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ミロシュのジレンマ③



「私の仲間は来ていませんか?」


 ミロシュがオレーサのギルド支部に足を踏み入れると、中は騒然とした。

 ほんの数時間前にギルドの登録を済ませた三人の一人が息を荒げ、額からだらだらと血を流して入って来たのだから当然ではある。だがそれ以上にミロシュの体に刻まれた無数の傷跡――城壁が健在のオレーサ市街で刻む筈のない戦闘の痕跡は、ギルド支部に集まった非戦闘系ギルドメンバーを騒然とさせるには充分なインパクトを持っていた。

 唖然とする受付の女性に気付いたミロシュは、べっとりと顔を彩る赤黒い血を袖で拭う。ただそれだけで端整な顔立ちを彩る汚れが取れる筈もなく、余計に惨状を広げるだけであった。


「な、何かあったのですか?」


 見兼ねたギルド職員が濡れタオルを手渡し、恐る恐る尋ねる。

 ミロシュは顔の汚れを落としながら事情を説明する。

 オレーサ守備隊に呼ばれて城壁に行っていたこと。オレーサに来る前に怪しげな集団に襲われ、それがネブラスカの斥候部隊であったこと。その斥候部隊がオレーサ市街に入り込んでいて、人々を襲っていたこと。

 本当はベロニカを追ってきたのであるが、ミロシュはその事実を伏せる。実際に自分は襲われ、住民の何人かは巻き添えを喰らった現実は揺るがない。原因は何であれ、手を下したのはネブラスカの奴らである。


「なんてひどい……」

「ええ、私もそう思います」


 ギルド職員の女性は顔を青褪め、わなわなと震える。

 ミロシュはその反応を少しだけ疎ましく思いながら、しかし無下に切り捨てることも出来ず相槌を打つ。


「それで私の仲間、二十代半ばの大男と十代前半の小さな少女、来ていませんか?」

「いいえ、こちらには……」


 ギルド職員は首を振り、ミロシュの中に沸々と焦りが湧き上がる。

 ミロシュが襲われたのは偶然の産物であった。しかしそれを知る由もないミロシュ当人は、自分だけでなく無頼たちも同様に襲撃にあったのではないかと不安に襲われていた。そうでなければ、時間的に無頼たちの方がとっくに着いていておかしくないのだ。


「なあ、アンタ、昨日リルちゃんや吟遊詩人と一緒に飲んでたねーちゃんだろ?」


 ギルド支部の人混みから、中年の冒険者が出てくる。その顔に心当たりはなかったが、リルエットやラレードの名前に憶えの有るミロシュは首肯する。

 ギルド職員も少し前に訪ねて来たリルエットとは顔馴染みで、リルエットの誰かを探す素振りから、ミロシュの存在に辿り着く。


「ひょっとしてリルエットさんが探していたのは……」

「多分、私ですね」


 無頼が頼んだのだろうとミロシュは当たりを付ける。ならば二人がいるのは『馬の蹄亭』で、ここから歩いて十分と掛からない。敵をオーガスタに押し付け撒いたとしても、再び捕捉されたら意味がない。必要なのは慎重な行動と、迅速な合流だ。


「タオル、ありがとうございました」

「えっと、その傷で行くんですか? 少し休んでいかれたほうが……」

「そうしたいのは山々なんですが、仲間が心配しているので一刻でも早く戻らないといけないんです」


 汚れたタオルを返したミロシュは丁寧に頭を下げ、ギルド支部を出て行こうと歩き出す。

 まだ頭はズキズキと痛むが、これは頭痛ではなく外傷による痛みだ。魔力の消耗過多による負荷は治まり、額の傷も今のまま活身魔道術を使い続ければ次第に塞がり、跡形もなく消え去るだろう。

 扉の前に立ったミロシュを激しい雨音が出迎える。

 無頼とベロニカの二人と合流するには外に出なければならないが、この雨の中を突っ切り濡れ鼠となるのは避けられない。

 それは疲労の溜まったミロシュにとって億劫であった。

 最初の一歩を踏み出せば後は気にならないのだろうが、それが出来る性質なら端から立ち止まりはしない。


「くそっ、下着までぐっしょりだ! ああ、くそっ!」

「うにゃあ~、大雨大雨! 無頼、拭く物持ってない?」

「ある訳ないだろ、俺も全身びしゃびしゃだぞ」


 何の前触れもなく扉が開き、騒がしい二人組が飛び込んでくる。

 突風のようなの来訪者――頭のてっぺんから足の爪先まで、雨に打たれて濡れた無頼とベロニカは、水を吸って重くなった上着やローブを脱ぎ去りバッサバサと水気を払う。雨天の来訪者がするその行動自体は特に珍しくなく、ギルドに集まった人々はこれといった反応もせず、ずぶ濡れの二人から興味を外していた。


「あ……」


 唯一の例外は、戸口に立ったミロシュである。

 ギルド支部には数分前にリルエットが訪れ、はっきり居ないと伝わっていたにも拘わらず、無頼とベロニカはやってきた。それも自分が億劫に感じていた雨中を突っ切って、二人は自分を探しに来たのだ。疲労で鈍った思考のミロシュにはそれが堪らなく嬉しく、安堵から普段は見せない感涙を瞳に浮かべる


「ミロ、やっぱり入れ違いになってたんだ……って、凄いことになってる! やっぱりにゃにかあったの?」

「うん、ローニャ……」

「おっと、平気か?」

「かなり疲れているね、ミロ。少し休んでから戻ろう、無頼」


 ふら付くミロシュの体を無頼は慌てて支える。

 無頼の手が意図せず背中の打撲に触れ、ミロシュは顔を引き攣らせる。それでも唇を噛み締め平静を装い、大丈夫と二人に笑い掛ける。

 心なしか無頼の体はヒンヤリと湿り、火照ったミロシュはその冷たさに触れたまま大きく息を吸い昂る感情を安定させる。


「それより荷物は何処ですか? 詳しくは後ほど話しますが、私は一刻も早く街を出るべきだと思います」

「荷物は持ってきていないぞ」

「ミロを探しに来ただけだから宿に置いてるよ」

「なら、私は大丈夫なので取りに戻りましょう。歩いて二十分も掛からない距離、しかしここで雨が止むのを待てば何時間費やすか分かりません」


 無頼とベロニカは些か強引なミロシュに眉根を寄せる。しかし無理矢理にでもこの場から離脱したい、更に言うならオレーサの街から出なければならない、ミロシュがそれらに相応する理由をみつけたのだろうと了承する。

 だが扉の外は雨のカーテンが降り、石畳は洪水さながら水が流れていた。

 その中を突っ切って来た二人ですら、再び踏み込むのは躊躇を感じていた。


「外は大雨だぞ」

「構いません。濡れる人数が二人から三人に増えるだけです」


 ミロシュは短槍を無頼に手渡した後、ベロニカと無頼の手を握る。そして有無を言わさず最初の一歩を踏み出して豪雨の中に躍り出る。

 雨粒が肩を、頭を、背中を叩く。

 冷たい雨は身体に染み渡り火照った体を冷ます。冷える体の代わりに左手からはベロニカ、右手からは無頼の温もりが伝わり、繋がりをいっそう強く感じさせる。

 二人がいる。

 だからミロシュは、豪雨に踏み込むことを躊躇いはしなかった。





 土砂降りに飛び出したミロシュが元気を保てたのは数分……いや、一分程度であった。

 雨の勢いは傍から見るよりずっと強く、決して軽くない槍を手にして二人相手に立ち回り、散々に魔道術を使い体力を消耗したミロシュには耐え難いものであった。

 今は申し訳なさそうに無頼の背中で小さくなっている。


「ううう……、ギルドで少し休むべきでした……」

「無頼の背中で休めばいいよ。ミロ、無頼の背中は大きくて暖かいから」


 ベロニカは朗らかに笑い、ミロシュは恥ずかしさで顔を真っ赤に染めていた。歩けないミロシュを背負った無頼は二人の軽口に付き合わず、無言でジッと周囲を見据えていた。

 豪雨の中、自ら望んで出歩く物好きは無頼たちだけであるが、仕方なく動き回る者が全くいない訳ではない。使いに出される少年や馬に跨った伝令役など、彼らとは行き帰り合わせて何度も擦れ違っていた。


「外は終わったのかにゃ?」

「みたいですね。不幸にも豪雨が重なったとはいえ、ドラゴンを八匹も連れて来て落とせなかったとなれば、ネブラスカのオレーサ侵攻はかなり先になるでしょう。オレーサも当分は安泰ですね」

「なら、もう少し滞在する? 宿屋のおじさんは居るなら元の料金のままでいいって言ってたけど。ネブラスカの斥候部隊も、本隊が帰ったら撤収するんじゃにゃいの?」

「うーん……、無頼さんはどう思います?」

「今は何とも判断出来ない。どちらにせよ襲われるリスクがある以上、ここに留まらずカンザス公国内部に進んでいった方が相手も足取りを掴み難くなるだろうな。ここは国境の城塞都市、皇帝街道の要所でもある。素性を隠した何者かが忍ぶにはもってこいの街だ」


 ミロシュを抱えた無頼は足を止め、隣を歩くベロニカを制止する。

 ずぶ濡れになったベロニカは目の前に現れた無頼の大きな手に驚く。けれどもすぐに右手で濡れた髪をかき上げ、道を塞ぐ相手を凝視する。


「それに、戦いはまだ終わってないみたいだぞ」


 ミロシュを下ろした無頼は眼前に立ち塞がる相手を睨み、魔剣の鍔を親指の腹で押し出す。『亡霊挽歌』は既に戦いを予兆して震え、降り注ぐ雨は戦いの場を整えるかの如く小雨に移り変わる。

 疲労困憊のミロシュはベロニカに袖を引かれ後ろに下がると、呆然と相手を眺めていた。


「にゃああ……、ミロ、あの姿って……」

「師匠……に、似ていますが師匠はもっと小さかったです」


 道の真ん中に立つ女性は柔らかそうなストレートの金髪を持ち、曇天の下にいる所為か肌は病的に青白く、唇の厚みは乏しく色素が薄い。唯一生気が感じられる炯々と輝くガラス玉のような青い瞳で、いっそう彼女の不気味さを助長させている。

 背は低くなく、少女と呼ぶには些か歳を重ね過ぎている。年齢は二十五、六くらいだろうか。眼窩を縁どる隈は彼女から若さと可憐さを奪い、代わりに老獪さと凄みを与えていた。

 サクラメントが五年、いや十年成長したら、こんな女性になるだろうと想像するが、どう考えてもあの魔法使いがこれほど陰を抱えることはないとベロニカは首を振る。


「ぼさっとするな! 相手さん、やる気みたいだぞ」


 妖麗な女性に見惚れていたベロニカに喝を入れ、無頼は何の躊躇いもなく『亡霊挽歌』を抜き放つ。

 相手は顔見知り――によく似た女性だが、無頼に迷いはなかった。

 彼女は雨に濡れる様子がない。雨足は確かに弱まっていたが、まるで雨が彼女を避けているかのようであった。スポットライトを浴びるように、雨天の下で彼女は一人だけ曇り空に佇んでいる。


「ああ、素敵」


 彼女――魔道士オリンピアは細い両腕を持ち上げ、薄く小さな手の平で両頬を挟む。

 熱い視線を向けられた無頼は背中にぞくりと悪寒が走り、反射的に魔剣を真横に一閃させる。シャン、と雨のカーテンを掻っ切った紫の刀身が過ぎ去った跡には、無色透明の魔力糸の切れ端が舞っていた。

 鈍った思考で視界を精査していたミロシュはその段になって初めて、魔道士オリンピアの"心当たり"に辿り着いた。


 何故ここに――。何故私たちに――。


 その疑念はオリンピアが発した一言で吹き飛び、蓄積した疲労と共にミロシュの身体から消え去っていった。

 続けて左右に魔剣を振り、更に魔力の触糸が切り裂かれて消える。


「良く見えるのね、その黒曜の瞳。綺麗。私の物にしたいわ」


 ぞくりと三人は体を震わせる。

 溢れんばかりの殺気と刺々しく粘着質な魔力を放つオリンピアを前に、ミロシュは焦って無頼に呼び掛ける。


「無頼さん!」

「分かってる!」


 無頼はミロシュを庇うようにオリンピアの前に立つと、『亡霊挽歌』の鞘を腰から外して紫の刀身を収める。

 キンッと鍔が音を立てると同時に『亡霊挽歌』が纏った膨大な魔力が解き放たれ、環境マナへと変質する。オリンピアが支配していた環境マナに乱れが生じ、その隙を突いてミロシュは詠唱を始める。身体の不調など、湧き上がる危機感の前ではどうにでもなる。


「《我は求める者。雨粒よ、奔流となり駆逐せよ》」


 数秒で掻き集めることの出来るだけの環境マナを掻き集めたミロシュは、石畳に満ち、空から降り注ぐ雨粒を強引に引き寄せる。

 周囲から集められた数リットルの水塊はミロシュが振り下ろす指先に合わせて一直線にオリンピアに向かう。

 ミロシュの操る水塊に風の刃のような鋭さや砂の刃のような荒々しさはない。刃として放つことも出来るが、それよりも大切な目的を達するには、威力と制圧力が必要である。

 要は水の槌として、ミロシュはオリンピアを跳ね退けることを優先した。


「《私は強欲。でもアナタは要らない》」


 ミロシュの水槌が霧雨を飲み込みながら迫る中、オリンピアは悠々と拒絶を口にする。

 水槌の進路上、オリンピアの前方に魔力が集中する。シュルシュルと無色の魔力糸が作り出され、折り重なって薄く強固な壁と化す。

 水槌の先端は魔力壁に当たった瞬間に爆ぜ、細かな粒となって視界を覆い尽くす。


「うふふ、あのちびっ子が立派に成長して……」


 オリンピアが魔力糸を巻き取り吸収すると、そこに三人の姿は既になく、ミロシュと『亡霊挽歌』から溢れ出た魔力の残滓だけが漂っていた。

 取り残されたオリンピアは魔力の残滓を舐め取り吟味する。

 ミロシュの魔力は若々しく奔放で、『亡霊挽歌』の魔力は熟成して身体を芯から染め上げる熱気を孕んでいる。どちらもオリンピアの魔力とは噛み合わない(あじ)をして、よりいっそうの興味を駆り立てる。


「小さなミロシュ。私の前に立つ日が来るなんて。ああ、楽しみね」


 舌なめずりをしたオリンピアは、指笛でドラゴンを呼ぶ。

 魔力糸を駆使する痩身の魔道士は慣れた手付きで滑空するドラゴンに飛び乗り、優しくその背中を撫でる。ドラゴンは軽く鳴き、主に応えようと二人の魔力を追っていく。

 雨風を払い除けるオリンピアはドラゴンの背で不敵に笑う。


「アナタの姉弟子は、狙った獲物を逃がさないのよ」



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