復讐の魔眼と嘆きの森④
何百年も昔の建物である鬼神将軍の廟堂は、遠く離れた森の中から分かる程に巨大であった。石材やセメントで建てられた石堂は日常で使う建造物とは異なり、最初から何十何百年と時を経ることを想定して建てられ、今もまだその役割を果たしている。
古代文明の遺跡にあるような石柱が何本も建ち並び、所々に蔦が巻き付いている。数は多いが視界は塞がず、けれども身を隠すには持ってこいの塩梅である。
カタカタカタ。
無頼の腰で『亡霊挽歌』が震える。
ララミーやローロに反応しているのか、それとも墓の中で眠っている何かに反応しているのか無頼には知る由もない。髑髏マスクを外して亡霊の囀りに耳を傾けてもいいが、今はまだ恩恵より危険が勝る。
道中で遭遇したコボルトと屍コボルトは逃さず刈り取った。
その数は二十を超え、相当数を世捨村の防衛戦で消費させたことも合わさって警護に着くコボルト兵の数は少なく、残った少数すらも無頼以外の何者かの襲撃を受け、次々と数を減らしていた。
「で、出てきやがれです!」
魔道術が飛び交う中、大きな『共鳴剣』を盾にした幼女サイズのローロが叫ぶ。
コボルトとローロに襲い掛かるのは、主に風を用いた魔道術だ。
水や炎がないこの場所で詠唱したとしても、それらを媒介とした魔道術は使えない。環境に遍在する要素を、魔道士は風や土、木の葉や光などを利用しなければならず、そうなれば一番扱い易いのは風の魔道術である。
(アデルさんはいるのか……。罠と分かって尚、押し切ろうとしているのか?)
無頼は魔道士たちと過ごし、そして戦う中で、魔道士の習性を掴み始めていた。
各々に得意魔道術があり、一方を立てればもう一方は立たなくなる、そんな欠点を持つ者は多い。強い魔道士とは欠点を消すのではなく、欠点を見せていても相手を潰せる魔道術を使える者だ。
それはミロシュのように膨大な魔力量で押し潰してもいい。今アーデルハイドがしているように個々の威力を下げてでも速射性を確保し圧倒してもいい。
魔道士と戦う場合には、得意とする魔道術を徹底して挫かなければ魔道士の戦意を折ることは出来ないのだ。
「…………」
無頼はアーデルハイドとローロ、両者に気付かれないよう移動する。
魔道士の心の支えが得意魔道術ならば、ローロにとってのそれは剣術――更に言うなら魔剣『共鳴剣』である。
どれだけ手傷を負わせようと、あの魔剣を挫かない限りローロは戦い続けるだろう。首を飛ばされでもしない限り、自分と同じように魔剣を握り、障害を打ち倒さんと振るうに決まっている。
(その為には……)
魔剣を砕く、という選択は現実的ではない。
『亡霊挽歌』もそうだが、魔剣は普通の刀剣と異なるからこそ魔剣なのだ。どれだけ打ち付けても砕けず、刃毀れすら見せない。朽ちる日が来るとするなら、それは魔力が尽きた時だろうが、魔力を無意識の内に注ぎ込む人間が魔剣に籠められた全魔力を使い切れる日はそう来ない。
無頼の持つ『亡霊挽歌』なら亡霊が生涯溜め込んだ魔力、それが何十人何百人分も詰まっている。常人が目を回す規模の魔道術を何回使ったとしても、尽きることはない。
『共鳴剣』の魔剣としての格が『亡霊挽歌』に及ばないのは無頼も直感で感じ取っていた。しかし格が違いは、頑丈さの優劣に関係ない。防御に特化したローロの戦闘スタイルのように、刃物として必要な切れ味を削ぎ落としてまで、『共鳴剣』は自らの特性を伸ばしている。
当然、簡単に『共鳴剣』は砕けない。
(……首を刎ねるのが一番だな!)
無頼は心躍らせ、ローロの細首に狙いを定める。
ローロは魔道術の豪雨を受け立ち止まっているが、いま飛び出していくのは逆にアーデルハイドの足を引っ張るだけだ。決定打がないとはいえアーデルハイドが押している事実は変わらず、ローロが封じ込まれているのだから。
(だとすると……)
無頼は更に茂みを移動する。
当事者であるローロに対しては巧妙に隠されていたが、距離を置いて観察できた無頼にはアーデルハイドの位置は掴めていた。魔道術の繰り出される角度と魔道術で影響を及ぼせない死角的な空白を概算したなら、アーデルハイドの現在位置を割り出せる。
(……狙うのは、反撃に移る時)
ローロがアーデルハイドの居場所に気付き、反撃に移る一瞬こそ、ローロの固い防御が綻ぶ瞬間である。
アーデルハイドに攻撃を加えようと飛び出したローロに、横合いから殴り付ければいい。反撃も防御も押し込んで、細い首筋を『亡霊挽歌』で撫でるだけでいい。
必要なのは最高の位置取りと、最善のタイミング。
その結果を得るまでアーデルハイドの援護には回れないが、単独でやってきたアーデルハイドが他人の援護を必要としているとは思えない。
必死なローロと違い、アーデルハイドが自分の存在に気付いている可能性もある。だが明確なリアクションがないことから、無頼は援護は必要ないと決めつけ行動を選んでいた。
(どうした?)
ローロを抑え込んでいたアーデルハイドの魔道術がぴたりと止む。
最初こそ訝しみはしたが、無頼は即座にその理由に気付く。不思議そうに辺りを見渡すローロと違い、外縁から眺める無頼やアーデルハイドの方が得られる情報量は多い。
「《伸びよ。満ちよ。覆い尽くせ》」
石堂の中から現れた人影が、魔道術を紡ぐ。
ララミーだ。
石堂の入り口に立ったララミーの足元からは生物のように影が伸び、ぞわりと溢れていく。石堂が作り出す影を飲み込み、石柱の影を、ローロの足元を侵していく。
二人が潜む茂みに影が届くまで時間は掛かるだろうが、無頼の場所ではアーデルハイドよりも早く辿り着く。
「《一八六ページ、二十三章、一行目》」
無頼が移動しようとしたその時、アーデルハイドが茂みから飛び出す。
ローロが咄嗟に動き出すが、蓄積したダメージが足を引き、思うように動けずにいた。
アーデルハイドは王笏を振るう。
王笏の尖端に嵌った魔石から溢れた魔力がアーデルハイドの身体を経由して、魔道術として飛び出す。地を這うララミーの魔道術とは真逆に、アーデルハイドの魔力は空を覆う。
「《六、一、三》。――――ララミー、私がお前を狩り出すのに、何の用意もしていないと思ったのかい?」
右目の魔眼を煌めかせ、アーデルハイドが微笑む。
太陽の光が差し込む森の空白地帯に、突然夜が訪れる。闇は影を包み込み、等しく飲み込んでいく。
影が影として存在するには、一定量の光が必要なのである。そして光が環境の一部であるなら、魔力によってそれを遮断することは出来る。
以前に一度、ネブラスカのエルフ女が使った同じ魔道術を目にしている無頼は、驚きを半ばで断ち切り茂みを踏み越える。
(タイミングは今しかないな……)
一瞬、アーデルハイドの魔眼が一歩目を踏み出した無頼を捉え、足元に魔道術の風が纏わりつく。その風がアーデルハイドの仕込んだ遠隔付与魔道術だと理解した無頼は、躊躇わずにローロに向かう。
ミロシュが施す付与魔道術ほどの持続時間を、この風は保持していない。
「体勢を立て直す前! 一太刀で終わるからなっ!!」
数秒の内に詰め、首を飛ばすには必要ないからだ。
漆黒の世界、無頼は紫に光る『亡霊挽歌』を抜き放つ。強い輝きを放つ魔剣は辺り一帯を照らし出し、薄闇の中、愕然としたローロの姿が浮かび上がる。
そして、一閃。
至近距離、ローロは全力で振り抜いた無頼の一撃を浴びる。
空気が震える。
間一髪の所で『共鳴剣』を上げて防いだものの、押し込まれた魔剣の刃は左肩を裂き、全ての勢いを受け止めたローロの矮躯は何度も転がり、石壁に当たり止まる。
アーデルハイドの魔力が切れ魔道術が解除されると、太陽の光に照らされた辺りは忽ち明るくなる。
フリルのついたメイド服は左肩を中心に赤く染まっていたが、ローロは『共鳴剣』を手放してはいなかった。戦意を失ってはいないが、動けるようになるまで時間は掛かりそうだ。
「仕損じたね」
共鳴が止むと同時に口を開いたのは、ララミーである。
問答無用で切り捨てようと踏み出した無頼の足を、アーデルハイドの言葉が止める。
「ララミー、ここまでだ」
魔導書を開き、王笏を握るアーデルハイドが睨みを利かせる現状、ララミーの魔道術に大きな脅威はない。魔眼と簡略詠唱術を利用したアーデルハイドの戦法を前に、使い勝手の良い並の魔道術は即座に看破され相殺される。
「アーデルハイド、キミの『先視の魔眼』は相変わらず恐ろしいね」
「…………」
「たった数秒、されど数秒。先を視て得られるアドバンテージなんて無に等しい。時間は矢の如し。数秒前の数秒後は、すぐ今に塗り替わるからね」
アーデルハイドの右目に宿った『先視の魔眼』について、詳細どころか概要すら、無頼は聞かされていなかった。
仲間と言えど相手の手の内は尋ねない。その暗黙の了解に無頼も異論はない。
ベロニカの素性にミロシュの師匠、無頼の出身世界に魔力を纏う長刀が七遺魔剣の一振りであること。
隠すべき事実の数量だけなら、無頼たちの圧勝だ。
『先視の魔眼』についても、その存在を勘定に入れて戦われては追い付かなくなるとアーデルハイドは恐れていたのだろうと無頼は納得する。
どれだけ先が視えるとはいえ、その未来はすぐにやってくる。
「あの幼女メイドが復活するまでの時間を稼ぐ気か?」
無頼はローロとララミー、両者が視界に収まる位置に移動する。
「幼女メイド? ああ、ローロだとしたら見当外れもいいとこだね。違うよ。僕が待って……じゃないね、僕とアーデルハイドは彼が出てくるのを待っているんだ」
ララミーが愉快に笑うと、アーデルハイドの魔力がぞわりと膨れ上がる。
アーデルハイドの復讐の終着点、秘密結社『星屑の棺桶』の一員、三賢魔道士の一人。
「グレ……ナダ……!」
「そう、彼が来るのさ!」
パラパラと背後からページの捲れる音が聞こえ、無頼は『亡霊挽歌』の尖端で地面を斬りながらララミーに歩み寄る。
カリカリパラパラと殺意で満ちた空間を、まるで怯まないララミーの声が割る。
「待つ理由はないな」
「そうだね、露払いはしないとね」
ララミーがそう口にした途端、環境マナが震える。
視界の端で立ち上がるローロを見つけた無頼は、ララミーとローロ、どちらを優先して排除すべきか立ち止まる。片や『共鳴剣』を手に立ち上がるローロ、片や詠唱する素振りすら見せないララミー。
臨戦態勢を維持したアーデルハイドも同じ悩みを抱えているようであった。
「『先視の魔眼』……くくっ、そんな物を持っていても、キミは所詮ただの露。どれだけ高みに近づこうが、原動力が復讐だと、払われて時代に飲まれるだけさ」
露払い、と聞き無頼は身構えていた。本命のアーデルハイドとグレナダが戦う前までに、部外者である自分を処理しに掛かるものだと無頼は思っていたのだ。
「輝く月を消そうとする気概を持たないと、僕らのような星屑は輝けないんだよ」
「お前たちは……」
「だから、キミには消えてもらう」
そして初めて、飄々と掴み所のなかったララミーに明確な殺意が宿る。
無頼は魔剣を手に気を張り詰め、アーデルハイドは『先視の魔眼』を駆使して後の先を狙う。
「《満たせ》」
ララミーが呟いた瞬間、アーデルハイドが崩れ落ちる。
数秒先を視ていたアーデルハイド本人だけが、何故倒れているのかを理解していなかった。ララミーが繰り出した魔道術の軌跡は、未来に映っていなかったのだ。
右足から力が抜け、地に伏している。
「――――ッ!」
そして数秒後、右足に激痛が走りアーデルハイドは異常の原因を知る。
「何故……、コボルトがここに……」
突如現れたコボルトが、右足首に喰らい付いていた。
気配も予兆も、ましてそんな未来も無かった筈なのに。
「アーデルハイド!」
「《一、一、六》――――無頼、私に構わずララミーを!」
アーデルハイドは最小限の魔道術で足首に喰らい付いたコボルトの頸椎を砕く。
コボルトの躰は跳ねるようにして離れ、一緒に足首から先が飛んでいくのをアーデルハイドは目にしてしまう。
立ち上がる足を失えば、立ち上がる気力は湧いてこない。
「《満たせ、満たせ、満たせ》」
駆けだした無頼の周囲に、コボルトや灰色熊が湧く。
「――――影からかっ!?」
「着眼点はいいね!」
ララミーが手を叩き笑い声をあげる。
進路を塞ぐコボルトを切り捨て、無頼は歯噛みする。ボコボコと湧いて出てくる獣たちの出所は、影ではなかった。薄らと魔力を感じる部分を切り裂いてみると、案の定、魔法陣のような印が出現し霧散する。
敢て目に見える魔道術を迎撃させることで、ララミーはアーデルハイドの油断を引き出したのだ。
「影の魔道術はブラフさ。アーデルハイドの未来視は恐ろしいが、人間の目は正面にしか付いていない。俯瞰できない。痛みや音も感じ取れず、ただ視るだけ。だから僕らは予め魔道陣を仕込み、僅かな魔力で作動する罠を仕掛けておいた。まずは機動力を奪い、後は数で……わらわらと転移する僕の玩具たちで押し潰す。良い考えだろう?」
窮地に立たされて尚、無頼は素直に感心する。
ララミーは自分自身を囮に二人の注意を引き、遠距離攻撃のない無頼だけを釣り出しアーデルハイドと分断した。そして片方の足を封じた所を、多勢で押し潰す。それで個の武力が優れた無頼を削れるなら、使い捨ての駒程度、どれだけでも注ぎ込める。
「……良い考えだ。完璧だと思うぞ」
無頼とアーデルハイドの合間には、多くの頭が並んでいた。
コボルト、屍コボルト、灰色熊――どれも額には魔石が埋め込まれ、コボルトは鉄製の剣を手にしている。鎧こそ着けてはいないものの、ここに湧き出した獣たちは他で遭遇した獣とは違う、ララミーが特別に用意した精鋭の手駒だと分かる。
囲まれた無頼に、アーデルハイドを気遣う余裕はない。
「お前が、俺の前に残っていること以外はな!!」
獣たちの中に飛び込み、ララミーを目指す。
アーデルハイドは足を負傷していた。機動力を失った中、多勢に襲われたら死んだと同じである。余程の切札を残してでもいない限り、アーデルハイドは生き残れないだろう。
巨躯を持て余し動き辛そうにする灰色熊を無視し、無頼は比較的柔らかなコボルトと屍コボルトを中心に斬り伏せ駆け抜けていく。
敵が密集しているのが功を奏した。次々に積み重なる死骸は足場を悪くし、鈍った足で無頼の間合いに踏み込んだコボルトや屍コボルトは早々に斬られ、新たな足場となる。
アーデルハイドは生きていない。
生きていないからこそ、ララミーだけは逃がさないと無頼は心に決めていた。
(無駄死にとだけは、言わせない)
目的を持ち、それだけを為そうと生涯を費やしたアーデルハイドが無駄死に、こんな悲惨な結末で終わってしまったなら。
「くそっ!」
目的のない自分は、どれだけ凄惨な死に様を晒さなければならないのだろうか!
無頼は恐怖を噛み締め、目の前の敵を斬り裂いていった。




