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ミロシュのジレンマ



 サクラメントは他者に完璧を求めない。

 弟子を取るのは有り余る暇と長い時間を迎え撃つ為だ。社会的魔道術に染まっていない幼子に基礎から魔道術を叩き込み、世界に常在する環境マナを彼ら彼女らの生活の一部に溶かし込む。

 期間は十年前後。男児女児、時には壮年や老人といった例外まで、サクラメントに師事した者の多くは十年の月日を経た後、追い出されるようにして旅に出る。

 決別するようにして飛び出した者、祖国に帰り着き仕官する者、魔道士ギルドや魔道士協会で更なる研究や研鑽に励む者、フラフラと世界を巡る者、運悪く些細な諍いで命を落とす者。

 古の大帝国の建国前から二千年近く経過して尚、魔法使いサクラメントはその方針を変えていない。

 弟子は全て巣立ち、良くも悪くも世界にその存在を示す。


「……っ!!」


 ミロシュもまた、歴代の弟子に劣ることなくサクラメントの教えを受け継いでいた。

 世界最古の魔法使いが教えるのは、何も魔道術だけではない。

 剣術や弓術、基礎的な体術、槍術に棒術といった武術から読み書き計算、歴史や謀術まで。剣を使い相手の首を刎ね落とし、迫り来る多勢を迎え撃つには、魔道術だけでは足りない。長い長い生涯の中、サクラメントは魔道術のみでは生き残れない修羅場を何度も経験していた。

 サクラメントの教えは、魔道士とは気力に体力、その土壌に魔道術が加わって初めて大成するというものだ。


 そしてミロシュは、立派な魔道士であると言える。


「何時から……迂闊でした……!」


 ミロシュが自身を追う者の陰に気付いたのは、雨粒が石畳を打ち始めて少ししてからである。

 外周区から商業区を抜け、行政区に入る頃には人混みは解消されていた。荒天もあり近場に住居を構える者は我が家に帰り、そうでないものは商業区の店舗や庁舎に足を伸ばして不意の雨を凌ごうと画策する。

 流れるように動く人々の中で短槍を持つミロシュは避けられ、常に周囲に気を配りながらギルド支部の建物を目指していた。

 雨が本降りになる中、疎らになる人混みにミロシュは妙な相手を見つける。フードを目深に被る姿は正体を隠そうとするベロニカと重なり、ミロシュは思わず足を止める。


「……」


 数秒――たったの数秒で進路を変えた影が二つに、足を止めた影は二人組だ。

 大小特徴的な二人は時間をずらして路地と店に入り、足を止めた片方は空を見上げ、もう片方は腰を下ろして靴を触っている。

 怪しい部分がない訳ではない。だが、この程度の違和感を危ぶんで気に病んでいたら今より往来でごった返す街中など到底歩けない。


「《我は始まりを告げる者》」


 但しそれは一人旅で、全くの身に覚えがない場合に限る。

 今のミロシュは一人旅ではない。北方の聖フォーサイス王国の王族、『ベロニカ・ウンキア・フォン・フォーサイス』を囲っての旅路、付け狙われる心当たりはそれで充分だ。

 ミロシュは大きく息を吸い込み、空気に満ちる環境マナを喰らっていく。


「《降り注ぐ雨粒よ。無数に散り、街を満たせ》」


 そして詠唱を終えると、短槍の石突を石畳に打ち付ける。

 カン……っと甲高い音が響いたかと思うと、周囲の水滴全てが浮き上がり、ミロシュの身体から迸る魔力に乗って街全体に駆け巡る。

 水滴は、視界を埋める。

 瞬く間に作り出された濃霧の中でミロシュはジッと景色を見据える。

 高地のオレーサでは霧は特段珍しくもないのだろう。特に今日は雨天、多くのオレーサ市民は突然現れた濃霧に驚きはしたが、騒ぐことなく普段通りの足取りに戻る。

 数多くの足音の中、狼狽を明らかにこちらに向かう人影をミロシュは知覚する。足音の数は二人分、立ち止まった二人組が動き出した。環境マナを削り取る気配もある。敵――かどうかはまだ判断出来ないが、何かしらの意思を伴った行動であるのは間違いない。


 薄らと影だけが残る霧中で、ミロシュは目を細める。

 魔力の流れや背丈の程には見覚えがあり、何より特徴的な笹穂耳を持つ男女の二人組にミロシュは大きな心当たりがあった。

 ネブラスカの斥候兵、そのエルフの男女。


(何故こんな所に……と、思うのは愚問ですね。ここはネブラスカの軍隊が攻めている城塞都市で、城門を閉じる前に手勢を内部に忍ばせるのは攻城戦の基本中の基本。斥候兵が居ても不思議ではないし、何より私は敵軍の主力の竜騎士を二騎も落とした魔道士。始末しようと後を跟けて来たんでしょう)


 一先ずミロシュは足早にこの場から離れようとする。

 不可解な霧を作り出したまでは良かったが、想定以上の湿度と持ち前の標高も作用して視界は八割方塞がり、施術者のミロシュですら危惧を抱くほどである。一度方角を見失えば目的の場所に着けないような、そんな恐怖すら浮かんでくる。


(それともローニャを? そういえば、売春集落でローニャが尋問していた相手も言っていました。女たちは北から連れて来ていて、それにはネブラスカが絡んでいるに違いない。何かの拍子にベロニカの生存を知り、ローニャの所在を知ろうと追ってきた可能性も捨てきれませんね)


 短槍を強く握り込み、躰を沈める。

 戦うにしろ、撒くにしろ、まずはこの場を離脱して優位を取らなければならない。自分で撒いた(タネ)ではあるが、長物を手に立ち回るにはあまりに視界が狭すぎる。

 ブツブツと詠唱を口遊みながら、更に足を速める。

 流石のオレーサ市民も度を越えた濃霧に違和感を覚え始めたのか、あちらこちらで声があがり始める。

 異常事態だ。前が見えない。何かがいるぞ。助けてくれ!!


(助けてくれ……?)


 次々飛び出してくる声――絶叫とも取れる悲痛なそれに、ミロシュは眉根を寄せる。


「誰か助けてくれ! 殺され――――」


 数メートル先で聞こえた声が半ばでかき切れ、周囲を遮る濃い霧に朱が混じる。砂袋のような中身の詰まった何かが倒れる音が聞こえ、苛烈な鉄錆臭が鼻孔に満ちる。

 ミロシュは慌てて立ち止まり、槍を構える。

 神経を研ぎ澄まし、詠唱で集めた魔力を溜めこんだまま叫ぶ。


「出てきなさい、下郎!」


 その答えは投擲で返され、身構えていたミロシュは易々と短槍でその攻撃を叩き落とす。

 石畳を転がるのは弓矢ではなく打根だ。打根とは、箆の長さを従来の矢の三割に抑え、先端に軽い鏃を備えた投擲武器である。投げナイフや弓箭ほどの威力や汎用性はないが、それらより忍ばせ易く、鏃に毒を塗れば低威力も補える。弓箭のように弦を引く必要がないので牽制や騙し討ち、暗殺にも使用される。形状は無頼が見たならまず間違いなくそう口にするほど、ダーツそのものである。

 ミロシュは石畳に転がる打根を踏み躙り、短槍を一振りする。

 ブンッと風を切った穂先は朱の混じった霧を削ぎ除け、ミロシュの視界を大きく拡げた。しかしその先に打根を放った敵はおらず、首を掻っ切られた一般人らしき男が倒れていた。


「…………」


 反射的にミロシュは自身の首元に手を当てる。

 視界が儘なら無い現状、次の瞬間には首を刃物で裂かれていることも充分に考えられる。足音を抑えて忍び寄られたなら、まず気付くことが出来ない。熟練の暗殺者ならばそれを可能にする技量を当然身に付けているし、魔道術で似た技量を再現することは可能である。

 故にミロシュは限界まで神経を研ぎ澄まし、鋭敏な感覚を保つ。

 気配が隠すことが可能であるなら、当然探す手段も魔道士は備えている。


「覚悟っ!!」

「――――ッ!!」


 死体の傍を小走りに駆け抜けたミロシュは、今まさに逃げる中年女性に斬りかからんとしていた人影に短槍を叩き付ける。寸前の所で剣を返してエルフ男はミロシュの槍を受け止める。しかし剣と剣のような鍔迫り合い――とはいかず、勢いに負けてエルフ男は叩き伏せられた。

 肺の中の空気を吐き出したエルフ男は膝を付き辛うじて留まるが、それが返って仇となりミロシュの槍に打たれて弾き飛ばされる。

 石畳に転がるエルフの凶刃から逃れた中年女性は、ミロシュに一瞥もくれることなく這う這うの体で逃げ出し建物の中に駆け込んだ。

 立ち止まって礼でも言われたらどうしようかと不安に思っていたミロシュはホッと胸を撫で下ろす。どのくらいいるかは分からないが、何者か――十中八九無頼が皇帝街道沿いで接敵したネブラスカの斥候兵――の凶刃に倒れたオレーサ市民は確かに存在する。

 それらの犠牲者を生み出す原因となったのは魔道術の霧で、可能な範囲で助けようとするミロシュの行動は善意でなく独善による行動だ。礼を言われた日には、罪悪感に苛まれるに違いない。


「やるな、魔道士」


 斥候部隊のエルフ男、クランクは素早く立ち上がり腰のから抜いた剣を構える。

 ミロシュは短槍の半ばを握り、リーチよりも取り回しを優先する。

 剣と槍の対決はハッキリと武器の相性が出る。

 一般的に剣士が槍士に勝るには剣士に三倍の実力が必要とされる。技術や肉体強度は元より、経験といった不安定で計り切れないものまで考慮して初めて実力となるが、実力だけでは補い切れないのが間合いであり、槍特有の取り回しに慣れた歴戦の剣士でなければ、間合いを詰めて懐に飛び込んでも薙ぎ払われ、容易く串刺しにされる。


「《光を満たせ》」


 それ故にクランクは安易に斬りかからず、牽制として打根を投げる。

 ミロシュは真っ直ぐ胸部に向かってくるそれを体を捻って避ける。叩き落とせない訳ではない。近接戦闘一式をサクラメントに叩き込まれたミロシュは、動体視力や反射神経も人並み以上の水準に高められている。しかしここで無理をして短槍で叩き落としでもしたら、無用な隙を晒して付け入る隙を与えることになる。

 そう判断したミロシュの正面で、クランクの頬が吊り上がる。


「――――ッ!!」


 ミロシュの背中を通り過ぎた辺りで、打根からカッと青白い閃光が迸る。

 咄嗟に左腕で後頭部を庇ったが、破片が飛び散ることも衝撃が襲うこともなく、ただ魔力を帯びた青白い光が広がり、霧に飲み込まれていくだけであった。

 背中で広がる眩しさを初め、実害は何もない。

 だからこそ余計にミロシュは妙な危機感に襲われ、早急にエルフ男(クランク)を始末しようと距離を詰める。

 剣と槍が交錯する。

 ミロシュの激しい突きや力強い払い除けをクランクは紙一重で往なす。金属同士が擦れ合う音が響き、火花が飛び散る。一定の間合いを保ってミロシュが突き出した穂先をクランクは躱し、石突での殴打を剣で受ける。

 反撃は一切なく、その事実がミロシュを焦らせた。


「埒が、明きません……!!」


 霧が発生する程に高い湿度がミロシュの頬を濡らしていた。背中で一本結びにした長髪やローブに槍の柄まで湿っていたが、ぐっしょりと濡れた手の平と背中は天候の所為ではなく、ミロシュ自前の汗だ。体の内側からは沸々と熱が、外側からはジリジリとプレッシャーがミロシュを襲っている。滴り落ちる汗の滴を拭う余裕はない。槍を振る手の片方でも離したなら、汗で滑りすっぽ抜けてしまうと分かっていた。

 叩き付けた石突が躱され、石畳を粉砕し巻き上げる。

 難なく回避したクランクは肩を上下させるミロシュから距離を取り、淡々と煽りを加える。


「魔道術を使わないのか、魔道士」

「黙りなさい!」

「俺は使うぞ、――――《我は手繰る者。舞えよ白刃、裂けよ凶刃》」


 表情を険しくするミロシュの正面で、クランクは四本のナイフを真上に放る。柄にぎっしりと刻印を彫り込まれた四本のナイフは魔力に導かれてクランクの周囲を浮遊する。

 白銀の刃が取り出された瞬間、ミロシュは既にクランクに背を向け、走り出していた。

 クランクが展開した魔道術は、基礎的かつ強力な魔道士の近接戦闘方法の一つである。

 浮かべたナイフの可動範囲は狭い。精々自身を中心に五十センチ、存分に研ぎ澄まされているとはいえ骨を断てる程の威力は出ない。しかし裏を返せば肉を裂く程度なら難なく実行でき、魔道士の本命の攻撃を受けながら四本のナイフを捌けるかと聞かれれば、余程の達人でない限り首を横に振る。


「冗談じゃない」


 達人でないミロシュは、そう吐き捨てる。

 クランクに背を向けて走り出したミロシュは、必死に足を動かす。一心不乱に、といかないのは相手の投擲武器に注意を払わなければならないからである。近接戦闘を避けて投擲武器に討たれては師匠に間抜けと笑われてしまう。

 背中に迫る打根を短槍で叩き落とし、クランクに追う素振りがないと見るや大きく息を吸い込み、最後の一節を唱えようと口を開く。


 ドンッ、と。


 開いた口から、声にならない悲鳴が漏れ出す。

 霧中を駆け抜けるミロシュの脇腹には、尖った何かが突き立てられていた。鈍痛がじわりと腹部から体全体に染み渡る。二歩三歩、止まり切れずに歩いた後、ミロシュは自身の斜め前には少女が佇んでいた。


「…………」

「…………」


 少女は人間の少女ではなかった。顔付きは童女のようであるが、背丈以外の体付きは大人に近い。人間のように見えても、分類上この少女は小人族(パルム)と呼ばれる種族である。

 短刀を手にした小人女――ハリカは、まん丸な瞳に驚愕を浮かべる。一人旅の最中に腹を空かせた飛竜と遭遇してしまった時のような、そんな恐ろしく有り得ない光景を目にして思考が完全に停止してしまっていた。


 刺さるべき短刀が、ローブを貫けず押し返されている。


 抜群のタイミングで一突き、そして離脱する手筈のハリカにとって、この事態は想定外どころか計画の破綻を意味していた。草原で仲間の一人が土砂ごと切り裂かれた時のように、殺し切れなかった魔道士を前にハリカは自身の終わりを悟ってしまった。


「《満たせ、満たせ、満たせ》」


 苦痛で顔を歪めたミロシュの口から、憎悪の籠った詠唱が紡がれる。

 咄嗟に我に返ったハリカは役立たずの短刀を手放し離脱しようとしたが、時すでに遅く、左手はミロシュに掴まれて動かない。

 ギリギリと怪力で絞めあげられ、ハリカの腕は微動だにしない。

 膨大な魔力を蓄えた魔道士が今から何をするのか、それを察したハリカは歯をガタガタと噛み鳴らし、恐怖で震える。


「いや……、嫌だ! 嫌だよ!! 隊長、隊長、死にたくない!!」

「《満たして、溢れよ》」


 瞬間、ハリカの体がビクンと跳ねる。双眸に溜めこんだ涙が飛び散り、ミロシュの魔力に中てられ霧の一部と化す。

 脱力したハリカの身体からは魔力が溢れ出て、穴という穴全てからドロリとした血液が流れ出る。石畳に飛び散った鮮血は霧とならず、白い石畳を赤黒く染めていく。

 膝を付き、ハリカは倒れる。だがハリカは死んではいない。

 膨大な魔力でコーティングされた肉体は健全その物であり、医者や医療系魔道士が後に診察したとしても、その死因を解明することは難しい。

 ハリカはまだ死んでいない。

 だが、このままでは生き延びることは出来ない。


「はあ……はあ……」


 ミロシュが施したのは攻撃系の魔道術ではない。

 活身魔道術の付与(エンチャント)――ハリカの許容量を遥かに超えた魔力ドーピングである。

 魔法使い(サクラメント)との魔道術の修業は、まず環境マナの奪い合いから始まる。

 甚大な魔力を――生身の肉体すら捨てて、魔力体として存在出来るサクラメントが環境マナに与える影響は大きい。魔法使いの魔力の支配下に置かれた環境マナから如何にして大量の魔力を作り出すか。それが魔法使いの弟子として必要な第一歩であり、それを乗り越えた者は通常の空間で――魔法使いのような環境マナの汚染者がいない場所で、より効率よく魔力を作り出すことが可能となり、結果大量の魔力を溜めこむことが出来る。

 その常人離れしたミロシュが溜め込んだ魔力を注ぎ込まれたなら、並の環境で育った者は一溜りもない。

 空気を入れ過ぎた風船が大きな音をたてて破裂するのとは反対に、目に見えない魔力を詰め込まれた人体は静かに破裂する。心臓の鼓動が乱れ、脳が焼き切れ、魔力核が破損して生命を保てなくなる。


「師匠、助かりました」


 まさに一撃必殺。

 ミロシュは脇腹の鈍痛を噛み締めて、この場に居ない師匠に礼を言う。

 横合いからの一撃を防げたのは、師匠が弟子の身を案じて仕立てたローブのお蔭である。金属に匹敵する強硬度の魔力糸をふんだんに織り込み、着用者が蓄えた魔力に応じて防御力をあげていく、まさにミロシュに誂え向きのローブである。

 ミロシュは手汗を拭い、短槍を握り直す。

 街の一区画から発生した濃霧は、今やオレーサの街全体へと広がっていた。相対的に薄くなった周囲に目を配るミロシュは、大通りのど真ん中に佇む人影を見つけ足を止める。


(……無頼さん、ではないですね)


 人っ子一人見当たらない商業区の大通り、それも警備兵の詰めている行政区に続く道で、男が一人、ミロシュを睨んでいた。

 ただならぬ気配を放つ巨躯――それだけなら無頼とそう変わらないが、手にしているのは双剣で、躰との比率を考慮するのならかなりの大きさがある。そして頭部で存在感を示す獣耳を見たミロシュは、拭った手の平に再び汗が滲み出るのを感じる。


 あの獣人男と真正面からやり合えば、間違いなく無事では済まない。


(アレとやるくらいなら、エルフ男を始末した方が安全です!)


 付け焼刃ではどうにもならない相手を前に、ミロシュは再び背を向け走り出した。


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