川辺の魔精
宿屋を出た四人は、マニトバの手綱を引いて街を歩く。
太陽の昇り切っていないマラットの街並みは薄暗く、人通りは少ない。茜色に染まる地平には賢者の森が広がり、コボルトの血で真っ赤に染まった木々を連想させラウトは目を逸らす。
「ちょっと待っていてください」
河畔都市マラットの高台に居を構えるギルドの扉を叩いたミロシュは、そう言い残してギルドの職員と共に建物の中に入っていく。
一行を出迎えたギルドの職員は疲労困憊の有様で、目下の隈は色濃く頬は痩せこけていた。
そんなに仕事があるのか? と疑問を浮かべるのは至極当然ではあるが、それを尋ねるのは失礼で、何より尋ねて言葉を交わす内に倒れてしまうのではないかと考え、誰一人余計なことを言わずにミロシュを送り出す。
「にしても、この街は立地が良いね」
マニトバの上に立ち、バランスを取りながらベロニカは四方を見渡す。
河畔都市マラットと名称付けされているだけあり、西側一帯はカリブー大河に面している。但し平坦な川原が続くのではなく接している面の八割は切り立った崖で、無理矢理切り開いた入り江が北門と南門の傍に作られ、所狭しと船が浮かべられている。
入り江には交易に使えるような、積荷の保管が出来る広さがない。積み下ろし程度なら問題ないが、それを態々ここマラットで行う意味はない。
近くに存在する橋門都市ソルトレイクが交易の中継地として栄えているのが最大の理由である。しかしそれだけではなく、万が一戦乱に巻き込まれた時、三方から攻められるのと四方を囲まれ攻められるのとでは大きな違いがある。
北をネブラスカ、西をカンザス公国と接している河畔都市マラットは、街道を利用した速い軍事展開に耐えなければならない。初動で門を落とされなければ、海軍大国である自由都市連合の援軍は河畔から駆け付け、内部の兵員と物資――圧倒的な物量で敵を追い返せる。
「大河は有利?」
「制海権を持ってるならね。でも、ここは大河よりも近隣かな。昨日聞いたけど橋門都市ソルトレイクは人口三十万の大規模都市、ここから徒歩三日、馬なら半日、強行軍なら一日で野営地を確保出来る。都市攻略戦はただでさえ大変なのに、簡単に後方を突かれちゃうのは不味いよ」
ベロニカはマニトバから飛び降り、無頼の下げた魔法の鞄を漁る。
地図を広げ、北から南に指を移動させる。
「ほら、地図見て。中原の大河沿いの街はボカテロ、マラット、ソルトレイク、ニッシュフォーク、ニーファイ……かなり北のボカテロですら、皇帝街道で繋がってる。都市の何処かを落とそうとしても、すぐに上下の都市から援軍が来る」
「落とすなら北端から、か……」
「うん。でもボカテロは北の橋門都市、規模もソルトレイクに劣らない筈。こっちの橋にも水上都市があるから、後方からすぐに援軍が送り込まれて簡単に落とせない」
「……詰んでる?」
「うん、詰んでる。この図式が変わるとしたら、近隣諸国――ネブラスカ、カンザス公国、サンノゼ帝国、この辺り全てが共謀して、一斉に攻めないといけないかな」
白く細いベロニカの指先についた、ピンク色の爪がなぞる地図を見て、無頼はふと浮かんだ疑問を口にする。
「南の自由都市連合と北の聖王国は仲が良いんだよな?」
「うん」
北と南、中原を挟んだ二大国には貿易を介しての交流があり、その仲は良好である。
南方が塩や砂糖、香辛料などを輸出するのに対し、聖王国もまた小麦や木材、そして南国では絶対に生産出来ないモノを輸出している。
聖王国の主要輸出品目とは、冷気である。
南方の自由都市連合は、茹だる夏場に大量の死者が出る。熱中症や脱水症状、生ものの腐敗が進み、食料が足らずに餓死者が出ることも珍しくはない。
解決方法は一つ、冷気を込めた魔石を大量に使うしかない。
しかし冬でも充分な暖かさを誇る南部で冷気を溜めこむことは出来ず、かと言って西方の帝国や中原北部のネブラスカやイライノイと取引をすることは出来ない。野心ある彼の国々を肥えさせることは、必ず後の脅威に繋がる。
ならばと槍玉に挙げられたのが、聖王国である。
国土的利害の対立がなく、需要と供給が上手く噛み合う聖王国は、軍事的、経済的、領土的に自由都市連合の最優になれ、事実数十年間、その関係が崩れたことはなかった。
「なら北の聖王国に攻め込んだ帝国は、何処を通って中原に移動したんだ?」
「何処って……」
ベロニカはカリブー大河に架かる三本の大橋を前に、指先を漂わせる。三本の大橋の両脇は自由都市が固め、それらの自由都市が所属するは聖王国と友好関係にある南部自由都市連合である。
地図を睨んだままベロニカは黙り、元から無口のラウトも一緒になって地図に食い付いている。
(余計なことを訊いたか……?)
無頼が二人の旋毛を眺めながらそんなことを考えていたら、ギルドの扉が開き、木箱を抱えたミロシュが現れる。
三人がジッと見つめる中、道のど真ん中にドスンと木箱を置き、ミロシュは何も言わずに蓋を外す。
「……鎧?」
「コインアーマー……いや、鱗か? スケイルアーマー?」
「にゃああ……、ミロ、これってまさか……」
キラキラと輝く鎧を前に、三人は息を飲む。
「ギルドのオレーサ支部長、クラレンって憶えていますか?」
三人と共に木箱を覗き込んだミロシュがポツリと零す。
無頼とベロニカは頷く。
ネブラスカ軍が攻めて来た時、リーウットと一緒に城壁に居た男だ。あまり喋らず存在感は薄かったが、こちらを値踏みする視線は無頼とベロニカの印象に残っていた。良い印象とは言えないが。
「ギルドとして、私と無頼さんが落とした三匹の翼竜の権利を主張し、無事勝ち取ったらしいです。素材の一部を製作費に回し、三人の大まかな寸法で鎧を三着作り送ってくれました」
「送ってくれました、って……どうやって?」
「郵送ギルドを使ったらしいです。オレーサからマラットまで四日だとか」
ミロシュはキラキラと輝く竜鱗の鎧を手に取る。
サイズ的にはミロシュ用だが、どう考えても胸回りのサイズが足りない。続く無頼の鎧も丈が短く、サイズ的に着用できるのはベロニカの鎧だけであった。胴回りしかない鎧なので、左腕が無くても問題ない。
「これ、凄く軽い」
ラウトの細腕が無頼用の鎧を軽々と持ち上げる。
ジャラジャラと鱗がふんだんに使われている割に鎧は軽く、薄く、嵩張らないが、硬度は鉄より優れている。短弓や短刀程度なら難なく弾き返す。
「俺の鎧はミロシュが、ミロシュの鎧はラウトが使う……それでどうだ?」
無頼はミロシュとラウトの体格を見比べる。
確かに無頼を想定して誂えた胸囲ならば、ミロシュでも着用することは適う。ラウトとミロシュの身長差も、丈が長くなるだけと考えたなら問題ない。
「何を言ってるんですか。今のパーティで矢面に立つのは基本的に無頼さんですよ」
「ラウトは竜を落としてない。鎧は要らない」
「いや、俺だって鎧は要らんぞ。巨躯に似合わない体捌きがあるからこそ意表が突けるんだ。重荷は可能な限り排しておきたい」
「ずぶ濡れの衣服を纏って普段通り動けるくせに何をっ! 私だって師匠のローブがあるんですから鎧は要りません」
ミロシュは自分用の竜鱗の鎧を無理矢理ラウトに着せる。ラウトは抵抗する間もなく、着せられた後は鬼気迫る二人に押されてベロニカの陰に隠れてしまう。
立派な鎧を譲り合う二人の姿に辟易としたベロニカは、調停ついでにとっておきの解決策を授ける。
「使わないなら、売ればいいんじゃないかにゃあ……」
ピタリと二人は諍いを止め、ベロニカに向き直る。
竜鱗の鎧が持つ希少な素材と実用的な性能は、即興の仕立てであっても価値を持つに決まっている。
互いが使わないなら、使う誰かに売ればいい。
ベロニカの言い分は尤もである。
しかし残念なことに、買い取りの伝手を二人は持っていなかった。
「それで、私の所に持って来たと?」
徹夜明けのクレイ・シラキュースは、ぼさぼさの頭を掻く。
昨日訪れた二人は悪びれもせず戸口を叩き、無頼とベロニカが連れてきた二人の内の一人は顔見知りである。
「ミロシュ、その図々しさは師匠譲りだよ」
はあ……と重い溜息を吐き、クレイは四人を店内に招き入れる。
不定期に訪れる商人からしか服を買ったことのないラウトは色取り取りの服に瞳を輝かせ、旅先で知人と出くわすという不意打ちを喰らったミロシュは、バツが悪そうにお臍の前で指を弄る。
「私はその子の知り合いと言うよりは、その子の師匠、魔法使いサクラメント様の知り合いなの」
クレイは仕立て直した暗殺者のマントを二着、ベロニカとラウトに合わせる。
「サクラメント様は魔法使いとしてなら最悪だけど、仕立て屋としての腕は中原随一。仕事が速く、丁寧で、見栄えが良い。長い時で身に着けた技術は万を越え、教えを請えば親身に教えてくれるのよ」
「受講料は取るのか?」
「ええ、勿論。それに見合う技術は与えてくれるから、自らの腕を高めたいと望む裁縫家は一度は必ず彼女の元を訪れる」
マントの仕立て直しが問題ないと確認したクレイは、丁寧に畳み直してミロシュに手渡す。そして無頼が持つ竜鱗の鎧を触り、爪で叩く。
「翼竜の鱗を使った鎧は性能ほどの値は付かないわよ。人の手で育てられた翼竜なら尚更。野生の個体と違って、万が一にでも竜の魔力も宿っていないでしょうし」
「どのくらいだ?」
「十万から二十万シード。私は鎧屋ではないから現在の相場なんて分からないけど、買値だと多めに見積もってそのくらいかしら。軽くて頑丈なんだから、冒険者なら使うべきだと私は思うんだけど……」
実の所、無頼も竜鱗の鎧を使うのは吝かではないのである。
但し鎧が四着、全員分確保出来たならの話であり、ミロシュの分が確保出来ない以上、無頼が鎧を纏う機会は来ない。
「私もそう言ったんですが……」
「どうしても使わないと言うのなら、私が下取りとして買い取るよ。買い取り額をマントの仕立て料と用意した服の代金に充てる。それでどうかな?」
「服を見てからだ……と言いたいが、俺の服に数万シードも掛けられんぞ」
「ふふふ、心配ないさ」
竜鱗の鎧が買取で最低でも十万シード、持ち込んだ暗殺者のマントの仕立て料が一万シードも掛からないと考えるなら、純粋に残り全てが無頼の服代に充てられることになる。
「私が用意したのはとっておきだよ」
無頼の懸念を無視して、クレイは一着のコートを取り出す。
それはコーラルの軍用長コートに似ていて、こちらの世界ではあまり見かけない造りをしていた。魔道術の素人である無頼が感じ取れるほどに魔力と魔道刻印が敷き詰められ、無頼の出身世界の店頭に並ぶコート以上の出来栄えを誇っていた。
「熱調整、対魔力、軽量化、自動再生……ザッと挙げるならこれくらいだね。耐衝撃や硬化は自動再生と喧嘩するから組み込めなかったけど、対魔力と自動再生があればコートの魔道刻印自体が干渉を受けずに、仮に壊されても再生出来るから、かなり長持ちする筈よ」
魔道刻印の説明の真偽を見抜けない無頼はミロシュの意見を求める。
「確かに、自動再生を中心に組み込まれたこのコートは無頼さん向きだと思います。斬り合いには役立ちませんが、ボロボロになることもないので次の心配はしなくて良くなります」
長コートの裏地をまじまじと見つめ、手触りを確かめていたミロシュは顔を上げ、クレイの言葉を肯定する。
「ただ、かなり良い物です。十万二十万で済まない気がするんですが……」
「元の売値は四十万シードだよ。ただ、ちょっと事情があってね」
クレイはミロシュが拡げたコートに近づき、断ちバサミで切り込みを入れる。
断面からはシュルシュルと糸が伸び、繋がり、本来の形を取り戻す。
「見ての通り、自動再生が強すぎて仕立て直しが出来ないんだよ。このサイズ、この価格、買い手が現れなくてね。サイズ的には農夫や漁師、獣人辺りなんだけど、彼らには金がない需要がないで、……まあ、埃を被っていたのよ」
クレイは無頼の上着を剥ぎ、代わりにコートを被せる。
無頼の巨躯でもゆとりの生まれる大きな長コートは、確かにそれだけで買い手を選ぶのだろうと四人を納得させる。世間的な流行に掠りもしないデザインも助け、売れ残って然るべきとクレイが断言するのも頷ける。
「無頼、無頼」
想像以上に高価なコートの袖をベロニカが引く。
「その取引は受けるべきだよ。使われない道具は錆びるだけだし、シラキュースさんは金銭に頓着する人じゃない」
「へえ……」
「だって金が欲しいだけなら、コーディアの依頼を断る筈がないもん。シラキュースさんは職人だから、報酬としての金銭より埃を被った商品が日の目を浴びることを望んでいると私は思ったんだけど……違う?」
カンザス公国公女コーディアへの対応を持ち出し、ベロニカは説得する。
但し説得する相手はクレイではなく、高額なコートへの負い目がある無頼とミロシュである。
「違わないわ。そうね、私は服を着て欲しいのよ。一度着たら二度と着ない公女のドレスは作らない。クローゼットの奥で、誰も手に取らずに朽ち果てるのは望んでいないもの」
クレイは左腕で無頼の竜鱗の鎧を抱え、がっしりとベロニカと握手する。
交渉成立。
そう言わんばかりの様相に無頼とミロシュは何も言えなくなる。
使う当てのない竜鱗の鎧を押し付け、使い勝手の良さそうな再生長コートを手に入れた。お互いの需要が噛み合った末での取引は、金銭的な価値は釣り合っていなくても良い取引であると片付けることが出来る。
「バイバイ、シラキュースさん。近くを通ったら、また寄るから!」
ベロニカはめいいっぱい愛想を振り撒きながら別れを告げる。
恐らく二度と立ち寄らない街に住む相手に、元気良く腕を振りながら。




