亡霊と無頼④
森に染み渡る夜霧を払いながら無頼は足を動かす。木の枝を踏み降り、靴の爪先が弾いた小石が川原を跳ねる。びっしりと苔に覆われた小石は音も立てずに転がり、川に沈む。
「…………」
一行は黙して進む。
木の葉の揺れすらない。静謐な森には五人分の足音だけが響き、それだけで充分な存在感を周りに知らしめていた。太陽すらも寝静まる時間帯、灰色熊やコボルトが動き回るまでは充分の猶予がある。
村を出て二日目の晩にアーデルハイドは全てを語った。
自分が戦う理由。娘を連れて来なかった理由。アーデルハイドが復讐を誓った相手と、彼らが賛同し参加する『星屑の棺桶』たる組織。そこに死闘に巻き込んだ謝罪を添えて。
「どう思う?」
無頼もまた、アーデルハイドに尋ねた。
外での野営には必ず不寝番が必要となる。幼いベロニカとラウトを除外し、精神力の消費が激しいミロシュを温存する意味も込め、無頼とアーデルハイドが不寝番を請け負った。もっとも無頼は早めの仮眠を取り、月が最も高くなる前に変わったのだから、殆ど無頼一人がその役割を担ったといっても過言ではない。
「私には判断出来ない」
そして代わる前に投げた無頼の質問に、アーデルハイドは困り顔を浮かべた。それ以上は何も返さず目を閉じたのだから、無頼としては諦めるしかなかった。
ミロシュやベロニカには相談できない。部外者のアーデルハイドからしか答えを得られない問い掛けだが、明確な答えは得ることが出来なかった。
本当は自身の中に答えを見つけている。だが、最後の一歩を踏み出せない。
アーデルハイドには、悩む背中を押せないと拒否された。
「そろそろ、村に着く」
闇夜で瞳を光らせ、ラウトが静かに告げる。
ウォルデン村から徒歩で約二日、ついに世捨村の勢力圏に一行は踏み入れた。
一直線に森の中を突っ切った甲斐もあり早々に辿り着けたが、正規の道を通るなら四日は掛かる道程だ。
ラウトはそわそわと落ち着かない様子だ。頻りに辺りを見渡し、頭上の三角耳をピクピクと動かしている。ベロニカも似た反応を見せ、不安げに深緑の森と緩やかに流れるせせらぎを睨んでいる。
「灯り、つけましょうか?」
しかしベロニカが落ち着かない原因は、目的の村が近いこととはあまり関係がない。
神経質になる獣人二人に対しミロシュが提案する。ラウトはどちらでもいいと無言を返し、ベロニカは必死に首を横に振る。
ミロシュの心遣いは有難いが、辺りは既に月明かりが薄らと照らしている。
いや、照らしていなくても分かる。
一行の進む道程に待ち構えるのは、咽返る程の血と腐敗の臭い。
川原に並ぶのは夥しい数のコボルトの死体であり、死肉を漁りに来た野犬の死体であり、点々と転がる無惨に引き裂かれた人間の死体である。それらの死体の多くは川上から流れ着き、川上にはラウトの村がある。
コボルトは決して強くはない。棒切れ程度なら扱えるが、弓や槍を扱える知能はない。それこそ装備が整った騎士団と衝突したら、一方的な虐殺になる。
しかし装備の整っていない村の自警団と衝突した時は、そうはいかない。コボルトは兎に角数が多い。一対一なら素人でも食い下がれるだろうが、一対三、一対五と囲まれたら犠牲者は増すばかりだ。
「それにしては、コボルトの死体が多いな」
川原に散らばるコボルトの死体を無頼は訝しむ。
世捨て人が集まる村だが無抵抗ではないとラウト自身も言っていたが、それでもコボルトの死体が多すぎる。それこそ自分たちの助けは要らないのではないかと思ってしまう程、川原は死体で溢れていた。
(世捨て人の村だけあって、そういう経歴の持ち主も含まれているのか……?)
元軍属や傭兵の世捨て人が指揮を執ったなら、素人集団でも少しはマシになるのだろうかなどと考えながら、無頼は足元に転がるコボルトの死体を足で引っ繰り返す。
そして、即座に考えを改める。
コボルトの躰に刻まれた傷痕は新しく、無頼同様、一太刀で無力化したのが分かる。世捨村には相当の使い手がいるのだろう。血の乾き具合を見るに、夜通し戦っていたのかもしれない。
ぐちゃりと熟れた果実のように、踏んだ死体が音を立てる。
「にゃっ!!」
「あ、悪いローニャ」
ビクンと肩を震わせたベロニカは無頼を睨む。恐怖で震える唇を噛み締め、金色の瞳には涙を滲ませていた。
「ぶ、無頼、気を付けてよ!」
戦場で物怖じしないベロニカだが、今のような状況――無頼の世界でいう、ホラー映画のような状況――に足を踏み込むと、途端に震え上がるのだ。勇ましさや陽気さは鳴りを潜めて臆病が前面に表れ、ただガクガクと震える置物と化す。
「幽霊船とか、暗闇の墓場とか、兎に角こういうのダメにゃんだから!」
そろそろ三つの月が地平に沈み、太陽が顔を出す頃合いだ。真夜中より暗く、足場が悪い川原を歩くのも辛くなる。川原だから死体が積み重なっているのか、森にも同様に転がっているのか判断出来ない現状、ここから森の中に入るのは躊躇われる。
ベロニカは怯えを隠さなくなりミロシュの傍から離れようとしない。細い尻尾を太腿に巻き付け、耳はぺたりと伏せている。
「ふにゃあっ!!」
ベロニカが再び悲鳴をあげる。
ピンと尻尾を立てたベロニカは走ってその場から離れ、無頼の背中に隠れる。
ガクガクと全身で震え、巻き込まれた無頼も同じように細かく震える。
「にゃ、にゃ、にゃ!」
「落ち着け。どうした?」
「にゃにかいる!! 足に触った、動いてた!!」
そして自分が元いた場所、ミロシュの足元辺りを指差し必死に叫ぶ。
ミロシュはギョッとして足元に目を向けるが、薄暗くて何が居るかは分からない。
「ミロシュ、これを使いなさい」
魔道術で灯りを点そうとと口を開いたミロシュに、アーデルハイドが魔石灯を投げて寄越す。
ミロシュの魔力に中てられた魔石灯は見る見るうちに輝きを放ち、足元と周囲を照らしていく。しかし川原は照らす前と何も変わらない。ただ傷だらけの死体が転がっているだけだ。
「ローニャ、驚かせないでくださいよ」
ホッとミロシュは胸を撫で下ろす。
しかしミロシュ以外の四人は、唖然と口を開いてミロシュを囲む状況を眺めていた。
「ミロシュ!!」
無頼が叫び、ミロシュが気付く。
川原に投げ出されたコボルトの躯が、ぬらりと立ち上がる。傷だらけの躰を魔力灯の薄明りに晒し、手足が歪に曲がっている個体もいる。そして最初の一体に呼応するかのように次から次へ、赤黒く濁った血を流すコボルトが起き上がり、五人に向かってくる。
「ぼさっとするな!」
ミロシュの隣を駆け抜けた無頼が、『亡霊挽歌』を振るう。
一振り目で一体を叩き潰し、返しの突きで背後から迫るもう一体を突き飛ばす。
紫の刀身は出ていない。
鞘に納めたのまま、無頼は当座の危機を乗り切るつもりであった。
「《三ページ、一章、七行目》」
無頼の動きに呼応して、魔導書を取り出したアーデルハイドが詠唱を終える。
アーデルハイドを中心とした風魔道術が夜霧を吹き飛ばし、足元が覚束ないコボルトたちを転倒させる。
けれどもコボルトたちは踏み止まる素振りすら見せない。転がる者は転がり、転がらない者は漫然と歩を進める。一目で、異様だと分かる相手だ。
「無頼!!」
後続を振り払う無頼に、ベロニカの声が届く。
「斬られた奴は起きてない! 魔剣で斬って!!」
「切傷だらけだぞ!」
「首とか足とか、その辺り!」
確かにベロニカの言葉通り、首や足のないコボルトは起き上がってこない。ピクリとも動かないのを見るに、起き上がり対策にはなるのだろう。
だが、無頼は『亡霊挽歌』を抜くのを恐れていた。
妖刀のようだ、と無頼が最初に抱いた直感は正しかった。
無頼にしか聞こえない亡霊たちの囁き、柔らかな鋼なら断ち切れる圧倒的な切れ味、心身を侵す麻薬のような膨大な魔力――まるで無敵の力を手にしたかの開放感を与え、心身を底なし沼のように捉えて離さない。
敵兵にドラゴン、無頼は立ち塞がる相手を何人も『亡霊挽歌』で斬り伏せてきた。しかしその最中、先のコボルトを切った時のようなアプローチはなかった。
何が原因で、何が足りなかったのか。
それが分かるまで、無頼は『亡霊挽歌』を抜かないと誓っていた。
「無頼、なんで抜かないの!?」
驚愕するベロニカの声を無視し、無頼は屍コボルトの大腿骨を砕き、予備の短刀で喉笛を掻っ切る。
無頼の戦い方に違和感を覚えたのはベロニカだけではない。参戦したミロシュにアーデルハイド、ベロニカと背中合わせに戦うラウトまで、鋭さを棄てた無頼の戦い方を訝しんでいた。
それでも一匹、また一匹と数は減っていく。傷付き脆くなった屍コボルトの躰は無頼の蹴りで簡単に崩れ、川に放り投げられるとそのまま岸に辿り着けず流されていく。
「キリがありません!」
無頼の元に戻って来たミロシュが苛立ちを漏らす。ミロシュは森の中で振り回せない短槍を持ってきていない。その代わりに手にしているのは川の水を魔道術で固定化した水剣で、透明な刃は屍コボルトの血を吸い赤黒く濁っている。
無頼の代わりに屍コボルトの首を刎ねたミロシュは、いつもより手間取る無頼を見て叫ぶ。
「師匠に渡されたマスクは! 何故着けていないんですか!!」
そこで初めて、無頼は気付く。街中の戦闘で着けていた髑髏マスクが、ただ素性を隠す為だけに渡されたモノでないということに。
確かに二千年以上生きているサクラメントなら『亡霊挽歌』の対策を持っていても不思議ではない。寧ろ弟子を想うなら、弟子のツレの不安要素を取り除くのは当然だ。
「すまん、ちょっと任せる」
無頼は前線をミロシュに預け、懐を探る。
どれだけ無力化しようと、屍コボルトの頭数は一向に減る気配がない。森の中から次から次にわらわらと湧いてくる。十五匹前後から始まった戦闘も、今は五十匹に届く大乱戦になっていた。
このままでは数に押し込まれる。
口にこそしないものの、誰もが嫌な予感を抱いていた。
「にゃっ、また何か来る!」
「速い、気を付けて」
無頼が髑髏マスクを装着し終え『亡霊挽歌』に手を掛けたその時、ベロニカとラウトが同時に叫ぶ。
コボルトや灰色熊ではない。ガサガサと森を揺らし、暁を背に旋風のように鋭い影が躍り出る。
「――――ッ!!」
槍のような大鎌を手にした人影は、瞬く間に屍コボルトの四肢を斬り裂き川に突き落としていく。竜巻のように苛烈な刃は無差別に乱戦の中を掻き乱し、無頼の『亡霊挽歌』に受け止められて初めて止まる。
暁に黒銀のポニーテールが反射し、無頼の目が意図せずそれを追う。
切れ長の目を始め凛々しい顔立ち、すらりと細くてしなやかな体付き、そして活発さを後押しするように揺れるポニーテール。
我が身に迫る大鎌がなければじっくり観察も出来たのに、と無頼は落胆する。
「ほう、止めるか!」
「俺じゃなければ死んでたぞ」
群青色の瞳を揺らす獣人は、石突で地面を叩き後方に跳躍する。待ち構えた屍コボルトを一振りで斬殺すると、無頼に向けて大鎌を構える。
魔剣を抜いた無頼と大鎌を構えた獣人女が睨み合う。
一触即発。
ミロシュやベロニカ、アーデルハイドは固唾を飲んで乱入者の出方を窺い、大鎌の乱舞で数を減らした屍コボルトは大鎌の獣人から逃げるようにして森の中に消えていく。
「姉様!」
その中で一人、ラウトが叫ぶ。
黒ずんだ銀髪に群青色の瞳、確かに目の前の獣人はラウトと同じ特徴を持っている。顔の造りも良く似ている。ラウトの無口を厳しさに置き換えたと思えば、これほど似ている兄弟はいない。
「ラウト、何しに帰って来たの!!」
ラウトの姉、カドカは強くラウトを拒絶する。
だがその言葉を発する直前、瞳の群青色に安堵が浮かぶのを無頼は見逃さなかった。




