旅と再会
戦いから一夜明け、静謐な空気の張り詰めた早朝。
シエラ長老の館、木製の床をドタドタと元気の良い足音が揺らす。
地上での長期滞在は数日振りで、数十日振りの睡眠を取ったウサ耳の軍服女は、晴れやかな顔と湿ったタオルを手に居間に辿り着く。
「おや、皆さんお揃いでありますかな?」
魔法使いコーラル・S・ケープスは空色の眼で居間を見渡し、分かり切ったことを訊く。誰が見ても、頭数が足りていない。
「無頼がいないよ」
「姉様も」
ベロニカとラウトは直立するコーラルに返し、ミロシュはやれやれと首を振る。
今に居るのはミロシュとベロニカ、ラウトとシエラのみである。
「今の無頼さんは情緒不安定なので放っておいていいです」
「ぴぃてぃえすでぇー、でありますか?」
「PTSD? なんですか、それは」
「心的外傷後ストレス障害であります。グレナダのような強敵と相対し、当時は感じなかった恐れが改めて湧き上がったのではないかと本官は推察するのであります。枕元に短剣を置いて悪夢に魘される帰還兵なのであります! 戦場が……戦場が襲ってくるのであります……うう……」
「違うぞ」
コーラルは大袈裟に同情をして見せ、扉を開けて現れた人影が否定する。
「俺はまだ帰還できてない」
「ぶ、無頼さん!」
自分の境遇を気軽に乗せたジョークにミロシュはあたふたとたじろぐ。昨夜あれだけ協力しろと言っておきながら、今は危険区域すれすれを掠めていったのだからミロシュの動揺は当然である。
一方でベロニカは欠伸を挟み、大きく開いた口で無頼を問い質す。
「にゃああ、無頼、何処行ってたの?」
「ウォルデン村の依頼を終わらせてきた。灰色熊だ。夜の内にカドカを連れて、コボルトの残党も一緒に狩り尽したぞ」
「ということは、夜通しですか?」
「仮眠は取ったぞ、二時間だけだが」
「あ、姉様は?」
「ああ、カドカなら……」
無頼が振り向くと、館の廊下をタッタッタと叩く軽快な足音が聞こえ、息を切らしたカドカが姿を見せる。
「あ、姉様……?」
生まれて十二年、カドカが息切れする姿を見たことのないラウトは驚きのあまり立ち上がる。慌てて駆け寄らないのは、二人の間にまだ蟠りが残っているからだ。
「なぜ……っ、おまえは……っ、私より速い……っ!」
「身長差だな」
「小鹿を背負っていたんだぞ! 熊も私より多く斬っていた、なのに……!」
「小鹿なんて精々二十キロ程度だろ。ローニャの半分以下だ」
「この体力オバケ!」
無頼は用意された席に移動し、へたり込むカドカが無頼の背中目掛けて叫ぶ。
ベロニカとミロシュは二人の間に何があったのかを知らない。印象に残っている二人の関係とは、カドカが無頼を一方的に目の敵にするものであるのだから、こうも仲が縮まっていると疑問より違和感が先に来る。
「ラウト、手を貸してくれ」
「……!」
どっしりと腰を下ろしたカドカは、唯一立っているラウトに手を伸ばす。
昨日から一転したカドカの態度にラウトは驚く。両親が出て行って以来、これほど優しい声色でカドカが声を掛けてくることはなかったのだ。
戸惑うラウトを見て、無頼がそっと漏らす。
「嫌なら俺が行くが?」
「――いく! 姉様、ラウトがいく!!」
ラウトとカドカの姉妹……、姉弟……? どちらか分からないが、二人の拗れた関係が元に戻り、無頼ら三人と曾祖母のシエラは微笑ましく抱き合う二人を見守っていた。
コーラルもうんうんと頷いていたが、事情は理解していない。
「それでは本官からの報告であります」
全員が居間に揃う。
カドカが無頼の隣に座ったのを確認して、コーラルが立ち上がる。
「まずグレナダ一派が根城にしていた石造りの建造物と残していった魔石鉱についてなのであります。前者は極秘裏に捜査班を組織して送り込み、後者は周辺村落の損害補填が終了し次第、本官が再度封印するのであります」
コーラルの報告に、胡坐をかいて座る無頼が手を挙げる。
すぐ隣、肩が触れ合う距離にカドカが寄り添い座っている所為か各所から鋭い視線を浴びていたが、これは今関係ないと無頼は受け流す。
「あの石堂……鬼神将軍の墓なら暴いたぞ」
「にゃっ!」
「なっ、なんて罰当たりな! 祟られるのであります!」
「私は止めたんだが……」
「心配はいらない。本人の許可は貰ってるぞ」
「私は聞いてないぞ、誰のだ?」
「だから、本人の」
無頼はポンポンと『亡霊挽歌』の柄を叩き、カタカタと亡霊たちがそれに応える。
「それで、使えそうな物を色々と拝借してきた」
「無頼さん……それは流石に……」
「許可は得ている」
「誰の?」
「鬼神将軍の。……この遣り取り、もう止めないか? 常識を欠いた人間を見る視線を俺に向けるな。信じなくてもいいが、俺は許可を貰った。これで話は終わりだ」
無頼は衆目に広げた品々――と言っても三品だけ――を前に啖呵を切る。
「あ、いや、話は終わってないぞ。まだこれの説明をだな……」
「無頼さん、やっぱり疲れてます?」
切った啖呵を即座に訂正し、無頼は並べた三品についての解説を始める。
「まずはこれ、ソロスの封剣」
「弓にしか見えない」
「次にこの腕輪、これもソロスの封剣だ」
「無頼、やっぱり疲れてるのかにゃあ……」
「俺も妙だと思ってるんだ! 仕方ないだろ、これで正しいと囁くんだよ」
周囲の理不尽な反応に無頼は頭を抱える。
弓や腕輪を剣だと言い張る相手が目の前にいたら、頭の心配をしたくなる気持ちは無頼にもよく分かる。けれどカドカの振るう大鎌もソロスの封剣である。最高傑作であり七遺魔剣に名を連ねる『風天封剣』ですら形状は剣ではなく、それどころか刃すらついていない。見た目は大きな鍵だ。
心配するべきは賢者ソロスの適当なネーミングセンスであり、命名に一切関与していない無頼が責められる謂れはない。
「あのね、ソロスの封剣ってのは武器の形状関係なく付けられる名前だよ」
「シリーズ物と考えるのであります」
シエラとコーラル、年寄り二人が知識経験共に不足した若者に補足する。
「最後は大粒の紅玉」
「それも封剣かにゃ?」
「違う。これはソロスの墓前に供えてくれと」
「誰がですか?」
「鬼神将軍……分かった、お前たち、俺の言葉を信じていないんだな?」
再三の遣り取りに業を煮やした無頼は『亡霊挽歌』と紅玉を手に立ち上がり、シエラ以外の胡乱な瞳を寄越す全員を見返す。
意を決すると咳払いを挟み、扉を開く。
「良し分かった。はっきりさせてやる」
「はっきり……って何をですか?」
「俺が鬼神将軍たちの姿を、亡霊を見せてやる!」
無頼がそう宣言し、付いて来いと促す。
カドカとラウトが後に続き、シエラがコーラルに支えられるように歩き出す。ベロニカは亡霊という単語に怯えて固まっていたが、ミロシュに引き摺られるようにして後を追っていった。
昨夜無頼とミロシュが並んで足を浸けていた湖は、星空の代わりに照り付ける朝日を映して燦々と輝いていた。
湖を背に囲まれた無頼は、生徒指導の教師の如く『亡霊挽歌』を鞘のまま突き立て、柄に両手を置いていた。
「無頼」
「なんだ、カドカ」
「その魔剣は、死者に会える魔剣なのか?」
「かつての担い手が居るだけで、誰にでも会える訳じゃないぞ」
但し個人として意識が残っている者のみ、と追加説明を無頼は省く。
靴を脱ぎ捨てズボンの裾を捲り準備を終えると、髑髏マスクを着けずに魔剣の柄を握り込む。
シャンと抜き放たれた『亡霊挽歌』は、太陽の光を浴びて煌々と輝き、暗鬱とした魔力を迸らせる。
本当はこの時点で既に無頼の周囲を無数の亡霊たちが飛び回っているのだが、魔道士のミロシュや魔法使いのコーラルすら知覚出来ていない。
視線は全部、無頼が集めている状態だ。
「シエラ長老は少し、下がっていてください」
「おや、除け者かい?」
「驚いて心臓が止まると可愛い曾孫が泣きますよ?」
無頼は老齢――年齢的にはコーラルもだが――のシエラに注意を促し、透明に澄んだ湖へと足を踏み入れる。
「ああ、馬鹿、そんな姿に……え? そうなのか?」
遠浅の湖を進む無頼はブツブツと呟き、膝下が隠れる辺りに来て急に止まる。
取り残された若者四人は湖畔から無頼の背中を眺めていた。
「ミロ、亡霊なんて見えないよ?」
「アレだけ怖がっていたのに、見えないとなると強気ですね……」
「だが、無頼が嘘を吐くとは思えん」
「目には見えない……映るとなると……」
「湖」
ラウトの言葉に導かれた四人は一斉に視線を下げ――――倒れる。
「……ん?」
どさりと倒れる音が四人分、振動は湖面を揺らし、そこに浮かぶ亡霊たちの姿を歪ませる。亡霊たちはハイタッチを交わして喜び、湖を飛び出して倒れた四人の周りを飛び回る。
「敢て言わなかったのであります」
「コーラルは無事なのか?」
「若輩ですが一応、魔法使いなのであります。同じ魔剣使いとして、薄らと存在も知覚しているのであります」
「ならローニャたちは……」
「視覚から得る魔力量の多さには限界があり、結果的に脳がパンクして強制シャットダウンしたのであります。常人なら耐えられないのであります」
コーラルがやれやれと首を振り戻って来いと告げ、無頼は『亡霊挽歌』を鞘に収めて陸地に戻る。
亡霊たちの悪戯から逃れたシエラはニコニコと微笑み、無頼とコーラルを見つめる。
「私もあと五十歳若ければ、旅についていけたのに……」
「結局シエラは口だけで、村から離れていないのであります」
過去を思い出し、コーラルが笑う。
「長老は墓守を?」
「私は早々に息子に引き継いだわ。若い頃はずっと、旅に出たいって気持ちを持ってたのも本当。でもね、子供や孫が生まれると、外なんかどうでも良くなって、気付けばもうお婆ちゃん」
「外に興味がない、とは嘘であります。私が……本官が村に来たら、真っ先に出迎えて一晩中掴まえて離さなかったのであります」
「あらやだ、うふふ、そうだったかしら?」
楽しそうに過去を語り合う二人は、取り残されている無頼に気付く。
「コーラルもね、昔は旅をしていたの」
「そうなのか」
「本官と異世界人のフリット・ヴァルツ、アスタローシュ、そしてグレナダ……もう七十年も前であります。業務の傍ら本官も、貴官らと同じように旅をしていたのであります。フリッツとアスタがくっ付いて旅は終わりましたが、あの当時は楽しかったのであります」
再び記憶に入り込もうとしたコーラルと違い、シエラはギュッと無頼の手を握る。
「それでね、旅人さん。私からお願いがあるの」
「曾孫のどちらかを旅に同行させてやってくれ……か?」
「おお、鋭いのであります!」
「カドカに同じことを頼まれたからな。ラウトに外の世界を見せてやってくれ、と。俺はその是非を聞く為に態々全員を連れ出し、折を見て長老に忌憚ない返答を貰おうと思ったが……、無駄手間だったな」
「ということは、連れて行ってくれるのかい?」
「ラウト本人が了承したならラウトを、カドカが手を挙げればカドカを、どちらも拒否したら連れて行かない……と言いたいが、結局最終的にはローニャと本人たち次第だ。ローニャが北に行きたいと言えば俺たちは北に行くし、南が良いと言えば南に行く。その気紛れに付いてこれるのは、まあラウトの方だと俺は思っている」
予め答えを用意していた割に無頼は歯切れが悪く、けれど意見は尤もなのでシエラも強く出ることは出来ずにいた。墓守としての役目がある以上、継嗣としてどちらかは村に留まらなければならないのだ。
「ただ、何十年も連れ回す旅じゃない。ローニャが目的を遂げたら一区切り、そこで俺たちのパーティは解散だ」
既定路線を無頼は告げる。十中八九その通りにはいかないだろうが、ベロニカの腕を取り戻した後のことを三人は何も決めていない。元々明確な目的を持っているベロニカがいなくなるのだから、旅の仲間は解散するのが自然である。
旅路について口出しするつもりのないコーラルはそれ以上何も言わず、一先ず自分の願望を伝えたシエラもそれに倣う。
「それで、賢者ソロスに供える紅玉だが……」
ここぞとばかりに無頼は話題を変える。
コーラルとは色々と話すことがあり、その前に済まさなければならない事柄は更に増える。今後の予定、紫電侯領への道筋、三賢魔道士の活動範囲の確認、北方の聖王国の現状など――知らなければならないことは多く残っている。
あの場面でミロシュだけを遠ざけることは出来なかった。色々と知らなければならないこと、決めなければならないことが残っている以上、ミロシュを巻き込んだのは失敗だったと無頼は悔やむ。
「墓は何処にあるんだ?」
「墓は大樹と一体化しているからねぇ……」
「湖に向かって投げればいいのであります」
いいのか、それで? と無頼は『亡霊挽歌』の中に居る鬼神将軍に尋ねるが、亡霊はだんまりを決め込んでいる。沈黙は肯定の証だ。
「まあ、湖の底なら誰かに持っていかれる心配もないか……」
強肩と針の穴を通す精密なコントロールにより、無頼の放った大粒の紅玉は湖の一番濃い部分に着水する。
そして賢者の墓守と魔法使いが見守る中、かつての仇敵の願いを受けた紅玉は湖の底へと沈んでいった。




