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魔法使いは性格に難アリ


 今でも鮮明に覚えている。

 あれは春の肌寒さを太陽が飲み込んだ初夏の早朝、臣下が集まるどころか王宮が目覚めているかすら怪しい時間帯――――。


 昨晩降った雨で出来た泥濘を避け、中庭の石畳で素振りをしていた私の目鼻の先を、国境警備隊の徽章を付けた兵士が駆け抜けていく。その仕事上王宮では滅多に見掛けない彼らは、滅多に訪れないからこそ私を始めとした王室に声を掛けたがる。

 王族と一兵士で身分の隔たりはあるものの、東方の皇国カーディフや西方の帝国サンノゼと違い、聖王国フォーサイスの王室は兵士や市民との距離は遠くない。早朝に王宮で擦れ違えば彼らは皆敬意を込めて挨拶をするし、穏やかな気性の叔父王は自ら声を掛けて回ることも多い。


 私は深く気にせず、何か急な用事でもあるのだろうと納得して日課の素振りに戻る。


「姫様! 大変です!!」

「にゃぁっ!」


 その数分後、素振りに集中していた私は背後から声を掛けられ驚きを漏らす。朝日を浴びて輝く銀髪がふわりと舞い、背後の人影は眩しそうに目を細める。

 私は額に浮かび上がった汗を拭い、ムッとした口調で戒める。


「足音を消して寄るなと私は何度も……どうしたの、マイノット?」

「はっ、姫様」


 そこには片膝を着いた堅物――近衛隊副隊長のマイノットが書簡を手にした国境警備隊の兵士を連れ、神妙な面持を浮かべていた。

 マイノットは獣人でなく人間の将校だ。

 獣人が王冠を頂く聖王国は、厳しい環境に置かれた皇国や実力主義の南部都市連合と同じく人種の違いに寛容である。人間の貴族が大部分を占める中原や帝国と違い、人種の違いによる圧政や出世の速度に違いもない。けれどそれは万能に伸びる可能性を持つ人間が、一点特化した資質を有する獣人やドワーフなどの亜人、更には完全に上位種とも言えるエルフと同じ立場で戦わなければならないということだ。仕事を共にすることで生まれる軋轢の数は、帝国や中原各国が排除したくなる気が分かる程に多い。


「姫様に、緊急のお願いがございます」


 それでもマイノットは人間として祖国に、獣人の国王に良く仕えていた。

 帝国や中原で生まれ育った人間には分からないが、それ以外の地域で過ごした人間にとって獣人が傍に居て、その大らかさに振り回されることは幼少期から身に染みた習慣なのだ。年を取り、大人になる頃には彼らとの付き合い方も自然と身に付いている。


「叔父上――国王陛下にではなく、私に用があるのか?」

「はい。寝室で眠りこける陛下を叩き起こす助力を、姫様にお願いしたく参りました。一刻を争います」


 どれだけ国王が穏やかで家臣との距離感が近い人物であるとは言え、王妃とベッドで横になっている姿を見られるのは――いや、見てしまうのは臣下にしてみれば是が非にでも避けたい。なので多少なら問題にならない身内に起こして貰おうと考え声を掛けたのだとマイノットは説明する。


「ふふん、日頃の特訓の成果を示す日が来たのか?」


 木剣を手にした私は、マイノットに冗談を飛ばす。けれど普段なら軽口で返す近衛隊副隊長は笑顔を引き攣らせ、国境警備隊の兵士は顔を蒼白にする。

 二人の妙な態度を訝しんだ私は、何かあったのかと促す。国境警備隊の兵士は私からマイノットに視線を逸らし、マイノットは意を決して口を開く。


「覚悟してください。戦争が始まります、姫様」






 夢の終わりは、現実の始まりだ。

 薄暗い室内、簡素だが清潔に整えられたベッドに寝かされた少女――ベロニカは、思い出したくない記憶から逃げるように目を覚ました。空気はじっとり湿って淀み、視界の端で蝋燭の明かりがゆらゆらと揺れている。


「…………っ!」


 体を動かそうと力を入れた途端、左腕に激痛が走る。左腕だけでなく右腕、両足も鉛のように重い。ベロニカの意思を跳ね退け、何日ぶりかも分からないベッドの柔らかさに甘んじて動こうとしない。

 反発する体を動かすことは出来ず、仕方なくベッドに体を沈めたまま目を閉じ、それでもジッとしていられず耳だけをぴくぴくと動かす。


「おや、目が覚めたのかい?」


 不意に掛けられた女性の声に驚き、ベロニカは跳ね起きる。鞭で打たれた背中が痛み熱を持つが、それ以上に傾いた重心――夢や幻ではなく、失った左腕を目の当たりにして言葉を失う。

 左腕の肘から先には包帯が巻かれ、ブラックベリーのジャムを塗ったパンを齧った後のように赤黒い血が滲んでいる。


「ふ、ふふっ……」


 意図せず笑みが零れ、頬を涙が伝う。

 これは自分に向けての嘲笑だ。無残な生より周囲を巻き込んだ死を選び、それでも無様に生き残ってしまった私を、私自身が嘲り笑っているのだ。

 左腕の軽さが恐ろしく、右腕だけで剣を支えるのが怖い。

 あれだけ奴らを殺してくれと叫んだのに、私を殺してくれと叫ぶのを忘れていた。

 間抜けな自分が、ただただ憎い。

 空っぽになったベロニカの心に、次々と黒い感情が宿る。


「入るぞ、姫さん」


 ベロニカが体を寝かせ滔々と涙を流していると、部屋の扉を叩く音が聞こえる。人間の青年が一人、返事も待たずに入り込み、布巾を手に傍に歩み寄る。

 青年は何も言わず顔に布巾を押し付け、容赦なくゴシゴシと――けれど一握りの優しさを添えて顔を磨いていく。


「――――ッ、やめてっ!」


 唐突な事態にされるがままにされていたベロニカは、あまりに惨めな自分の姿に気付き右手で青年の優しさを振り払う。右腕はぺちんと青年の腕に当たるが、布巾を掴んだ太い腕はピクリとも動かない。

 腕一つ振り払えない自分の非力さがベロニカの心を抉り、青年が向ける同情の眼差しから逃れる為に残った片腕で両目を覆い隠す。


「やめて……っ、やめてよ、もう! やめて……、私に触らないで……」


 青年は黙したまま離れ、ベッド脇に椅子を手繰り寄せて座る。

 狭く暗い室内に私の嗚咽だけが響き、開いた扉から漏れ出していく。

 ただただ哀しみが、ベロニカを覆い潰していた。祖国を追われ味わった激情も、無様に囚われた屈辱も、それでも生き延びた実感(ヨロコビ)も、結果として全て真新しい現状(カナシミ)が押し潰していた。青年の優しさを跳ね退けてしまう程、少女は心身ともに焦燥し切っていた。


「その言い草は、あまりに酷いな」


 青年とは別の女性の声が聞こえ、誰もいない筈の枕元でカタカタと笑い声が鳴り響く。

 部屋に広がる笑い声の発信源――ボロボロの人形はベッドから飛び降り、狭い室内を走り回る。

 ベロニカが目で追っていると開きっ放しの扉からケラケラと笑いながら女性が入ってくる。

 年齢は自分より一つか二つ上、体はほっそりと、素肌は病的に青白い。作り物のように綺麗な蒼氷の瞳に、ベロニカは圧倒される。

 女性は走り回る人形を抱え上げると、人形を引き継ぐように言葉を繋ぐ。


「腕を失い悲しみに暮れるのは分かる、フォーサイスの『銀豹姫』よ。北の寒さをも切り裂く剣技は、それを揮うキミの美しさとともに中原にも聞こえている。剣を振るえない身体なんて……と自棄になる気も我には分からんではない。

 けれどね、元魔導士の我から言わせてもらえば、キミの左腕は自業自得だ。王室の教養で齧る程度の知識と俗欲に染まった魔道士ギルドにすら門前払いされかねない才能で、我々が定めた禁忌の術――『召喚魔道術』を実践したのだから」

「そ、それは……!」

「生き残る為、なのは分かる。安易だと笑いはしない。でもね、キミは彼を巻き込んだ。拙いキミのやり方で腕が吹き飛んだのは自業自得でも、無理矢理巻き込まれて記憶が吹き飛んだ彼の気持ちはどうすればいいんだ? 原因で、唯一の手掛かりのキミをここまで運んできたのに。彼だって傷ついているし、不安だけならキミの比じゃない。なのに"触らないで!"と喚き散らすのが王室の教えなのか?」

「……っ!!」


 彼女の異様な雰囲気に圧されて心の平静を少しだけ取り戻したベロニカは、青年に向けて頭を下げる。


「ごめんなさい」

「気にしなくていい。姫さんの寝顔でチャラだ」

「……っ!!」

「冗談だぞ。本気で受け取るな」

「ふはっ……、すまない。だが面白いことを言うな、キミは」


 笑みを浮かべる女性――世界に七人存在する魔法使いの一人、サクラメントは肘から先のない左腕を持ち上げると、傷口を縫い付けていた魔力糸をしゅるしゅると抜いていく。

 ベロニカは驚き、言葉を失う。

 詠唱を必要としない魔道術の行使こそが魔法使いの証明であり、目の前の彼女は今まさにそれをやってのけた。星の数ほどの魔道士や魔導士が魔法使いを目指し、成れずに生涯を終える。時にはその身分を騙りたがる者もいて、そういった俗物も含めて実際に魔法使いに昇華出来る者は存在しない。

 けれど魔法使いが実在するのは紛れもない事実だ。

 中には魔法使いかと疑われる程に俗欲に染まった者や扱う技法が魔道離れしすぎて気付かれない者もいるが、『業火の守り手』など伝説的な力を揮う存在のお蔭もあり、結果として魔法使いとは伝説の一端として語られる存在なのである。


「……も、もしよろしければ名前を! 魔法使い様、是非私にお聞かせください!!」


 哀しみは嘘のように消え去り、痛む体のままベロニカは光の速さで彼女に手を伸ばす。絶対に逃がさないようにと全体重で縋り付く。

 魔法使いは伝説だ。

 竜人にも勝る不老長寿の肉体を持ち、才能溢れた魔導士が一生かけて得る膨大な魔力の何倍も蓄えている。身に着けた魔道術は既存の魔術の域を越え、古の魔人に劣らない力を秘めているとの噂も聞いた覚えがある。

 そして何百年と生きてきた魔法使いの中には奇異な行動理念を携え、誰もが求める魔道術を操る者がいる。正面に居る彼女こそ、その一人かもしれない。

 ベロニカは絶対に可能性を手放さない。手放すもんか! と覚悟の宿った瞳で喰らい付く。


「我が名はサクラメント。『複製の創主』の称号を持ち、確か……、そう、"人形遣いサクラメント"の名で世には通っている筈だ。それで『銀豹姫』、これでも我は魔法使い、人の心身を手繰る達人だ。当然、キミの願いは分かっているよ」


 それは義体創造の魔道術だろう、とサクラメントは付け加える。

 金属のゴテゴテとした機械義手や間に合わせで使われる木製の義足とは訳が違う。サクラメントの与える義手は生体部品――疑いようもなく失う前の腕その物、生身の肉体なのだ。


「ほ、本物……?!」

「他の魔法使いでも、私の偽物は騙れんだろうな」


 地獄の底で救いの糸を見つけたかのようにベロニカの顔に生気が戻る。

 腕を失い失意のまま祖国の地を踏むこともなければ、剣の重さに苦しむこともなくなるのだ。囚われ、奴隷として売られそうになった時には自分の行く末を呪いもしたが、不幸の後には幸運が――運命の揺り戻しは実在するのだと今思い知らされた。

 左腕が戻る!

 思わず嬉し涙が零れる。ニコニコと微笑むサクラメントの後方には、複雑な表情の青年が居て、決して視線を合わせようとしない。


「それで、いくら?」


 嬉々とするベロニカの耳に、氷柱が突き刺さる。

 のぼせていた頭が一瞬で冷え、青年の表情の意味を悟る。

 巷で最もよく耳にする彼女(サクラメント)の蔑称。


「キミは左腕に、何シードまで払えるんだ?」


 強欲の魔女――それが俗欲に染まり切った魔法使いの正体である。

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