魔法使いは性格に難アリ③
わーわーにゃーにゃーと議論は白熱の様相を見せ、それに反比例して青年のテンションはどん底付近を彷徨っていた。
彼女たちは青年の所持品から文字――あるいは文字に見える模様――を見つけると、それに似た名前を用意して青年に重ね、合ってる合ってないと本人を無視して意見を言い合う。サクラメントに至っては途中から、その長い生涯で青年と似た人物の名前を挙げていた。それがまた議論の燃料となる。
「これでいい」
手にした時計の短針が二周し終わり、それでも終わらない議論に辟易とした青年は、持ち物の中から黒短刀を取り上げ、指差す。その柄には"無頼"――と、どう考えても青年の本名でない二文字が刻まれ、それを見た三人は一様に首を振る。
「それなら時計から取ったレックスとかでいいだろ」
「無頼……東方の異国っぽい響き。中原じゃ浮きますね、間違いなく」
「無頼ぶらいブライ……ブライアン! いっそライアンとか!」
しかし反対意見を真っ向から受けて尚、青年――無頼は頑として意見を曲げようとはしない。青年にしてみれば挙げられた名前はどれも偽物で、ならばまず人名として使われずに、抵抗なく頭に入り込んだ"無頼"という名前こそ自分の名前に相応しいと考えたのだ。
それをやんわりと説明された三人は、本人がそう言うならと納得する以外に道はなく、渋々と議論の熱を冷ましていく。
「それで話を戻すが、時計と依頼と現金で一千万シード――合計三千万、利息はなし。それで姫さんの左腕の代金に充てる。姫さんはそれで問題ないな?」
「ローニャ」
「……ローニャはそれで問題ないな?」
「ないよ、無頼に任せる」
無頼はどこか他人任せなベロニカに呆れながらも、王族ならこんなものなのか? と足らない知識で自分を納得させる。
王など存在しない世界で暮らしていた無頼にとって記憶の有無は関係なく、王族に関する知識など整然と名前と年代が並ぶ歴史書と雑然と妄想を書き連ねた創作物からしか得られない。髭面の中年男性が王冠を被り、豪奢な椅子に踏ん反り返っている姿しか思い浮かばないのだ。それが獣人の王様ならどう変わり、その娘ですらない姪の暮らしぶりがどのようなものなのか、無頼に想像出来る筈もない。
「それで師匠、二人に何をやらせるつもりなんですか?」
高性能狙撃用スコープで外の景色を眺めていたミロシュが視線を室内に戻し、サクラメントに尋ねる。早速無頼から渡された腕時計の解析に魔力糸を集中させていたサクラメントはミロシュを一瞥することなくスラスラと答える。
「ちょっと知り合いに伝言を頼もうと思ってね。厄介で面倒だから彼らに行って貰おうと思っているんだ。まあ見つかるまで何年掛かるか分からんが、あの魔剣があれば大丈夫だろう。
ただそれで一千万は少し大盤振る舞いだから、ついでに不肖の弟子の社会勉強と護衛も込みでの一千万。俗世には我の金蔓は数多いが知人は少ない。だからその紹介も兼てだな。魔道士だがミロシュは女だ。一人旅では道中何が起こるか分からんし、ちょうどいい機会であろう? 外に出ろ、引き籠るな。師匠命令だ
無頼とベロニカ、二人も異存ないかな?」
年単位の可能性もある頼み事と聞き無頼とベロニカは眉根を寄せるが、一千万シードの大金には代えられず頷いて応じる。
逆に二人以上に虚を突かれたミロシュが一拍置いて慌て始める。
六歳の時に患者として運ばれ、一年後に弟子として森の隠れ家で居候を始めたミロシュに身寄りはなく、十年以上近隣の街より遠くには出ていない。
世界の中心である中原の街とはいえ、規模は小さく人口も多くはない。集まる人員物資情報には限りがあり、出て行く人も少ない。そして何よりそれを美徳とする地域全体の停滞も隠せない。世界一と名高い魔道術の達人の元で修業を積み、魔道士の素質を開花させても、ミロシュの抱える世界は小さいままなのだ。
「そういうことだからミロシュ、明後日までに荷物纏めときな」
「ちょ、師匠!」
「来年で二十歳になろうかって娘が引き籠って……、男の一人でも連れて来いと我は言ってるんだ。そんな良いモノ持ってるんだから、なっ!」
言葉に合わせてサクラメントの手がミロシュの臀部を叩く。
師匠のセクハラに小さな悲鳴を漏らしたミロシュは、無頼とベロニカから向けられた視線に気付いて顔を真っ赤に染め上げる。サクラメントの指摘で注意を向けただけの淡泊な無頼と異なり、ベロニカは興味津々との体で凹凸のはっきりとしたミロシュの体と自身の寸胴を見比べていた。
「た、確かに良い体してる」
ベロニカがじゅるりと生唾を啜り、ミロシュは震え上がる。
確かにミロシュの体つきは、三人の中で誰よりも女性的だ。皺だらけの白シャツは長年着ているからかミロシュの成長(主に胸の)に追いつかずぱっつんと張り、丈が足りない所為でおへそがチラチラ覗いている。スラリと長い両足の付け根には胸部と同じくしっかりとした肉感があり、俗に言う安産型なる安定感を誇っていた。そしてその二か所に贅肉の全てを集めたかのように、他の箇所が全て細い。首が、両腕が、腹部が、足首が――兎に角細いのだ。男性を魅了して女性に嫉妬される色気を、若いミロシュの肉体は放っていた。
気付けばミロシェの前にはベロニカが立ち、右手をわさわさと動かしながら一歩一歩じりじりと詰め寄っている。
「にゃああ――……」
「え、ローニャ、……本気?」
「さ、触らせて欲しい。先っぽだけ、先っぽだけだから……にゃあっ!!」
「ちょっと待って! 師匠助けて――っ!!」
部屋の片隅で、本気か冗談かも分からないキャットファイト――片方には本当に猫耳尻尾が存在する――が始まる。
ジリジリと睨み合いを経てベロニカが飛び付き、ミロシュの豊満な胸に顔を埋め揉みしだこうとする。ミロシュは必死の形相でベロニカの腕を掴み、三角耳が生えた銀色の頭を押し返す。
くんずほぐれつ、女の子同士が絡み合う姿を前に目を背けたくなった無頼はサクラメントに二人の調停を求めるが――――
「あー、厄介な奴らが来たぞ」
視線は既にベロニカとミロシュから離れ、窓の外に向いている。
サクラメントに続いて"厄介な奴ら"に気付いたベロニカは耳をぴくぴくと動かし、ハッとしてミロシュから離れる。手早く衣服の乱れを整えると周囲を見回し、テーブルに置かれた無頼の私物を次々に持ち主に投げ渡し、最後に黒短刀を自身のベルトに差し込む。
「無頼、来たよ」
ベロニカはミロシュが脱力している反対側、部屋の隅に置かれた魔剣を掴むと、一直線に無頼の前にやって来て差し出す。
浮ついた雰囲気が瞬く間に消え、金色の瞳にはギラギラと闘志と憎悪が宿る。
「奴らが来たよ、殺さないと!」
その言葉を後押しするように土を蹴り上げる馬蹄の音が近づき、隠れ家の周りに満ちていった。
サクラメントの隠れ家は深い"迷いの森"の奥、開けた場所に建てられている。
キッチンや暖炉、寝室や客室を備えた母屋が一軒、魔道術の施術に必要な工房が生体用と機械用にそれぞれ一軒、そして母屋に匹敵する大きな倉庫と小さな離れの合計五つの建物が存在する。それ以外に畑や野晒しで構わない資材の置場も合わせると小規模の開拓村にも匹敵し、二人で暮らしているのが疑わしくなる程に巨大な空間となる。
「『無色の魔法使い』、サクラメント殿は居られるか?」
隠れ家を取り囲んだ騎士たちの中から一人、槍を持った騎士――オーガスタが叫ぶ。
以前ベロニカを抱えた無頼に手痛い打撃を受け、戦力不足を悟って引き返した偉丈夫だ。彼が延べ二十人以上の騎士を連れ、ベロニカを奪還しにやって来たのだ。
取り囲む騎士の武装から剣が減り、弓や槍を手にした騎士が格段に増えている。魔剣の間合いに踏み込まず、外から攻撃を加えようとする魂胆が目に見える。人員にしても極端に若い見習い騎士や背丈の低い騎士が居らず、ベテランのみで部隊を構成した、まさに盤石とも言える布陣であった。
唯一例外なのは額に傷を負った若い騎士だが、彼は部隊の遥か後方に配置されている。
「師匠なら留守ですが、……何か御用ですか?」
殺気を放つ騎士たちを前に歩み出たのは、ミロシュである。三角形の魔導士帽を目深に被り体の線を隠すローブを身に纏った、説明不要の魔道士然とした格好だ。
騎士は目を細めると、数歩前に歩み出て言葉を続ける。
「留守……ふぅむ、なら弟子殿でも良い。我々の問いに答えていただけたなら手荒な真似はせん。正直に、お答え願おう」
「……お力になれるなら、何でも」
「数日前、この近辺にとある高貴なお方が逃げ込んだ。既に知ってはいようが北方の聖王国、その王室の生き残り、ベロニカ・ウンキア・フォン・フォーサイス。先王ハワードの実子、先王の弟で現王のモータル・ウンキア・フォン・フォーサイスの姪に当たる人物だ。王位継承権は敗戦前で三位、齢は十四、背丈は大きくない。銀色の髪の毛と金色の瞳を持つ豹娘だ。見覚えはあるか?」
早口で捲し立てるオーガスタの口上に合わせ、ジリジリと騎士たちは移動を始め、包囲の中心がミロシュに移り変わる。
ミロシュはその様子を具に観察しながら、口を開く。
「ええ、知っています。案内しましょうか?」
その答えに騎士たちは色めき立つ。
奇妙な強さを持つ紫太刀の男だけでなく、最悪魔法使いとの争いまで考慮に入れていた彼ら――『紅燕の旅団』は、緊張を解して交渉役を担うオーガスタに先を先をと促す。
「こちらです」
オーガスタと二人の騎士が馬から降りてミロシュの後ろを歩き、他の騎士は配置を変えずそれを遠巻きにする。一歩一歩進む四人に騎士たちの視線は集まり、その足先を見て徐々に顔を曇らせる。
「どうぞ、掘って確認してください」
畑の隅、軽く土を盛った一画に立つミロシュは、三人にスコップのような農具を手渡していく。
初めは困惑した様子を浮かべていたオーガスタも、魔道士帽に隠れたミロシュの真剣な眼差しに圧されてスコップを握り締め、柔らかな土を掘り返し始める。
無言でサクサクと穴を掘り進める騎士たちを横目に、ミロシュは師匠の周到さに感服する。
ベロニカを取り巻く状況は、無頼が転がり込んできた初日に聞いていた。ミロシュに至っては近隣の街を梯子してそれとなく情報収集をしてこいと任されてすらいた。
中原に居る限りベロニカには追手が掛かる。追手を撒くには相応の手段を取らなければならず、力尽くでは得られる成果は嵩が知れている。
熟達の魔法使いならば追手の騎士を畑の肥料に変えるくらい簡単にしてみせるだろうが、それだと次の追手を仕向けられるだけで、解決どころか隠れ家に余計な火種まで抱えることになる。
取引が成立した以上、その相手を見捨てることも性格上有り得ない。
ならばサクラメントが取れる手段とは、ベロニカを死者に仕立て上げることだ。
死者に追手は掛からない。古今東西、それは変わらぬ常識だ。追手を掛けようにも追い掛ける相手がいないのだから。
「いた! 死体が出たぞ!」
但し追手を撒けるのは死者が生者に戻るまでの話。
『銀豹姫』と異名を持つ程に特徴的なベロニカの容姿は隠しようがなく、安易な誤魔化しも利かない。街中で悪意ある者に見つかってしまえば死者は忽ち生者に変わり、生者には追手が掛かる。
そして生者を追える段階になれば、誰も気難しい魔法使いの死体偽造など追求しはしないだろう。
オーガスタが布に包まった体を穴から運び出す。死後数日が経過した死体は既に腐敗が始まり、布の合間から脱力した右手が垂れ下がっている。
師匠が仕立てた偽の遺体、そのあまりの精巧さに気分を害したミロシュは顔を背ける。何もここまで、と思ってしまうが、この手の込みようこそ、サクラメントの売りなのだ。
「この死体は本物か?」
ミロシュとは別の理由で固まる騎士たちの中から、帯剣したままの騎士が近づいてくる。その騎士はオーガスタより一回り小さいが、その面持ちから滲み出る軽薄さは、他の騎士に存在する慈悲や騎士道の一切を打ち消してしまうのではないかと、視線を交わしたミロシュに危惧を抱かせた程である。
「質問の意図が分かりません」
「魔剣使いが居るとサルバトーレから聞いたが、そいつは何処だ?」
「存じません。私が森でこの子を拾った時、既に事切れてましたので。捨てて逃げたのではないのでしょうか?」
丁寧な受け答えを続けるミロシュを一瞥した軽薄な騎士は、ふんと鼻を鳴らして馬から降りる。
そしてミロシュと騎士――誰もが見守る中、その場の誰の制止も許さずに素早く炎のように輝く紅剣を抜き放つ。冷たい土の中に横たわった少女の死体にその切先を向けると、薄らと笑みを浮かべる。
「逃げた? そうか」
そして切先を少女に突き出さんとした矢先。
「――――ふふっ、何故邪魔をする」
その体はピタリと止まる――いや、止められる。
騎士の体には魔力糸が絡まり、何重にも折り重なった魔力糸が力を籠める騎士の腕を押し返していた。
周囲がピンと緊張が張り詰める中、薄ら笑いを浮かべたまま騎士が叫ぶ。
「『無色の魔法使い』、サクラメントッ!!」
まるでそれがもう一つの目標でもあるかのように、騎士は怪しく煌めく紅の刀身でサクラメントの魔力糸を切り裂いていった。




