復讐の魔眼と嘆きの森
世捨村、とカドカの故郷は外の世界では呼ばれていた。
カドカは一度も森の外に出たことはない。
村に逃げ込んでくる者たちは皆何かに怯え、暗い目をしている。しかし口を閉ざしたものばかりではなく、幼く無邪気だった頃のカドカたちに外の世界の話を語って聞かせてくれた。良い思い出として、楽しかった体験だけを抜き出して。
周りの友人たちは残らず外の生活を夢見ていた。カドカも例外ではない。大人になったら街に出て、楽しいことをいっぱいしてやるんだ、と皆が口々に笑いあっていた。
「カドカ、話がある」
淡い希望は、父の言葉で真っ黒に塗り潰された。
七年前、カドカの十三の誕生日。
幼いラウトを寝かしつけた両親はリビングにカドカを呼び出し、冷たく言い放った。
「お前だけは村の外に出させない」
「出せない理由がある」
父親の真剣な眼差しがカドカを黙らせ、母親の悲しみがカドカを諦めさせる。
生まれながらに身を縛る太い鎖。目には見えず、カドカだけでなく両親すら雁字搦めに縛る血の呪い。
父親が請け負う役目は、長子のカドカが担わなければならない。
「墓守は、墓から離れてはならない」
カドカは、墓守の家に生まれた。
自らに流れる血からだけは、決して逃げられない。
「ふざけるなっ!」
カドカは叫び、父親から受け継いだ大鎌を振るう。屍コボルトが両断され、血飛沫で大樹の幹が斑模様に染まる。
しかし追えど殺せど、前を走る魔道士の背中に追いつけない。
カドカは憤りに任せ、立ち塞がる二匹の屍コボルトを切り裂き、その亡骸を踏みつけて走る。
全て、この大鎌が悪い。
カドカとラウトの両親は、十五歳のカドカに大鎌だけを残し家を出た。誰にも行き先を告げず、誰とも顔を合わせることもなく村を捨て、外の世界に旅立った。まるで全てをカドカに託した今、自分たちは呪縛から解き放たれたと言わんばかりに。
悲しみを諦めが覆い尽くし、わんわんと泣くラウトを見て初めて怒りを感じだ。
泣きたいのは私の方だ、とカドカは怒鳴り付けた。
ラウトは何物にも縛られていない。村を出ようと思えば、いつでも外の世界に飛びたてる。担う役割などない。両親のように、肉親を捨てる薄情さを手に入れればいいのだ。
「ごめん……なさい……」
謝るラウトを見て、カドカは胸を締め付けられる思いをした。
墓守として役割を残されたカドカと違い、両親にとってラウトを置き去りにする意味はないと気付いたのだ。
カドカは託され、ラウトは捨てられた。
それ以来、ラウトはカドカの前で涙を流さなくなった。口数が減り、誰かと接する機会も減り、一人で森に入ることが増えた。
カドカは墓守――村のリーダーとして毅然と振舞い、ラウトにも他の村人と同じように接していた。二人の会話は肉親と思えない程に事務的となり、未だに仲直りをする機会は一向に訪れない。
そして数日前、妙な魔道士が村を訪れ、宣戦布告した。
「この村は、僕の隷下に置かせてもらうから」
すらりとした長身に金髪碧眼、右目を覆い隠す銀仮面の真ん中にはギョロっと眼球が浮かんでいる。見た目から推し量る年齢は人間の二十代前半から三十前、どこか鼻につく雰囲気を纏ったエルフの魔道士だ。
その魔道士は背後の森に控えたコボルトを嗾け、村を襲わせた。
訳も分からず応戦し、一息ついた時には魔道士の姿は消え、怪我人とコボルトの屍だけが残っていた。
その後何度もコボルトが村を襲い、その都度退けた。
そして何度目かの襲撃の後、カドカはラウトが居ないことに気付いた。
活身魔道術の補助を受けているとはいえ、ララミーはカドカの身体能力を凌駕している訳ではない。条件が同じならいざ知らず、逃げ一辺倒で反撃と迎撃を屍コボルト任せにしているララミーに、屍コボルトの処理をしながら追うカドカは追い付けない。
ふらふらと逃げるララミーはカドカを挑発し、冷静さを失ったカドカは村を離れ、どんどんと森の奥深くへ入り込んでいく。
「墓守さん、僕のコボルト、全部キミ一人で倒したの~?」
「うるさいっ!!」
ララミーが笑い、カドカが怒鳴る。
カドカの苛立ちの原因の一端は、無頼が担っている。
両親が消えてから墓守の使命に没頭していたカドカに、無頼は忘れていた外の世界を意識させた。気に入らないと思う反面、やたらと強く、頼りになる存在にカドカは初めて感じた想いを募らせ、今は掻き消そうと躍起になっている。
ラウトが無頼たちを連れて来た事実も、癪に障る。
「あははっ、やっぱり違うよね! 墓守さん、粋がってるだけで実は弱いんだもん」
「逃げてるお前がそれを言うのか!」
「逃げてる?」
ララミーの笑い声が途切れ、その場でくるりと身を翻す。
このままでは勢いを付けて迫るカドカとの衝突は避けられない。カドカの振り上げた大鎌の刃は鋭く、コボルトより華奢なララミーが受けたら一溜りもない。
「僕はね、誘い出したんだ」
ララミーが邪悪な笑みを零し、物陰から飛び出した人影がカドカの大鎌による斬撃を受ける。
「やらせねーですよ」
「な……にっ!?」
飛び出してきた人影は少女で、体格はラウトと同じくらい小柄な相手である。
しかし見た目とは裏腹に、少女はコボルトを両断できる一撃を地に足を着けて踏ん張り、難なく弾き返している。
カドカは慌てて距離を取り、相手の出方を窺う。
「ララミー、おせーですよ」
「ごめんね、ローロ。僕が本気で逃げちゃうと、どうなるか分かるでしょ。折角賢者の作った生簀から獲物を釣り出したのに、僕を見失ったら生簀に戻っちゃうよ。本当は僕らだけでも何とかなりそうなんだけど、ローロに会いたくなって、呼んじゃった」
「私は別に会いたかないんですが、はあ……、もういいです」
ローロは溜息を吐き、気色悪い言葉遣いの男性魔道士から目を逸らす。
少女の背丈しかないローロは、すらりと縦に長いララミーと並ぶと更に小さく見える。ひらひらとフリルのついた、俗に言うメイド服なる服装は小柄な体格を可憐に飾り立てるが、森林内での動作性はあまり期待出来そうにない。
「それで、アレが殺して欲しい相手でありますか?」
ぎょろりとローロの双眸がカドカを捉え、強い光と魔力が宿る。
異種族間の子供は母の種族的特徴を受け継ぐのが通説だが、父方がエルフの場合のみ、子供にもエルフの特徴が混ざることが稀にある。少女にしか見えないローロは小人族とエルフの両親の血を引く戦士である。幼い外見以上に歳を重ね、ララミーと同じ笹穂耳には栗色の髪の毛が掛かっている。
発散する殺気と体格に不釣合いな大剣は、ローロの力量を如実に表していた。
「……っ!」
対人経験の薄いカドカでも、この状況では引くべきだと理解していた。
必殺の一撃を難なく防ぐ前衛の戦士に加え、多くの手駒を操り今だに底の見えない後衛の魔道士までも相手にしなければならない。
一対二。
誰がどう見ても、状況はカドカに不利である。
「逃がすと思うかい? 《僕は狂人。狂人は歌い、皆を踊らせる》」
半歩体を引いたカドカの動揺を見逃さず、ララミーは詠唱を唱える。
ガサガサと藪が揺れ、周囲に腐った獣臭が満ちる。俊敏に移動しながら大鎌を振るカドカにとって、包囲され数で押されるのが何よりも辛い。
「この程度で、私を殺せると思っているのか?!」
カドカは強がり、自身を鼓舞する。
「思ってねーですよ」
しかしローロはマイペースにカドカの強がりを肯定する。
「私はララミーみたいに悪趣味じゃねーんで、相手を侮りはしません。強敵でも有象無象が相手でも全力で挑み、首を飛ばして息の根を止めてさしあげます」
「……なら、もっと普通の服装でくるべきだ!」
「服装は関係ねーです!!」
大剣を地面に叩き付け、詠唱する
「《目覚めよ、共鳴剣》」
ローロの持つ魔剣『共鳴剣』に魔力が漲り、空気が揺れる。
「ララミー、手を出さねーでください」
「……もし出したら?」
「絶交です。二度と口きかねーです」
ピクリ、とカドカの獣耳が震える。
視界が微動していると気付き、慌てて大鎌を握り直す。
違和感が増し、カドカは何度も頭を振り、似た状態を思い出す。
(疲労、高熱、空腹、水分不足……、そういえば、朝から一滴も飲んでない……)
カドカは喉の渇きを意識するが、手の平にかいた汗は引かず、返ってじっとりと大鎌の柄を滑らせる。
大鎌の重さが躰の芯をずらしているかもしれないと持ち替えてみるが、やはり違和感は拭えず身体に残っている。平衡感覚が狂い、体が無意識に揺れる。
「そろそろ、効いてきたみてーですね」
その言葉を聞いて初めて、カドカはローロとララミーが自分を凝視していたことに気付く。ローロの先手は、周囲に満ちるララミーの魔力を使い上手に偽装を施されていた。
詠唱は魔剣に魔力を満たす為に行ったのではない。
「死んでください!」
「……っ!」
小柄なローロが駆け寄り、大剣を振るう。
自身の背丈並の得物を振り回すだけあり斬撃の速度は遅く、本調子とは程遠いカドカでも容易に防ぐことが出来た。
キィィィィン!
しかし大剣を大鎌で受ける度、金属同士が擦れ合う音が耳の先から爪先までを突き抜ける。一度身体を揺らした耳鳴りは反響を続け、カドカに負荷をかける。
鼓膜が常に震え続け、三半規管の異常をはっきりと認識出来るようになった頃、カドカは敵の扱う魔剣と、その狙いに気付く。
「くっ……!」
耳鳴りが止まない。
ローロの振り回す魔剣『共鳴剣』は切れ味に乏しい。
しかし打ち付ける毎に刀身が震え、些細な振動が生まれる。それが攻撃でも防御でも、『共鳴剣』は当たれば震えるのだ。
耳元で何度も鳴らされた共鳴は、容易に相手の平衡感覚を奪う。鋭敏な感覚器官を持つ獣人なら尚更だ。
「おしまいですか? 手応えがねーですね」
「……うるさいっ! うるさああああああああああいっ!!!!!」
カドカは咆え、間合いの外にいるローロに向けて大鎌を横薙ぎにする。
二メートルの鉄棒に曲線の両刃を備えた大鎌は、ローロの魔力と『共鳴剣』が埋め尽くしていた音塊を切り払う。
全て、とはいかないが、カドカを苦しめていた耳鳴りの多くが霧散し消えていく。
「ダメだよ、ローロ。その大鎌は封剣の一振りだよ」
屍コボルトを侍らせ遠巻きにするララミーが注意を投げる。
「そんな、聞いてねーですよ!」
「知っての通り、七遺魔剣の方は抑えてるけど、残りは、ほら」
脳天目掛けて振り下ろされた大鎌をローロは間一髪で受け、魔力を帯びた振動が広がる。
ふらふらと芯の定まらない状態で、再びカドカは大鎌を叩き付ける。ローロの『共鳴剣』が甲高い悲鳴をあげ、カドカな華奢な身体を襲う。
「ああ、ああああっ!!!」
興奮状態に精神を置くことで、カドカは躰の不調を誤魔化していた。
本質はウィナーが使った狂化魔道術と変わらないが、魔力の流れが未熟なカドカが魔道術のような強化を得ることは出来ない。
けれども本能に任せて繰り出す太刀筋は速く、間合いは広く届きローロを逃がさない。
叫び声は『共鳴剣』が放つ悲鳴に混ざり、纏めて大鎌に切り裂かれる。
霧散する魔力の殆どは、ローロが魔剣に籠めた魔力である。
ローロは溜息を吐く。
カドカはあれだけ『共鳴剣』と切り合って尚、戦闘を継続している。普通の獣人なら、動くどころか立つことすら儘なら無い程の負荷だ。
「めんどくせーです」
直線的なカドカの攻撃は、防ぐのも容易い。厚く太い『共鳴剣』は攻撃よりも防御に向いた魔剣である。防御がそのまま相手の感覚を狂わせ、攻撃を受け続けるだけで相手は弱体化する。
だがカドカは止まらない。この勢いが続けば防御は綻びを見せ、大鎌は必ずローロの首元に届く。
「使いたくねーですが、仕方ねーです」
大剣を振り抜きカドカを飛ばしたローロはメイド服の胸元を弄り留め金を外し、その奥にある黄金に輝く小さな鍵を取り出す。
「《門を開けよ》」
鍵をを自身の胸元に差し込み、詠唱を唱える。
ローロの持つ鍵は、立派な魔剣の一振りである。七遺魔剣に名を連ねる『風天封剣』――通称『ソロスの封剣』の模造品である。精巧に作られた黄金の鍵は模造品でありながら魔剣としての性質を受け継ぎ、一瞬の煌めきだけならば本物に劣ることはない。
「まったく、この姿は疲れんですよ」
鍵穴から漏れ出した魔力はローロの躰に収束し、大人の姿に変質させる。
「さて、と」
魔力の奔流が治まると、そこには長身痩躯のエルフが立っていた。
ローロだ。
長スカートのロリっ子メイドが、ミニスカ生足で胸元を開いた妖艶なメイドに早変わりする。
確かにローロの両親は小人族とエルフであるが、父は小人族で母はエルフ――世界の理に則って、エルフの特徴しか継いでいない。幼い姿は昔の仕事の際に掛けられた呪いであり、解除するには『風天封剣』の力を借りるしかない。
「それじゃ今度こそ本気の本気ですんで、早めに死んじゃってください」
急成長――ではなく本来の体躯を取り戻したローロは、飛び込んで来たカドカを大剣の一振りで弾き飛ばす。
カドカの躰が足跡で溢れた地面を跳ね、以前より強く鋭い共鳴が鋭敏な感覚を蝕む。
「ふーっ、ふーっ!」
大鎌に身を寄り掛からせカドカは立ち上がる。
歯はガタガタと揺れて噛み合わず、身体はとうの昔に限界を超えている。ぐにゃぐにゃと曲がる視界には、銀色の大剣を振り翳すエルフの姿が、やはり歪んで浮かんでいた。
ギィン! と、カドカの体を支えていた大鎌が弾き飛ばされ、支えを失ったカドカは倒れ込む。
淀む意識の中で尚、カドカの戦意に陰りはない。けれど体が意思に反して動かない。立ち上がろうと足に力を入れようとすると何故か右手が動き、瞼を覆う。
立ち上がり戦おうとする意志はあるのに、カドカの体は涙を流すばかりである。
「誰も最期は、そんなもんですよ」
ローロはカドカの躰を跨ぎ、細い首筋に魔剣を突き立てようと力を籠める。
「――ちぃっ!」
突き立てんとした瞬間、木々の合間から現れた影がローロ目掛けて襲い掛かる。
咄嗟に『共鳴剣』で躰を庇ったローロは横合いからの一撃を受け、二転三転と大地を転がる。メイド服は泥と枯葉に塗れ、『共鳴剣』はギィギィと悲鳴をあげて止まない。
「何者でやがりますか!」
長躯の闖入者に大剣を向け、ローロは叫ぶ。
その誰何は闖入者――無頼に向けると同時に、自分を呼びつけたララミーに対するものであった。
ローロの疑問をララミーは真っ向から受け止める。だが無頼の存在はララミーにとっても完全に想定外であり、口を開いても答えを紡ぎ出すことはしない。
代わりに、無頼の目尻が動く。
「――――見つけたぞ!」
髑髏マスクを着けた無頼はニヤリと口角を釣り上げ、強敵との遭遇に喜び震える亡霊たちと共に『亡霊挽歌』を横薙ぎにする。
刃渡り一メートルを超える長刀は、この場に満ちた『共鳴剣』の魔力を食い荒らす。ジリジリと膨大な魔力に侵食され、世界に普遍的に存在する環境マナすら薄れていく。
「こいつは……、やべーですね」
たった一人、無頼のの乱入で場の空気ががらりと変わった。
じわり、とレースの手袋にはローロの手汗が滲んでいた。




