しかし、金は命で買える③
薄らと太陽が翳りを見せる曇り空に、男たちの雄叫びが轟く。
無頼の登場を囃し立てるのは三連勝中の百人隊長を抱えるネブラスカ軍で、オレーサ守備隊は敵と部外者の争いを冷やかに見守っていた。
無頼は腰に『亡霊挽歌』を佩いていたが、手にしているのは特徴のない普通の剣だ。長くもなく短くもない、軍用として大量に誂えた剣は、無頼が握るとひどく小さく見える。
「ハッハッハ、見ろ! 次は冒険者が来たぞっ!!」
剣闘士然とした百人長は大袈裟な笑い声を上げると、左右に分かれた部隊もそれに同調して無頼を嘲り笑う。
一騎打ちの形態を取り、優勢を維持している甲斐あって左右から千人が殺到する事態にはなりそうにない。左右それぞれの先頭には部隊長然とした見てくれの騎士がいて、特等席で一騎打ちを楽しもうとする魂胆が滲み出ている。
「失敬、俺はハリー・キリング。貴殿で四人目だ。怖がることはない。散々に盛り上げてから、優しく倒してあげよう。殺しはしない。貴殿は雇われだからな」
ハリーは剣を鞘から抜き放ち、バックラーを構える。
そこに無頼は無言で斬りかかる。顔の下半分には髑髏マスクが嵌り、上半分には黒曜の瞳が妖しく輝く。上から下に、単純だが強力な攻撃だ。
金属がぶつかり合い、火花が散る。
無頼の一撃を難なくバックラーで弾いたハリーは、隙を見せた無頼に安易に反撃せずに距離を取る。
「名乗りを聞いていない。一対一の決闘だ。互いが名乗らねば始まらんだろう?」
「俺は騎士じゃない。一騎打ちをやりにきたんじゃない」
「ほう。なら貴殿は何をしに?」
「お前の髭を剃りに来た」
髑髏マスクの下では口角が吊り上がり、魔剣に宿った亡霊が「殺せ!」と鞘の中でのた打ち回る。
無頼は刃先をマスクで覆った自身の顎に当て、目を丸くするハリーとの距離を詰める。
そして淡々と斬撃を浴びせる。バックラーが剣を弾き、火花が散る。
鉄の剣を軽々と、まるで木剣のように扱う無頼の斬撃はとにかく速くて重い。ハリーは唇を噛み締め、必死に受け続ける。
「うおっ、このっ!! ぐあっ!!」
切り結ぶこと数回、ついに無頼の剣先がハリーの太腿を掠る。
痛みに顔を歪めるハリーは、バックラーで無頼の攻撃を振り払い無理矢理距離を取るが、足を滑らせるように無頼は距離を詰め、盾などお構いなしに振り下ろす。
ハリーの顔に、余裕など微塵も残っていない。
キンッ! キンッ!! と甲高い音が二人を囲む兵士たちの耳を埋める。
当事者でない彼らの瞳に映るのは、侵攻軍の誇る強者が闇雲に剣を振り回す巨漢に防戦を強いられている光景だ。
最初は相手の好きにやれせて、最後は勝つ――要は弄んでいるのだと楽観的に騒ぎ立てていた侵攻軍も、怪しい雲行きに眉を寄せる。
歓声は静寂に変わり、静寂をはち切らんばかりの失望が鼻先を覗かせていた。
「どうした、剣闘士。ほら、ほら! 動きが鈍いぞ!!」
無頼は大声で挑発する。
切り傷から溢れ出た血によって顔に赤を散らしたハリーはぐっと悔しさを噛み締める。
無頼の攻撃はハリーが一対一で相対した誰より力強く、巨躯に似合わず俊敏だ。斬撃を盾で弾けないことはないが、弾いた剣先が即座に向きを変えて襲い掛かってくる。
反撃しようだなんて頭にすら浮かばない。いま弾くだけにも拘わらず生傷は増え続け、反撃しようものなら武具ごと真っ二つにされる未来が待っている。
圧倒的な身体能力は、生半可な小細工では覆せない。
ハリーは身をもって知らされていた。
「そろそろいいな」
無頼は息を荒げたハリーのバックラーを掴むと、強引に引き寄せる。
「――――何をっ!!」
盾を剥ぎ、無理矢理剣戟を交錯させた両者の間に火花が散る。
ハリーの剣が手から離れ、無頼の剣は半ばで折れる。
一時の硬直を経てハリーは予備の短剣に手を伸ばすが、抜くより先に折れ短くなった剣がハリーの胸を貫く。
「くはっ!!」
鳩尾辺りに刺さった剣を更に深く捻じ込むと、ハリーは吐血し膝を折る。
折れた剣を伝う血が無頼の手を濡らす。無頼は不快な生暖かさに舌打ちして剣を引く抜くと、ゴポッと滝のようにハリーの中身が零れ出る。
無頼は支えを失い倒れるハリーの前髪を掴み、左右に控えた二千人の敵兵に見せつける。
兵士たちの騒めきを遮り、ハリーの耳元で囁く。
「約束通り、さあ、髭を剃ってやろう」
虫の息のハリーの体が強張る。
静寂に包まれていた周囲の兵士たちからどよめきが漏れ始め、多くの視線を釘付けにする。剣先から滴り落ちる血が地面に斑模様を描くように、周囲からは点々と無頼の行為を非難する怒声が飛ぶ。
騎士道精神に反する? 戦士を尊重しろ?
民草を奴隷として刈り取る国が何を言うんだと無頼は一笑に伏す。
「もう……やめてくれ……、俺の負けだ……」
シャリシャリと小気味よい音が響き渡る。無頼の手にした切れ味の落ちた剣は、赤黒く染まった髭を、顎の肉諸共削ぎ落としている。顎は更なる出血で真っ赤に染まり、涙の筋がそれを薄める。
口角の吊り上がった髑髏マスクを装着した無頼は、傍から見れば愉快に楽しみながら処刑を行う人格破綻者にしか見えない。記憶がないのだから人格も何もないのだが、それとは関係なく無頼は淡々とハリーの耳元で囁き続ける。
「城攻めには不要な大量の騎兵……お前たちには城門を破る秘策があるんだな? タネは二千の歩兵じゃない、別の何かが握っている。内通者かはたまた別の何かか。外の部隊は囮で、門を割った後一斉に雪崩れ込む為の騎兵だろうな」
「…………っ!」
「混戦だ混戦。俺が楽しい攻城戦に招待してやろう」
顎を剃り落した半分の剣を高く上げ、無頼は叫ぶ。
アドレナリンが体中を駆け巡り、ミロシュの魔力を受け昂った魔剣と身体が狂気に震える。
そして剣をハリーの喉元に当て――――
「さあ、俺を殺しに来い!!」
さっくり、と折れた剣が喉元を裂き、大輪の赤花を咲かせた。
息絶えたハリーの首元を何度も何度も折れた剣を叩き付け首を落とすと、両部隊の中心に放り投げる。
生首は緩やかな坂を転がり落ち、配置した敵兵の記憶に友軍の無残な姿を焼き付けた。
「一騎打ちだ、一騎打ち」
無頼は折れた剣を捨て、『亡霊挽歌』を抜き放つ。
「次は誰だ!!」
シャンと鞘を滑り出た『亡霊挽歌』は紫水晶に劣らない透明感ある刀身を輝かせ、無頼の手中で凄まじい存在感を見せ付ける。
残り百四十秒。
大部分を歩兵で構成した左右の部隊から、騎兵が飛び出してくる。義憤に駆られた特攻なのは瞭然だ。一騎打ちを誘っておきながら友軍が斬られた途端に激昂する相手に、無頼は蔑みの視線を送る。
距離にして数十メートル、時間にして十数秒――無頼は城壁側に後退する。
過敏になった意識を前方に集め大きく息を吸うと、下段に構えた魔剣を振り上げ、振り下ろす。
「一騎、二騎」
その僅かな動作の合間に先陣を切った軍馬の首が飛び、鎧を纏った騎士の攻撃は弾かれ落馬する。
太い軍馬の首が目の前を跳ねる。首を失った重い馬体があばら屋を突っ切り、倒れて大地を揺らす。その振動と巻き上がった木材の破片、そして鮮血は続く騎馬の足を止め、騎士たちの顔を驚愕色に染め上げる。
「三騎、四騎、五騎」
無頼は跳躍していた。
唖然と槍や剣を構えて固まる騎士までの距離、五メートルを一度の踏み込みで彼らの頭上を飛び越え、掴んだ手綱ごと空中で騎士を切り裂いていく。腕が、首が、上体が、『亡霊挽歌』の紫刃を受けて飛び、オレーサの緩やかな傾斜を転がっていく。
後続の騎士も慌てて手綱を引き馬を止めるが、釣られるように前へ前へと乗り出してきた歩兵はそう簡単には止まれなかった。
残り九十秒。
ミロシュに施された付与が切れるまでの時間だ。利いているのか甚だ怪しいが、唯一考慮しなければならない事柄だ。
無頼は自身の背中を追う軍勢を満足気に一望すると、放たれた風魔道術を『亡霊挽歌』で両断し背を向ける。心地良い風に背中を押される無頼は、自身に迫る軍勢を煽るように緩慢な動作で歩き出す。
一歩一歩慎重に踏み締める無頼の行く手には落馬した騎士がいる。
騎士はよろよろと立ち上がり、腕が折れ曲がっても離していない剣を向ける。動作が鈍いのは落馬の影響だけではない。元々馬上での戦いしか想定してない騎士鎧は重く、地上での白兵戦に向いていないのだ。
無頼は『亡霊挽歌』で二人の騎士の手首を切り付け武器を叩き落とすと、友人に対する気軽さで呻く二人に語り掛ける。
「お前たち、釣りをしたことは?」
「……腕が、俺の腕っ!!」
「実は俺もしたことがない。だが知識はある。魚相手だが随分と奥が深く、残酷な駆け引きをするらしい」
無頼はくっくっと笑い、二人の膝頭を魔剣で裂く。
許容量を超えた痛みに二人は悲痛の叫びをあげる。腕と脚――どちらも即死には程遠く、生き残るには流れる血の量が過剰である。
「お前たちは、生餌だ」
息を荒げ無頼を見上げる二人の騎士にそう言い放つと、無頼は魔剣を鞘に収め走り出した。騎士を助けようと幾人もの兵士が勇猛果敢に飛び出し、部隊全体もそれに釣られ前進を続ける。
背後から迫る鬨の声を引き離して無頼はぐんぐんと勢いを纏う。
正面には十メートルの石壁。余所者の為に街を危険には晒さない。そう言わんが如く、鉄門は固く閉ざされている。
「ミロシュ!!」
「《我は形を与える者》」
矢のような速度で城壁に突っ込む直前、膝を曲げ跳び上がる。
活身魔道術は手軽に獣人を凌ぐ身体能力を実現するが、無頼の筋力とのシナジーを以てしても十メートルの城壁を超える脚力を与えることはない。
「《淀む風よ、その存在を示せ》」
しかしミロシュの手助け――魔道術で城壁の半ばに風の足場を作り出し、そこで再び跳躍することで、無頼は城壁に手を掛け、数人の兵士によって引き上げられた。
無頼に目を向けるのはミロシュとベロニカ、引き上げた兵士を含めた周囲の数人だけ。
多くの兵士は眼下に迫り来る敵兵に注意を払い、弓を構えていた。
「今だ、やれ!!」
現場指揮官の合図により、詠唱を終えた数人の魔道士が魔道術を放つ。
城門側から烈風が吹き荒び、自身の立ち位置の危うさに気付いた敵将の叫び声を掻き乱す。
頬をすり抜ける風の狙いに勘付いたネブラスカの魔道騎士は冷や汗を流し詠唱を始めるが、魔力誘導で放たれた矢がピンポイントで魔道騎士の胸を貫き、血を吐きながら落馬する。
そこで初めて、歩兵たちは自分たちの置かれた状況を知る。
「下がれえええええええええええ!!!!」
城壁の上から、弓兵の掃射が始まる。
魔道士は絶えず詠唱を口遊む。魔道術で生み出した風を送り、それに乗った弓矢は凄まじい速度と飛距離を以て逃げる敵兵を撃ち抜いていく。備えの出来ている時なら魔道術で対処も出来ようが、逃げる味方に揉みくちゃにされる今の状態では詠唱を口遊むどころか正面を見据えることすらままならない。
糸の切れた人形のように敵兵が倒れ、動けない味方を踏み越え逃げる敵兵も次々打ち倒されていく。瞬く間に死者と負傷者が積み上がる。攻城を妨げる第二の壁と化した人馬を前に、逃げ果せた者も乾いた笑いを漏らすことしか出来なかった。
敵を野戦に誘き出す為の挑発を逆に利用され、二千の歩兵の内、死者六十二人、負傷者二百人超。大損害だ。第二部隊隊長を任された若手将校も勇んで飛び出したきり姿が見えない。
壮年の第一部隊隊長は悔しさを噛み締め、城壁から見下ろす無頼を睨む。
「――くそっ、撤退だ!」
黒髪黒目、長躯と髑髏マスクの組み合わせを記憶に焼き付けると、残存部隊を纏め上げ後方に陣を構える本隊の元に撤退を開始した。
「…………」
上空からその様子を窺っていたリルエットは、負傷者の回収も行わないネブラスカ軍の潔さに疑念を抱く。足を伸ばし敵の本隊の奥に――国境線の代わりになっている皇帝街道を越えてみようかと羽搏きを強める。
ギシャアアアアアアアア!!!!
しかし獰猛な雄叫びが彼方から轟き、手にした弓矢を抜くこともせずリルエットは慌てて引き返す。
「一匹じゃないんだ! なんでなんで、ここは帝国じゃないのに!」
悠々と空を泳ぐ翼人には、天地双方に天敵が存在する。
地上には、翼人を生きた部品程度にしか思わない欲望に塗れた人間たち。
天上には、翼人を上回る機動力と生命力を凶暴さでコーティングした生物が。
「なんで、ドラゴンがいるの!!」
リルエットの叫び声はじっとりと湿る空気に広がり、鉛色の雲に飲み込まれていった。




