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川辺の魔精④



「その為の護衛だ!」


 狼の遠吠えに怯えた商人ベニートを無頼が一喝する。

 ベロニカとシウダーが遭遇した四匹の狼との戦闘をラウトが伝えると、ベニートは馬車馬の世話を放り出して幌付きの馬車に妻子と護衛の妻子、つまり身内だけを連れて逃げ込んだ。

 八割方終わっていた食事の支度をミロシュが引き継ぎ、ラウトが馬車馬と他の荷馬車をベニートらが逃げ込んだ幌馬車の近くに集める。


「…………」


 高台の野営地に立つ無頼は、月明かりの照らす草原を見下ろす。

 遠吠えは聞こえたが狼の姿形は何処にもなく、静かな夜を彩るのは時折夜風に煽られて草木が揺れる音だけだ。ザアザアと、風は優しく頬を撫でる。


「平坦に見えるが、意外と草の背が高いな」

「ちょうど、狼が隠れるね」


 無頼の隣に立ち、ベロニカが草原を睨む。

 ベロニカの傍でちょろちょろと水の精霊が飛び回っていたが、無頼は見えない振りをする。ひょっとして、と訝しむ心はあるが、話は専門家(まどうし)のミロシュが来てからでないと始まらない。


「狼、いますか?」


 鍋を幌馬車の近くに移したミロシュが無頼の隣に立つ。


「俺には分からん。ローニャとラウトなら分かるかもしれんが、視界だけだと、どうもな……」

「無頼、私たちの感覚だって万能じゃないよ」


 堅い石畳など舗装された道路を歩くのに慣れた人間が、柔らかな森林や草原の地面を歩く時には隠しようのない違和感が表れる。ベロニカやラウトはその微かな違和感に意識を集中させ、接近の有無を確かめている。

 しかし普段から草原を駆け、森林を進む野獣にその理は通用しない。大きな体躯を持つ灰色熊や人型に近づき野性を失ったコボルトなどの例外はいるが、群れで生き、狩りを行う狼の気配を察知するのは、熟達の狩人でなければ務まらない。


「暫くは俺が睨みを利かせておく。二人はラウトと一緒に食事を摂ってきてくれ」


 直下の草原を一望できる場所を陣取った無頼は、冷たい夜風に体を投げ出す。

 遠吠えは途絶えたが、代わりに森林と草原の合間にチラチラと黒い影が蠢いているのを無頼は見逃さなかった。

 灯りを点し食事を作れば、その臭いに釣られて野獣が集まるのは当然だ。

 本来ならば人を恐れ、火を恐れて近寄りはしない。

 しかし人を襲い慣れていない獣と人を襲い慣れ過ぎた獣は、何も恐れずに向かってくる。

 ここを縄張りとする狼たちが、そうでない保証はない。


「無頼さん、動きはありましたか?」


 無頼の分のスープとパンを持ち、ミロシュは無頼の隣に並び立つ。


「獣の気配はあるが、動きはない。……妙な魔力も感じる」

「ローニャが拾った精霊とは別ですか?」

「ああ。……ローニャが連れていたのは、やはり精霊なのか?」

「水の精霊です。生まれたばかりの幼い精霊ですが、……実は、その」


 パンを頬張り、スープを流し込んで食事を終えた無頼は、歯切れの悪いミロシュに続きを促す。


「ローニャが精霊と契約していました」

「グレナダ……前に言った精霊魔道士のように、か?」

「ええ。精霊魔道士は、特殊な魔道兵科です。魔道士は精霊に魔力を与え、精霊は魔道士にマナを与えます。自然で育つ精霊に比べて潤沢な魔力を与えられて育つ精霊は明確な人格を持ち、成長後は自らを保つ程度の魔力を環境マナから生成できます。ただ、幼少期は魔力の供給が不可避で、個体によっては魔道士を食い潰す精霊も存在します」


 ミロシュは下唇を噛み、頭を抱える。


「今のローニャには、魔力核がありません。魔力を供給出来ない現状で精霊(けいやく)に捕まるだなんて……」

「待て、ローニャが望んだんじゃないのか?」

「精霊との契約後は対等ですが、契約自体は精霊の一方的な()()()()です。健全な精神状態であるなら抗えますが、……ローニャの魔力抵抗は無いに等しいので」

「一方的に、契りを……」


 無頼はベロニカたちが控える馬車の方を振り返る。

 魔道術の専門家ミロシュが頭を抱える状況を自分がどうにかできるとは思えず、けれどもジッとはしていられない。藁をも掴む思いで頼ったのは、協力関係にある『亡霊挽歌』であった。


"精霊は死なない"  "餓死もしない"

   "手懐けるのが一番よ" "手放すのは勿体ないよ"

 "あの小娘、運が良い"   "魔力を他人から貰えばいい"

"便利だよ、精霊は"  "無頼が与えろ。小娘に!"


 長く生き、死んでからも意識を保ち続ける亡霊たちは、ミロシュとは別の知識の供給源となっていた。

 亀の甲より年の劫。

 悪辣な意見を選別する注意力さえ失わなければ、亡霊たちは老練な助言者となってくれる。


「活身魔道術の要領で、ローニャに魔力を分け与えることは出来るのか?」


 亡霊たちの悪意を選別し終えた無頼は、思い悩むミロシュに提案する。

 魔力核が破損して環境マナから魔力が作れないのならば、外部から与えればいい。以前オレーサの城壁でミロシュが施した活身魔道術然り、魔力を送り込んで傷の治りを促進させる治癒魔道術然り、方法は幾らでもある。


「それは、亡霊の助言ですか?」

「……ああ、概ね」

「魔力を与える、と口にするのは簡単ですが、与えた相手が利用できるかどうかは別問題です。そもそも付与魔道術の魔力は魔道術に加工されているので精霊に与えることは出来ません。与えるとするなら……」

「するなら……?」

「方法は単純です。分け与える者同士で体を密着させる……但し、それで意味あるのは漏れ出す程の魔力量を持つ人だけです」

「……」

「私の魔力量は器に収まる、必要最低限だけです。与えられるのは溢れ出す魔力を持つ者だけ……つまり、無頼さんが適任です。『亡霊挽歌』由来の魔力とは言え、無頼さんの身体を介した魔力は、全て無頼さん自身の魔力です。ある程度まで精霊を育てたなら、食い潰される不安も払拭されますが……」


 ベロニカの魔力(せいめいりょく)を食い荒らされたくなければ、無頼の献身的な協力を施すしかないとミロシュは告げる。

 無頼は左手でトントンと魔剣の柄を叩き、右手でくしゃくしゃと前髪を掻き混ぜる。


「つまり、俺にローニャと――……」


 そして顔を上げた無頼は、ピタリと言葉を止める。

 ベロニカと水の精霊のことなど全て頭から抜け落ち、無頼はただ月明りの下で揺れる草原を睨む。


「妙な魔力が動いた」


 鋭敏な感覚で環境マナの揺れ(、、、、、、、)を察知した無頼は、髑髏マスクを身に着けミロシュの前に出る。

 無頼の言葉、無頼の感覚を肯定するように眼下の草原で黒い影が蠢き、隠そうともしない獣の息遣いが無数に現れる。


「無頼、狼が来たね」


 幌馬車の近くにいる筈のベロニカがやってくる。

 右手には燃え盛る松明を、左肩に水の精霊を伴って、堂々とベロニカは獣が駆ける草原を睥睨する。


「ミロ、魔道術は大丈夫?」

「規模と種類にもよりますが、詠唱を行えば大抵は問題ありません」

「なら、草原を燃やそう」

「……え?」


 燃え盛る松明――炎の環境マナを持ち出したベロニカは、狼が姿を隠す草原にその尖端を向ける。煌々と橙の光が三人の顔を照らし、熱は夜を温めていく。


「炎の魔道術を使って燻り出すんだよ。炎に炙られたら、少なくとも今夜再び来ることはなくなるよ」

「確かに、環境マナの制御が出来たなら、区画を決めて焼却することも……ですが、リスクが大きすぎます。火の勢いが増して、森に燃え移ったらどうするんですか?!」

「その時は、スペちゃんに頼むから」

「まかせて!」

「任せてって……」


 ベロニカはそう言って左肩の水の精霊に笑い掛ける。

 スペリオルと名付けられた幼い水精もそれに応えてベロニカの顔付近を飛び回る。


「良い考えとは言えませんが……、《我は光の束を集める者》」


 ベロニカの考えは理に適っている。

 姿の見えない、群れた獣が恐ろしいのならば、身を隠せる障壁を全て打ち壊してしまえば恐れの八割は解消される。草原を風魔道術で薙いでも風に靡くだけで、根を張った草々は刈り取れない。

 効率よく刈り取るなら、炎が最適である。

 広範囲の環境マナを制圧できるミロシュならば、炎の魔道術で二次災害を熾す確率は限りなく低く、広範囲で燃やし尽くすことも難しくない。


「《輝く汝は暴力の化身。食欲を満たすまで整然と蠢き、喰らい尽くす》」


 ベロニカから受け取った松明を足元に投げ捨て、ミロシュは言葉を連ねる。

 眼下の草原では潜む狼たちが魔道術から逃れる為に森林へと戻るべきか、ミロシュごと威圧感を放つ無頼を始末するべきかで逡巡している。群れとして活動する狼たちはコミュニケーションが足りていても、決断力が圧倒的に足りていなかった。


(ローニャ……、聞いていたんですか……)


 詠唱を口遊むミロシュの隣では、無頼の左腕にベロニカの全身が絡みつく図が出来上がっている。

 必要なのは理解している。

 けれど、いざ目の前でやられると、中々にストレスが溜まるとミロシュは心の中で舌打ちする。


「ローニャ、そろそろ撃つのでもう少し下がってください」

「ミロ、燃やすのは正面だけだよ」

「分かっています」


 溜め込んだ魔力と編み込んだ魔道術により巻き起こる熱波は相当な物になるとミロシュは確信している。無頼や自分ならいいが、ベロニカの綺麗な銀髪が焦げて縮れるのは好ましくないと思い、ミロシュはベロニカを下がらせた。

 無頼の後ろに隠れて魔道術を待つベロニカの瞳は何故か挑戦的で、それが誰に向けたモノか分からないミロシュは当惑しつつも、迫り来る狼の気配に押されて最後の一節を口にする。


「《炎は地を這い、全てを飲み込む。万物を包み、そして灰に》」


 ミロシュの魔力に煽られて、足元の松明が激しく燃え上がる。導火線を伝う火種のように草原に伸びる炎は、乾燥した冬の草花に一瞬で引火する。

 熱波が頬を撫で、無頼は思わず顔を背ける。

 炎の勢いは凄まじいが、それ以上に環境マナをコントロールし切ったミロシュの力量に感服する。火とは元来、上へ上へと勢いを増すが、草原で燻る業火は魔力に押さえ込まれて轟々と区切られた場所を焼き尽くす。

 風が吹かなければ灰すら舞わない。

 酸素と枯草を食い尽くす炎の魔道術から、狼は一匹も逃げ出せなかった。


「……終わってないよ、まだ」


 轟々と熱を吐き出す草原を見下ろし、ベロニカが呟く。

 ベロニカの言葉を合図に、業火の中心から大量の水が溢れ出して炎を侵食していく。大量の水蒸気が視界を埋め尽くし、ミロシュは慌てて威力を抑えた風魔道術で吹き飛ばす。


「スペちゃんが……水の精霊が襲われていた。最初は自然なことなのかと思ったけど、違った。精霊なんて味もなければ魔力の補充も出来ない、下手すれば返り討ちにあう可能性もある」


 水蒸気が晴れ、焦げた大地には四足の獣が現れる。


「でも、ここの群れは襲っていた。何故襲う? 精霊を喰らった後に授かる恩恵を知っているから。何故知っている? 水の精霊を喰らい、能力を手にした()()が群れを率いているから」


 毛皮の殆どを失い、火傷で満身創痍の狼がそこに居た。

 魔道術を扱うコボルトのように特殊で、通常の魔狼よりも珍しい、水の精霊を体内に飼っている魔狼が――――。


「グルル……」


 魔狼は環境マナを魔力に変換し、水の精霊の力を使って強引に傷を治していく。失った毛皮は戻りはしないが赤黒い傷跡は塞がり、余熱が燻る足元に水が満ちる。


「ヤル気みたいですね」

「再生持ちか。斬って殺せればいいんだが……」


 ミロシュは詠唱を始めて魔力を掻き集め、無頼は『亡霊挽歌』を抜き放つ。

 魔狼は戦闘態勢を示した二人を敵と定め、唸って威嚇する。


「問題ないよ」


 回復し終えた魔狼の額に、白銀の弓矢が突き立てられる。

 ベロニカは風下の、ミロシュの炎が届いていない一角を指差す。

 矢を受けて揺らいだ魔狼の胴体に追撃の一矢が、更に最後の一矢が倒れた魔狼の首を地面に縫い付ける。


「ラウトか」

「うん。出てくると思って、ラウトに頼んだんだ」


 ベロニカは真顔で、いつものように笑顔を携えてはいない。

 無頼とミロシュは真剣なベロニカの態度から、今までとは違う覚悟を感じ取る。


「今まではずっと二人に任せきりだったけど、これからは私も頑張るよ。私は私のやり方で、私に出来る限りのことを」


 ピクピクと痙攣して死を迎える魔狼を眺め、ベロニカが漏らす。


「それが、始めた私の責任だから」



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