身勝手な者
ギルドが用意した宿屋『馬の蹄亭』に戻った無頼とベロニカは、何処かに放り出す訳にもいかないので仕方なくリルエットを同行させ、亭主と面会する。無頼は、宿屋の亭主に今日で退出することを告げ、先払いしていた宿賃から一日の宿泊分と手数料を引いた額を返してもらった。
亭主が素直に返金に応じたのは、街の住人として旅人に迷惑をかけた負い目があるのかもしれないと、無頼は頭を下げる初老の亭主を見て考える。
退出するのはそちらの都合だ。文句なら攻めてきた隣国に言え。
そういった反応を予想していた無頼は毒気を抜かれ、逆に亭主の反応に対し申し訳なさを感じてしまう。
先払いで渡した額は五千シード、金貨五枚。
返って来た額は三千五百シード、金貨三枚と銀貨五枚だ。
「無頼、隣の厩舎からマニトバ連れて来ていい?」
「ああ……ってローニャ、マニトバって何だ?」
荷物を纏めていた無頼は聞き慣れない単語に首を傾げる。
尋ねようと顔を上げた時には既にベロニカは部屋から飛び出し、階段を駆け下りる音が開いたままのドアから聞こえてくる。
前後の単語から関連付けるにどうも馬の名前らしいが、無頼としては何時手放すかも分からないツレに名付けるのはあまり賛成できなかった。
確かに馬がいると荷運びは楽になるが、必要な飼葉や水を確保するのは一筋縄ではいかない。具体的には維持費の問題だ。受け入れる設備がある街ならいいが、そうでなければどれだけ吹っ掛けられるか分からない。
「飲料水は確保出来たが、……食糧はもう遅いだろうな」
無頼は軽くなったバックパックを持ち上げ、部屋を出る。
サクラメントから渡された地図を見る限り、中原の各都市は徒歩でも数日歩けば到着できる距離に点在する。オレーサの近郊も例外ではない。国境側には徒歩で十二日の距離にネブラスカの街が、カンザス公国の内地には八日で次の街が存在する。小さな山村を加えれば更に中継地は多く、食料の調達に対する不安はそれほど大きくはない。
「そう考えると、馬はいても悪くないな」
無頼は考えを改める。
街道で斥候と遣り合った時のように、ベロニカを逃がす為に馬を使うのはリスキーだと無頼は散々に思い知らされていた。馬の足は速く、足止めと離脱には不可欠な存在だ。しかし逃がした先に敵がいた場合、それは致命的な失策になる。足止め要因に馬の速度がない以上、救援に駆け付けることも出来ない。
だが予め待機場所を決め、旅の最中に足りない物資を買い付けに近隣の街を訪れるのには馬の速度は有難い。一度に運べる水や食料も増え、街に立ち寄る回数も減らせる。
そもそも無頼は馬に関する知識をそれほど持っていない。どのような餌を与えればいいかの食糧事情を始め、手入れの仕方や休養の取らせ方など。干し草と人参が好きな生物らしい、その程度の認識なのだ。
ちなみに知識の乏しさから乗馬の経験はないと推測し、騎乗には『亡霊挽歌』の手を借りている。ミロシュも然り。馬に一番詳しいのは、消去法でベロニカということになる。
「世話……出来るのか……?」
少しの不安を足に乗せ、無頼は階段を降りて行った。
無頼が『馬の蹄亭』の一階に辿り着くと、ベロニカと亭主が談笑していた。
「無頼、見て! おじさんに貰っちゃった!」
「お嬢ちゃんが可愛いから、特別さ」
ベロニカは手にした袋を掲げ、亭主は朗らかに笑う。
微かに漂う芳ばしい香りから、何かの食べ物だと無頼は推測する。
ベロニカが袋を開けて見せると、中に入っていたのは出掛け際に食堂で支給していたパンの残りであり、旅の餞別にと亭主がベロニカに渡した物であった。
無頼は亭主に頭を下げて礼を告げ、自室に戻ったリルエットを待つ。横ではベロニカと亭主が世間話を始め、それに混ざる気の起きない無頼は荷物を床に置き、手近な椅子を引いて座る。石に話し掛ける人がいないように、無頼が放つ拒絶の意思を汲み取った二人は無頼に話題を振ることはなかった。
太陽が雲に覆われている所為か外は暗く、入り口の方からはマニトバの嘶きが聞こえてくる。そわそわと落ち着きがなく、頻りに窓から覗き込むマニトバの様子を不審に思った無頼は、『亡霊挽歌』だけを手にして入り口に向かう。
そして入り口から顔を出した瞬間、耳を劈く悲鳴が街に轟く。
無頼の真上には、翼を広げ旋回する二匹の翼竜がいた。城壁を飛び越え街の中心部まで辿り着いた翼竜は、悠々と眼下を見下ろし威嚇する。悲鳴をあげた女性も、建物に飛び込み入り口を固く閉めていた。
城壁に用意した連弩は街の中心を旋回する翼竜には当然届かず、頭上の竜騎兵を追い払わない限り市街地は人質同然だ。
「ローニャ、そこにいろ」
「にゃっ、私も――――」
「絶対に、動くな」
無頼は扉から顔を出したベロニカを押し止める。
翼竜は高度二十メートル程度の高さを旋回している。市民に対する威嚇として絶妙な高度だ。高すぎると姿を見せる意味が減り、低すぎると予想外の反撃を喰らう可能性がある。対地攻撃に魔道術を使うのならば、どうしても視認出来る高さでなければならない。その限界が二十メートル、三階建ての建造物を少し上回る高度なのだろう。
しかし実際の所、飛び回るドラゴンの背に乗って地上を具に観察など出来ない。
二騎一組の竜騎士、その片方を下にして、攻撃を誘っている気配を無頼は感じていた。占領後に敵愾心を持つ者を炙り出すつもりだろうか、囮の竜騎士に手を出せば即座に二騎の竜騎士の反撃を受けることになる。
「どうどう、マニトバ。落ち着け」
マニトバの手綱を引き、無頼は物陰に隠れる。名前を呼ばれたマニトバは、誰のことだ? と鼻っ面を震わせ、鉛色の空に浮かぶ竜の巨躯を眺めている。
攻城戦はまだ続いている。
矢を撃ち合う音、雄叫び、悲鳴、絶叫――離れた場所の戦闘音が、活気を失い静まった市街に届いている。
難攻不落、とリーウットが称するだけあって守備兵の練度は高く、攻城戦で絶対の優位を誇る竜騎兵を前にしても門は落とされてない。
(なら、何故……?)
無頼は空を見上げる。
オレーサは高さ十メートル、厚さ十五メートルの城壁を備え、正門である南門の隣――東西の城門は河川や堀に囲まれて強襲を加えることも出来ない。跳ね橋が無い状態で堀から登ろうとするなら、元々十メートル積み上げた城壁の高さは更に高くなり、被害の割に成功率はどん底を彷徨うことになる。
ともすれば、やはり狙うは正面突破が最も無難で成功率が高い。
正面に前線力を集中させずとも、ある程度を前線に釘付けにした後、内部を攪乱して内側から開ければいいのだ。
オレーサはカンザス公国の城塞都市である前に中原世界の中継都市である。往来の自由を保障しなければならない以上、知らぬ間に敵を招き入れるリスクが存在する。それは都市と一体化した城塞の、切っても切れない腐れ縁のような弱点である。
オレーサの城壁で見た限り、ネブラスカが用意したドラゴンの数は八匹。
守備側の戦力を削げる竜騎士を二騎、こんな戦況を左右しない場所に配置する意味はない。示威行為だけなら、城門を落として占領した後にも充分行える。
「……まさか、な」
無頼が翼竜を睨んでいると、脳裏を過った嫌な予感を肯定するかのように魔剣が震え始める。カタカタカタ、と迫り来る危険を亡霊が囁き、無頼は仕方なくマニトバの手綱を離す。
そして物陰から出て行こうとした矢先、無頼は背中の声に引き止められる。
「無頼、待って」
「ローニャ?!」
「裏口から回って来た。それより無頼、まさかドラゴンと戦うつもり?」
「ああ、そうだ」
「正気じゃないよ! 勝機がないって言ってるんじゃない、市街の上で戦えば、オレーサの市民に被害が出る!!」
ベロニカが叫び、無頼は冷めた目でベロニカを睨む。
「何か、問題があるのか?」
「にゃっ!?」
「市民に被害が出たとして、それは街の問題だ。カンザスとネブラスカ、二つの国の問題で、俺たちが負い目を感じることはない」
「無頼ッッ!!」
ベロニカは跳び上がり、無頼の頬を打つ。
フーフーとベロニカは息を荒げ、怒りを顕わにする。
『亡霊挽歌』の補助を得ている無頼がベロニカの平手を避けるのは容易い。だが無頼は甘んじて平手を喰らい、そのお返しにベロニカを睨み続ける。
「弱い者を守るのは、戦える者の義務……」
ベロニカは目を閉じ、無頼の圧力から逃げるように唱える。
「貴族が義務を負うのなら、王族はより多くの義務を負わなければならない。私は小さい頃から、常々言い聞かされてきた。国王は国民を守り、国民は平和で健康に暮らすことで国に貢献する。確かに私はこの国の王族ではないし、オレーサの市民を守る義務はない」
「…………」
「でも私たちはオレーサの街を歩き、物を食べて、一夜を明かしたんだよ。さっきみたいに手を貸さないって無頼が言うなら、それでもいい。私もミロも尊重する。でも私の安全の為に、私だけを守る為に無辜の市民が傷つくのなら、私は守って貰わなくていい!!」
泣きそうな声でベロニカは叫び、終わるや否や無頼は手を伸ばす。
「志だけは立派だな」
胸倉を掴み持ち上げ、ベロニカの顔に自分の顔を近づける。
「その信念は尊重する。きっと祖国で暮らしていれば、立派で高潔な指導者になれただろうな。だがローニャ、ここはお前の国じゃない。身分を隠したお前を誰が助ける? 身分を明かしたら最後、お前の身柄を狙う輩は次々湧いて出るぞ。思い出せ。『紅燕の旅団』からお前を助けたのは誰だ? 盗賊たちを打ち倒したのは? ネブラスカの斥候と出くわしてお前を逃がしたのは? 色物剣闘士の首を刎ねて大金を手にしたのは?
誰だ? 俺だ。俺と、ミロシュと、サクラメント。ローニャ、お前は口だけだ。体が思うように動かないのは当然だ。片腕がないんだからな。なのに立場を弁えず、立派な言葉を吐くのは王族だからか? 高貴な血が自身のアイデンティティなのは分かる。縋ることに文句はない。だが殺してやる、と復讐に息巻いていたお前が、現在進行形で俺とミロシュの庇護下に居るお前が、誰かを守るなど口にするな」
「――――ッ!!」
「俺たちが用意できる安全の傘は、決して広くない。お前の祖国がどれだけ広いかは知らない。結果的に大勢を助けることが出来たとしても、俺とミロシュが用意出来る安全地帯はローニャ、お前一人分だけだ」
ベロニカは黄金色の瞳に溢れんばかりの涙を溜め、けれど真正面から無頼の視線を受け止める。無頼の言葉に何一つ反論は出来ない。守って貰っているのは事実であり、国家の武力に個人が太刀打ち出来ない無頼の認識に間違いはない。
だが認める訳にはいかないベロニカは、一歩も引かずに額を突き合わす。
王族として教え込まれたアイデンティティを基盤に、気の強さを以て押し返す。
「私も戦う!」
ベロニカは牙を剥き、無頼から託された(勝手に私物化した)黒短刀を握る。
戦いが避けられないのなら、自分がコントロールするしかないとベロニカは考えていた。
「戦えるのか、片腕のお姫さま?」
「自分の身くらい、自分で守る!!」
「ならいい。今回ばかりは手が回らん。助けて欲しい時は、大声で叫べ」
無頼はベロニカの胸倉を離し、伸びた衣服を優しく整える。そして『亡霊挽歌』の鍔を左手の親指で押し上げ、空を仰ぐ。
頭上の翼竜は以前より高度を下げ、騎乗した魔道騎士も頻りに市街に目を向けている。
「ローニャ、見ろ」
「にゃ?」
「奴ら何かを探しているぞ。魔力の痕跡……俺には良く分からんが、そういった何かを追ってきた可能性は?」
「私は良く分からないけど、……あ、確かドラゴンは鼻が良いって聞いたことがある! 魔力の残滓も含めて、追跡にはかなり長けてるって……あっ!」
翼竜が一気に高度を落とし、石畳を舐めるように飛ぶ。
ベロニカの驚きは、突然目の前を通り過ぎたドラゴンと、そのドラゴンを操る竜騎士が市街に現れた理由の一端を悟ったからである。
ドラゴンは臭いを追ってきた。
魔力の残滓、体臭や鉄錆臭、どれを追ってきたのかは分からないが、既に数分、同じ場所で獲物が現れるのを待っているのだから、その獲物が近辺にいるのだと分かる。
「ひょっとして、『亡霊挽歌』の魔力を……?」
煌々と紫色の魔力が立ち昇り、物陰に隠れた二人を煽る。
"戦え、戦え。剣を振れ"
カタカタカタ、と魔剣が震える。
"悩む前に戦え。先人たちのように"
迸る魔力が、亡霊たちが嗤う。
異様さを感じ取ったベロニカは無意識に距離を取り身構える。押し寄せる熱波のように目に見えない何かが無頼の身体に纏わりつき、狭い視界を歪め、ジリジリと正気を崩していく。
「あ……無頼、待って……」
意図せず漏れ出した言葉は無頼に届かない。
『亡霊挽歌』は滔々と魔力を発散し続ける。
空間の密度を高める魔剣を手にした無頼を前に、ベロニカは呼吸も儘なら無くなる。密室で小麦袋を破った後のような、濃密な気配が空間を侵食していく。
殺気だ。
研ぎ澄まされた理性と、荒れ狂う魔力のハイブリット――無頼と亡霊の邂逅は、互いに補い合っていた。無頼は魔剣に手段を求め、『亡霊挽歌』は空の器に目的を求める。
頭上では動揺を隠そうともしないドラゴンが暴れ、竜騎士は不審に思いながら手綱と魔道術で鎮める。
「ローニャ、そこにいろ」
颯爽と髑髏マスクを取り付けた無頼は同じ台詞を、同じ口調で囁く。
「どの道空飛ぶアレ相手に、お前は手出し出来んだろう」
自分も、と飛び出していこうとした前回と違い、ベロニカの身体は一歩も前に動こうとはしない。尻尾は太腿に巻き付き、右手は黒短刀に掛かりっぱなしである。
ベロニカは、怯えていた。
「お前だけは、絶対に俺が守ってやる」
無頼の髑髏マスクが妖しく嗤う。
何も答えることが出来ず、ベロニカは半笑いで頷き無頼を見送る。
触れば切り裂き、声を出せば喉元に刃先を突き立てられる――そんな殺気を発している相手に「守ってやる」と言われ、頼もしさと先行きの不安が込み上げてごちゃ混ぜになった結果、思考を放棄する他なかった。
「例えお前が拒否しても」
そして無頼は建物の壁を蹴り、宙を行く翼竜に斬りかかった。




