れた後、この世界を放浪して安住の地を探す為の情報収集。
その中に、偶然聖王国の情報が多めに紛れ込んでいるだけだ。
そう建前を作り、無頼は機嫌の良さそうな商人に声を掛ける。
会話を重ねて機嫌を取り、商品を手に取り、無頼は情報を集めていった。
公衆浴場から帰って来た四人に家主のテラー、そして無頼が情報収集ついでに値引きして買い込んだ食料品を交え、宴会が始まった。
ベロニカ以外の三人はあまり大騒ぎするタイプの人間ではないが、どんちゃん騒ぎの好きなマグナとテラーに釣られるように酒盛りは盛り上がっていった。
初めての酒精にラウトが沈み、巧みに盃を躱していたベロニカがテラーとマグナに掴まり、マグナと共に眠気と酒気に負けて瞼を下ろす。
「しかし、ハワード殿の忘れ形見がこんな街まで流れてくるとは……」
スルメ烏賊を噛みながら、テラーは苦しそうに寝息を立てるベロニカと寄り添う水精スペリオルを眺める。
真面目な顔で真面目な口調で真面な言葉を話したならお姫様としての威厳も付いて来るが、大の字で寝転び鼻提灯を膨らませる姿からは威厳のいの字も感じられない。
無頼はくだを巻き縋ってくるミロシュの額を押し返し、テラーに尋ねる。
「一目で分かる程、ローニャは親に似ているんですか?」
「似ているさ。目元、口元、髪色、黄金の瞳……戦場に立ち剣を振るう彼の姿に、敵も味方もなく誰もが震えたものだ。人柄も立派で、知性に長けていた。聖王国が誇る安定した治世の全盛は、彼が王位に付いてからだ」
テラーは在りし日のベロニカの父王ハワードを思い出し、ベロニカの左腕を見て悲しそうな顔をする。
自由都市連合に所属する大都市の一角、ソルトレイクの副市長を務めるだけあり、テラーは聖王国の現状を把握している。
「……ハワード殿の弟、モータルが王位を継いだまでは良かった。しかしモータルは兄王ほど機知に優れておらず、人望にも乏しかった。その矢先にサンノゼ帝国の侵攻」
「戦場に出たモータルは討死、冬を前に帝国軍は撤退……少し気になったんだが、帝国軍は何処を通って聖王国に侵攻したんですか?」
「北の大橋だな。たとえ軍でも、大橋の往来は保証されている。北の橋門都市と水上都市はどちらも戦の備えが出来ていない。精々都市で略奪されない程度に嫌がらせをするくらいしか方法がなかった」
「見殺し……の言葉は使わない方が良さそうですね。本来国土は自国の力で守るものだから」
「助かる。橋門都市は自由都市、けれども直轄地でない以上、連合が方針を押し付けることは出来ない。加わるのも自由ならば、離反するのもまた自由――それ故の自由都市だ」
無頼はテラーの嘆きを聞き、ふと思い当たる節を口にする。
自由都市の意思決定は尊重される。ならば、他国の工作にはどう抗うのか、と。
「……キミたちは、マラットから来たのか?」
「ええ。市民には活気がなく、敵愾心を燃やす者が多くいて……けれどそれを叩き付ける相手を探し損ねている感じがしましたね。仕込みはカンザス公国かと。俺たちも揉めましたから」
「やはり、部外者目線で見ても分かるか?」
「俺たちは目が良いから例外だと思いますが……、まあ、違和感は隠せていません」
率直な無頼の意見にテラーは頭を抱える。
隣の都市が静かな侵略に曝され、それに対する具体的な回答が見つかっていないのだ。連合から離反されでもしたら、苦労して抑えた行商ルートに"他国の税"という余計なコストが嵩み、本国の商人から不満が噴出する。
しかし表立って工作国――カンザス公国を責めることは出来ない。
カンザス公国は十年単位で工作員を住民として融和させ、住み着いた人々を工作員だと都市から追い出すのは連合としてではなく、自由都市としての理念に反する。都市行政が全て市民の言い成りになる訳ではないが、ある程度は市民の意見を反映させなければならないのも事実であり、打てる手は限られる。
「解決方法がない訳ではありませんよ」
無頼は記憶ではなく知識から、適切な対処方法を導き出す。
出身世界の経済紛争を知る無頼にしてみれば、何故自由都市連合が手を拱いているのかが理解出来なかった。
河畔都市マラットは北部の自由都市と繋がる要所で、北部の自由都市を孤立させない為には絶対に手放せない都市である。工作員が多々潜み工作を続けているという事実を掴み、確たる証拠がないので証明出来ないと言うのなら、相手国を商売相手と思わず、容赦なく搾り取ればいい。
「経済強者に盾突く恐ろしさを、封建制に教えてやればいい」
塩や砂糖など、生活必需品の価格を釣り上げれば、海を持たないカンザス公国の財政は忽ち干上がる。財政が干上がれば工作に手を回す余裕もなくなり、以降は連合本国が同じ手法でマラットを取り返せばいい。時間を掛ければ可能であるとカンザス公国が立証し、カンザス公国のように隠れて移民させずに済む分、費やす時間も少なくて済む。
「制裁……を与えると?」
「するぞ、と意思表示だけで充分です。理解していないなら実際に人柱ならぬ街柱で公国の街を干上がらせてみれば伝わる筈です。強硬策ですが、示威行為だけで意味を成す類です」
「……」
「それが嫌ならば、カンザス公国のようにマラットの人口を増やせばいい。街を増築して田畑を拓く。水捌けの良い土地だったので、連合の肝いりで果樹園でも作れば労働人口も賄えます」
経済大国の利を活かそうとしない自由都市連合を無頼は不思議に感じていたが、戦争寸前に達する方法だけを勧める訳にはいかず、正々堂々、工作に立ち向かう方策も口にする。
ミロシュが手にした琥珀色の蒸留酒を瓶のまま煽り、酒で濡れた唇を舐め取る。
挑戦的な無頼の態度にテラーは本能的に震える。
それが恐怖か別の何かか――それは判断出来ない。
「俺が南部の指導者なら、五年で中原を平定してみせる」
そして最後の一句を聞き、酔っ払いの戯言だと切り捨てる。
「旅の若造が統一出来るようなら、とっくの昔に時代は大帝国に戻っておるさ」
テラーは鼻で笑い、ふらふらとした足取りで自室に戻っていく。
目を閉じた無頼はテラーの足音を感覚し、再び蒸留酒で喉を潤す。
喉がカッと熱くなり、それがそのまま体を下っていくのだから当然身体も熱くなる。
「する気がないんだ。南部の指導者たちも、この世界の誰も」
乾いた砂を雨粒が固めるように、無頼の決意は嚥下した酒で硬く不動のものになる。
ツマミのスルメ烏賊を咥え、アルコールで昂る身体を抑え込み、だらしない姿でいびきをかくベロニカを見つめる。
「もしもローニャが祖国に帰れないのなら……」
その時は、俺と国盗りでも……と口に出し掛け、無頼は飲み込む。
言葉にするにはあまりに危険で、酒の席以外でも笑い飛ばされる類の言葉だ。
だが、ベロニカは本気として受け取る。
それが予見できるからこそ、無頼は口を噤んで衝動を殺した。
理性はベロニカを突き離せと騒ぎ、衝動はベロニカを利用しろと囁く。
無頼の思考は理性と衝動――二つの感情の狭間に揺られ、答えを得ないままアルコールの泥水に沈んでいった。
お風呂回(描写ナシ)




