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ミロシュのジレンマ④


 ベロニカを先頭に、ミロシュ、殿に無頼を置いて三人はオレーサの細道を駆けていく。パシャパシャと水溜りが跳ね、濡れた衣服に斑模様の泥が付着する。


「ドラゴンで追ってきてる!」

「ミロシュ、アレは誰だ! 何者だ!?」

「推測です。推測しか出来ないんですが、恐らく……」


 一刻も早く街を出るべき、とミロシュが主張した通りに敵はオレーサの都市内部であろうとお構いなしに襲ってきた。警戒出来る位置で出会ったから良いようなものの、気が緩んだ状況で奇襲を掛けられたらと考えるとゾッとする。街中を散策するどころか、安心して眠れもしない。


「恐らく、何だ?」

「弟子です。魔法使いの弟子。私の前に居た、師匠の弟子」

「にゃっ、姉弟子ってこと? そっくりだった! ひょっとしてだけど、サクラさんの娘とか?」

「師匠は生身の肉体を遥か昔に捨てています。師匠の体は義体で、彼女が……私の姉弟子が義体のモデルと考えるのが一番理に適っています」

「姉弟子が何故俺たちの前に立つ? 因縁でもあるのか?」

「そんなまさか! 私が師匠と暮らし始めたのは六歳で、ずっと二人きりでした。姉弟子というのもあくまで憶測。実は師匠に恨みを持つ人物の可能性だってあるんです。というかそっちの方が有り得そうです!」


 ミロシュは苛立ち気味に答える。事情を呑み込めていないのは無頼とベロニカだけでなく、自分も同じなのだと暗に示し、それでも考えずにはいられないジレンマを抱えていた。

 不用意に尋ね過ぎた無頼は何も言えなくなり、ベロニカはそもそも相手の素性にあまり興味を持っていなかった。


「にゃ、来るよ!!」


 商業区の大通りに飛び出す数歩前でベロニカは敵の気配を感じ取る。

 黒短刀を抜いたベロニカは走る勢いをそのままに壁を蹴り、ドラゴンの背に跨った相手に斬りかかる。その軌道は良く跳ねるゴム毬のようで、無頼やミロシュのような人間にはまず不可能な、体の構造が根本から違っていなければ出来ない動作であった。

 ベロニカの刃を受けた相手はドラゴンの背から転がり落ち、ドラゴンだけが通り過ぎる。落ちた相手にトドメを指すことなく、ベロニカは慌てて距離を取り黒短刀を構える。


「あら、随分と可愛い子が飛び出して来たわね」


 ドラゴンの背中から転がり落ちたのはオリンピアではなく、木偶人形であった。悠々と道の彼方を歩いているオリンピアを見て、ベロニカは誘い出されたのだと気付く。

 木偶人形の胸部に黒短刀の一撃が刻まれていたが、そんなことは何の障害にもならないとばかりに平然と立ち上がる。

『馬の蹄亭』の前で無頼と魔道士の戦闘一部始終を見ていたベロニカは、この木偶人形がどういった性質を持っているのかを理解していた。

 再生回復と自動攻撃――無頼のような一撃の重さがないベロニカが迂闊に仕掛ければ、返しの一撃を喰らうのは避けられない相手である。


「にゃっ!?」


 しかし木偶人形はベロニカの想定を上回る機敏さで鉤爪の付いた左右の腕を振り回し、喉笛を掻っ切ろうと襲い掛かってくる。

 ベロニカは器用に攻撃を躱し、木偶人形の肘関節に黒短刀を差し込み、斬り飛ばす。のっぺりとした顔の木偶人形は片腕が消えたことなどまるで気にせずもう片方の腕を繰り出し、その攻撃を予見して刃を合わせたベロニカに手首から先を切断される。

 ベロニカは弱くはない。剣術や武術の完成度なら同年代の誰よりも優れていたし、身体能力も男子に負けていない。捕えられる直前にも大人十数人相手に大立ち回りが出来る程には実践でも動けるのだ。片腕であっても、単調な動きしかない木偶人形なら容易に蹴散らせる。


「ふふっ、若いわね」


 石畳を跳ねる木片はオリンピアの足元で止まり、魔力糸で切り刻まれ散っていく。


「はにゃっ!?」


 動きの鈍った木偶人形の胴体を蹴り飛ばしたベロニカの右脚は無色の魔力糸に絡め取られ、あっと言う間に釣り上げられる。

 音や臭いはなく、あるのは魔力と僅かな空間の歪みだけ。ベロニカの感覚器官がどれだけ優れていようが、目に見えず数の多い魔力糸を捌き切ることは難しい。当然、無理矢理引き千切る荒業を成せる魔力や筋力も備えていない。


「このっ、このっ!!」

「ジッとしていろ」


 もがくベロニカの真横を髑髏マスクを装着した無頼が通り過ぎ、少し遅れて旋風が走り去る。ベロニカを拘束していた魔力糸は残らず断ち切られ、残骸はパラパラと散り環境マナに変質を始める。

 解放されたベロニカは半身を無頼の背中に隠し、もう半身でオリンピアを睨む。


「無頼、ありがと」

「気にするな。首と胴体がくっ付いている間は守ってやる」

「離れる予定は当分ないんだけどにゃあ……」


 ベロニカに切り落とされた腕やバラバラの木片がオリンピアの魔力を受けて木偶人形に集い、失った部分を補っていく。無頼は再生途中の木偶人形を容赦なく叩き壊し、内部で稼働する刻印がびっしりと記された(コア)を砕く。

 二対一。

 無頼が加わったことでその戦力は一転した。無粋な乱入者にまるで動じず、オリンピアは指先で魔力糸を手繰る。笑みを崩さない攻勢を無頼は冷静に捌き、その悉くを『亡霊挽歌』で振り払う。


「巧みな剣捌きに乱れぬ精神」

「…………」

「その魔剣のお蔭かしら? 見たことない色。誰の作品か気になるわ」


 それでも数多の魔力糸の中には斬り残しが存在する。無頼の真横を通り過ぎた魔力糸の一束がベロニカのローブに触れ、それを振り外す。

 ベロニカの銀髪が顕わになり、オリンピアはいっそう不気味に口角を釣り上げる。


「まるでお姫さまを守る騎士みたいね。お伽噺みたいで素敵。ピンチに颯爽と駆け付け敵を華麗に打ち倒す。鈍く光る鎧を纏う騎士は優雅に振舞うことはないけど、どんな敵が相手でも恐れを抱くこともない」

「俺は鎧なんて着ていないぞ」

「見たら分かるわ、アナタが騎士じゃないことぐらい。……もっとも、守られている方は本物のお姫さまかもしれないのだけれど」

「……」


 無頼はベロニカのフードを飛ばした魔力糸を払うと、オリンピアを睨み付ける。


「バインデールも大変ね。白銀のお姫さまが欲しいと色々手を回したのに、折角のご馳走には怖い怖い番犬がついているんですもの。あら、彼は男もイケるのかしら? ガチムチの男同士の絡み合い……うふふ、あまり想像したくない絵面ですわね」


 勝手な想像でげっそりと肩を落とすオリンピアに対し、無頼は『亡霊挽歌』の切先を突き付ける。右腕は既にかなりの熱を持ち、腕に触れる雨粒の悉くを蒸発させていた。


「どうしましょう。ミロシュも姿を見せないみたいだし、この子、持って帰ろうかしら」

「妄言は止せ。それより俺の質問に答えろ」

「ひどい言い草。でもいいわ。尋ねて」

「お前は誰で、何者だ。何故俺たちの前に立ち、敵意を向けた? 何故この子の、ローニャの素性を知っている?」

「一度にたくさん尋ねるのね。せっかちなのかしら?」


 その受け答えに無頼は瞼をヒクつかせる。煽り、と受け取れなくもないが、平然と口にする様子を鑑みるに元の性格からしてああなのだろうと無頼は苛立ちを飲み込み抑える。


「私の名前はオリンピア。かつては『無色の魔法使い』に師事し、今は身不肖なれど中原にその名を轟かせる三賢魔導師の一翼を担う者。民草には名は知られておりませんが、偉業と悪行だけは広まっております。一部の者は私の名を聞くだけで卒倒してしまうほどに。どうぞ、お見知りおきを」


 オリンピアは威圧感を放つ無頼をまるで気にせず、ドレススカートの裾を両手で掴みお辞儀する。仰々しい芝居がかった動作であるが様になり、陰のある顔を含めて深窓の令嬢にも見えなくはない。


「そして何故お姫さまの素性を知っているかなど、少し考えれば分かること。私は魔法使いサクラメントの元弟子ですわ。お師匠様の隠れ家を十数年ぶりに訪ね、直接訪ねて参りましたの。手土産を持っていったら、お師匠様は歓迎してくださいましたわ」


 どこからか、無頼は身を隠して詠唱を続けるミロシュの溜息が聞こえた気がした。無頼も何かしらの驚愕を感じていた筈だが、"匿うのは隠れ家に居る内だけ"とのスタンスを宣言したサクラメントに呆れは感じても怒りは覚えなかった。

 とはいえ、唖然と固まる訳にもいかず、無頼はオリンピアに斬りかかる。


「《全ては余興。演目は剣舞。存分に、満足させてあげますわ》」

「このっ!」


 オリンピアの詠唱により、瞬時に三体の魔力人形が組み上がる。木製の魔道人形でなく、魔力糸のみで編み上げた魔力人形だ。不可視の魔力糸を用いた魔力人形は当然目に見えず、空間が僅かに歪んで見えるだけである。

 知覚するには今のままでは足りず、無頼はより神経を研ぎ澄まさねばならなかった。

 常人ならば剣を捨てて逃げ出す状況だとしても、無頼と『亡霊挽歌』に宿った達人たちは食い下がる。一見すると不利な状況だ。だがオリンピアの魔力糸と魔力糸で編み上げられた魔力人形が『亡霊挽歌』の斬撃を受け止められない以上、どれだけ再構築出来るとはいえ消耗を強いられるのは無頼ではなくオリンピアだ。


「あらあら、これはいけませんわ」


 オリンピアは魔力人形の出力を上げる。その最中に三体の人形の隙間から放った魔力糸の牽制攻撃を無頼は斬り伏せ、魔道士(オリンピア)の防衛線を踏み越える。

 距離にして数メートル。踏み込み、振り抜くだけで長刀の切先はオリンピアの喉元に届く距離だ。


「覚悟しろ」


 無頼が踏み込み、『亡霊挽歌』を一閃させる。

 切先は僅かに外れ――いや、無頼の腕に絡みついたオリンピアの魔力糸により外され、オリンピアの衣服を裂くだけに留まる。


(これはいけませんわ)


 間一髪、オリンピアは眼前と通り過ぎた剣風に息を飲む。

 魔剣を振り抜き大きな隙を晒した無頼に付け入ることなく、まずは距離を取る。

 ベロニカと違い無頼の筋力ならば生半可な拘束など簡単に振り解くと予想でき、かといってあの巨躯を一撃で粉砕するには相当手の込んだ詠唱を口遊まなければならないとオリンピアは感じていた。

 何よりここは無頼の間合い――世界の何処より、オリンピアにとっては危険な場所と化している。


「ドンピシャ!」


 流れるオリンピアの体に擦れ違うようにして、ベロニカが現れる。

 しまった、と後悔を口にするより早く、手にした黒短刀はオリンピアの背中から差し込まれて脇腹を派手に切り裂いた。

 ベロニカは体を沈めて下半身で勢いを殺すと、反転して追撃を仕掛ける。

 ベロニカの突き出した黒短刀をオリンピアは躱し、続く攻勢も紙一重で捌いていく。ベロニカの体捌きは確かに同年代の子供たちに比べて優れていたが、魔法使いの指導を受けたオリンピアには刃一つ分届かない。

 濡れた石畳の上で、白銀のお姫さまと妖麗な魔道士が舞踏のような足捌きを披露する。


「嫌ね、当たらないわ……」

「にゃふふ! 無頼の動きを追ってたらコツが分かったんだよね」

「あらそう。さすが獣人のお姫さまね。天賦の才が妬ましい」


 ベロニカは繰り出された魔力糸を躱し、掻い潜り、切り裂き、オリンピアの腹部から零れ出る赤い点を追うようにして詰め寄る。

 雨か腹部から垂れる血か、濡れた石畳でオリンピアが足を滑らせるとベロニカは何の躊躇いもなく右手を突き出し、黒短刀はオリンピアの細い首を滑るように貫通する。


「取った!」


 オリンピアの灰色の瞳が大きく見開かれ、口からはゴポッと鮮血が溢れ出る。青白い素肌から更に血の気がなくなり、ピンと張った指先は微かに痙攣し始める。

 誰の目から見ても致命傷。

 ベロニカは確かな感触を右手に感じながら、オリンピアの最期を見ようと顔を上げる。


「獲ったわ」


 そこに口から血を流しながらも満面の笑みを浮かべるオリンピアを見つけ、ゾワゾワと悪寒が駆け巡り全身の毛が逆立ちになる。

 反射的に逃げようと飛び退くが、背後に張り巡らされた何重もの魔力糸に押し返され、脱力したオリンピアの両腕に収まる。


「やめっ……、離せ!」

「嫌よ。同志(バインデール)がアナタを欲しがってるのだもの。迷い猫、見つけたら持ち帰るのが仲間でしょう? 傭兵なんかに依頼したのは間違いだったって、彼ずっと悔やんでたもの」

「にゃっ!!」


 ベロニカは右腕で近づいてくるオリンピアの顔を押し返しながら、無頼の方を向き助けを求める。

 しかし無頼はベロニカの危険な状況に気付きながらも、八体まで増殖した魔道人形の防衛網を崩せずに足踏みしていた。

 ベロニカは潮が引くように、全身から血の気が失われていくのを感じる。

 あのウィニベグ――帝国と中原連合軍との戦で戦場となった街の一つ――で囚われた日の記憶がさめざめと思い起こされ、恐怖と、それすら飲み込む屈辱が襲い掛かってくる。

 身体に纏わりついた魔力糸はどれだけ力を籠めても千切れない。囚われた後、暗い荷馬車で繋がれた鎖と同じだ。


 ベロニカがオリンピアに叩き込んだ一撃は致命傷に達している。首に空洞が出来て死なない人間はおらず、声も喉を通って来るとこの世界でも知られている。オリンピアは声を出せる筈がないが、それでも聞こえるのだから辿り着く結論は一つしかない。

 ベロニカは首を振り、諦めまいと意志を強く持つ。


「お前、人間(ホンモノ)じゃにゃい!」

「ご明察ですわ。私は魔道士、そして私にはお師匠様直伝の魔道術がありますの。この躰は義体。義体には刻印がびっしり書き込まれた誰かさんの魔力核が埋め込まれ、遠く離れた私が動かしてますの」


 ベロニカは必死にもがき、更に魔力糸が絡まるのも厭わずオリンピアの顎に額を叩き付ける。しかしオリンピアの声色はまるで変わらず――口から出なく魔力核から声が届いているのだから当然だが――ベロニカの抵抗をせせら笑う。


「おやめなさい。アナタが痛くなるだけよ」

「うるさい!」

「自棄になっているの? 良くないわ、お姫さま。女の子は素直で従順が一番って親に習わなかったの?」

「私はっ! 黙って連れていかれるほどっ! 穏やかじゃないっ!!」

「あらそう」


 些かうんざりとした様子でオリンピアはベロニカの拘束を強める。

 八体の魔道人形で足止めをしていた無頼はジリジリと前進を続けている。剣技を繰り出すスピードと発散する魔力の量は常人のそれを遥かに凌駕していた。数に物を言わせた魔道人形の攻勢に一撃必殺――たったの一振りで魔道人形を切り裂くことで戦闘不能に陥れ、再生した途端に再び致命傷を与えて参戦する機会を奪っていた。

 時間を経るごとに、回数を重ねるごとに精度が高まり、処理効率が跳ね上がる。

 最早八体の魔道人形では、無頼が止まらない。


「スミザー、来なさい」


 だが時間は稼げる。

 それに気付いたオリンピアは上空で待機していた飛竜のスミザーを呼び寄せる。

 オリンピアに呼ばれて地上に降りて来た飛竜は、無頼が斬り落としミロシュが魔道術で射落とした翼竜より遥かに大きかった。

 翼竜の騎乗可能人数が一人、多くても二人であるのに対し、飛竜はドラゴン用の鎧を装着していても最低三人は乗せて羽搏くことが出来る。種としての力強さは段違いで、当然鱗も容易に攻撃を通したりはしない。


「そこを退け!」


 オリンピアと無頼の間に割って降り立った飛竜のスミザーは、八体の魔道人形を切り分けて包囲網を切り抜けた無頼に長く鋭い爪を叩き付ける。

 無頼は咄嗟に魔剣を盾に受けるが、想定以上の威力を喰らい壁際まで撥ね飛ばされ蹲る。

 キンッと四本の爪の内、二本が斬り飛ばされ石畳に刺さる。スミザーは突き立った爪と自身の腕を見比べる。最初は有り得ないものを見るように、次第にそれは怒りに変わり、爪を斬り落とした無頼に向けていく。


「相手にしなくていいわ、スミザー」

「ギュイッ!!」

「あの手の男はタフでしつこいの。まともにヤルと、きっと夜通し付き合わされるわ」


 オリンピアはボロボロの義体のままスミザーの背に飛び乗り、魔力糸で動きを封じたベロニカを引き上げる。

 スミザーの一撃を受けた無頼は何事もなく立ち上がっていた。しかし再び魔道人形八体を切り分けて距離を詰めるよりスミザーが飛び立つ方が早いのは明らかである。

 オリンピアは足元に転がるベロニカと、間に合わないと知りつつも懸命に魔剣を振るう無頼を見て満足気に微笑む。


「《攪拌せよ》」


 遠くから、良く通る澄んだ声が響く。

 微笑みのまま、オリンピアの表情は引き攣り固定される。


「《我は底無しの沼。汝は沼を満たす者。降り注ぎ、取り込み、同化せよ》」


 飛び立とうとしていた飛竜の背中に、魔力を帯びた大量の水塊が降り注ぐ。

 決壊した堤防の間近に立つ者たちのようにオリンピアとベロニカは流され、石畳に投げ出される。魔力糸の殆どはミロシュの水塊に飲み込まれ、巻き込まれた魔力人形までもがぬるま湯に溶ける砂糖さながら消えていく。一部を魔力で担っているオリンピアの義体にも、深刻な影響を与えていた。


「けほっ、けほっ!」

「咳き込んでる場合か! ローニャ、走れ!」

「逃がさないわ! 《私は強欲。全ては私の手の内に》」


 魔力糸の拘束から逃れたベロニカは、立ち上がると振り向きもせず路地に向かって駆けだした。オリンピアはボロボロの義体の手を伸ばし詠唱を口遊む。

 環境マナの殆どがミロシュに抑えられている現状、オリンピアは僅か数本の魔力糸しか生み出せず、それらも走り去るベロニカに届くことなく無頼に阻まれる。


「せっかちだな」

「アナタ、邪魔を……」

「中原にその名を轟かせる三賢魔導師の一翼――なのだろう? どうせ死にはしないんだ。なら、妹弟子の魔道術を受ける気概くらい見せたらどうだ?」


 ミロシュは姿を見せず詠唱を続け、無頼はベロニカを追って路地に飛び込んだ。

 集う魔力は膨大で、大通りにはオリンピアとスミザーしか存在しない。浮き上がった豪雨の残骸が一人と一頭取り囲み、抵抗の気力を削いでいた。


「ああ、この義体……気に入ってましたのに……」


 オリンピアは脱力し、空を見上げる。つい先刻まで空を満たしていた鉛色の雨雲は大半が消え去り、切れ間からは生温い太陽の光が降り注いでいる。

 雨は上がった――のではなく、ミロシュに全て奪われたのではないかと考えてしまう程に、雨水に作用させて組み上げた魔道術は強大であった。


「スミザー、独りで行きなさい。テニアルではなく、ミラーで会いましょう」


 鋭い牙が並んだ口元を優しく撫で、オリンピアはスミザーに指示を出す。

 最初は躊躇っていたスミザーもオリンピアの覚悟を感じ取ると羽搏き始め、ミロシュの魔道術を物ともせずに突っ切って離脱する。


「私は、妹弟子(ミロシュ)の魔道術を受けてみるわ」


 一人残ったオリンピアは、滔々と辺りを満たすミロシュの魔力を肌で感じ、柔らかな微笑みを浮かべる。


「《崩壊の時は来た》」


 そして水の刃が四方八方から襲い掛かり、オリンピアの柔肌はズタズタに切り裂かれる。

 宙を行き交う水流に少量の赤が交ざる。

 滝壺に転落した者の悲鳴が聞こえないように、オリンピアの義体は声もなく裂かれ、砕かれ、散らばっていった。

 自然に発生する竜巻に巻き込まれたとして、それがどれだけ凄まじくてもこうはならない。ミロシュの魔力――そして殺意が籠った水の竜巻は、人一人を容易に肉片に変えることができ、現に今も、オリンピアの義体に人の原型はなく、ただ赤い雨となってオレーサの街に降り注いでいた。


「やり過ぎた、と思っているのは私だけですか?」


 無頼に体を預けたミロシュが、鉛色の雲が消え去った青空を見て呟く。

 無頼とベロニカは口を噤み、何も答えなかった。

 その代わりにコツン、とビー玉のような澄んだ宝玉が落ち、赤く濡れた石畳に転がる。びっしりと刻印が刻まれたその宝玉はオリンピアの義体に埋め込まれた魔石であり、ミロシュの魔道術に感服したと言わんばかりに目の前で砕け散る。

 風に紛れてキラキラと光る破片には、魔力は微塵も残っていなかった。






 雨足が弱まった。

 けれどその代わりとばかりに環境マナが揺れ、じっとりと湿った空気を震わせる。誰かが遠くで、それもかなり手練れの魔道士が魔道術を練り上げ、ぶつけあっている。そうでもしないと、目視出来ないこの場に伝わる揺らぎなど起こらないのだから。

 意図せず――けれど自らの意思で飛び込んで一戦を終えた男は、研ぎ澄ました感覚器官でそれを感じ取りながら、目的地である宿屋の扉の前で服装を整える。

 男は多忙である。

 活動の拠点は主に中原であるが、必要とあらば東西南北、渡り鳥のように仲間を連れて飛んでいく。定住地はない。故郷はとうの昔に捨てている。家庭を持った経験も、これから持つ予定もない。戦場を渡り歩き、戦渦の中で息絶える。家族は共に剣を取る仲間たちで、出会いは剣を向ける敵ばかり。戦いの瘴気に中てられ狂う者や、過酷な生活に耐えられずに脱落する者が絶えない旅団(かぞく)の中で、男は他の仲間と同じように拠り所を作り、正気を保っていた。

 大きく息を吸い、ドアを叩く。


「失礼する」


 丁寧だがよく通る声の持ち主である男は――オーガスタは、返事も待たずに『馬の蹄亭』に踏み込んだ。

 『馬の蹄亭』はギルド御用達の宿だ。外の戦いに駆り出されている者が多い所為か閑散とした雰囲気を醸し出している。

 亭主らしき初老の男が無遠慮な視線を投げ掛けてくる。こんな客いたか? と悩んでいるのだろうが、無遠慮なのは返事も待たずに押し入ったオーガスタも同じ。亭主は客でもなく知人を迎えに来ただけのオーガスタに必要以上の気を遣う必要はなく、オーガスタも礼を持って亭主に尋ねるより先に目的の人物を見つけたので間の全てを省き、まずはその目的の人物に声をかける。


「リルエット様」

「あ、オーガスタ」


 オーガスタは亭主に軽く頭を下げ、リルエットの元に歩み寄る。

 無邪気な笑顔が特徴的なリルエットには珍しく、顔は曇り目元は赤みを帯びている。


(何かあったのだろうか?)


 それを尋ねようかと口を開きかけ、止める。

 尋ねずとも明らかに自身の領分を逸脱しているとオーガスタは理解する。不用意に突いた藪から蛇が飛び出すように、目を赤くしたリルエットから武人然としたオーガスタが扱い切れない類の話題が飛び出してくるのは目に見えていた。

 同様にリルエットもオーガスタに仔細を語る気はないらしく目元を拭うと立ち上がり、荷物を抱える。

 オーガスタは咳払いを挟み、リルエットの前で跪く。


「遅れて申し訳ありませぬ。道中、予期せぬトラブルに見舞われておりました。更に合流地点に決めたオレーサはこの有様。他の団員の疲労も深刻、仕方なく私一人で参りました」

「ぞろぞろ来られても僕は困るんだ。オーガスタ一人で丁度いいんだ」

「それでは行きましょう」


 リルエットは慣れた様子であしらい、オーガスタも形式上の挨拶は終わりと槍を手に立ち上がる。


「みんな待っていますよ、団長」


 青白い羽を持つリルエットは諦めるように溜息を挟み、オーガスタに頷き返した。




テニアル=カンザス公国の街、ミラー=ネブラスカの街

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