亡霊と無頼
鮮血が吹き出し、灰色熊の絶叫が森に轟く。
片腕を斬り落とされた灰色熊は痛みで狂い、涎を撒き散らして目の前に立つ人間を威嚇する。
この森には体長三メートルに達する灰色熊の天敵はいない。
オークやゴブリン、森に居ない筈のコボルトが棍棒を手に何度も立ち向かってきたが、その都度鋭い爪は彼らの肉を裂き、森を真紅に染め上げ、大地には血の海を広げていった。
森の王者である灰色熊の競合者と呼べるのは、防壁を築き自分たちの領域から出て来ないヒト種だけである。
そんなヒト種も、今は踵を返し、最後は爪牙に掛かり死んでいく。
だが、この人間は違う。
灰色熊は踵を返して魔剣の凶刃から逃れようと森に逃げ込む。
ぬらりと煙のように立ち上がった人影は大きく、実際の輪郭を太線でなぞるかのような存在感を保っていた。髑髏マスクを着けた表情は一切乱れず、手にした紫色の刃はどんな爪より鋭く、そして深く斬れる。
厚い毛皮や強かな筋肉の防具など何の役にも立たない。事実、彼の腕は一振りで斬り飛ばされていた。
あの人間は恐れていない。
振り下ろされる爪に恐怖を感じていない。威嚇を微風のように受け流し、突進には何の躊躇もなく返しの刃を合わせてきた。
ピューイ、と指笛が森の深い側から聞こえてくる。
灰色熊は狩人が良く使うその音色に誘き寄せられやってきたのだ。
しかし今は報復などまるで頭には無く、兎に角自分を狩り出している集団から逃げることしか考えていない。本能的に指笛とは逆方向に足を走らせる。
そこにヒュン、と風を切って矢が飛来する。
木々の合間を走っていた灰色熊は目を射抜かれ転倒する。鏃は眼窩を抉り脳に達していたが、灰色熊は持ち前の生命力で再び逃げ出そうと立ち上がる。
木々の合間に影が蠢く。弓を構えた獣人の少年ラウトが、姿を隠し離脱するのを灰色熊は残った瞳で追う。
追って、自分が追われていた現実を覆い隠してしまった。
「人の味を覚えた獣を生かしてはいけない」
立ち上がった灰色熊の脛裏に『亡霊挽歌』の切先が届き、灰色熊は倒れる。ドスンと森が揺れ、足の痛みを認識する前に首が斬り飛ばされ転がる。
灰色熊が最後に見た光景は、沢のように血を流し続ける自分の胴体と、その脇に立つ髑髏マスクの人間であった。
狩りを始めて半日が経過した。
一行は朝早くに村を出ていたが、先行した無頼とベロニカ、ラウトの三人は、予定通りに日の高い内にウォルデン村まで戻って来た。
数日は森に慣れる為、そして近隣を一掃して雇い主の安全を高める為にウォルデン村周辺に留まる予定である。
半日で倒した灰色熊の総数は七匹、二メートル以上の大型が三匹にそれ以下の中型が四匹だ。今日は残らず無頼が首を刎ねて殺し、ミロシュとアーデルハイドの魔道士組は積極的に接敵することなくバックアップに徹していた。負担の殆どを前衛の三人が受け止めた形となる。
組織は役割を細分化、分担することで効率化を図ることが出来る。
灰色熊の索敵と誘導をベロニカとラウトが、誘導された灰色熊を無頼が討ち取り、その亡骸をミロシュとアーデルハイドが調査、そして回収用の目印を付ける。
一番危険なのはベロニカとラウトの二人だが、ラウトは森に生まれた獣人で、ベロニカも器用にラウトを真似て適応を果たしていた。
気付き気付かれ、後は全力で逃げればいい。
獰猛で鼻が利く灰色熊は、逃げる相手を本能的に追ってくる。
「ローニャ、ラウト、お手柄だ」
「えへへ」
そう褒める無頼は、笑顔を浮かべるベロニカの頭を撫でる。獣耳の付け根を中心にわしゃわしゃと、多少力強く掻き混ぜた方がベロニカは喜ぶと無頼は知っていた。
耳や尻尾だけでなく、こんな所にも動物的な感性が残っているのだと無頼は考え、どうにも複雑な思いを抱く。
獣人は人間と動物、二つの種を跨る存在だ。ベロニカ当人が気にせず喜んでいるのだから、無用な考えだと無頼も分かっている。だがそれでも、人間と同じように喋り笑うベロニカを動物と重ねてしまうのは気が引ける。
「……ん」
ちょんちょんと、そんな無頼の袖を引く者がいた。
「…………」
「どうした?」
「……ラウトにも」
「撫でて欲しいのか?」
「(コクリ)」
真っ直ぐな瞳で頼まれては無頼も嫌とは言えず、仕方なくベロニカと同じようにラウトの頭を撫で始める。細く真っ直ぐな銀髪は無頼の指の間を流れ、三角の獣耳はベロニカと同じように短く柔らかな毛に覆われている。極上の手触りだ。
(何をしているんだ、俺は……)
止め時が分からない。
頭を撫でられるベロニカとラウトは表情を蕩けさせ尻尾を振り、無頼は戸惑いを感じながらも腕を動かし続ける。
二人の幸せそうな顔を見るのは嫌じゃないが、それはそれ、これはこれである。まだ幼い二人の頭を撫で続ける成人男性――この絵面は、あまり人に見られていいモノではない。
(しかし、これは癖になりそうだな……)
柔らかな手触り、敏感な反応、普段は見せない従順な姿。
どれもこれもがゆっくりと骨を溶かし髄を蝕む、静かな破壊力を秘めている。
「無頼さん、何をやっているんですか」
ドキリと無頼の身体は固まる。
恐る恐る振り返ってみると、そこにはミロシュが立っていて、呆れ顔を浮かべている。無頼は唾を飲み込んで動揺を消すと、何事もなかったかのように開き直る。
「二人の頭を撫でている」
「…………」
「よ、よくやったから、そのご褒美に……ダメか?」
汗が頬を伝い、頭を撫でる手が止まる。
上目遣いのベロニカとラウトは何故止めたのかと不思議がっているが、無頼は身の潔白を示す為に小さく両手を挙げて降参している。
「はあ……、ダメではないですが、無頼さん、絵面が酷すぎます。知らない人が見たら、ソッチ趣味の人だと勘違いされますよ」
「……なっ!」
「まったく二人とも、折角の綺麗な髪の毛がぐしゃぐしゃですよ」
「ふにゃああ……ミロも上手だよぉ……」
妙な容疑を掛けられ沈む無頼に代わって、ミロシュがベロニカとラウトの髪の毛に手を入れて整える。
うっとりと受け入れる二人の姿を見た無頼は、実は誰でもいいんじゃないのかと呆れ果てるが、ミロシュ自体に撫で回したい願望はなさそうで、両者の間には埋めることの出来ない温度差が広がっていた。
残念そうにするベロニカとラウトに、ミロシュは村の人たちが軽食を用意してくれていると伝える。散々動き回って腹を空かせていたベロニカは忽ち目を輝かせ、ラウトの手を引いてミロシュの指差した方向へと走っていく。
「それで、手応えはどうでしたか?」
「熊の?」
「熊以外に何があるんですか」
「いや、……。まあ、熊狩り自体は容易かった。普通の野生動物並みの知能で、普通の熊並みの動きをしていた。ただ警戒心が薄くて凶暴だ。どうにも慣れた感じがする。何度か人を襲っているのは間違いない」
「そうですか……」
「ミロシュの方は?」
「私の方も特筆すべき点はありません。私とアーデルハイドさんが一匹ずつ、小熊を倒したくらいですね。周囲に獣の影もなさそうだったので、死体の回収は村の人たちに任せています。ロックさんとアーデルハイドさんの弟子さんが護衛に回っているので、被害が出ることはないでしょう」
ミロシュの言葉からは少しだけ物足りなさが感じ取れる。
「お前も前線に出たいのか? そんなに欲求不満なら、明日は俺と代わるか?」
「馬鹿言わないでください。私には一撃で首を落とせる筋力なんてないんですから。それと欲求不満ではないんですが、ちょっと複雑で……」
ミロシュは大きく溜息を吐き肩を落とし、無頼が理由を尋ねるより早くミロシュが口を開く。
「かなり、売れるらしいんです」
「売れる?」
「灰色熊の毛皮や爪などです。内臓は薬の材料に、肉も冬を越す貴重な食糧になるそうです。具体的な額は聞いていませんが、アーデルハイドさん曰く、報酬をまるっと取り戻せるくらいにはなるらしいです」
「ああ、そのことか。態々村の近辺から念入りに駆除していってくれと頼まれた時から俺は気付いていたぞ。なんだ、体良く使われるのが嫌なのか?」
「そうじゃないんですが、……いえ、そうですね。危険を負う私たちとは別に彼らが利益の殆どを得るなんて、少し納得できないのかもしれません。私たちに支払う報酬は、村人の安全の為だけに払ったんじゃないと思い知らされた気がして釈然としないんです」
軽く頭を振るミロシュを見て無頼は苦笑する。
「もっと報酬を寄越せ、と言いたい訳じゃないのは分かる……が、それは気にするだけ無駄だと割り切るべき事柄だな。他人の損得を軸に考えるのではなく、自分の労働と対価が釣り合っているかどうかで判断するべきだ」
ミロシュは何も、本当に不平不満を抱えていたのではない。ふと気づいてしまった他人の儲け話を誰かに話して楽になりたかっただけである。
それは愚痴のようなモノで、こうも本格的な返事をされると黙るしかない。
ミロシュは共感を得ようとそれを口にした。本気のアドバイスなど、別に欲してはいないのだ。
「どちらにせよ、明日も午前中周囲の森に入ることには変わりない。午後から旅支度をして、明後日森の深部に向かう。問題は?」
「ありません。無頼さんはいつも正論で、判断を誤ることなんてありませんから」
「拗ねるなよ、ミロシュ」
「拗ねていません」
ミロシュはソッポを向いてしまい、無頼は肩を竦める。
「どうしたのかな、痴話喧嘩?」
「えへへ、男一女二の旅だから色々あるんだと思ってたけど……、そっちでくっ付いてるんだ」
「違うぞ」
ベロニカとラウトが向かった先からやってきたアーデルハイドと弟子のクララが二人の様子を見て笑う。それに対して無頼は即答し、ミロシュは密かに不服を込めて頬を膨らませる。
「何の用だ、アーデルハイドさん」
「アデルかハイジでいいと言っているだろうに。それと無頼は私とそんな歳が違わないと思うが……まあ、筋骨隆々の男の年齢など外見から判断出来ないかな」
「アデルさんこそ、そんな大きい娘がいるのに若々しいな。年齢を迂闊に訊けない分、女の方が厄介だ」
アーデルハイドはニヤリと口元を上げ、無頼はふんっと鼻を鳴らす。
アーデルハイドの隣ではクララが目を見開き、ミロシュもまた、無頼の言葉の意味を理解して驚いていた。
「アデルさんとクララさんが母娘……なんですか!?」
「ああ」
「凄い! 母さん、こんな早く見破られたのは初めてじゃないかな?」
「そうだね、クララ。知られないようにと行動を別けていたのにねえ……」
「参考までに理由教えてくれない? 次までに修正して、もっと完璧に擬態しとくから!」
クララは歯を見せて笑い、瞬間アーデルハイドの左目が正面の無頼とミロシュから外れて僅かに表情が強張る。
無頼はその些細な変化を見逃さず、けれどアーデルハイドに配慮してクララの要望を突っ撥ねる。
「教えないぞ」
「ええーっ!」
ローブや帽子で輪郭や髪型を隠したアーデルハイドから、外見的特徴をクララに結び付けることは難しい。しかし瞳の色に瞼や唇の形は意識してみれば誰でも分かる程に酷似している。歩き方や喋り方の癖は師弟関係を結んで長い時間を共にしていたと考えると根拠足り得ない。クララがアーデルハイドを"師匠"と呼ぶ時の詰まり具合もあるにはあるが、それだけでは推測のままで確信には至らない。
「助かるよ。この子にはまだまだ勉強させたくてね」
アーデルハイドは安堵する。
師匠から弟子への心遣いに見える一言に、そういった意図がどこまで含まれているのか分かったものではない。アーデルハイドは無頼が知っている前提で礼を言い、無頼も余計なことを喋ってクララの不安を煽りはしなかった。
魔道士アーデルハイドは、生きて帰るつもりはないのかもしれない。
ウォルデン村から魔獣退治の依頼を受けたその場で、無頼たちはアーデルハイドからの依頼も受けていた。任務内容は護衛――アーデルハイドが魔道士協会から受けた任務を果たすまで、もしくは対象と接敵するまでの露払いを任されていた。
アーデルハイドの任務内容は粛清――魔道士協会の協定を破り、脱走した魔道士の追跡と抹殺である。
「この賢者の森に、粛清対象の一人が潜んでいるのは間違いないのよ」
昨日、無頼たちに向けてそう言い放ったアーデルハイドの表情からは緩みが消え、健在な左目には燃え盛る炎が宿っていた。炎の燃料は絶望と後悔、そして憤怒といった激情であり、無頼は魔道士アーデルハイドが敵わない相手に挑むのだとを察するのに時間は掛からなかった。
無頼たちに護衛を依頼するのは、まだ理屈が通っている。
しかし弟子を共に連れていかないとなれば、"師匠と弟子"以外の関係を疑うのは必至だ。
師匠が貴重な経験を積む場で弟子を突き放す意味はない。師弟は一蓮托生――とまではいかないが、護衛を雇い入れて戦力が潤う状況で連れて行かなければ、弟子が成長する機会など永遠にやってこない。
魔道士アーデルハイドにとって、クララは成長より生命が大切な相手――つまり肉親か知人の預かり子、十中八九前者だろうと無頼は想定して思考を動かしていた。。
「それで、何の用だ?」
無頼は改めて尋ねる。度々話題が逸れたが、アーデルハイドたちがやってきた目的を無頼とミロシュは聞いていない。
「ああ、魔石の解析が終わったよ。灰色熊に埋め込まれていた魔石、そこに刻まれていた刻印を私が読み解いた」
「私たち、だよ」
「殆ど私じゃないか。まあ、概ねミロシュの読み通りだった」
「最初の仕掛け――は、やはり生命活動の有無による魔石の自壊でしたか?」
「ああ、そこも間違いない。丁寧に偽装されていた。教えられていなければ、まず騙されていたね」
びっしりと刻印が刻まれた魔石をアーデルハイドは手の平で転がし、ミロシュの表情が険しくなる。
以前も言葉を詰まらせていたミロシュを知る無頼は、無頼の様子から独自の推論を組み上げていく。可能性は幾つもあり、真実を断定するのにそう時間は掛からない。
しかしジッと見つめる瞳に気付いたミロシュは無頼の思考の先回りをする。
「多分この件にも、私の姉弟子が絡んでいます」
若干の申し訳なさと困惑を浮かべた瞳に気付いた無頼は、アーデルハイドに目配せしてクララを追い払って貰う。
込み入った事情に対し、アーデルハイドのような成熟した魔道士なら兎も角、駆け出してすらいない未熟なクララに聞かせるには重要で、場合によっては念入りに口止めする必要すら生まれる。それなら初めから聞かせるべきではないとの判断だ。
「姉弟子……、あの魔道士か?」
「ええ、この刻印の書き方、偽装の仕方は師匠が教えてくれたものです。似た刻印ではなく、その物です。特に門外不出ではないのですが、一朝一夕で会得できる技術でもありません。ましてゼロから組み上げるのは不可能に近い魔道術です」
ミロシュはアーデルハイドから受け取った魔石を無頼に見せ、ああだこうだと魔石に刻まれた刻印の解説を始める。アーデルハイドはミロシュの呪文のような解説と象形文字のような魔石の模様を理解して、時々相槌を挟んでいる。しかし当の無頼は何が何だかまるで分からず、終始頭を悩ませるしかなかった。
凄い! ……という漠然とした感情は伝わってくるが、それ以上は分からない。
「要するに、だ」
アーデルハイドがピンっと人差し指を上に向ける。
「道具に刻む魔道刻印を、人間にも刻むことを可能にしている」
「無頼さんもご存知の通り、魔道刻印は魔道人形を操ることができます。しかし人間に直接刻印を刻み込むことは出来ません。魔力抵抗や環境マナからの妨害などが原因で、魔道刻印単体では強い強制力と支配力は実現出来ませんでした。精々主人に反抗しないようにと奴隷に刻む程度です」
「それはそうだ。そんな無茶が実現していたら健全な社会など成立しない」
「しかし一度魔石を経由させることで問題の殆どは消え去ります。実際はそう簡単にはいかないんですが、理論上は可能な方法です」
「そして倫理上、禁忌としている魔道術の一つだね。魔道士協会は禁忌魔道術を絶対に許さない。使った魔道士は魔道士協会から追放、それでも試みる魔道士には追手を掛け抹殺する」
その追手の一人がアーデルハイドだ、と本人が暗に語っている。
「まだ魔道術は完成していません。しかし生体での臨床実験まで進んでいます」
「臨床実験でなく林床実験だな。林の中だけに」
「…………」
「すまん、続けてくれ」
無頼は肩を竦める。
空気が重くなっている今だからこそ、つい冗談を口にしたくなったのである。それが笑えない冗談で、誰一人笑わないと分かっていても。
話の腰を折られたミロシュはムスッと黙り、冷やかな眼差しが余計に居心地を悪くする。
「協会の奴らは、これがどれほどの大事に繋がるか分かっていない。道行く人、慣れ親しんだ隣人が翌朝には第三者の操り人形になっている可能性もあるのに。どうせ成功しない? この戦力で充分すぎる? 相手はあの三賢魔道士の一人、もっと大規模な追い込みを掛けずに時間を与える愚かさに何故気付けないのか!」
アーデルハイドが歯噛みする。いつものアーデルハイドなら気性を荒げることなどないが、今回は事情が事情だけに憤りは激しい。
無頼にしてみればこんな井戸端会議で"世界の危機"など語られたくない。だが、迂闊なことを喋って非難を浴びるのは懲り懲りなので神妙な顔で聞き手に回る。
「ミロシュが実現出来ていない、と言ったけど、過去の文献では可能にした人がいるの。大帝国が崩壊する前、今から千年……いや、八百年くらい前に東方で起こった鬼神戦争――大帝国の滅亡の一因となる反乱の鎮圧に、とある魔法使いが使った記録がある」
何度も繰り返し読んだ物語の冒頭部分を読み返す時のように、アーデルハイドの口調は乱れていない。
「サクラメントか」
無頼は取り敢えず知っている魔法使いの名前を挙げる。
この手の話で挙げられる名前は一番の有名所と相場は決まっていて、アーデルハイドの反応からもサクラメントで正解だと伝わってくる。
「そう、中原のトラブルメーカー。魔道士とは規格が違うとはいえ『無色の魔法使い』はそれを可能にするだけの実力があり、実績があり、弟子に託す指導力がある」
「魔石の自壊装置は乱用されない為の良心……なんでしょうけど、それを弟子に教えてたら意味ないですよね。まったく、師匠は……」
ミロシュの溜息には心なしか喜びが混ざっていた。根本的な原因は師匠が担っているのだが、それとは関係なく師匠が褒められるのを聞くと嬉しくなってしまう。
どれだけ騒動の種を撒いていようが、ミロシュは師匠を敬愛し、その気持ちが変わることはないのだ。
「アデルさんの言いたいことは分かった」
頬の緩んだミロシュに触れず、無頼はアーデルハイドに向き直る。
無頼は二人の言葉から理解出来る部分のみを抜粋し、要点を纏める。
「今は色々と切迫した状況で、対処を誤ると人間社会が崩壊する恐れがある」
「そうだね」
「はっきりとは分からないが刻限は存在し、行動は急を要する」
「その認識に間違いはないかな」
「……詰まる所、一刻でも早くここを発って自分の仕事に移りたいんだな」
淡々とそれを無頼は言葉に変え、それに対してアーデルハイドは肩を竦めて無頼が先回りした自らの願望を補足する。
「早ければ今夜、遅くても早朝には出発したいの」
「それは……、随分と急ですね」
「夜の森を突っ切るのか? 正気じゃないぞ」
無頼とミロシュは流石にその提案を突っ撥ねる。
月明かりの差さない森は足元が暗く覚束ない。見知らぬ夜の森を進むだけでも抵抗があるのに、そこに人の味を覚えた灰色熊が徘徊するとなればボロボロの吊り橋を渡るのとそう変わらない。
大まかな目的地が存在し、要所で戦闘が待ち構えているのは確定している。強行軍を選び疲労を蓄積させるということは戦力の低下に繋がる。何より、まだ小さなベロニカとラウトには耐えられないだろう。
本当はベロニカを同行させたくはないのだが、村に置いた所で安全だとは限らない。魔獣やアーデルハイドの追っている魔道士だけならまだしも、三人は他にも様々な厄介事を抱え、多くの敵に目を付けられている。それならば手の届く距離に置いておいた方が危険を払いのけることができると無頼は学んでいた。
「やはり翌朝……出来れば昼前がいい。急ぐのは危険だ」
なればこそ、進んだ先の不安は潰しておかなければならない。
アーデルハイドの案に従うのなら、確かに敵との接敵予想時間は半日早くなる。昼前に出発するより半日早く出発するのだから当然ではあるが、道中のトラブルが考慮できず、尚且つなるべく迅速に事を処理したいとなれば切り詰める時間は出発前しか残っていない。
「アデルさん、気持ちが急くのは分かるが、冷静に考えろ」
出発を早めるメリットが存在する一方で、昼前に出発する無頼の希望にも無視できないメリットがある。
一つは充分に睡眠を確保することで得られる万全の体調だ。
下手に睡眠時間をずらして不完全な体調で森を進み休息を小まめに取るよりも、万全な体調で休息の回数を減らした方が結果として早く着く可能性もある。何より戦いで傷付いた仲間を捨て置いていけない以上、集中力が欠如した状態で同行されると足を引っ張ることに繋がる。そんな不安要素を潰したいのなら、充分な休息は欠かせない。
そしてもう一つは、昼前に取る一食分と食事である。
人間が生きて身体を動かすには食料を必要とする。飲料水に保存食、数日の食事を五人分となれば相当な量になり、森の中を突っ切るのでマニトバに頼ることも出来ない。運搬は分散させるにしても、その総重量は必ず足を鈍らせる。
森の中で食料を確保すればいい、と緩い思考で答える者もいるだろうが、それは希望的観測以前の問題だ。
鬱蒼と茂る山林は基本的に人類に優しくはない。森で暮らす生物は巧みに姿を隠し、時には毒を盛って迎撃する。葉が浸かった雨水は飲めたものではなく、飲み水の確保も難しい。
それでもサバイバル訓練に赴くならまだ幾分考察の余地もあるが、無頼たちの目的は他にある。荷物を可能な限り減らし、尚且つ食糧問題を解決するのなら村で一食済ませるのが合理的である。
深夜や明朝に出る場合、それは適わない。
ウォルデン村が充分な人口を抱えていた平時ならいざ知らず、今は怪我人を多数抱え人手不足が重く圧し掛かる非常時である。人手不足を解消する為に食事は共同で炊き出し、各家庭が竈に火を入れなくなって久しい。炊事場が使えない訳ではないが、余所者の為に食料と調理場を提供してくれる者がいるだろうか?
困窮する村に利益を齎す余所者が、予定を早め出て行く為に求めていると知り協力しようとする村人はいない。直接口には出さないだろうが、渋るに決まっている。
「分かったか?」
無頼はそれらを丁寧に、けれど反論させないよう執拗に逃げ道を潰して説明した。
無頼の隣ではミロシュがうんざりとして、アーデルハイドは口をへの字に曲げている。
「はあ……、ミロシュの気持ちが分かったよ」
「……?」
アーデルハイドは大きな溜息を吐く。
「無頼は正論しか言わない。暴力的な正論で、反撃の余地も与えず相手を抑え込んでしまう。味方ならとても頼もしくはあるが、伴侶にはしたくないタイプだね。苦労するよ、これからね」
目尻を指で揉むアーデルハイドは、ミロシュの肩をポンと叩き歩き出す。
「出発は昼前、食事を早めにして貰うよう私が村長に伝えておくよ」
無頼はどうにも釈然とせずミロシュに視線を向けるが、ミロシュは決して視線を合わせようとはせずに顔を逸らし続ける。
(正論は正論だぞ)
無頼はそう心の中で開き直っていた。だがミロシュの態度を前にすると、まだまだ改善の余地があると思い知らされる。
(だが、何故ミロシュまで……?)
アーデルハイドが機嫌を損ねる理由は掴めても、ミロシュまでも同じようになる原因を無頼は捉え損ねていた。理由を尋ねても良かったが、どうにも答えてくれそうにないので無頼はただ黙るしかない。
数秒後、ケロッと機嫌を直したミロシュを見ると考える気も失せ、共にベロニカとラウトの元に歩いていった。




