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しかし、金は命で買える②


 季節は秋、と言っても夏の背中がまだそこに見えている現在、真昼の気温はぐんぐんと鰻上りに高まり、白い石畳に照り返す光が更に体感温度を上げる。

 オレーサの駐在軍は完全な籠城を決め込み、城壁に囲まれた都市の内部――商業区や行政区――には人通りが戻った。けれど市場に昨日のような活気はなく、道行く人々はそわそわと落ち着かない。口には出さないが、外周区、延いては城外に布陣したネブラスカ軍の動向が気になっているのだ。

 鉄壁を誇るオレーサの城壁が破られることはない、と住民に信じる心はある。

 だが何か、今回の侵攻に付き纏った妙な違和感を感じ取り、いつも以上に城壁外から意識を逸らせないでいた。


「ふ~んふんふ~ん」


 そんな彼らの真横を、軽快な鼻歌が通り過ぎる。

 大きなキャスケット帽子で耳を隠したベロニカは、体の線を隠す暑苦しいローブも一緒に脱ぎ去った。左腕を晒すのではないかと無頼は心配したが、サクラメントが誂えた服に抜かりはなく、右腕は指先までが長い袖の中に隠れ、膨らんだ左右の袖は充分に左腕の中身を連想させる。

 腰の辺りで尻尾は揺れているが、三角の獣耳が隠れて特徴が薄れている甲斐あって一目で聖王国の姫さまだと悟られることもない。


「ご機嫌ね、ローニャ」

「にゃふふ、やっぱりローブがないと快適なの!」


 くるくると両手――片腕は当然存在しない――を広げてベロニカは回る。

 ベロニカが上機嫌なのは見ての通りで、無頼とミロシュも安らかな気持に包まれていた。


「帽子、安くて良かったな」

「ええ。あの上物が五百シードとは……。無頼さんが交渉してくれたのでは?」

「相手が勝手に負けてくれた。俺は一言、"次来る時までに姫さんを説得する"と耳元で囁いただけだ」

「次はあるんですか?」

「さあな」


 銀貨五枚分軽くなった財布を手にミロシュは、旅の仲間が持つ経済観念に安堵していた。ベロニカが手直しの必要ない既製品で納得してくれたというのもあるが、元々二千シードまでは覚悟していた所を半分以下の出費に抑えることが出来たのだ。

 些細な節約でも貯まれば大金になる。

 そうケチな魔法使いに教え込まれたミロシュは二人の、特にベロニカの評価を改めた。


「ローニャ、ちょっといい?」

「にゃ?」

「何故今になって外周区に行こうと? みんな引き返していますよ」


 首を傾げるミロシュに、ベロニカはニッと笑みを浮かべる。

 いつもの人懐っこい笑顔ではなく、悪戯前の悪ガキのような笑顔だ。


「金の臭いがする」


 今朝と同じ台詞で、ベロニカは二人を誘う。

 結局今朝は何もなく引き返したが、今回は妙に自信があるのか足取りが軽い。

 その姿にミロシュは一抹の不安を感じ取る


「金の臭い……ローニャ、何の話なの?」

「一騎打ち。ふふっ、お遊びのような戦争には付き物にゃんだよ」


 一騎打ち? とミロシュは首を捻り無頼を見る。

 無頼はベロニカの意図を察している所為かただ黙って肩を竦める。その諦観からミロシュはハッと感付き、ベロニカに非難を向ける。


「ローニャそれは……!」

「ミロシュ、大丈夫だ。これは俺の役割で、やはり適任は俺だ」


 再び遠くで歓声が上がる。

 前回は特に意識することもなかった歓声も、"一騎打ち"とベロニカが口にした言葉により裏付けが成り立ち、憶測と邪推を呼ぶ。


「ネブラスカは誘っているんだろうな、城外での一騎打ちを。オレーサはきっと誘いに乗っている。乗らないと挙って相手は臆病者と罵り、守備兵の士気は下がる。けれど誘いに乗っても勝てなければ士気が下がり、三千人しかいない兵力を消耗する。指揮官は何としてもそれは避けたい。ふん、ドツボに嵌ってるな」

「指揮官は、きっと右往左往して解決手段を探してる筈にゃんだ。でも組織化した兵隊や貴重な騎士団は投入したくない。……いや、既に数人を投入して負けたんだから、これ以上の消耗は避けたい。兵力、士気のどちらも。私が狙うのはその後釜。一騎打ちで相手を打ち取り、法外な報酬をせしめる」


 ベロニカの口角が吊り上がり、瞳が爛々と輝く。

 推測から来た展望を前にミロシュは口を開き、しかし言葉が出ずに閉じる。

 ベロニカの計画には欠点がある。

 それは無頼一人に多大な危険を押し付ける無謀さだ。

 無頼は強い。『亡霊挽歌』の助けは勿論として、腕力や打たれ強さ等の身体能力の高さも活身魔道術に頼った騎士が持たざる強みである。素人集団を叩きのめし、高い戦闘力を持つネブラスカの斥候部隊を相手に撃退しているのだから、その実力に文句のつけようはない。

 昨日の城門前、狂化した獣人を衆目の前で斬り伏せて証明している。一騎打ちに異議を申し出る者もいないだろう。

 だが、あまりに危険だ。

 その特性上、一騎打ちは間違いなく城壁の外で行われる。敵を倒して終わればいい。だが、仲間を討たれて激昂した敵が数で無頼に襲い掛からないと誰が確約出来ようか。


「ミロシュ、深く考えなくていい」


 無頼は太陽が隠れ、薄く雲が張った空を見上げる。

 空の彼方には人影が、大きな翼を広げたリルエットが徐々に近づいてくる。

 三人が注視する中、無頼はミロシュに近づき耳元で囁く。


「いいか、俺たちは姫さんの家臣じゃない。もしローニャが、有無を言わさず仲間を蔑ろにするようなら――――」

「するようなら?」

「年長者として、教育してやればいい。ふん、邪推するなよ。俺は他人に完璧なんて求めないし、俺自身完璧に振舞えると思っていない。力で捻じ伏せ終わりに出来ると思う単純な男なら、俺はこんな場所にいない」

「わ、私は別に……」

「さあ、リルエットが来た。シャンとしろ、引き摺るなよ」

「きゃっ!」


 軽く背中を押した無頼は、まさか叫ばれるとは思わず顔を引き攣らせる。疚しい気持ちは何もない。ただのコミュニケーションだ。

 だが滑空するリルエットから目を離したベロニカは、悪戯色に瞳を光らせる。


「にゃああ……、無頼、人前でお尻なんて触っちゃダメだよ」

「なっ!」

「ちがっ、ローニャ、背中背中!」


 あたふたと弁明を始める二人を見てベロニカはケラケラと笑い、着地して小走りに寄ってくるリルエットを出迎える。

 妙に上機嫌のベロニカにリルエットは身構えるが、自分の仕事を思い出して率直かつ簡潔に告げる。


「無頼に倒して欲しい奴がいるんだ!」





 城壁の守備塔に登った三人は、リルエットに勧められて眼前に広がる敵のネブラスカ軍を眺める。

 数は五千と聞いていたが、広い丘陵地帯に部隊ごと散らばった敵軍は想像していたよりずっと少なく見えた。整然と並ぶ人波の中には何本かの攻城槌も見える。流石に平野で用いる攻城戦車は用意していないらしい。取り付かれたが最後、城門どころか城壁すら破壊されかねない兵器も、なだらかとはいえ坂道を進めるのは骨が折れると判断したのだろう。


「敵は五千の兵を五つの部隊に分けています。正面で左右に分散しているのは二千程、本隊三千は後方に配置しています」

「ああ、本当に五千いなかったのか」


 リルエットの案内でギルド支部長やオレーサ守備隊隊長の元に連れて来られた三人の前に、騎士の一人がやってくる。騎士は場違いな三人にチラチラと目を向けながら、上官が促すままに偵察で得られた情報を報告していく。


「前方の部隊までの距離は二百メートル、本隊はそこから五百メートル先。前方部隊の多くは歩兵で、本隊は主力が騎兵で構成されているとの報告が上がっています。魔道士の数は不明、騎兵は槍と弓、歩兵の多くはは盾と槌で武装しています」

「露骨な野戦誘導だにゃあ……」


 敵方の編成にベロニカが唸る。

 隊長や支部長、報告に来た騎士に至るまで全員が同意見なのか、敵方の布陣に難しい顔をする。


「そう、お嬢ちゃんが言うように、我々は誘われている。敵の主力は騎兵だが、城攻めに必要なのは歩兵、もっと言うなら攻城技能を持つ工兵や魔道士だ」

「だけど、かなりの抵抗が予想出来るから挑発して戦力を減らしたい。騎兵は、誘い出した後の殲滅用かにゃ?」

「奴らが本気で攻め落とす気ならば、恐らく。攻城戦において騎兵は役立たずだ。市街に雪崩れ込む段になれば別だが、それより前は弓矢を浴びせるしか使い道がない」


 そしてこの世界の集団戦において、弓箭による露払いは有効な手段と言えない。

 弓矢は魔道術が一番扱い易い媒体――空気振動や風による攻撃で影響を受け易く、短距離での打ち合いか魔道術の補助を受けた射撃でなければ万全の効果を得られない。

 騎兵を連れてきた所で、攻城戦の唯一の見せ場すら空回りで終わる可能性が高いのだ。


「だから、一騎打ちで挑発か……」


 左右に分かれた部隊から突出して、一人の男が佇んでいる。

 三十前後の年頃に精悍な顔立ち、顎には髪の毛と同じ金色の髭を生やしている。右手には長めの片手剣、左手には小さめのバックラーを装備している。

 見るからに敵軍の中でも異質な兵士だ。

 壮年兵士は一対一の戦闘に特化した剣闘士のような装いだ。被った兜もローマ時代のそれに良く似ている。しかし足元に転がっているのは三人分の遺体。鎧の種類からオレーサの守備隊が二人と騎士が一人、勇んで飛び出した三人の腕自慢があの男に返り討ちにされたのだと分かる。


「色物だな」


 無頼は壮年剣闘士を一瞥して浮かんだ印象を口にする。

 その率直な感想に守備隊隊長は頬を引き攣らせる。口にこそ出さないが、無頼が笑った色物に手練れの部下が三人もやられているのだ。

 だが逆にギルドのオレーサ支部長は無頼の言葉を吟味し、皮肉を織り交ぜた自信の表れだと受け取る。興味深げに無頼の爪先から頭の毛先まで眺めると、顎に蓄えた美髯を撫でながら尋ねる。


「それで、お前は色物に勝てるのか?」


 ギルド支部長のクラレンだけでなく守備隊隊長のリーウット、果ては弓や杖を片手に敵軍を監視していた兵士や魔道士までが無頼に注目する。

 高まった期待に中てられ、魔剣がカタカタと騒ぎ始める。

 早く斬らせろ、と揺れる魔剣を押さえた無頼は、ニヤリと笑う。


「地獄の沙汰も金次第――あいつの命に幾ら出す?」




 リーウットに真っ向から交渉を続けるベロニカの後ろで、ミロシュは詠唱を行う。

 いつもより丹念に言葉を選び、不安で震える声を無理矢理抑え紡いでいく。

 眼下の丘陵地帯には二千の敵兵。

 それだけの数の前に旅の仲間(ぶらい)を送り出さなければならない。

 お金は確かに必要だとミロシュも理解している。

 しかし命あっての物種だ。

 ベロニカの目的は金だが、旅を続けるには無頼の存在が必要不可欠で、それはミロシュが立ち替われない、無頼のみに務められる役割だ。旅路に男手はそれ程に重要な要素で、女の二人旅はどの街でも真面な対応をされないものだ。ぞんざいな扱いを受け、酷い時には門すら潜れず追い返される。


「《我が身体に流れる生命。器に注ぐマナの煌めき》」


 物心ついた時から係わる機会のなかったミロシュにとって、無頼の存在は貴重である。それも清廉で、嫌悪感を抱かない男性だ。

 無頼は魔剣に魅せられている。記憶喪失だからといって男として不能ではないのは確かだ。しかし男女の関係とベロニカとの旅、どちらを選ぶか問われれば、性欲を自制してでも同行を続ける。

 ベロニカの傍に居る。

 それが魔剣を手放さない唯一の方法だからだ。


(いや、違う……)


 朗々と詠唱を紡ぎ出す口元を止め、ミロシュは自分の前で両膝を付く無頼を見つめる。

 魔剣『亡霊挽歌』を手放したくない。無頼のその思いは本当だろうが、旅の中心をベロニカから逸らすことはないとミロシュは確信している。結局、魔剣だけではないのだ。不思議な年下の少女に、心惹かれているのだろう。

 そして、それは自分も同じだ。

 いま無頼に手を貸しているのは、師匠に押し付けられた旅を続けたいからだけではない。仲間(ベロニカ)の為、危険に身を投じる仲間(ぶらい)を心配に思い、無事に帰ってきて欲しいと心の底から願っているからだ。

 恋慕などでは決してない。仲間意識の範疇だ。


「《そして我は器を満たす》」


 無頼の黒曜の瞳にミロシュの姿が映る。

 丹念に練り上げた詠唱は周囲の環境マナの一切合切を奪い取り、ミロシュの身体からは煌々と魔力が溢れ出す。

 城壁で待機する魔道士が目を見開き、報酬の交渉を行っていたベロニカたちも息を飲む。魔道術として環境マナに一切作用せず、視認出来る魔力を練り上げるなど並の魔道士の所業ではない。


「目を閉じて」


 跪いた無頼の頬に両手を添え、ミロシュは囁く。

 何か軽口を叩こうかと口を開いた無頼も、真剣な眼差しを前に押し黙る。

 まるで接吻を――などと口にしようものなら、ミロシュは溜めた魔力を捨て、ゴミを見るような蔑みを纏わらせこの場を離れるに違いない。

 たとえ思っていても口には出さない。

 そのくらいの分別を無頼は持っていた。


「キス……じゃないから……」


 二人の額がコツンとぶつかる。

 じっとりと汗ばんだミロシュの肌を感じた直後、無頼に魔力が雪崩れ込む。

 一仕事終えたミロシュが額を離し息を吐き出すと、溜め込んだ魔力が堰を切って溢れ出る。目的を与えられなかった魔力は次々に環境マナに変質を始め、辺りはすっかり元通りの空間に立ち戻る。


 活身魔道術の付与(エンチャント)

 ミロシュが施したのは、魔道術が使えない者に恩恵だけを授ける魔道術だ。


「持続時間は何分だ?」


 恥ずかしそうに額を擦るミロシュに無頼は懐中時計を手渡す。

 認識されているのが正午と日の出日の入りのみ。時間の概念が薄い世界において、世間から離れて暮らすミロシュは他者より円滑に順応を果たした。一日が二十四時間でないだけで、一分が六十秒、一時間が六十分であるのは変わらない。観測上の時間とは、簡単に歪むことない不変の指標である。

 無頼にとって時計の針とは、絶対的に信用出来る事柄だ。


「約五百秒……ただ、計ったことがないので推測ですが」


 正確に時を刻む針から目を離しミロシュは答える。

 懐中時計を返そうと差し出すミロシュの手を断り、無頼はベロニカ、そして報酬交渉を続けるリーウットとクラレンに向き直る。


「ローニャ、相手の命の値段は決まったか?」


 時間が限られている無頼だが、未だ纏まらない交渉に口を出す。

 これは相手の命の値段で、死地に赴く無頼の価値でもある。


「二十万で頷いてくれないんだにゃあ……」

「悲しいのは分かるが……お嬢ちゃん、十万以上だと俺が城主や市議会を説得出来ないんだ。クラレン殿も同意見、数人殺して戦費を枯らしちゃ割に合わん」


 操り人形のように頷く支部長のクラレンにベロニカは牙を剥いて威嚇する。だが、その姿は餌を寄越せと足元に寄ってくる野良の子猫のようで、威嚇の割には怒気や迫力は微塵も感じられない。


「一先ずは十万でいい」

「むぅ……、無頼ぃ……」

「だがローニャの見立ても正しい」


 ベロニカの頬を撫で微笑む無頼は、空いた手でクラレンとリーウットを指差す。


「二十万シード、お前たちが払いたくなる働きはしてやる」


 そう言い切ると、無頼は無造作に放り出された剣を一本掴み、十メートル近くある城壁から飛び降りる。

 そして新たな挑戦者(ぎせいしゃ)の登場に、城外からは歓声が轟いた。


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