背中と亀裂
無頼とコーラル、二人が世捨村に辿り着いたのは日が傾き始めた頃である。
ミロシュの魔道術で全滅した昼間のコボルトたちは、枯れ果てた遺骸を一か所に纏められ、その隣では村の男たちが総出で穴を掘っていた。
本来は毛皮を剥ぎ取り不定期に訪れる行商人に卸すのだが、風魔道術で傷付き、血塗れになった毛皮は使い物にならない。剥ぎ取るにしても一部、灰色熊のように魔道術に負けていない毛皮だけだ。
「帰って来たぞ!」
埋葬用の穴を掘り、毛皮の処理を行っていた村人が無頼たちに気付く。
わらわらと集まってくる村人たちは元気で、あれ以降敵の襲撃はなかったのだと無頼は知る。結果論ではあるが、ララミーを撃退した今、この近辺を始めとした森に平和が戻ったと言っても過言ではない。
「無頼っ!!」
人混みを掻き分け、ベロニカとラウトが飛び出してくる。けれど飛び付かんばかりに無頼に向けた勢いは、コーラルに抱えられるアーデルハイドを見て徐々に失う。躰は傷付き、ピクリとも動いていない。
「……アデルは、怪我したの?」
「違う」
「気絶してるだけだよね……?」
「違うのであります」
無頼はコーラルを促し、ベロニカの横を通り過ぎる。
何も言わない無頼の背中をベロニカは呆然と目を向け、纏まらない思考で口を開く。
「私が……、行けって言ったから……」
「ローニャ」
漏れ出した自責に無頼は足を止める。
「後悔を口にするのは止めてくれ」
穏やかな口調でそれだけを言い切ると、ベロニカが振り返るより早く無頼は歩き出し、その場から離れていった。
アーデルハイドの死は、誰の所為でもない。
カドカが単独で森に入っていなくても、転移魔道術を喰らえば似た結果になっていた。ましてローロ、ララミー、グレナダを相手にミロシュとベロニカを連れていたら、きっと被害は今回の比ではないだろう。アーデルハイドと無頼の二人に負担を押し付け、その結果片方が倒れてもベロニカの判断ミスとは言えない。
だが、それを後悔だと言い切れば――――。
無頼は暗い感情を振り切ろうと大きく息を吐くが、蟠りは消えない。
ベロニカがそれを後悔だと言い切れば、何時か「無頼を召喚したのは間違いだった」と吐き出す日が来るかもしれない。
後悔をしない人間がいないように、全てを許容できる人間もいない。
無頼は来るかどうかも分からない未来を恐れ、逃げるように足を速めた。
アーデルハイドの墓穴は掘り終えた。ローロの小柄の体躯も収まるだけの穴が出来上がるまでそう時間は掛からない。
辺りはすっかり宵闇に包まれ、遠くの人影の顔は見えない。
二時間近く、グレナダとの戦闘で溜まった鬱憤を晴らすように無頼は穴を掘り続けた。
ザクザクと、底にあるかもしれない大切な物を掘り返すかのように、邪魔な物を埋めてしまうかのように。自分の巨躯が入り切らない大きさの穴だけを、淡々と掘り続けていた。
「無頼さん」
泥だらけの無頼に、魔力灯を点したミロシュが声を掛ける。
「ローニャが落ち込んでいましたよ」
「アデルさんが死んだからだろ」
「本当にそれだけですか?」
「……何が言いたい」
無頼は手を止め、ミロシュを見上げる。
「……」
「……」
チリチリと光を放つ魔力灯は眩しく、その奥にはミロシュが悲し気な表情で黙っていた。無頼も作業を止めてジッとミロシュと、ミロシュの持つ灯りを見つめる。
時が止まったかのように二人は固まり、いつしか月が昇る。
「分かった」
先に折れたのは、無頼である。
スコップを穴から放り出し、自らもそれに続いて穴から飛び出す。薄布で覆われたローロを担ぐと再び穴に降り、首と胴体が分かれないよう丁寧に寝かせる。手伝おうとするミロシュの申し出を断り、スコップを手に淡々と土の被せていく。
「終わったぞ」
土を盛り終え、墓標代わりに『共鳴剣』を突き刺した無頼はミロシュに向き直る。
隣ではアーデルハイドの為の墓穴があり、薄布の中ではアーデルハイドが永遠の眠りについている。傷だらけの躰はピクリとも動かない。
「アデルさんは――」
「後でいい。後で、カドカにも手伝わせる」
「カドカさんに?」
「贖罪の代わりだ。カドカに何もさせてないとなると、アデルさんの娘に顔向けできないだろうからな」
無頼の言葉にミロシュはハッとする。
アーデルハイドは単独で同伴したが、ウォルデン村では同行者――娘のクララがいた。母親が死んだとなれば、最後に一目に会いたいと望むのは人として自然で、けれども片道三日以上かかる道程――往復で六日を費やすと遺体は腐敗してしまう。
アーデルハイドは埋葬しなければならない。
今以上に酷い姿を晒すくらいならば、娘に責められた方が良い。
少なくとも、死者を痛めることはなくなる。
「行くぞ」
村の共同墓地の外れから、無頼はミロシュを連れて歩き出す。
魔石灯のあまり点っていない世捨村は薄暗く、月明かりと星空だけを頼りに二人は進む。
何処へ? とミロシュは疑問を抱く。
無頼は昨夜、野営の不寝番をアーデルハイドから引き継いで以降、休息らしい休息を取っていない。どれだけ無頼の体力が底無しで化け物染みていようと、連続の移動、度重なる戦闘を経た今、足取りはふらふらと覚束ない。
じきに分かる行先を問い掛けて、それに答える気力を使わせる必要はないと思ったミロシュは無言で無頼の背中を追う。
「ここだ」
「うわぁ、凄い……」
目的の場所に辿り着いた無頼は紐を解いて靴を脱ぎ、『亡霊挽歌』を置く。
二人が立つのは賢者ソロスが眠ると言われる大樹の根元、そこから広がる湖の畔だ。
「こんな場所があったんですね」
「カドカに教えて貰った」
「何時の間に……、でも綺麗ですね」
闇夜に広がる水面はピンと張り詰め、風のざわめきに合わせてゆらゆらと蠢く。二人を照らす満天の星空がそのまま散りばめられている様は、さながら漆黒の鏡である。
「……無頼さん」
ミロシュが呆れる。
綺麗な景色など露ほどにも気にせず、無頼は腰を下ろして湖水に素足を曝していた。
波紋が生まれ、景色が歪む。
「景色を見せる為に呼んだんじゃないぞ」
「あ、はい……って、その足は?」
無頼はバシャバシャと足を洗い汚れを落としていく。しかし手が離れてからも汚れは広がり、水を赤黒く染めていく。
痛みを堪えながら手に付いた水を払い、無頼は息を吐く。
「俺が、全く怪我をしない鉄人だと思っていたのか?」
「思っていませんが……何故足首や足裏を?」
「……」
「まさか、足だけではないのですか?」
ミロシュは反応を訝しみ、無頼の上着に手を掛け脱がす。下のシャツは真っ赤に染まり、ぺりぺりと背中の皮を剥ぎながら離れていく。脂肪の殆どついていない背中――その赤が外気に触れると、無頼は堪らず呻き声を漏らす。
背中に浮かんでいたのは、蜘蛛の巣のような火傷痕――雷撃を受けた跡だ。
「治療してくれ、とでも言うつもりですか? それなら何故もっと早く言わなかったんですか!」
ミロシュは激昂し、無頼の背中を睨みながら治癒魔道術の詠唱を始める。
しかし無頼は顔を伏せて首を左右に動かし、額の脂汗を拭い湖水で濯ぐ。
「俺は、走馬灯を見た」
口調は淡々と、声色は痛みを物ともせずに落ち着いている。
「俺は記憶を失っている。けれど頭が忘れても、身体に経験は染みついている。俺は真っ新になっていたが、ゼロじゃない。所持品があり、鍛えられた肉体があり、無理矢理放棄させられた過去の自分がいる」
「まさか、記憶が――」
「違う、走馬灯を見ただけだ。ステラーの雷撃を浴び、死に掛け、頭の中で声が響いた。負けないで、大丈夫……その声で俺は、死ねないと思い立ち上がった」
こいつらだ、と無頼は懐中時計の底を開いてミロシュに見せる。
「美人……な、奥さんですね。小さい子の方は無頼さんと目元が似ています」
「俺の子供と決まった訳ではない」
「でも、そっくりですよ。奥さんも幸せそうで……うん、無頼さんは妻帯者で子持ち、その方が諦めが付きますね」
ミロシュが目を伏せる。
この位置からでは無頼の目には留まらない。言葉が残るだけだ。
「そこなんだ、俺が知りたいのは……」
無頼は振り向き、ミロシュの手を引く。驚くミロシュに有無を言わせず隣に座らせると、靴を脱ぎ足を浸けるように促す。
「この二人が誰かは関係ない」
冷たい水の感触を爪先で感じ、踝まで浸かった時には身震いが全身を巡っていた。
無頼の汚れや血を受け入れた湖は元の静謐さを取り戻し、今は高まるミロシュの体温を鎮めている。
「俺が元の世界に帰れる可能性は、ゼロに近い。少なくとも、魔法使いコーラルは知らなかった。俺以外の、召喚魔道術で呼び出された異世界人を知るコーラルは、彼らの為に戻る術を探そうとはしなかったそうだ。ないと分かっていたから」
「そう決めつけるのは、早計です!」
「違うんだ、ミロシュ」
「何がですか! 無頼さんは、自分の世界に未練はないんですか?!」
「ミロシュ、逆に尋ねるが……」
無頼は悲し気な瞳で立ち上がったミロシュを見つめる。
「記憶のない俺が、元の世界にどんな未練があるんだ?」
「――ッ!」
「帰れない現実に俺は抗わない。だが、俺を召喚したローニャがそれを知った場合……どうなると思う?」
「自分の腕より、優先すると思います」
「俺もそう思う」
足の傷に寄って来た小魚を無頼は追い返し、ミロシュも同じように足を動かす。
バシャバシャと波が立ち、水面が揺れる。
「だが正直ローニャは役に立たないと俺は考えている。知っているなら、必ず俺に伝えている筈だ。記憶を失った俺に対して、元の世界への戻り方を教えない意味はないからな」
「駆け引きしてるのでは? ああ見えてローニャは打算的ですよ」
「打算的だから、話すんだ。そして帰り方を知らないとなれば、余計に首を突っ込まれても面倒なだけだ。当てにするつもりも、係わらせるつもりもない。ローニャを放り出した後で個人的に探すにしても、今はローニャがこの件に触れずに済むように手を打たねばならん」
「……手を打つ?」
無頼の言葉の端々に垣間見えた刺々しさに、ミロシュは耳を疑う。
「私に協力しろと言うのですか?」
「そうだ」
「ローニャに知られて、何か問題でもあるんですか?」
「ある」
躊躇う素振りも見せず、無頼はミロシュの疑問に答えを返す。
眼窩を埋める黒曜は研ぎ澄まされた刀のように鋭い眼光を放ち、握り込んだ右手からは真っ赤な血が滴り落ちている。『亡霊挽歌』の残留魔力が無頼の身体から溢れ、湖に溶けていく。
「記憶を失った理性と経験を積んだ本能――どれだけ俺の理性が躰の制御を担っていても、一瞬の衝動には抗えない。もしもローニャが、俺をこの世界に召喚したローニャが、無神経無責任に元の世界に戻してやる、なんて言ったならば――――」
無頼は真っ赤に染まった手を開く。
傷口からはシュルシュルと蒸発した血液が立ち昇り、その熱は静かに燃える無頼の激情のようである。
「俺の衝動は、ローニャを斬るかもしれない」
熱で塞がった傷口を湖水で濯ぎ、無頼は立ち上がる。
魔剣と衣服をそれぞれ持ち、言葉を失ったミロシュに背を向けた。
「無頼さん……」
ミロシュは縋るように無頼の背中を見つめる。
皮が剥がれて真っ赤な筋組織を外気に晒していた背中は肌色を取り戻し始め、歪な罅割れを刻んだ背中は闇に混ざるようにして夜の帳に消えていった。
無頼が離れ、ミロシュが動けずに座ったままの湖畔の傍で、ベロニカは唇を噛み締め震えていた。顔面は闇夜の中で分かる程に蒼白で、固く閉じた瞼と黄金色の瞳の間には溢れんばかりの涙が溜めこまれていた。
「……無頼」
後悔を口にするな、との言葉は自分に対する励ましだけではないと、ミロシュとの会話を盗み聞きしたベロニカは気付いてしまった。
あの言葉は警告だ。
アーデルハイドの死に動揺するベロニカが、無意識の内に竜の尾を踏まないようにと無頼の理性が釘を刺したのだ。
ベロニカは瞼を開き、涙を拭う。
斬る――と、はっきり無頼が口にした以上、ベロニカと無頼の間には見えない亀裂が生まれてしまった。二人の立ち位置は変わっていない。見ている景色も変わらない。
ただ、乗り越えて近づくには危険すぎる亀裂である。
埋めることは、容易ではない。




