魔法使いは性格に難アリ②
「ああ、これはダメだ。我が直す以前の問題だ」
少女――ベロニカ・ウンキア・フォン・フォーサイスが目覚めた翌日の朝、患部の左腕からひん剥かれた腹部、爪先から頭上の獣耳の先まで、全身に掛けて触診を続けていたサクラメントがポツリと漏らす。
やれやれと首を振り、ソファに寝転ぶサクラメントをベロニカは泣きそうな顔で見つめる。
「そ、そんな……」
「落ち込まないで、ローニャ。師匠が原因を見つけたんですから、解決方法もありますよ」
耳をぺたりと寝かせて呆然とするベロニカは、この家のもう一人の住人に慰められる。よしよしとベロニカの頭を撫でるミロシュ・ロチェスターは魔道士としての視点から、ベロニカの問題を分析する。
「私が見る限りだと、ローニャの傷口はマシな方ですよ。暴走魔術の割に綺麗な爆散……言葉は変ですが、神経は無事だから義手との縫合は問題ないでしょうし感染症の危険もありません。血はかなり出たって聞いていましたが、出血多量による臓器異常はなし。彼……ええと、あの人の輸血と獣人の生命力で今は安定しています」
「なら、なんで……」
「多分だけど……、ちょっと探してみますね」
ミロシュは大きく息を吸い、詠唱する。
「《我は探る者。我が指は翳を照らす光》」
魔力を纏ったミロシュの指先はサクラメントと同じ軌跡を辿る。
一糸纏わぬベロニカの肌は処女雪宛らに白く、薄らと生えた銀の産毛は霜のように綺麗で儚い。体のそこかしこに刻まれた鞭打の傷痕はミロシュの活身魔道術により跡形もなく消え去り、小ぶりな乳房やほっそりと括れた腰回りは幼いながらも妖艶さを垣間見せていた。
南方出身で浅黒い肌を持つミロシュが生涯持ち得ることのない白さだが、魅力的な外見と裏腹に情事全般と無縁の生活を送っているミロシュが、ベロニカの美白に意識を留めることはなかった。
「あっ、ここだ……」
指が下腹部辺りで止まり、ミロシュの眉根が寄る。
深刻な顔で下腹部に指を這わすミロシュには悪いと思ってはいたが、むず痒さを感じたベロニカは我慢出来ずに体を捩る。ミロシュはベロニカの仕草を慣れたものだと受け流し、サクラメントに向き直る。
「師匠、魔力核の反応が鈍くないですか? 私の活身魔術が効くので、恐らく回路自体は無事です。でもそうだとしたら、普通の義手ならまだしもきっと師匠の生体義手は定着しませんよ」
「そうなるね」
「そうなるねって、治す方法はあるんですか? 私、教わってないんですけど」
「こればかりは我でも手出し出来んぞ。……いや、我なら出来んことはない。ただ、くくっ、ミロには間違いなく出来ん施術だな」
弟子の成長に感心しながら紫煙を燻らせて我関せずを貫き始めた師匠の態度に、その弟子は「えぇ……」と胡乱な視線を向ける。
サクラメントは診察終わりと言わんばかりに衣服――自分の趣味を前面に押し出した――を次々ベロニカに放っていく。灰色のシャツに黒のロングタイ、暗い色のジャケットに太腿の見える土色のミニスカートにスパッツ、可愛さより凛々しさと活発さを表面に出した服装だ。
「ちょっと聞くけど、魔力核って……なに?」
取り敢えず下穿きを身に着けたベロニカは、遠慮ながら手を挙げ尋ねる。
魔道術素人の自分と違い尋ねる相手は魔道術最高峰に位置する魔法使いとその弟子――ベロニカは無知を馬鹿にされるのを覚悟で尋ねてみたが、返答は思いの外淡泊で適当なものであった。
「私たちを取り巻く環境マナを魔力に変換する器官……ですよね、師匠?」
「それが通説だな、我は専門じゃないから詳しくは知らん。ユーフォーラ辺りなら分かり易い解説もしてくれるだろうな」
「ええ……、師匠ダメじゃないですか……」
「まあ、そういうことだ。すまんが、腕を直せないのでこれは受け取れん」
コホンとサクラメントは咳払いを挟み、義手の代金としてベロニカが差し出した魔剣を返す。鞘に収まり、更にボロ布で覆われた魔剣を受け取ったベロニカは、その重さを感じながら近くの壁に立てかける。
「ぶっちゃけて言うと、本物の魔剣なんて持ってても狙われるだけですからね。ただでさえこの隠れ家には金目の物や国宝級伝説級の模造品で溢れてるのに、これ以上は困りますよね。困っても増えますが」
「そうだな、ミロ。そもそも複製出来ない魔剣なんて貰っても困るだけだしな。現金現金やっぱり現金。現金一括払いが一番だ」
「で、でも現金一括三千万シードは無理だよぉ……」
渡された衣服を着終わったベロニカは潤んだ瞳を二人に向けるが、話は終わったと二人は見向きもしない。
三千万シードは大金だ。
ベロニカの祖国、聖王国の王都フォーサイシアで控えめかつ不便なく一月過ごすのに必要なのが三万シードだとして、その千倍――奴隷として連れ去られたベロニカがそんな資産を持っている筈がない。
強欲の魔女と渾名されるだけあり、サクラメントは値引き交渉に応じようとしない。
ベロニカの持ち物で価値のある物は魔剣のみ。あとはボロ布だけで、下着の一枚すら持ち合わせていないのだ。魔剣がダメと言われたなら、他に出せる物は片腕の欠けた体以外何もない。
「ちょっといいか?」
コンコンと扉が叩かれ、返事も待たずにエプロン姿の青年が部屋に入ってくる。青年と共に部屋に入り込む美味しそうな香りは三人の鼻孔を擽り、青年が二の句を告げる前に本題を――朝食が出来上がったのだと教える。
「にゃああ……」
皮を鞣して仕立てあげたジャケット、頑丈そうな素材のジーンズ、自分たちと一線を画した装いの青年をまじまじと見つめるベロニカは、スッと立ち上がり青年に抱き着く。
「ど、どうした姫さん……?」
「何か貸して! 何でもいいから、珍しい奴!」
腰の辺りにガッシリ抱き着いたベロニカの扱いに困った青年は、うっかり変な部分に触らないように両手を挙げ、残りの二人に助けを求める。
サクラメントは美味しそうな香りに釣られてフラフラと部屋から抜け出し、ミロシュも幼子と体を密着させて慌てふためく青年に侮蔑の視線を向けその後を追った。
上目遣いで頼み込むベロニカの強烈な視線に射竦められた青年は、何が何だか理解が追い付かず、苦し紛れに逃げの一手を打つ。
「お願い!」
「ちょ、朝食の後でもいいか?」
「うん!」
素直な返事に好感は持てるが、背後に控える物欲を垣間見た青年は嫌な予感に包まれながら、しがみつくベロニカを連れてリビングに戻っていった。
青年が焼いた大麦のパン、畑の野菜と干し肉を煮込んだスープを食べ終えた四人は、母屋の広間に集まり青年の私物を物色する。
魔法使いサクラメントを含め、召喚魔道が繋がる世界を知る者はいない。青年のように記憶を失う者は例外中の例外であるが、禁忌とされる高難易度魔道術だけあって異世界の知的生命体との接触確率は低く、その文明レベルの高さが窺える所持品は常に一定以上の価値を持つ。
青年が無言で見守る中、ベロニカは見た目より軽い素材で出来た黒短刀を手の中で回し、ミロシュは高性能狙撃用スコープで外の景色を眺め、サクラメントは手巻き式時計と懐中時計が一寸の狂いなく同時に刻む針を追っていた。
「「「これを譲ってくれ!!」」」
三人が三人、まるで示し合せたかのように青年に詰め寄る。青年は椅子ごと二歩下がり距離を取ると、一番切り崩し易い相手――興奮して耳と尻尾をピンと立てたベロニカを詰る。
「姫さん、頼みは"貸してくれ"じゃなかったのか?」
「にゃっ!」
「……他の二人も、それは俺の記憶の手掛かりだ。たとえ記憶そのものに繋がりはしなくても、持っていれば全部は無理でも名前くらいは思い出すかもしれない、そういったのはアンタたち二人だぞ」
「うぐっ!」
「た、確かに……」
「一宿一飯の恩は姫さんの分含め言われた通り労働で返している。掃除に炊事、畑の整備に溜まった洗濯……、記憶がないから比較は出来んが、ちょっと汚れ過ぎだと思うぞ。女は男の視線がないと無頓着になるのか?
そして譲る件については要交渉だ。どうせ大した物でもないだろうし、姫さんの腕が治るのなら貸すのも吝かではないが……そもそも本当に、腕は治るのか?」
青年はすっかり委縮した三人を順に尋ね、眺める。
青年の頭に収まった知識――異界の最新技術でも、失った腕を完全に再生させるには至らない。生体部品も実用化はされていたが、やはり主流は機械義体である。生活水準がまるで中世に近い、出身世界から何世紀も遅れているように見えるこの世界で実現出来るのか、それが青年にとっての懸案事項であった。
「治りはするが……、問題がある」
渋い顔をしたサクラメントは患者の保護者に病状を説明する主治医宛ら、ベロニカの身体が抱える問題点を挙げていく。
ベロニカの魔力核が傷ついている点、生体部品を使った義手の製造には最大で年単位の時間と膨大な魔力、そして資金を費やさなければならない点、――――何より、それだけの手間暇資金を費やしても、失敗する可能性が捨てきれない点。
サクラメントが渋る気が分かる程に、実物と遜色ない肉体を取り戻すのは大変なのだと伝わってくる。
「現金一括で三千万シード……あまり実感が湧かないな。サクラメントさん、その時計二つに興味があるなら譲る。どれくらい加えればいい? 俺には換金レートは見当も付かない。この世界の常識が頭にないからな。率直に訊くが、どれくらいまでなら出す?」
「合わせて二千万シード……だけど凝った造りで複製に時間が掛かりそうだから懐中時計は一旦保留。腕時計一千万に現金で二千万合計で三千万ってところだが……、我の依頼を受けてくれるなら時計と一千万シードで手を打とう。これなら支払いも現実的な額になるな」
「利息はどのくらいだ?」
「利息……?」
「知らないならいい、忘れてくれ」
青年は手にした重厚で精緻な造りの腕時計を眺めながら、ベロニカの意思を確認する。 世間に疎い姫様に代わりこちらの世界に疎い青年が交渉をしただけで、腕を取り戻さなければならないのはベロニカ本人である。対価を支払うのも当人でなければならないとサクラメントは釘を刺していた。
「姫さんはどう思う? 俺が腕時計を一つ貸して、残り一千万……無論依頼の内容次第ではあるが」
「にゃっ! う、うん私はいいと思う、一千万、三分の一だよね!」
「ぶはぁっ!」
黒短刀の刀身に見入っていたベロニカは、突然振られた話題に付いていけず、したり顔でしどろもどろな返事をしてしまう。そのズレ具合が笑いのツボに入ったミロシュは吹き出し、腹を抱えて笑いだす。
「ふふっ、おもしろっ……自分のことなのに……! さんぶんの、いちっ! ふふふっ、あはははは」
「ミロ、笑わないでよー!」
「あー姫さん。俺の話、聞いてたか?」
青年は心底気怠そうに頭を掻く。元々王室の一員としての自覚や尊厳に乏しいお転婆姫は顔を真っ赤にさせ、ナイフを青年に突き付けて逆ギレする。
「それ、それがいけないの! 私にはベロニカ・ウンキア・フォン・フォーサイスって名前があるの。姫さんなんて……あー、うん、そう! 慣れない呼び方されると反応出来ないの! これからはローニャ! ローニャローニャローニャ絶対にそう呼んで!」
呆然とした表情を浮かべた青年は、表情を固定してベロニカと心なしか距離を取る。何とか自分の失態を帳消しにしたいと思う、これはベロニカの可愛い誤魔化しだと青年も分かってはいた。だが、引き気味の表情までを隠すことは出来なかった。
「そう、ついでに名前も決めよう! ねぇ、ミロとサクラさんもそう思わない? 名無しだと不便だから、思い出すまでの仮の名前!」
「それはいいと思います」
「そうと決まれば持ち物から名前らしき痕跡を探すぞ、ベロニカ隊員、奴を剥け!」
「ラジャー!」
「ちょっと待て何するやめ……うわあああああああ」
そして青年の視線から逃れようと持ち出した話題に女性三人は飛び付き、持ち物の再点検(と言う名の徹底的な物色)を始める。
青年は今度は持ち物だけでなく上着や指輪まで剥ぎ取られ、部屋を満たす姦しさが治まるまで、必要以上の口出しをせずに見守っていた。




