復讐の魔眼と嘆きの森③
「《ここは嘆きの森》」
ダガーを構えたララミーから、今までとは桁違いの魔力が迸り、場の雰囲気が一転する。無頼の魔剣が切り裂き、アーデルハイドの魔眼が制圧した空間は、一瞬にして別物に変わってしまった。
「無頼、止めて!!」
アーデルハイドは叫んだ時には、既に無頼は走り出していた。間に合わない、と心の奥底で理解していながらもアーデルハイドは魔導書を広げ、風魔道術を展開する。
即席の追い風は吹く時間こそ短いが、背中を押す距離も短く問題ない。
無頼は防御の割合を下げ、相手の防御ごと斬る体勢を取る。
「《木々は茂り、霧は深く、日は差さない》」
ローロの『共鳴剣』がアーデルハイドの風魔道術に反応し共鳴を放つ。追い風は掻き消されたが無頼の勢いは衰えない。
その場に留まることなくローロは飛び出し、無頼のタイミングを外して逆に弾き飛ばす。
無頼が距離を離された一瞬、ローロの胸元の『風天封剣』の模造品が煌めき、呪いが解かれてローロは本来の姿を取り戻す。
「《僕は森に火を放ち、光を与える》」
無頼の長刀が唸りをあげてローロに迫る。
エルフは魔力に富んだ種族である。魔道士として精錬された技法を修得しているララミーが、殊更に長い詠唱を口遊んでいるのだ。放たれる魔道術はアーデルハイドの簡略詠唱術で相殺できる代物ではない。
事態は切迫している。
ローロを切り捨て早々にララミーを処理しなければ、四人揃って手痛い被害を受けてしまう。
「《光は影を作り出し、闇は世界に広がる》」
渾身の一撃は『共鳴剣』で受けられる。あと一息で『亡霊挽歌』の切先もローロの首筋に食い込んでいたが、ギリギリの所で止まり弾き返される。
鍔迫り合いといかないのは、それだけローロの技能が優れている証拠だ。
ジンジンと手が痺れ、共鳴が眼球を震わせる。
後ろではアーデルハイドがラウトとカドカを呼び寄せ、魔導書を用いない通常の魔道術を使って身を守ろうと詠唱を始める。だが時すでに遅く、利用できる環境マナは殆ど残っていない。
「《森を越えて、世界を満たす》」
そして最後の一節を口遊み、ララミーの魔道術が完成する。
森を満たす環境マナは次々にララミーの身体に吸い込まれ、ダガーの尖端に収束する。
それはオリンピアの義体をズタボロにした時のミロシュの魔力量に劣らず、それだけの量が費やされた魔道術がどれほどの規模になるのかを知る無頼は身構える。
「目を塞ぎなさい! 急いで!!」
何がくるのか分からずに身構える無頼とは逆に、何がくるかを視ているアーデルハイドは、三人に注意を喚起する。
ラウトとカドカを屈ませてローブを被せ、自身は深く魔道士帽を沈める。
「追われていると知る僕が、何も対策を講じていないとでも?」
「ララミー!!」
「魔眼が殺したいのは僕じゃなくて彼でしょ?」
「なっ、まさか……」
「彼もいるから、是非きなよ。僕らの城にさ」
高笑いするララミーは、ダガーを真上に放り投げる。
その軌道を目で追い掛けた無頼は慌てて顔を伏せ、ローロを倣って後退する。視界の端には口惜しさを噛み締めるアーデルハイドの姿が映るが、今は手も口も出せない。
「じゃ始めようか――《ここは、嘆きの森》」
ダガーが頂点に達した時、ララミーの柔らかで冷たい声が響き、森の中に染み渡る。
そして、閃光。
無頼は腕で両目を覆っていた。しかし障害物を嘲笑うように白光が眼球を襲い、暗い瞼の裏が真っ白に染め上げられる。
光に痛みを感じたのは初めてだ。
数秒続いた光の奔流が止み、無頼は重い頭を振り目を開ける。
「……やられた!!」
無頼が辺りを見渡すとララミーとローロの姿はなく、それどころか真後ろにいた筈のアーデルハイドたちもいない。
冷静に、冷静にと努めて周囲と自分の置かれた状況を確認すると、どんな魔道術を使われたのかを即座に理解した。
「こんなことも出来るのか……」
ララミーの魔道術に強制排除された無頼は、驚愕に包まれていた。
広範囲制圧型や付与に倣って名付けるなら、移動型とでも言えようか。費やした魔力が膨大でも厄介な敵を強制排除でき、時には自身の緊急離脱に応用出来る。この魔道術は、とても使い勝手が良いだろう。
アーデルハイドが厄介と評しただけはある相手だと無頼は自身に言い聞かせる。
「…………」
幸運にも、『亡霊挽歌』は握ったままだ。
アーデルハイドたちと離れたことを鑑みるに、もしも魔剣を手放した状態で巻き込まれていたら、別々の場所に飛ばされていたのかもしれない。
「合流……する必要はないか……」
無頼は太陽の位置から目算で自分がどれだけ動いたかを計算する。僅かな物音をも聞き逃さないよう慎重に、アーデルハイドの言っていた敵の拠点に向けて歩き出す。
離れ離れになった今、通常なら水源を上れば辿り着ける世捨村に帰還するのが定石である。単独で森を突っ切る危険を冒すより、一度合流した後に再び侵攻した方が安全で確実だ。
だが無頼は、村へ帰らず先を進む。
散り散りになる直前、アーデルハイドの見せた様相とララミーの挑発染みた言動。
カドカを巧みに誘き寄せた時と同じだ。今度はアーデルハイドを誘い出し、単独でやってきた所を相性と数で削り殺す。
客観視出来る立場にいる無頼には冷静に分析も出来ようが、頭に血が上った当事者――カドカやアーデルハイドが冷静を保てる筈もなく、結果相手の術中に嵌るのは、ある意味仕方のないことである。
ガサガサ、と木の葉が揺れる。
どれだけ慎重に歩いても、地面落ちた枯葉を全て避けて歩くことは出来ず、必死に捩ったところで体は枝葉に接触する。
ましてここは敵方の勢力圏内。
敵と出会う確率は、散った仲間と出会うより遥かに高い。
「ぐ、ぉぉおおぉ……」
「邪魔だぞ」
無頼は屍コボルトの首を一振りで飛ばし、先を急ぐ。
数が多く打撃で落とせない屍コボルトは厄介な相手には違いないが、無頼やカドカのように一撃の鋭さを持っていれば対処は容易い。腐り始めて脆くなった首や腕の接合部分を斬り飛ばすだけで、屍コボルトは動けなくなるのだ。
「だから、あわよくば……と思っていたが……」
ガサガサと、森の中を激しく動き回る音が聞こえ、それが近づいてくる。
聞き覚えのある騒音を撒き散らせ、森を移動しながら戦う者を無頼は一人だけ知っている。
「カドカ」
「ちっ……無頼か……」
大鎌を携えたカドカが無頼の前に飛び出す。
今鉢合わせた二人と違い、アーデルハイドとラウトは屍コボルトに対して絶望的に相性が悪い。魔道術を使わなければならないアーデルハイドは多数を前に消耗を強いられ、ラウトの持つ短弓では屍コボルトが止まらない。
「あの二人は一緒じゃないのか?」
「それは俺が聞きたい。鼻も耳も、獣人なら人間の俺より利く。お前が探すべきは、単体の戦闘能力に乏しい二人の筈だ」
「あの魔道士は気配を絶っている」
「ラウトは?」
「…………」
無頼の責める視線を受け、カドカはしゅんと獣耳が伏せ言葉を詰まらせる。
他人のお家事情に口出しするべきではないと黙っていた無頼も、流石に呆れてしまう。
頑なにラウトを遠ざけるのは百歩譲っていいとして、この状況で意地を張り続けるのはラウトの生命に係わる。
見た目年齢はミロシュとそう変わらないのに、カドカは兎に角不器用で聞き訳が悪い。子供のように頑なで、自分の意思を曲げようとはしない。
それに関して呆れてはいるが、それ以上はない。誰もが自分のように割り切れる訳ではないし、ミロシュのように理解力を持っているのではないと無頼は知っていた。
些か度が過ぎているとはいえ、この不器用さもカドカの利点なのだ。
「関係を良好に修復しろ、とは言わない。だがカドカ、ラウトは歩み寄っているぞ。遠ざけてお前が得られるのは、一時の自尊心と果てのない後悔だけだぞ」
「……分かってる」
「分かっていない。お前の行動は、ラウトを見捨てているのと同義だ」
「…………」
「意地を張るな。お前が歩み寄らなくても、歩み寄ろうとするラウトの意思くらいは汲み取ってやれ。それだけでもカドカ、ラウトがお前を捨てることはないと分かる筈だ」
無頼はカドカを優しく諭す。
最初は何かと食って掛かって来たカドカも、今は無頼の言葉に耳を貸している。衝突して反発するだけなら、こんな関係は築けない。
無頼は自身の行動と言動に説得力を持たせた。それはカドカのように実直な人種が一番重きを置く事柄でもある。
子供が年長者の言葉を信じるように、無頼は相手に認識させずに上下関係を叩き込んでいた。
「ラウトと仲直りしたくはないのか?」
カドカは小さく首を振る。
「なら一先ずラウトを探して来い。探して、安全な場所に送り届けろ」
無頼は抜き身の『亡霊挽歌』を鞘に収め、半ば強引に会話に区切りをつける。
それに関してはカドカも異存はないらしいが、群青色の双眸はジッと無頼を見つめたままである。
「どうした」
「……無頼は、どうするんだ?」
想定していた通りの質問がカドカの口から零れ落ちる。
「アーデルハイドの助勢に行く」
無頼は迷わずそう言い切る。
カドカの瞳は揺れ動き、開きかけた口から飛び出す言葉は想像するまでもない。
面倒事を避ける為に無頼は懐に手を入れ、そこに忍ばせたある物を差し出す。
「ラウトを探して帰るついでで構わない。これをミロシュに渡してくれ」
「これは?」
「俺の日記だ。任せたぞ」
黒銀の頭髪をわしゃわしゃと掻き混ぜ、無頼はカドカに背を向ける。
ニコニコと微笑みながらも腹の底に何を隠しているか分からないベロニカや無口を貫き通すラウトと違い、感情をそのまま表に出してくるカドカは抜群に扱い易い。線路の上を走る列車のように、目的を定めるだけで一直線に進んでいく。
「……」
無頼は背中に熱い視線を感じていた。しかし振り返ることはせず、無頼は藪を掻き分け進んでいった。
振り向く先には面倒事が控えている。
折角カドカを遠ざけた筈なのにと無頼は訝しんでいたが、その疑問を解く余裕は残っていなかった。




