身勝手な者②
力が湧き上がる。
無頼は身体に漲る活力を頼りに壁を蹴り、二階の窓枠を踏み越えて跳躍した。
身体の調子が良い。
ベロニカとの諍いで鬱憤を発散させた所為か溜まっていた疲労が抜け、ミロシュに活身魔道術を施された時以上の跳躍力を実現させていた。
「…………っ!」
旋回していた翼竜の下方から突如現れた無頼に、竜騎士は愕然とする。アレだけの大声、翼竜に騎乗した魔道騎士は二人の存在を認知していた。しかし詠唱した魔道術は小回りの利かない大技、牽制として使いには勿体なく、咄嗟に放つには位置が悪すぎた。
シャン……と竜鱗と魔剣の切先がかち合い、盛大に裂ける。翼竜の口から悲鳴に似た咆哮が迸ると、翼竜は忽ちバランスを崩して石畳に身を投げた。
「ぐわぁっ!」
当然騎乗していた魔道騎士もドラゴンの背から投げ出され、飛箭対策にと身に着けた重厚な鎧の所為で受け身も取れず石畳に叩き付けられる。体は跳ねて転がり、鎧が石畳にこすれ合う。
詠唱で集めた魔力が霧散するのを感じながら魔道騎士は体を起こす。ジンジンと各部が痛むが、幸運にも骨折など致命的な怪我は負っていない。口内に鉄味はなく、舌を噛んでもいなかった。
荒れた呼吸を整え、周囲を警戒する。
「《我は影を――――ぐえっ!!」
そして再び詠唱をしようと開いた途端、鳩尾に尖った爪先が突き刺さる。
重たい鎧を身に纏ったまま二転三転、しかし高所から落ちる程のダメージを受けておらず難なく立ち上がる。
「…………」
「髑髏マスクかッ!」
ゾッとした魔道騎士は戦棍を構え、そこに紫の長刀が叩き付けられる。
金属同士がぶつかり、火花が散る。鍔迫り合いの形で何とか持ち堪えるが、嬉々として力を籠める無頼を前に均衡が破られるのは目に見えていた。
「魔道術、使わないのか? 空の上の相方も助けに来てくれないな」
「――――ッ!!」
「口を開いたら籠めた力が抜けていく気がするんだろう? 魔道術なんてものに頼り過ぎて、己の肉体を鍛えなかった過去の自分を恨むんだな。ほら、更に押し込むぞ」
魔道騎士は詠唱どころか、足を動かすことすら出来なかった。
一歩でも後ろに下がれば長い刃が自身の首を撫で切りに、前に踏み出せば武器を圧し折り両断される。フーフーと息を吐き出すのがやっとで、口を開けば無頼の言葉通り力負けしてしまう。
汗が滲み、皮手袋の下で戦棍を握る両手が滑る。
無頼の巨体が覆い被さるように迫り、刃が肩当に触れる。
「ギシャアアアアアアアアアアア!!」
「フリード!!」
あと数ミリ、嗤う髑髏マスクを身に着けた無頼に、巨体が衝突する。
魔道騎士は思わず叫んだが、刃が裂くより先に無頼の体躯は撥ね飛ばされる。
自身の怪我も顧みず、翼竜は無頼に体当たりを仕掛けた。ぱっくりと裂かれた腹部からは真っ赤な鮮血が流れ落ち、真っ白な石畳を痛烈に彩っている。苦しみの表情を浮かべながらも、翼竜は騎手に目を向け、戦う意思を示す。
「《我は影。今ここに最後の一節を刻む》」
相棒の助力で九死に一生を得た魔道騎士は、慌てて用意していた短詠唱を行う。
バラバラと翼竜に取り付けた木板が魔道騎士の魔力を受けて剥がれ、人型に組み上がる。魔道人形は簡素な武器を手に、倒れて動かない無頼を警戒する。
「《我は生命を分け与える者》」
魔道人形に警戒を任せ、魔道騎士は相棒である翼竜に治癒の魔道術を試みる。
竜種の生命力は素晴らしい。ぱっくりと腹を裂かれても、活身魔道術で治癒を促進させれば数分後には傷口が塞がり、切れた筋組織を繋ぎ直して空を飛ぶことも出来る。
問題はその数分を、無頼相手に稼がなければいけない点だ。
「ああ、くそっ! 竜の存在を忘れてた……」
無頼は起き上がり並び立つ魔道騎士と翼竜、そして三体の魔道人形を睨む。
黒曜の瞳には苛立ちの炎が揺らめき、灰色の空模様と髑髏マスクが身に潜む恐怖心を引き立てる。額には流血の一本筋を描いていたが、目に見える負傷は他になく、万全の状態だと判断しても差し支えはない。
「フリード!」
「きゅい!!」
魔道騎士は戦棍を片手に魔道人形を操り、翼竜フリードは相棒である魔道騎士を庇うように前に立つ。
無頼は『亡霊挽歌』を片手で構え、左手に魔剣の鞘を握る。
「二対一……いや、空の奴らも込みで四対一。人形どもまで含めると更に増えるな……」
高揚する気持ちを隠そうともせず、無頼は一歩一歩、警戒もせず歩み寄る。
「一人で正解だった。独りで戦えて、本当に良かった……」
一瞬。
左から右へ、鋭い斬撃を浴びせる。一つの動作で魔道人形三体が斬り飛ばされ、砕け散る。
以前の無頼に長刀を扱った記憶はない。技能を身に着けた覚えもない。
ただ魔剣をどう振るえば、どれを倒せるのかが分かるだけだ。
ウィナーのように手数の多い相手なら長刀一本で、今のように多勢を相手にする時は手持ちの武器を増やせば、それだけ戦いは有利に進む。それが分かるのだ。
無頼は崩れ落ちた魔道人形の残骸を蹴り飛ばす。
「…………」
無頼は黙して進む。
魔道騎士と翼竜はジリジリと後退を始め、空からの援護を待っている。しかし何時まで経っても援護はない。視界は良好、地上には迎撃用の対空武装もなければ魔道士もいない。
その様から無頼はとある結論に辿り着き、思わず呆れてしまう。
「見捨てられたな」
「馬鹿を言うな!!」
正体不明の敵に翼竜を切り落とされ、助けを求める友軍の近くには切り落とした敵がいる。義に厚く猪突猛進な者は別だが、真面な思考をしているなら危険を顧みず救出や援護を敢行したりはしない。誰がどう見ても罠、この状況は上空に残ったもう一騎を誘っている風にしか見えない。
しかし落とされた魔道騎士はそれを頑なに認めようとせず、無頼に食って掛かる。
「俺は竜騎士だ! 地を這う雑兵どもとは違う、辛い訓練に耐え魔道術に精通し、ドラゴンと心を通わせる。それが竜騎士、全てを高い水準でこなすエリート兵だ! 見捨てられる筈がない、絶対に! いや、お前なんぞに……体の大きいだけの冒険者に負けて堪るか! 俺と、フリードが!!」
「きゅいっ!!!」
「《再現せよ》ッ!!」
魔道騎士の叫び、翼竜が呼応する。
身近な詠唱にに合わせ、切り裂き打ち砕いてバラバラに散らばった魔道人形の木片が磁石に引き寄せられるようにして元の形を取り戻す。三体の魔道人形は所々部品が足らないものの、鉄剣を手に身構え今だ戦闘能力を残していると分かる。
「負けて堪るかっ!!」
魔道騎士は無頼に怒気を向け、一直線に殴り掛かる。戦棍が『亡霊挽歌』を叩き、深い所まで押し込む。ギリギリと金属同士が擦れ合い、無頼と魔道騎士の距離も近づいていく。
戦棍をこのまま振り下ろせたなら頭蓋骨はかち割れる。今は拮抗していても、力の向きは上を取っている方が断然に有利だ。
「ふ、ふふっ……」
にも拘らず、無頼の髑髏マスクからは笑みが零れる。
「な、何が可笑しい!!」
「いいや、少し面白くなってな。悪気はないんだ。気に障るかもしれないがね」
無頼は戦棍を押し止め、斬りかかってくる魔道人形を蹴り倒す。
余裕を残した様に魔道騎士はギョッと目を見開き、その感情の動きに受け込むようにして無頼は囁く。
「勝つ負ける……剣と魔道術を使ってスポーツやゲームでもやっているのか? 顔を殴ったら一点、胴を切ったらもう一点」
「――――ッ!!!」
「教えてくれ。竜を斬り落としたら何点貰えるんだ?」
「このっ、くそ野郎っ!!!」
相手の瞳に憎悪が宿ると同時に、無頼は重心を横に移動させる。魔道騎士の握った戦棍は『亡霊挽歌』の刃を滑り、無頼に触れることなく石畳を叩き割る。
石畳の破片が舞い上がり、それを突っ切って現れた無頼が長刀を振り下ろすと、鉄を鍛え上げて作られた戦棍の先端が両断され石畳を跳ねる。
憎悪の籠った碧眼に驚愕が、そして死への恐怖が色濃く浮かぶ。
「なっ……そんな……!!」
「勝敗は、戦っている最中ではなく生き残ってから考えるものだ」
カランっと戦棍の先端が石畳を転がり、溝に嵌って止まる。
唖然と固まる魔道騎士を守ろうと魔道人形が無頼に襲い掛かり、やはり一太刀で斬り伏せられ木片に戻る。稼げた猶予は数秒もなく、我に返った魔道騎士が目にしたのは、自身の首に向けて振るわれた紫の刀身であった。
「ちぃっ!」
目を閉じ死を覚悟した魔道騎士の首を刎ねるより先に、魔剣の斬撃は止まる。
そして魔剣を鞘に収めて数歩、無頼は後方に飛び退いた。
カンカンカン、と三発ほど連続して何かが飛来する。無頼の居た場所には直径数センチの穴が開き、中には小さな鉄球が埋まっていた。
「スチュアート、援護が遅れてすまない」
「あ……、ああ……。遅ぇんだが……、ああ、助かった……」
上空で地上に墜ちた同僚を見守っていた竜騎士がすぐ傍に舞い降りる。
連続して鉄球を打ち出して無頼を寄せ付けない竜騎士は、呆然自失の同僚に笑い掛ける。実際に無頼に対峙した魔道騎士にとっては、その笑顔がとても楽観的に思えた。
斬撃の鋭さから体捌きまで、無頼には鎧を纏った騎士では再現出来ない行動が多い。軽く見てかかれば忽ち首が躰から離れてしまう。それは実際に立ち会わなければ分からない感覚だ。
その恐怖を思い出し、魔道騎士は身震いする。
「見ろ、フリードは回復しているぞ。お前が乗るのを今か今かと待っている」
「馬鹿! 目を離すな、相手は怪物だぞ!!」
「ハハッ、警戒し過ぎだ。所詮剣士、上から見てそれは充分に分かった。《回転れ回転れ、存分に踊れ》」
竜騎士は魔道騎士の助言を一蹴する。
確かに無頼は竜騎士の操る鉄球を前に近接攻撃を封じられている。しかし最初は十二個もあった魔力を込めた鉄球が、今は四個切り落とされ八個に減っている。掠りはするが致命傷を与えられていない。一個切り落とすごとに一歩進み、あと五個切り落とされらなら無頼の間合いに入り込む。それに竜騎士は気付いていない。
「ケヴィン、離脱しよう。翼人狩りは無しだ」
「臆病風に吹かれたか? 中原では珍しい女の翼人だ。孕ませ数を増やせばオレーサを落とすよりずっと価値がある。将軍の言葉を忘れたか?」
「馬鹿野郎!」
そう得意気に話す間にも無頼は鉄球を二個も切り落とし、二歩前に進んでいる。
魔道騎士は先端の無くなった戦棍を捨て、フリードに飛び乗る。相棒の翼竜も無頼にただならぬ気配に恐怖を感じているらしく、今すぐにでも飛び上がろうと羽を忙しなく動かしていた。
翼竜フリードは魔道騎士を乗せた途端に飛び上がり、魔道騎士は相棒と自身の気持ちを合わせて忠告する。
「危なくなったら離脱しろよ! 俺はこれ以上ここにいるのは耐えられん」
「親切にどうも。俺一人でもあの程度――――」
ヒュン……と風切音が聞こえ、新たな鉄球を取り出そうとした竜騎士が射落とされる。
「ぐあっ!」
「ケヴィン!!」
魔道騎士が叫ぶ。
弓矢は的確に肩を射抜いていた。致命傷には達しないが、少なくとも鉄球を操っていた魔力の糸は切れ、カランカランと金属が石畳で跳ねる音が響く。
竜騎士の翼竜は驚き、身構えると主人を射落とした射手を睨む。
「あ、当たったんだ!!」
宿屋の二階、宿泊用の一室にある大きな窓。そこにはリルエットが身を乗り出して弓矢を番え、背後に控えるベロニカに驚きを向けていた。
青白い羽を折り畳んだまま、リルエットは次を放つ。
長弓から放たれた矢は一直線に主人を失った翼竜に向かうが、頑強な竜鱗に弾かれる。
その返しにとばかり翼竜は吼え、リルエットに喰らい付かんと飛び上がろうとする。
「キャンキャン喚くな」
その首筋に、紫の閃光が走る。
ずば抜けた膂力を頼りに全力で振り下ろされた『亡霊挽歌』は、硬い竜鱗ごと翼竜の頭を切り落とす。瞠目したままの竜頭が石畳に転がり、一瞬遅れて首筋は翼竜の血と火炎袋に蓄えた熱量を吐き出す。
断末魔を上げることなく死に絶えた翼竜の遺体の傍には、ガタガタと震える竜騎士が座り込んでいた。股間の辺りは湿り、白い湯気が上っている。
もう一騎、最初に切り落とした竜騎士は既に離脱を始めていた。ぐんぐんと安全圏まで高度を上げ、次第に見えなくなる。
「無頼、無頼無頼!!」
鞘に『亡霊挽歌』を収めてその様子を見守っていた無頼の元に、二階の窓から飛び降りたリルエットが寄ってくる。翼を広げ滑空、タタタッと小走りを経て無頼に飛び付くと返り血で汚れた頬に口づけする。
「凄い凄い! 竜の頭を切り落とすなんて凄いんだ!!」
「止せ、やめろ、リルエット」
リルエットを引き剥がそうとする傍らで、無頼の右手が空を切る。
「まだ敵が残ってる。もう少しだけ、待て」
リルエットの顔の前に右手を突き出した無頼は、その姿勢のまま竜騎士を睨む。魔剣の魔力に染められた右腕には鉄球が握られ――、いや、鉄球であったドロドロの金属が握られ、ぽたぽたと石畳に零れ落ちていた。
最後の悪あがきも失敗した竜騎士は、そそくさと両手を挙げて降参する。
相方である翼竜の亡骸を背に半笑いを浮かべる竜騎士に、無頼は鞘に収めたままの『亡霊挽歌』を叩き付ける。蟀谷を撃ち抜かれた竜騎士は、数メートル吹き飛び、路肩に設置された魔力灯に当たって蹲る。
無頼は悠々と竜騎士の元に歩み寄り、魔剣を抜く。
「降参……する……やめてくれ……」
振り下ろした魔剣を寸前の所で止め、舌打ちする。
無頼の歩いた石畳には血の足跡が残る。顔を彩る赤い飛沫は赤黒い粉となって剥がれ落ち、風に混ざって強い鉄錆の臭いを運ぶ。
無頼はもう一度、竜騎士を鞘に収めた魔剣で殴打する。
そして何度も何度も執拗に、右手の痛みが消えるまで素手で竜騎士を殴り続けた。
「ハァ……ハァ……」
一粒、頬を濡らした水滴が無頼の意識を引き戻す。
鉛色の空が、地上の諍いに耐え切れなくなって涙を流し始めた。豪雨にはなりそうにはない、しとしとと空気を湿らすだけの静かな雨だ。
宿屋の三階でこちらを見下ろすベロニカに目を向け、そのまま空を見上げる。
重たく沈む空の下、ドラゴンは一匹たりとも飛んでいなかった。




