身勝手な者③
火を付けられたかと見紛う程に火照った体が雨に打たれ急速に冷えていく。石畳を真っ赤に彩ったドラゴンの血は雨と混ざって薄まり、道路脇の溝に流れる。
竜騎士は捕縛――といっても全身打撲で真面に抵抗も出来ない状態だが――され、『馬の蹄亭』一階の隅に放置されている。初老の亭主はギルド支部、もしくは庁舎に報告に行くようにと小僧を走らせ、雨中に佇む無頼を開いたままの入り口から見つめていた。
無頼の他に雨曝しになっているのは、首と胴体が離れた翼竜だけだ。
「お嬢ちゃん、放っておいていいのかい?」
「いい」
「いいって、仲間じゃないのかい?」
「無頼は私の仲間だけど、部下じゃない。命令する権利はないし、行動を制限することも出来ない。それどころか、無頼の善意で私は守って貰ってる。私には何も出来ない。何も言い返せない。だから、いいの」
ベロニカは目を伏せる。
これ以上言っても気休めにすらならないと亭主は肩を竦めて黙る。軒下に移動して雨粒を凌ぐマニトバもそれに同調し鼻を鳴らす。
雨は何時しか本降りになり、小雨程度だろうと予想した無頼を裏切り、激しく石畳に降り注ぐ。ドラゴンの血は完全に流れ去り、ほんの数分前の戦いの痕跡すら多量の雨水に飲まれて消えていった。
ベロニカは雨に打たれる無頼を眺める。『亡霊挽歌』により熱を持った無頼の体は打ち付ける水滴を即座に蒸気に変えている。薄らと靄に覆われ、無頼の姿が霞んでいく。
このまま何もしなければ、無頼は戦いの痕跡のように消えてしまうのではないかとベロニカは不安に襲われるが、無頼が自分の呼び声に応えてくれるのか分からず、ただ見ていることしかできなかった。
少なくとも、見ている間は無頼はそこにいる。
「うひゃぁ……、びしゃびしゃなんだ!」
ベロニカの憂鬱を後押しするかのように青白い大翼が舞い降り、無頼の姿を隠してしまう。
流水に降り立ったリルエットは水飛沫を上げて無頼の手を掴むと、強引に『馬の蹄亭』の中に引っ張り込む。
「馬鹿、水を落としてから入れ!」
「あ、ごめんなんだ」
床をびしゃびしゃに濡らしたリルエットは亭主に怒鳴られ軒先に戻る。バサバサと翼をバタつかせ濡れた翼から水滴を振り落すと、再び『馬の蹄亭』に踏み込んでくる。まだ衣服や髪は濡れていたが、無遠慮な濡れ鼠に改めて出て行けとは言えず、亭主は嘆息する。
「無頼はなんで外にいたんだ?」
椅子に座ったベロニカの隣に立つ無頼は、リルエットと違いまるで濡れていない。
カラッと乾燥した姿は、南部自由都市連合と東部カーディフ皇国の境に存在するアラチュア砂漠のようである。雨が降っても水分を蓄えない砂丘のように、豪雨の中で無頼は平然と自身を保っていた。
無頼は双眸で輝く黒曜をベロニカ、そして腰の『亡霊挽歌』に向ける。
そして亭主から渡された薄いタオルで朱色の髪や顔を拭いているリルエットに
「リルエット、お前を待っていた。頼みごとをしておいて、俺だけ屋根の下に居る訳にはいかないだろう」
と、微笑みかける。
無頼は、自分の容姿をそれなりに評価していた。記憶がなくとも知識はある。時折街で見かけるエルフのような麗しさはないが、高い背丈に精悍さや剛健さを無頼は備えている。それらは男の魅力を底上げするスパイスのようなもので、そこに腕っ節の強さと人並みの優しさが加われば大抵の女はころりと騙されてしまうのだ。
無論無頼はリルエットに嘘をついてはいない。外に居た理由は他にもあるが、リルエットの帰りを待っていたのは事実である。
リルエットは頬を真っ赤に染め、口をパクパクと動かす。頭から立ち上る湯気は幻などではない。髪に残った水分が茹った頭の熱に中てられ、文字通り蒸発しているのだ。
「それで、ミロシュはいたか?」
「居なかったんだ。ギルドの支部は非戦闘系ギルドの避難で大慌て、庁舎は住民の対応に追われていたんだ。どっちもかなりごった返していたけど、あの巨乳の人は目立つから見落としてはいないと思うんだ」
「そうか。ありがとう、リルエット」
「このくらい、お安い御用なんだ」
リルエットは胸を張る。
濡れた薄着に突き出した胸部、無頼は妙に気恥ずかしくなり目を逸らす。
その二人の様子を傍から見るベロニカは少しだけ不機嫌の色を強めていく。
「無頼、ミロは城壁に戻ったんだよね?」
「ああ、すぐに戻るからと集合場所をギルド支部に。その間に俺たちは荷物を纏める算段だった。第二集合地点はここだ。それもミロシュは心得ていた筈だ」
「なら、何かあったのかもしれない」
「そうだな……が、無闇に探しにはいけないぞ。街は広い。入れ違い擦れ違い、偶然出会える幸運なんて当てにするべきじゃない」
無頼はベロニカも認知している事実を淡々と口にする。
冷静な時ならまだしも、今のベロニカにとって無頼の余裕は癪に障った。
直前の言い争いではベロニカの理想と思想はコテンパンに叩き潰され、二騎の竜騎士と戦っていた時も無頼は難なく追い込み撃退している。無頼はどちらの戦いにも負けていない。
ベロニカがした事と言えば、宿屋に残ったリルエットを使って矢を射させたことだけだ。ベロニカ自身は何もしていない。無頼の言う通り、ただ口を動かしただけだ。
「俺も雨の中、ジッと耳を澄ませて音を拾っていた。だが足音や剣戟、魔道術による風の乱れは感じ取れなかった。何かあったとするなら城壁……だが、あそこにはまだドラゴンがいる。リルエットに偵察は頼めない」
シュンと沈むベロニカの額を無頼は指で弾く。
突然の痛みにベロニカは驚き顔を上げる。バチンと音は大きく響いたが、痛みは一瞬、雨音に紛れるようにして消えていく。
無頼は顔を上げたベロニカの左頬に触れ、大きな親指で涙袋辺りを撫でる。
「あと三分」
そして懐から取り出した懐中時計をベロニカに握らせる。
「長針が三週するまでの間にミロシュが戻ってこなければ、俺が城壁まで行って様子を見てくる。雨中を突っ切るとはいえ、マニトバに跨れば数分で到着する距離だ」
「でも無頼! それは……」
「巻き込まれて、当分帰ってこれないかもしれん。ミロシュがいなければ尚のこと無駄骨になる。だが放ってはおけない。ミロシュはマメな性質、ローニャの言う通り来ないとなれば何かあったに決まっている。無理矢理戦いに駆り出されたのかもしれん。仲間の有事にジッと待っていられるほど、俺は冷徹な人間じゃない」
無闇に探しには行かない、その言葉を踏襲して無頼は続ける。
「だが、問題はローニャ」
「にゃ?!」
「嫌な予感がする。俺はお前をここに残して行きたくはない。だが連れて行き、修羅場に投げ込むのもどうかと思う。俺の嫌な予感がどちらを避けたがっているのか、それが分からない。ローニャは軽い。二人乗せてもマニトバの足はそれほど変わりはしない」
「なら私も行く!」
「だが万が一、城内に潜伏した敵と遭遇した場合」
無頼はベロニカの手の中で時を刻む懐中時計を睨む。
「ローニャも見ただろうが、魔剣を握る俺の視界は酷くなる。俺の体は熱を持ち、そこに降り注ぐ雨粒は有無を言わさず干上がり蒸気となる。分かり易く言えば俺を中心に濃霧が発生、そんな状況に置かれる」
「うん」
「俺は敵の姿が見えない。ローニャの姿も同じ。ミロシュ、そして敵も然りだ」
「私の鼻も耳も、確かにあんまり役立たないかにゃあ」
「そうだ。俺が居るだけで、戦いにならなくなる。なれば俺を消そうと敵は動き、ローニャは余計な危険に晒されるかもしれない」
「それは無頼の憶測じゃにゃいの? ここからでも無頼の姿は見えてたよ」
「それは戦ってなかったからだ。ローニャ、保険とは起こる前に掛けるものだ。雪崩を見てから始めて逃げようとしても足は動かない。予め想定して、対策を練って、そして万全の状態で有事を迎えることが出来るんだ」
無頼の言葉を噛み砕いて意味を吟味していくにつれて、ベロニカの顔は険しくなる。
不満が募り、鬱憤が溜まる。
自分はお人形じゃない。そう叫びたい衝動を飲み込み、ベロニカは口を開く。
「だから、私はここに残れと?」
「違う」
無頼はベロニカの手中の懐中時計の蓋を閉じ、首を振る。
黒曜の瞳は真剣みを滲ませていたが、それ以外の感情は何一つ読み取れなかった。綺麗に磨かれたガラスのようにベロニカの姿を映し出し、本当に瞳が眼窩に収まっているのかすら分からなくさせる。
「万全な警護は望めない。来るなら心して付いて来い。片腕一本で俺の背中に張り付けないと思うなら、付いてこなくていい。断言する。足手纏いになるだけだ」
「――――行く!!」
無頼の挑発的な発言に目を輝かせる。
ミロシュと無頼に買って貰った真新しい帽子を脱ぎ、短く肩辺りで切り揃えた銀色の髪と煌めく毛並みの獣耳を顕わにする。じっとりと肌を湿らす不快感は、ベロニカが発散する爽やかさに中和され消え失せる。
場が華やぐ。
この場にいる誰もがその言葉の意味を身をもって体感した。
リルエットはポカンと口を開けたまま固まり、初老の亭主は年甲斐もなく食い入るように見つめ、忙しく瞬きをしていた。
「店長、戻りま――――って、うにゃ! て、て、店長?!」
そして出て行こうとした二人の前に、役人を呼びに行った小僧が飛び出した。小僧はベロニカを見るや否や叫び、顔を真っ赤に染める。
獣人の少年が見せる純情さに無頼は同情する。もし自分がこの少年と同じくらいの年の頃にベロニカのような見目麗しい美少女と出会ったなら、それはもう同じように衝撃を受けたであろう。自身の恋愛観を一転させ、今まで美しいと感じた事柄を色褪せさせる衝撃だ。頭が真っ白になり動けなくなるのも良く分かる。
「にゃ?」
「あ、えっ、えっと、その……」
少年はベロニカを直視出来ず、またベロニカの黄金色の瞳に見つめられてもじもじと体を竦める。視線を逸らそうと首を動かすが、すぐに気になってベロニカの方に戻ってしまう。
ベロニカは恋愛方面に鈍いのか、これといった言葉を発する訳でもないのに進路を塞ぐ少年を煩わしそうに見つめ、それが少年の状況を一層哀れなものにする。
無頼は溜息を吐き、挙動不審な少年を現実世界に引き戻す。
「どうした、役人か兵士を連れてくるんじゃないのか?」
「あ、はい、そうでした!」
「にゃああ……、姿が見えないってことは、こっちまで人数裂けなかったってことかにゃあ……」
「城外のネブラスカ軍が撤収するまで待て。待てないならお前達が連れて来い、と。俺も必死に食い下がったんです。でも庁舎の奴ら、まるで全く聞く耳持たなくて……」
そう獣人の少年は歯噛みし、しゅんと項垂れる。しかし数秒後、ハッと何かを思い出して目を輝かせる。ここにいる誰も少年を責めてはいないが、自分の失点を取り返せる材料を見つけた少年は嬉々として口にする。
「あ、そういえばお仲間さんの姿、見かけましたよ」
「巨乳の?」
「はい、巨にゅ……じゃなくて美人の!」
ピタリ、と雨中に踏み出そうとしていた二人の足が止まる。
少年は庁舎とギルド支部に応援を呼びに行った。その道程、行き帰りのどちらかでミロシュを見掛けたのなら、やはりミロシュは城壁ではなく市街に戻っていると考えるのが妥当だ。リルエットは恐らく入れ違いになったのだろうと無頼は納得する。
ベロニカはフードを脱ぎ、三角耳をピンと立てる。
「行き? 帰り? どっち?」
「帰り道……だったかな。やけに急いでたんで声は掛けなかったんですが……」
ベロニカはううーっと喉を鳴らし、石畳の舗装路に降り注ぐ雨粒を睨む。数分前と比べると雨足は弱まり、一粒一粒も小粒な霧雨となっていた。
移動の最中、びしょ濡れになった重たい衣服を纏う心配はなくなった。だが、視界は豪雨の時より悪化している。これでは二十メートル先すら見えない。このままの状態で時間が経てば、更に酷くなるのは明らかだ。
「ローニャ、行くぞ」
二の足を踏むベロニカの右手を無頼は掴む。
最初の一歩こそ乱暴であるものの無頼の歩調はゆっくりで、霧中に踏み込むことを躊躇うベロニカを気遣う足運びであった。
踏み出してしまえば見えなくても道は続く。
だから恐れることは何一つないのだと無言で示していた。
「お前たちは、ここで待っていろ」
「えっ!?」
石畳を数歩進み、無頼は振り返る。
無頼の後ろにはいるのはベロニカだけではない。翼を畳んだリルエットが弓矢を手に続き、マニトバもさも当然のように隊列に加わっていた。
リルエットは無頼の制止に驚嘆の声を漏らし、マニトバは話が違うと嘶き無頼に鼻っ面を押し付ける。
「リルエット、ここからは俺たちの事情だ。これは外にいるネブラスカとは別口で、命の遣り取りもあるかもしれない。そんな危険にお前を巻き込みたくはない」
「散々協力して貰ってにゃんだけど、越えちゃいけない一線があるとしたら、ここだと思う。リル、これは私たち――いや、私の問題なの。お願い」
「で、でも……」
「ギルドの監視役を、何より女の子を危険に晒すのは辛いんだ。リルエット、俺を困らせないでくれ」
無頼に諭され、ベロニカに見つめられたリルエットはたじろぐ。青白い翼を霧雨で湿らせながら口を動かすが、紡ぎ出る言葉はない。
産まれて二十年と少し、翼人のリルエットはお世辞にも幸せな生活を送って来たとは言えない。帝国、中原諸国、南部の各都市を渡り歩いた幼少期は他者が容易に味わえない混沌で満ちていた。冒険者に身を窶した今より、命の遣り取りは昔の方がずっと多い。駆け抜けた修羅場は数あれど、望んで飛び込んだ修羅場は片手の指で数えきれるだけしかない。
出会って二日の相手と心中するのか、と問われれば答えるまでもない。
確たる目的がある以上、リルエットはベロニカのように無頼の制止を押し切れない。
無頼はまだ、目的を共にしてくれると約束してはいないのだ。
「マニトバ、お前もだ」
「絶対に戻ってくるから、少しだけ待ってて」
無頼はマニトバの鼻っ面を押し返し、ベロニカも首筋を軽く撫で背を向ける。
マニトバは少しだけ寂しそうに二人を見つめていたが、次第に遠ざかっていく背中を見て諦めたのか鼻を鳴らし、霧雨の彼方にある厩舎へと戻っていく。
「無頼……」
一人残されたリルエットは遠ざかる二人を見送るが、街を覆い尽くす霧雨に紛れて、大小二つの背中はすぐに見えなくなる。
遠くで響く剣戟の音、次第に濃くなる霧雨を前に、リルエットは自身の直感を信じることが出来ず、一歩を踏み出すことはなかった。




