しかし、金は命で買える
オレーサは行政区と商業区、居住区の三区画から成る市街地と、それを包む外周区によって成り立っている。行政区には市政庁舎や司法庁舎、議会堂を始めとした建物やギルド支部の建物が並び、商業区は言わずもがな、様々な店舗が軒を連ねている。居住区には宿とオレーサ城内や郊外の農園で働く人々が暮らし、外周区は駐在兵士の宿舎と武器庫が詰め込まれている。
人口は六万人。それとは別に各地で徴用した駐在兵士が三千人。
郊外に住居を構える者や流浪人を含めれば更に増えるが、約六万三千人、それが城塞都市オレーサの総人口である。
「攻めてきたってのに、呑気なもんですね」
外周区に溢れる野次馬の中に紛れ込んだミロシュが呟く。
隣では無頼が肩を竦め、小さなベロニカは前を見ようと背伸びをしていた。
朝起きて必要な道具だけを肩掛け鞄に移し替えた三人は、リルエットの仲介でギルドの加入手続きを終わらせ、ベロニカの提案で東西南北四つの城門の一つを訪れていた。
城外に出られない鬱憤、もとい暇を潰そうと外周区の城門周辺は野次馬で溢れかえり、野次馬に負けないくらい暇を持て余している三人もそれに紛れていた。
リルエットはいない。無頼たちの監視より、敵軍の監視の方が重要度が高いとオレーサ駐在軍の出頭命令を受けて泣く泣く飛んでいった。
「数年に一回、嫌がらせに来るみたいだな。今朝『馬の蹄亭』の亭主が笑いながら言ってたぞ」
攻めてきたのは隣国ネブラスカ。騎兵二千歩兵三千の計五千の兵力だ。
敵軍は城塞の麓、一キロほど先に陣を敷いていた。五千では城塞を落とすには足りないが、オレーサ守備隊が野戦を挑めば苦戦を強いられる、まさに絶妙な戦力であった。
無頼が街道沿いの草原で遭遇したのは、その斥候部隊だ。
幾ら野戦で苦戦を強いられるとは言え、行軍中に奇襲を仕掛けられたら一溜りもない。斥候部隊の役割は敵地に深く先行し、事前に敵の動きを察知して味方に伝えて戦況の優位を保つことにある。時には玉砕覚悟で進攻を遅らせることも含め、斥候とは最も危険で練度の要求される兵科である。
「今は秋、収穫期だよ。ああも畑の傍に居座られちゃ、嫌がらせじゃ済まないと思うにゃあ……」
お祭り気分の住民を見回したベロニカは、あまりの危機感の無さに開いた口が塞がらなくなっていた。
ベロニカの祖国、聖フォーサイス王国は地理的には中原より遥かに北方に位置する。冬は中原より早く、そして寒い。極寒の季節に実りはなく、暖かい時期に蓄えを用意しなければ何人も餓死者が出る。そんな厳しい環境だ。
確かにオレーサはカンザス公国の最前線、後方には万全の補給路が確保され、その先には多くの作物が実りの穂を付けている。一年くらい収穫高が減ったとしても、餓死者が続出する事態には陥らない。
それでも割り切れない感情もある。よりによって北国出身の自分の目の前で、大切な食い扶持を駄目にされても笑っていられる人々にベロニカは怒りを通り越して呆れるしかなかった。
金の臭いがする、と歩き出したベロニカに釣られて外周区までやってきた三人は、不機嫌を隠そうともしないベロニカの先導で野次馬で満ち満ちた人集りから抜け出した。
「にしても、この世界の戦争は地味だな」
「にゃ……? 無頼は記憶がないんじゃないの?」
「記憶はないが、知識はある。俺の世界の戦争は凄いぞ」
「凄い?」
「ああ、凄い。まずミサイルや航空機が飛び交い爆撃、更地になった街を戦車が踏み荒す。敵地に入った歩兵が治安維持活動と称して相手国の住民に反体制教育を施し、それに対抗しようと戦火と縁のない本国でテロリストが自爆する。それを恐れて戦争がなくなるかと言えば、そうではない。今度は武器だけを流して内乱を誘発し、自国に飛び火しないように大国同士が戦争を行う、所謂代理戦争だ」
「ちょっと何を言っているのか分かりませんね」
「想像出来ないだろうが、兵器が進化し過ぎて相対的に人命が軽くなった。命令一つで多くの人が死ぬ。万単位で。だから自国民を殺す戦争が怖くなり、結果仮初だが平和が成り立った。先進国だけだがな。
ああ、ちなみにここみたいな城塞も馬も廃れたぞ。弓や剣を持った兵士がいたら指差されて笑われる。俺が居たのはそんな世界……らしい。俺の知識ではな」
自分の出身世界を誇る口振りが恥ずかしくなり、無頼は言葉の最後を濁す。
良く分からないが初めて聞く単語の数々にベロニカは瞳を輝かせ、ミロシュは冷静に吟味し、魔道を嗜む者の視点から有り得ないと否定する。
「火薬、でしたっけ? あんな非効率的な物に頼るより、魔道術や魔石を使った方がいいじゃないですか」
「でもミロ、並の魔道術じゃ城塞は壊せないんだよ」
火薬、火薬、か、や、く~と機嫌を直したベロニカは尻尾を揺らして口遊む。
小刻みに揺れる尻尾に毒気を抜かれたミロシュは無頼に対してすまなかったと肩を竦め、無頼もまた気にしていないと首を振る。
ベロニカは不思議な少女だ。
年相応の反応を見せる時もあれば、獣のような鋭さや大人顔負けの寛容さを隠し持っている。本当は子供を装っているだけなのではないかと度々二人は首を捻るが、そんなことがどうでも良くなってしまう程ベロニカは二人を頼り、無邪気さで魅せる。
『オオオオオオオオオォォォォ――――ッ』
遠くで歓声が上がる。外周区より更に外、遠くの遠くからだ。
ベロニカの耳がピクリと動く。しかし戻るだろうと足を止めていた二人の予想を裏切り、ベロニカは鼻歌交じりに足を動かしている。
無頼とミロシュは互いに目を向け、今回はミロシュが声を掛ける。
「ねえ、ローニャ」
「にゃーに?」
「気にならないの? 外で何か動きがあったみたいだけど」
「気になる。とぉーっても、気になる!」
ベロニカはくるりと振り返り、ミロシュの疑問を肯定する。
冗談めいた口調であるが、金色の瞳に浮かんだ色は真剣そのもの。
無頼とミロシュはベロニカを見つめ、次の言葉を待つ。
「でも!」
「でも……?」
「帽子! 帽子買いにいかないと!」
ベロニカは上目使いでニッコリと微笑みかける。
しかし二人は、ああ、そんな約束もしていたな、と明後日の方向に視線を逸らす。
昨夜の段階で売春集落の報酬込みで持ち金七二万シード弱。そこから今朝ギルドの加入手続きで放出した三十万シード(一人頭十万)を引くと四二万シードになる。
帽子程度なら構わない、と楽観視していた二人だが、当時は大切なことを忘れていたのだ。
「にゃっ、どうしたの二人とも……?」
ベロニカは王族だ。それも中原を囲む四大国の一つ、言ってしまえば筋金入りのお嬢様……いや、気品あるお嬢様ではないが、立派なお姫様だ。
街に出れば気に入った商品を店ごと買い取り、一度着た服を二度は着ない(お姫様に対するミロシュの勝手な印象)。
着替えは全て召使に任せ、大量に作らせた料理は一口ずつしか食べない(王族に対する無頼の歪んだ知識)。
そんなお姫様の買い物に付き合って、財布の中身が無事で済むのだろうか?
「あのね、昨日無頼と通った道で良い店を見つけたの!」
ビクンと二人の肩が揺れる。
無理。
物欲に乏しいミロシュには分からない感覚だが、"迷いの森"近隣の街で知り合った同年代の女の子は絶えず何かを欲しがっていた。綺麗な服が欲しい。可愛いアクセサリーが欲しい。上質な香水が欲しい。優しい恋人が欲しい。際限がない。
ベロニカの隠れた本性が、そんな女の子でないと断言出来るだろうか?
「よ、よんじゅうにまんしーどで……足りる? 店ごとは買えないよ……?」
「にゃ?!」
「ローニャ、すまんが高価な物は勘弁してくれ。頼む、このとおり!」
「ちょ、ちょっと……」
ミロシュは額に冷や汗を浮かべ、泳ぐ視線を決して合わせようとしない。無頼は顔の前で手を合わせてベロニカに頭を下げている。ベロニカにその行為の意味は分からないが、この通り、と呟く無頼の必死さは伝わってくる。
「高価……じゃないと思う。帽子とか服とか、市井の相場は良く分からないけど、街にある店だし……」
流石にベロニカも困惑する。二人の危惧がどういった種類の物かを把握した時には既に遅く、妄想という名の魔物と対峙する二人に狼狽した声は届かない。
無頼とミロシュ、二人との買い物を楽しみにしていたベロニカはその反応に耳をしゅんと伏せ、残念そうな声を出す。
「なら、見に行くだけでもいいから。無頼、ミロ、……だめ?」
うっ……と二人は息を詰まらせる。
潤んだ瞳に上目使い。申し訳なさげに垂れ下がった耳と尻尾。
ベロニカは可愛い。
しかしただ少女的な可愛さや愛らしさを持つだけでなく、使い方や使い所も分かっている。仕草の一つ一つがガッチリと、心を掴んで離さない。今のように。
泣き出しそうなベロニカを前に無頼とミロシュは焦り、慌ててフォローに回る。
「ダメじゃないんだ、ローニャ。誤解を招く言い方だった」
「高くなければ、ね? ほら、そんな顔しないで。見に行きましょう」
無頼はベロニカの右手を握り俯き顔を前に向かせ、ミロシュはその背中を押して帽子屋への道程に意識を移していく。
外周区に取られた所為で商業区に人通りは少ない。店番を見習い小僧に任せて外周区へ足を向ける者もいて、完全に休業を決め込んでいるのは道行く人々を相手にする露店屋台くらいだ。
街が攻められているのに商いなど、と考えるのが普通の感覚である。
城壁が破られ市街に敵兵が雪崩れ込んだから待っているのは虐殺と略奪、過酷な現実だ。少しでもその可能性があるのならば家財道具を纏め、いつでも逃げられるよう準備をするべきだ。呑気に野次馬を決め込んでいる場合ではない。
「そう思うのは俺だけか?」
無頼は楽しそうに手を振るベロニカと、背中を押すのを止め隣に並んだミロシュに問い掛ける。
十年ちょっとの間、世間から離れて暮らしていたミロシュもそれは気になっていたらしい。無頼と同じ疑問符を浮かべ、三人の中で最年少ながら、この世界に最も接していたベロニカの意見を求める。
「この世界は、戦争に慣れ過ぎてるんだよ」
戦火に巻き込まれにくい北国育ちのベロニカだが、その疑問には確とした答えを持っていた。
「武器が強くなりすぎて戦争がなくなった、無頼はそう言ってたよね。私たちの世界は逆だと思う。武器が身近過ぎて戦争がなくならない。常に何処かで火種が燻ってる状況にゃんだ。
あまり質は高くないけど剣や弓は街角で買えるし、活身魔道術みたいな基礎魔道術は環境マナの手繰り方さえ覚えれば誰でも使える。活身魔道術が使えれば無頼みたいな筋肉がなくても体は人並みに動かせるようになるから、悪意ある者が武器を持ち寄って徒党を組めばそれだけで立派な勢力になるよ」
饒舌なベロニカはきょとんとした二人に気付き、慌てて取り繕う。
「受け売りなの! えっとね、王宮に居た時の近衛から色々教えて貰ったんだ。マイノットって名前の人間で……えへへ、雰囲気がちょっとだけ無頼に似てたかにゃ。
兎に角、結局何処にいっても争いは絶えないから、一度根を下ろした住民は簡単に逃げ出さずに街と心中するんだってさ。オレーサみたいな国境沿いの小競り合いが多い街だと、逃げず生き延び、そのまま慣れていくんだよ」
「それに加えて、この街は城塞都市。簡単に落ちない落とせない、その安心感もあるのかもしれませんね」
「それにしても抜けてるんだよにゃあ……。帽子屋が開いてるのは有難いけど」
ベロニカはくるくると回り周囲に人影がないのを確認すると、フードを外して銀色の三角耳と輝く髪を顕わにする。人目がある場所でずっと被っていたフードを取っ払ったベロニカは顔の周りに溜まった熱気を払おうと首を振り、そのついでとばかりに伸びをする。
その仕草を店の中で行わず、この場で済ます意味合いは大きい。
銀色の毛並に整った顔立ち、贔屓目に見てもベロニカの外見は気品に溢れている。同じ年頃の街の住人とは路傍の石ころと研磨を終えたダイアモンド程に違い、纏う存在感は圧倒的だ。見せ付けるように店内でフードを外せば、必ず訳アリだと警戒心を持たれるだろう。
「いらっしゃ……い、ませ……」
ミロシュは扉を開ける。その影に隠れていたベロニカが素早く後に続いて入り込むと、周囲に睨みを利かせていた無頼が扉を閉める。
鮮やかな連携――と賞賛するような大それた動作ではないが――は眠気眼で店番を続けていた店主の目を覚ますには充分であった。
「すみません、帽子を見繕って欲しいんですが」
帽子の需要は大きく分けて一年に二回。春から夏の日差しが強まる季節と暖かな毛糸の帽子を誂えに来る冬の始まりだ。
今は秋口、需要があるのはもう少し先だ。それに彼らはここ中原では一目で特異な存在だと分かる少女を連れている。黒くくすんだ銀色の毛髪や毛並を持つ獣人なら特別珍しくもないが、生糸のような澄んだ白銀色は誰が見ても高貴な血筋のものだと肯くだろう。
「ど、どなたの帽子を?」
店主は恐る恐る返事をする。
気品溢れる少女は上客に違いないが、上客にも幾つかの種類がある。
対面を気にして流行に聡く、金払いが良い貴族などは良い上客だ。店側の事情に無頓着で耳触りの良い情報だけを勝手に拾って満足してくれる。
金払いは良いが機能性や独自のデザインなど、やたらと注文の多い軍閥貴族や商人は面倒な上客。金を払えば何でも作れると考え無茶な注文を投げてくることも多いが、それに応え満足させると何度も足を運び、知り合いまでも店を訪れるお得意様になる。
そしてトラブルを抱え込んだ――特に誰かに追われている素振りを見せる客は、金払いが良くても相手にしたくない、最悪の客だ。場合によっては巻き込まれ、途轍のない被害を受ける可能性もある。
「この子の帽子だ。耳が隠せる獣人用、丈夫で鍔が広めが良い」
「あと、動き易さも大事!」
「だ、そうだ」
「はあ、予算はどのくらいで?」
個性的な三人の中、案の定一番目立つベロニカの帽子を求められた店主は嘆息する。
獣人は人間と違い、獣耳がある所為で頭の形が個々人で異なる。本人に合った帽子を作るならまず採寸から始まり、素材を縫い合わせる仮縫いまででも数十日は掛かる。本縫いまでは最低一か月、そのくらいは見て貰わなければ立派な物は仕立てられない。
「予算は……、物を見てからでもいいか? 時間がない。既製品を選んでいく」
無頼と店主は、大きな姿見鏡の前で代わる代わる帽子を乗せるベロニカを眺めていた。
彩り鮮やかな帽子を頭に乗せ、これは良い、これは微妙、だの言い合う女性陣の会話に入り込むつもりは更々ない。しかし次第に、美しくも何故か儚げな少女を明るく彩りたいとの欲求が疼き始める。自分の手元に置き、人形のように着飾って愛でていたい、と。
店主はゴクリと生唾を飲み、無頼の裾を引く。
「あなた、あの子の付き人で?」
「ああ」
「なら一つ尋ねますが、あの子、何処の国の貴族さんですか?」
唐突な問いに無頼は眉を顰める。
フードを脱いだ今、ベロニカの育ちの良さは隠しようもない。肩辺りで切り揃えられた髪の毛は野晒しにされても白銀の輝きを失わず、まん丸な双眸は炯々と黄金色を絶やさない。絶妙に吊り上がった口角は親しみ易さを与え、五年……いや、三年後の成長した姿を夢想せずにはいられない。
世界に人は星の数いれど、ベロニカほどの少女は滅多にいない。
草の根を分けて見つかる程度の美貌なら、自らがそれを誇り、相応しい待遇に収まっている。
ベロニカは、そんな安っぽさとは無縁の存在感と神々しさを放っている。
誰に否定されたとしても、無頼はそう言い返せる自信を持っていた。
「何故、それを知りたい?」
「是非、専属契約を結ばせてください。あれほどの逸材、短い私生涯ですが目にしたの初めてです。知りたいと思わない方がどうかしています」
店主は興奮気味に言葉を続ける。その全てがベロニカを褒め称える言葉であり、早口で滔々と思いの丈を吐き出していた。
俺に伝えても仕方ないだろうと無頼は呆れ、ちょっとした優越感を覚えた自分に苦笑する。
「全ては、俺たちの事情が終わってからだ」
無頼がそう突き放すと、店主はこの世の終わりとばかりに失望を顕わにする。
がっくりと肩を下げた店主の元に駆け寄ったベロニカの右手には大きめのキャスケット帽子が握られ、何があったのと首を傾げる。
「何でもない」
便利な耳だ、と無頼は込み上げる驚嘆を噛み殺す。
ベロニカには二人の会話が余さず聞こえていたに違いない。帽子を選ぶ手もずっと前から同じ場所を彷徨っていた。
そしてまさに今、このタイミングでやって来た理由は一つ。
店主が紡ぐ雨のような賛辞が止んだ瞬間を狙ったからだ。
「無頼、どう?」
ベロニカは帽子を被り、ニッコリと微笑む。
無頼にはその姿が痛ましく見えた。
褒められれば褒められるほど、ベロニカは苦しむのだと無頼は知っていた。
どれだけ賞賛の言葉を向けられても、今のベロニカに完璧と程遠い。
虚空に消えた左腕。
ぼんやりとローブの中で漂う空間を前に、きっと誰もが口を噤む。飽きる程に重ねた賞賛は消え、上手く偽装した同情や憐憫を籠めた言葉に変わる。悪意なき興味に支配された人々が、無遠慮な視線を投げてくる。
「いいんじゃないか。似合ってるぞ」
「えへへ」
だから、ベロニカは祖国に帰れない。
無頼とミロシュは知っていた。
腕のある完璧な自分を知らない二人としか、ベロニカは共にいたくないのだ。




