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死臭


 青年は走っていた。

 鬱蒼と茂る草木を掻き分け、血で濡れた右手には剣を握り締めて、青年は一秒でも早く森を抜けようと足を動かす。息が上り喉が渇く。大きく跳ねる心臓はずっと限界を告げていた。休みたいと主張を続けるが、そんな贅沢は出来ないと気力と恐怖で抑え込む。

 木々に引っ掛かり所々が破れた衣服には、ギルド所属の印が縫い付けられている。

 しかしどれほど察しの良い者であっても、汗を散らして逃げる姿から、青年が若手には少ない上級冒険者の一人であるという事実は導き出せないだろう。

 しかし素性は分からないまでも、限度を超えた焦り様と傷だらけの全身から、青年がこの深い森で何らかのトラブルに見舞われたのだと分かる。


「くそっ、くそっ!!」


 森に踏み込んだのは、青年は一人ではない。

 他には熟練の冒険者である小人族(ドワーフ)の老戦士と人間の男性、見た目の年頃は青年と変わらないハーフエルフの女性、更には依頼者兼道案内役である村の狩人二人を連れての調査であった。

 青年は冒険者の一団では最年少である。しかし数々の場数を踏み、修羅場を潜って来た経験と実力が買われたからこそ"上級冒険者"の称号を与えられ、こうしてパーティ単位の任務を受けやってきたのである。


「ごめん、みんな、ごめん……!」


 その仲間も、今は誰一人残っていない。

 パーティの全滅は唐突で、坂道を転がり落ちるように一瞬であった。

 狩人の案内を受けて森を進むリーダーで一番の実力者の小人族(ドワーフ)が、あっさりと目の前で首を刎ね飛ばされたのだ。

 奇襲や強襲ではない。遭遇してからの一撃にまるで反応出来なかった。

 深い森で出くわすのは精々凶暴化した獣程度だと、青年を含めた四人が嵩を括っていた。狩人二人は終始怯えを隠そうともせず、偏執気味な警戒心を顕わにしていたが、その姿を冒険者四人は臆病だと笑い飛ばしていた。

 その結果が、パーティは壊滅。

 ただ一人生き残り――けれどまだ生存が確定していない――逃げている最中の青年は、その狩人二人に負けぬ恐怖と警戒心を握り締め、決して振り帰ろうとはせず全力で緑の海を突っ切っていた。


 ガサガサと背後の草木が揺れ、青年の心が悲鳴をあげる。


(奴らは、自分を追ってきている!!)


 平原に街を築き、家畜を育て畑を耕す人類に、野生の獣を振り切る能力は備わっていない。最初の襲撃から一日と少しが経過したが、奴らは底無しの体力――いや、活身魔道術と同じように、底無しの魔力を燃やして追ってきている。最低でも三匹、距離を詰めず足を止めずに青年が弱り諦めるのを待っている。


「……っ」


 額に汗の滴を浮かべた青年は、ポケットから取り出した小さな魔石を口に含み、がりっと噛み砕く。咀嚼をほどほどに嚥下すると、切れた歯茎から染み出た血の味が一緒に喉を通り過ぎていく。味はなく不快感だけが口内に残る。

 魔石を直接体内に取り込むのは本来は外法とされる技である。

 石を食べているのだから当然ではあるが、体に与える影響は凄まじく、時には内臓だけでなく魔道術の行使に必要不可欠な魔力核まで傷つけてしまう。

 詠唱には魔力を集める工程も含まれていて、魔石を摂取することでその手間を無視できるのだから、誰しも単詠唱――発動時の詠唱のみで魔道術を扱うことが出来るようになるのだ。

 当然、そんな美味い話はない。

 魔石を飲み込んだ青年は、体の奥底から湧き上がる魔力を感じる。

 余裕の持てる内に頭を動かし、現在位置を推測しようと試みる。把握(・・)といかないのは、森の中に現在位置を知らせる指標がないからで、頭に浮かべた不確かな地図から曖昧な方角とあやふやな移動速度を用いる計算は、推測程度の精度しか持っていない。


「せめて森を抜けられたなら……」


 青年は声に出して挫けそうになる自身を鼓舞する。

 思い出し描いた頭の中の地図には道などない。

 古代の大帝国が興ってから二千年近くが経過した今でも、中原には未開の空白地帯が多くある。

 大帝国の指針は拡張第一。難しい中原を切り開くよりも交通の要所のみに抑え、外部の開拓に向いた土地を探し、街を造り発展させる方が良いと考えた。

 その政策の根幹を担っていたのが中原に張り巡らされた皇帝街道であり、青年たちのパーティが出発したのはそこから大きく逸れた開拓村で、中原に数多く残った未踏ではないが未開拓の地域の端っこである。

 中原で大勢力を誇る冒険者ギルドや傭兵ギルド、魔道士ギルドですら正確な地図を作ることが出来ず、それは緑一面の森林に調査漏れの小道が存在する可能性が残っていることと同義である。

 道に出れば人里に通じ――人里にあの獣を呼び込めば、惨劇は避けられない。


「でも……!!」


 本当の惨事は、誰からも気付かれないことだと青年は気付いていた。

 もし青年が生還して被害が伝わったなら、異様な現状を受け止めた公国とギルドは本格的な戦力を掻き集めて山狩りを行うだろう。

 しかし青年が途中で倒れて伝わらなければ、猛獣による被害が開拓村を中心に今以上増えることになる。だが開拓村にとってそれは日常茶飯事、どれだけ被害を訴えようとも村単位の依頼に大集団が動く筈もなく、犠牲者は黙して積み上がる。


「――――来た!」


 青年の瞳に、鋭い光が触れる。

 鬱蒼と茂る森を進んできた青年にとって、その僅かな光は希望その物であった。薄闇の切れ目は森の切れ目、その先には待ち焦がれた道が――人の手が加えられた道路が存在するかもしれないのだ。

 青年は最後の力を振り絞って走るが、ここにきて背後の奴らも速度を上げてきている。

 狩りの基本は、縄張りから獲物を逃さないこと。

 縄張り内に留めておくために時に囲い、時に足を奪う。人間の狩人がそうするように、知能を持つ奴らもそうするのだろう。折角の餌に食い付いた獲物を易々と逃がす程、奴らは馬鹿ではない。それを青年は痛い程に体感していた。

 獣臭い気配が迫る。勢いが増している。恐怖が湧き上がる。


 だが青年は森林を抜けた。縄張りから逃げ切った。


 目の前に現れたのは森を抜ける一本道。幅は馬車が一台通れる程度で反対側には同じような森が続いている。

 人の手が加えられているのは明らかだが、まだ森林は先にも広がっている。

 縄張りからは、抜け出せていない。


「…………!」


 青年は足を止めてしまった。

 勝手に終わりを決め、安全地帯に辿り着いてもいないのに逃げる手段を捨ててしまった。オーバーヒートを迎えた躰は意思とは裏腹に動こうとせず、抜けた魔力を取り込もうにも口は詠唱ではなく呼吸を優先している。足の震えは恐怖か疲労かの判別も付かない。

 自分は死んだ、分かるのは近い未来の姿だけだ。


「ハア、ハア、……」


 戦う意思も、逃げる余力も残っていない。

 しかし奴らは木々の合間から青年を追って飛び出すことなく、木々の合間から焦げ茶の瞳を光らせていた。

 少しでも逃げる素振りを見せたなら一斉に襲ってくるのかもしれないと青年は身構えるが、どうも様子が違う。


「警戒……、しているのか……?」


 天啓的な発想に青年は思わず眉根を寄せるが、どうやら間違いではないらしい。

 青年はすぐに気付いた。

 奴らは自分を警戒しているのはなく、こちらに向かって来る三人組を警戒しているのだ、と。

 大中小。男女少女の三人組は一頭の馬を連れ、旅人や冒険者としては時代錯誤の大きな荷物を馬に括り付けている。

 旅慣れなどはこの際関係ない。青年にとって重要なのは、この局面を如何に乗り切るかであった。

 たとえ奴らの標的を三人組に押し付けてでも、生き延びて報告する使命を青年は持っている。

 荒れた呼吸をかなぐり捨てて、無理を承知で大きく息を吸い込む。


「助けてくれ! 助けてくれええええ!!!」


 恥も外聞もかなぐり捨てて、青年は叫ぶ。

 三人組の足はピタリと止まる。傍目に分かる巨躯の男は隣の少女に目を向け、少女は指を差すことで左右の男女に奴らの居場所を教える。

 三人組は返事することなく足を動かし始める。その歩調は助けを求めた前後でまるで変わらない。三人の余裕に溢れた仕草は青年に一抹の不安と僅かな期待を抱かせるが、奴らがその悠長に甘んじるかどうかはまた別問題である。


(万が一に――確率的には十中八九だが――奴らが今すぐ襲い掛かって来たなら、あの三人組は自分を助ける為に駆け付けてくれるだろうか?)


 体中の汗などとっくに出し尽くしたと思っていた青年だが、頬に新たな汗が流れる。

 冷や汗だ。

 もし自分たちのパーティが三人組の立ち位置にいたなら、正体不明の何かに追われた男の元に駆け寄ったりはしない。どんな危険が潜んでいるか分からない以上、仲間との連携が取れる位置と索敵感覚を維持しながら、敵の確認を優先する。


「くそっ!!」


 青年は森に向かって剣を投げ捨てる。

 剣は木々の合間に消え、空気がざわつく。木々の向こうの奴らは勿論、三人組までも驚きを浮かべている。

 青年が選んだ突飛な行動に男女は顔を見合わせ、少女が頷く。

 男が長刀を抜き、女は長刀から溢れ出た魔力を取り込み言葉を紡ぐ。


「《エアカッター》」


 詠唱――にしてはあまりに短く、詠唱の体を成していないのではないかと青年は思ってしまう。魔道術の不発は珍しくない。魔力が集まらない。詠唱が成り立っていない。対象とする環境マナが不足している。

 原因は数多く存在するが、少なくともあの詠唱で魔道術が発動する筈ないと、これまでの経験から青年は確信していた。


「伏せろ、死にたいのか!」


 男が叫び、青年の真横を透明な何かが通り過ぎる。ザアザアと木々が揺れ、木の葉が舞い上がる。

 三人組のうちの一人、男が駆け寄ったかと思うと、尻餅をついた青年の体を凝視する。

 青年は自身の目を疑う。

 揺れた木々――小道に面した幾つかの木が幹の半ばでズレている。滑るように最初の一本が動き出すと、残りも半ばから倒れ始める。


「は……はは……」

「威力があり過ぎだな」


 青年は規格外の魔道術に動けなくなる。ペロンと上着に切れ込みが入っているのを見ると、もう笑うしかなかった。

 奴らの気配も急速に遠のいていく。この魔道術を扱う相手に数匹では勝ち目がないと判断したのだ。

 男は長刀を鞘に収め、青年を引っ張り起こす。

 しかし足に力が入らない青年は立ち上がれず、自身の意思とは関係なく男の助力に抗う格好になる。


「安心して腰が抜けた……いや、ミロシュの魔道術に腰を抜かしたのか?」


 黒髪の男――無頼が鼻を鳴らす。

 当然規格外の魔道術を見せられ、更にそれが自分の命をスレスレで避けて通った所為でもある。だが主な原因は疲労と活身魔道術の連続使用による反動だ。

 青年はへたり込んだまま無頼の巨躯を見上げ、後からやってきたミロシュとベロニカに礼を言う。

 青年が無事に動く姿を見て、ミロシュはホッと胸を撫で下ろす。


「ああ、良かったです。ちゃんと生きてました」

「本当に助かりました」

「にゃああ……、お兄さん、ミロが言いたいのはそうじゃないんだよ」


 汗を拭う青年にベロニカが笑い掛け、コホンとミロシュが咳払いを挟み制止する。

 不思議そうな顔を浮かべる青年に無頼がそっと告げる。


「ああ、初めての詠唱(はつどう)方法が無事成功して良かったです。上手くコントロールする自信は全くなかったんですが、巻き込むことなく、ちゃんと生きていました。概ね補足を加えたなら、こんな台詞になるな。良かったな、上半身と下半身が繋がっていて」

「無頼さん、想像力が豊かですね」

「は、ははは……、はあ、助かりました、本当に……」


 項垂れる気持ちを持ち直して青年は立ち上がる。

 無頼は青年の肩を支え、ベロニカはニッと歯を見せて笑う。


「無頼、ミロ」

「ええー……」

「本当にやるのか?」

「とーぜん! 私を信じて」


 ぞくり、と青年の背筋に悪寒が走る。


(奴らから逃げ、次は物取りに襲われているのか!?)


 青年は慌てて振り返り、無頼の表情を窺う。そこにあったのは呆れ顔で、同情の含有量が多そうに見えた。

 自分がどうなるのか、その思考に辿り着くより速く、青年の鳩尾に無頼の拳が突き刺さる。

 無頼の拳が生み出した、ぐぼっとくぐもった音は痛そうで、けれど骨折など厄介な負傷には繋がらないただの拳だと分かる音であった。

 不思議と痛みはそれほどなく、代わりに感覚がぼんやりと込み上げ、視界が揺れる。

 青年は何が起こったか分からずにフラフラと下がり、今度はミロシュに支えられる。

 また殴られる、と逃げようとした矢先、眩暈と吐き気に襲われた青年は膝を付く。


「吐いた方が楽になると思うにゃあ~」

「何を――――……うぉえーっ、ごほっ、ごほっ」


 ベロニカの尋問のような台詞が理解出来ずに口を開いた青年は、言葉の代わりに胃液と砂利のような物体を吐き出していく。意識とは無関係に、身体が耐え切れずに吐き出したのだ。

 周囲に酸っぱい臭いが満ちる。

 青年の胃液の所々に血の赤が見え、魔石の破片が食道や胃を傷付けた痕跡だと教えていた。

 近くではベロニカが満足そうに頷き、無頼とミロシュは驚きを浮かべていた。


「ローニャ、良く分かったな」

「大当たりです。これは魔石の破片でしょうね。何に追われていたのか分かりませんが活身魔道術に魔力が必要で、一番効率よく取り込むには経口摂取が一番だと思い出して食べたんでしょうね」

「にゃふふ、ピーンとね、きたんだよ」


 苦しむ青年を視界の隅に追い遣り、二人はベロニカの勘が正しかったことに驚き、そして疑ったことに対する謝罪を口に出していた。

 青年は吐き出した内容物を眺めながら気付く。

 この三人は物取りの類ではない。きっと自分と同じ冒険者で、害しなければ敵対する類の人種でもない、と。


 だが。


 他に類を見ない異質さを幾つも閉じ込めた三人組は、どうしようもない騒動の種を抱えていると青年は気付いていた。近くに居ては巻き込まれる。係わったら、死神に追い掛けられる。走って逃げられない、強烈な死臭を纏った死神だ。


「ああ、くそっ……」


 青年はそれに気付いて尚、動けない自分の身体を呪いながら意識を落としていった。


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