川辺の魔精③
カリブー大河の畔、見晴らしのいい高台を隊商とお姫様一行は野営地と定めた。
日が落ちる前に野営地の設営を始めるのに当初の無頼は違和感を覚えていたが、満足な電燈のない野外で、月明かりと焚火を頼りに活動するのは辛いと知り、今ではテキパキと手際よく、誰よりも率先して時間と戦っていた。
野営の準備は終わり、そんな時間も終わる。
夕日が沈み、周囲を薄暗さが包み始めた頃、無頼は暇を持て余していた。
「ラウト、火種をくれ」
魔法の鞄から利用価値のない古紙を取り出し、枯れ枝と枯草を集めて火を移す。燃え易い紙から枯草へ、炎は轟々と燃え上がり枯れ枝を炙っていく。
食事を隊商の女性二人が請け負うと宣言した以上、無頼に立ち入る隙は無い。
日々の食事を作る彼女らの手際に不満はなく、そもそも男の無頼が炊事担当だと口にするだけで怪訝な目をされる辛い世間、迂闊なことは口走るくらいなら黙っていた方が良い。
護衛として雇われたが襲撃者がいなければ手持無沙汰で、ベロニカとラウトに課題を与えるには野外は薄暗い。ベニートと十歳になる彼の長子は馬の世話をしているが、勝手が分からないので混ざる気にもなれない。
「暇だな」
結果無頼は意味もなく火を熾し、長めの枝で焚火を突いていた。
隣に座るラウトはパチパチと爆ぜる枯れ枝を眺め膝を抱えている。コクリと頷き枯れ枝を投げ込むが、暇が解消されたのは投げ込んだ一瞬の間だけだ。
「ミロシュとローニャは?」
「ミロ姉、服を縫ってる。無頼の服、刻印魔道術詰めてる」
「ああ、そう言えば」
無頼はミロシュの言葉を思い出す。
サクラメントの教えを受けたクレイ・シラキュースが魔道刻印を編み込んだ衣服を作れるのなら、弟子の自分も同じことが出来て当然だと胸を張り、無頼のシャツを手に馬車に乗り込んだまま出て来ていない。
長コートが斬られて再生しても、その下のシャツがボロボロならば修繕するミロシュの手間は変わらない。それならばと無頼の衣服に後付けの再生刻印を縫い付けているのだが、中々に難航しているらしい。
少なくとも、昼からずっと取り掛かっていても終わる気配はない。
「ローニャはマニトバの世話……してる筈だけど……」
ラウトは目を細め、馬の世話をする商人ベニートの周囲を探す。
薄暗くなったとはいえベロニカの白銀の髪は闇に映え、一筋の月明りを吸い込んで真昼の太陽に負けない明るさを放つ。そう簡単に見逃しはしない。
ベニートや馬車馬はその場にいる。
「いない」
だがベロニカの姿はなく、ベニートの長子も見当たらない。
「ラウト、探してくる」
無頼を残し、ラウトがベニートの方へと駆けていく。
『亡霊挽歌』の剣圧で焚火を消し飛ばした無頼はゆっくりと立ち上がる。ベロニカやラウト――獣人たちとはまた違った鋭敏な感覚を更に研ぎ澄まし、魔力を飛ばして周囲を知覚する。
(犬……じゃなくて狼か……?)
放った魔力に返すかのように、遠吠えが聞こえる。
ベニートと二、三言葉を交わしたラウトが大河の方に走っていく。
その姿を尻目に、無頼は食事の支度をする隊商の二人とミロシュの元に戻ろうと足を動かす。
"トラブルが尽きないな"
亡霊たちが嗤う。
無頼は魔剣の柄を叩いて黙らせ、更に足を速めていった。
大河の畔、空の桶を持ったベロニカは機嫌よく尻尾を振りながら歩き、その後ろを十歳のシウダーが、同じく空の桶を持って追っていく。
「シウダー、足元は気を付けないとダメだよ~」
「はーい」
満面の笑みを浮かべたベロニカは、ひょこひょこと付き従うシウダーの素直さに満足する。
無頼とミロシュの二人と旅路を共にする関係上、ベロニカは必ず最年少であり、いつも子ども扱いされてきた。二歳下のラウトの加入で変わるかもしれないと一時は期待するも、大人びて口数の少ないラウトではベロニカの欲は満たせなかった。
今まで満たせなかったベロニカの欲とは、――――
「んふふ~、お姉ちゃんに任せてよ」
年下に対し、お姉ちゃんぶりたい欲求である。
ラウトには敢無く一蹴されてしまったが、まだベロニカの本性を知らないシウダーは疑いなくベロニカの欲求に応えてくれる。
「ねえ、ローニャ」
シウダーの視線が左右に揺れる尻尾を追い掛け、ゆったりと流れる大河から吹く風が二人の足を止める。
「ローニャって本当に旅人?」
「にゃ?」
「商人は人を見る目を磨けって。それがお父さんの口癖なんだけど、無頼さんやミロシュさん、ラウトにローニャも、……僕が今まで見て来た冒険者や旅人とは違う気がする。かと言って騎士や兵士みたいに張り詰めてもいないし、うーん……」
腕を組み、シウダーは頭を悩ませる。
シウダーの抱えた疑問には一切答えず、ベロニカは足を動かす。
ベロニカの銀髪は宵闇に映え、その後姿を追うシウダーの瞳には夕日が沈み赤にくすんだ地平が色褪せて映る。
「シウダー」
ベロニカの隣を歩こうと小走りで追いつき、額を拭うシウダーの耳に氷柱のような言葉が刺さる。
「商人なら、係わるべきかどうかの見極めも大事だよ。追及と引き際も、とてもね」
「引き際?」
「そう、引き際。家族以外の人と長い時を過ごせばその内に分かるようになるよ。シウダーが商人を続けていれば、その機会はきっとくる」
ムッとするシウダーを余所にベロニカはピクピクと獣耳を動かす。
足を止めていないが周囲に向ける視線は忙しく、足取りも心なしか慎重になっている。
「しっ、ここにいて」
周囲には背の高い草が生い茂り、所々その先の風景を覆い隠している。
草木の先には水面が流れ、それとは別の物音がベロニカにの耳に次々と集まる。
水の流れる音、草木を踏み締める足音、荒い息遣い、抵抗する声。
(行くべきか、戻るべきか……)
ベロニカはそう考えながら護身用の黒短刀を引き抜き、躰を進ませる。
姿勢を低く保ちはしない。相手が人間ならばそれも有効だろうが、野獣が相手ならば意味を成さない。
「……何がいるの?」
シウダーが足音を殺してベロニカの背中に取り付く。
ここにいて、との制止を無視したシウダーにベロニカは憤りを感じるが、無頼に対して同じことをした経験のあるベロニカは気持ちを落ち着かせて答える。
「多分、狼だと思う」
「狼!?」
群れた狼は、行商人の天敵と言える野獣である。
森林に草原、切り立った岩山など、生息地は多岐に渡り、気温の低下に合わせて徐々に生息域を南下させる。この時期ならば、ソルトレイク近郊に出没しても不思議はない。
暑い南部には狼が生息していないからこそ、商人は生活できる。
古くからそう言われる程に、野営中の犠牲者は尽きないのだ。
「何かを襲ってる。風下を確保してるから、こっちには気付いていない」
逃げるのも一つの手だ。
けれども臭いを追われないよう気を付けた所で、狼の嗅覚を振り払うことは出来ない。嗅覚を頼りにした追跡の有用さは、ベロニカが何より知っていた。
ここでは野営地が近く、縄張りが存在するとなれば移動しなければならない。
移動――と言っても辺りは既に暗く、容易ではないのは間違いない。
(数は四匹、……うん、まだ小さい。無頼とミロには怒られるかもしれないけど……)
群れで動く狼にとって必要なのは、群れ全体の空腹を満たすことにある。
野営地が見つかれば同じことだが、何かを襲い、獲物の血の臭いで群れ全体が興奮した後では余計に手が付けられなくなる。
「今度こそ、絶対にここにいて」
ベロニカは草陰にシウダーの頭を押し込み、交互に足を前に出す。
ゆっくりとした動作は回数を重ねるごとに速くなり、いつしか矢の如き勢いを纏って獲物を狩り出す狼に突撃する。
「てりゃあっ!!」
ベロニカの幸運は、暗殺者のマントを纏っていたことにあった。
賢者の森でベロニカとラウト、二人の獣人の感覚から逃げ切った姿隠しの魔道刻印の効力は絶大だ。流石に気にせず走る足音を消すことは適わないまでも、足音を抑えようとする意図があるなら問題なく隠し、体重が軽ければその分だけ物音も消える。
「ギャウッ!」
爪先が腹部にめり込み、ベロニカに蹴り飛ばされた狼は二回跳ねた後に大河に落ちて水面を揺らす。
残り三匹の狼が、獲物からベロニカに標的を変える。
「遅い!」
体勢を立て直す前にベロニカは飛び込み、右腕を伸ばす。
黒短刀の切先は狼の右目を裂いて額、そして左目を抜けて、一文字の傷跡を刻む。頭蓋に届く斬撃に狼はのた打ち回り、涎と鮮血を撒き散らす。
「グルァッ!!」
二匹の狼はベロニカの矮躯を噛み砕かんと口を開き飛び掛かる。
ベロニカはその単純な攻撃を受け止めはせず、後方に飛んで躱す。
届くと踏んで飛び込んだ狼は完全に調子を崩され、立ち直るより先に着地して無防備を晒した顎をベロニカの爪先が撫でる。
「ちっ!」
しかし軽いベロニカの体重では蹴り飛ばすことは出来ても、行動を奪うまではいかない。畔に残った二匹の狼はベロニカに対して警戒心を強め、露骨に距離を取る。
(両手があれば……仕留め切れたのに……)
ベロニカは歯噛みする。
二匹の狼の後ろでは水面に蹴り飛ばした最初の狼が体を震わせ水を払っている。
一対三。
奇襲で始めた状況は一匹を仕留めるだけに留まり、今は唸り声を漏らす三匹の狼に囲まれている。
「……っ!」
ベロニカが黒短刀を握り締めたその時。
カッ!
白銀の弓矢が狼の首元を貫く。
第二射が二匹目の狼の胴体を抉り、続く次射が額を射抜く。
「ローニャ、無事?」
宵闇の中、気配を殺したラウトがベロニカの前に立つ。
ベロニカとお揃いの暗殺者のマントを身に着け、左手にはソロスの魔弓を握っている。腕輪から生成した矢を魔弓に番えた時には最後の一匹は背を向けて逃げ出していたが、空を切る矢は狼を追って草陰に飛び込み、射られた狼の悲鳴が聞こえる。
「ラウト、助かったよ」
「いい。それよりシウダーを連れて早く戻ろう」
ラウトを追ってきたシウダーの手には二つの空桶があり、ベロニカの代わりに水を汲んだラウトは早く帰ろうと急かす。
「待って」
帰ろうと一歩を踏み出したベロニカの鼻先を、ひんやりとした何かが掠める。
「……」
「ローニャ、これ……」
半透明の浮遊生物はふわふわと目の前を漂い、小さな躰をベロニカの頬に擦り付けようとする。
その不定形の生物はベロニカが助けた相手であり、野生の狼が執拗に飲み込もうとしていた相手である。
「水の……精霊……?」
ベロニカは黒短刀を鞘に収め、無邪気に飛び回る水の精霊を警戒する。
害するつもりは、更々ない。
しかし捨てられた子犬を拾って帰るのとは訳が違う。精霊の実物を見たこともなく、どんなメリットデメリットが待ち構えているのかもベロニカは知らない。
「うにゃっ!」
「――っ、ローニャ!?」
ベロニカの額で水滴が跳ね、ラウトが慌てて駆け寄る。
尻餅を付いたベロニカに大丈夫かと声を掛けるラウトの傍で、水の精霊が小さな体を作り変える。ぶよぶよとした水の塊から手足が生え、頭が現れる。
半透明の躰を震わせ、水の精霊は拙い声を絞り出す。
「けいやく!」
ベロニカとラウト、シウダーの三人は唖然と水の精霊の変遷を眺めていたが、彼方から聞こえる狼の遠吠えに煽られて、慌てて踵を返す。
ラウトとシウダーは中身を満たした桶を持ち、ベロニカは小さく弱々しい水の精霊を抱いて、月明りの下を駆けていった。
(無頼とミロに叱られるかも……)
不安は尽きない。
けれども、強者に食い物にされる精霊を見捨てることは、ベロニカには出来なかった。
行動の正当性は求めていない。食物連鎖を盾に捕食者の気持ちを代弁する輩は、ベロニカの行動を非難するだろう。
自然の厳しさが――、偽善者が――、連ねる言葉を想像するだけで反吐が出る。
無頼は己の感情に従い、ベロニカを救い出した。
ミロシュは師匠に追い出されながらも、己の意思で手を差し伸べている。
ならば自分も、己の価値観に従って行動するべきだ。
ベロニカは意気を昂らせ、夜道を走る二人の背中を追っていった。




