表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/88

しかし、始まりはこれから②


 これは記録を付ける前の青年の、理性と衝動が混在していた時の記憶である。

 たったの一人。

 真っ白な紙束にインクが染み込んでいくように世界に爪痕を残す青年の、赤黒く彩られた足跡の一歩目である。







 俺は生暖かい空気と鼻孔を擽る懐かしい臭いで叩き起こされた。

 周囲は暗く、体の動きに合わせてギシギシと床が軋む。俺を襲うのはズキズキと響く頭痛と底知れぬ違和感――そして咽返る鉄錆の臭い、血の臭いだ。

 俺は何故この鉄錆に懐かしさを感じたのかを考えようとするが、何一つ頭には浮かんでこない。ぼんやりと揺れる空白部分に、これは血の臭いだと漠然とした知識だけが浮かび上がり、続く思考を頭痛が掻き消す。


「ここは、何処だ……」


 俺は初めて、自分の立ち位置を客観的に知ることになった。

 暗闇に慣れた目が周囲の状況を捉え始め、風に吹かれて消える煙のように頭を鈍らせていた頭痛が霧散していく。

 自分の呼吸音が耳朶に触れ、死んではいないと知る。生きていると確認した俺は、幾分かの余裕を取り戻し、嗅覚以外の感覚で初めて彼女の存在に気付く。


「たす……けて……」


 俺に助けを求めているのは、真っ白な少女だ。

 純白な髪は闇に生える銀色で、スラリとした肢体は女性的な艶めかしさが含まれているものの、それを覆い隠す未発達な繊細さで溢れている。金色の瞳を縁どるのは猫のようなまん丸な瞼で、その肌は闇夜でも分かる程に青白く血の気を感じさせない。荒い呼吸を続ける口元からは鋭い八重歯が覗き、その呼吸に合わせて――――


「――――お前、その傷は!!」

「はやく……剣を……あの剣で……」


 心臓が跳ね上がり、鼓動が加速する。

 少女には、左腕が無かった。

 呼吸に合わせて溢れ出る血液が床を跳ね、少女の生命が血液の形態となって床全体に広がっていた。

 健在である右腕を鎖に繋がれて懸命に足掻く少女の姿は、記憶に大きな空白を持つ俺から見ても異常であり、その異様な光景に中てられ、吐き気が込み上げる。幸か不幸か吐き気は高速で脈打つ心臓に急ブレーキをかけ、結果俺は正常な思考に戻るレールに乗る。

 片腕を失って間もない少女は手を伸ばし、赤白黄色に彩られた生々しい断面図を俺に見せつける。痛々しい傷だが、生理的な嫌悪感は湧いてこない。

 平静を取り返した俺は、行動の前に大きな深呼吸を挟む。


「待ってろ」


 辺りを見渡し、木箱を端から引っ繰り返す。

 中からは金貨や宝石、豪奢な宝剣の類まで様々な物がジャラジャラと擦れ合い転がり落ちる。

 その貴品の数々から俺は迷わず純白のドレスに手を伸ばし、引き千切る。ウエディングドレスだろうか、簡単に裂けた薄い布地を手にした俺は、鉄格子に体を押し付けて手を伸ばし、少女の失った左腕を縛り上げた。記憶ではなく知識が、俺に止血の必要性を語り掛けている。


「左腕を首より上に挙げ、意識をしっかり保て」


 このままでは失血死は免れない。

 輸血を――失った血液を補わなければ、この青白い少女は間違いなく死んでしまう。


「っ、後ろに……!」


 少女の声を聞き、俺は慌てて振り返る。

 俺の視線の先――荷馬車の入り口にはローブを纏った男が立っていた。剣を腰に佩き、堅気の人間では醸し出せない暗鬱な雰囲気を纏っている。

 俺は咄嗟に自身の腰へと手を伸ばすが。


「――――ッ!」


 ない?!


 俺は驚愕する。何に驚いているのか自分自身も分からなかったが、空白の記憶の部分だとすぐに悟った。きっと以前の俺は危険を感じた時にこの動作を行ったのだ。それも一回や二回ではなく何十何百回と、頭が忘れても身体が覚えているほどに。


「賊だ! 賊が居るぞっ!!」


 俺の一瞬の硬直の間に、男は外に向かって叫ぶ。

 どうすればいい?

 俺はその判断を思考から取り上げ、腰に手を回した時のように、染みついた癖――本能(からだ)へと託す。


 ギシッと力強く踏み込んだ床が軋む。俺の体は一直線に男へ向かい、気付けば右手には太腿から引き抜いたナイフが握られていた。それは軍用ナイフよりマチェット――中南米の現地人が使う山刀の類――に近く、不思議な程に俺の手に馴染んでいた。

 俺の右手で輝く漆黒の刀身に気付いた男の顔が強張り、慌てて迎撃態勢を取ろうと腰の剣に手を伸ばす。


「ちぃっ!」

「この……っ!」


 俺が首元目掛けて突き出したナイフは本命に届かず、咄嗟に剣を離した男の両腕に捕まる。右腕一本の俺では、両腕の相手と力も拮抗する筈がなく、あと数センチに迫ったナイフはギリギリと押し返され始める。

 優勢を取り戻した男は冷や汗で額をべっとり濡らしながらもニッと笑う。安全圏まで押し返されまいと力を籠める俺は、男の表情を見て空白の記憶や広大な知識とは別の部分から湧き上がる何かに背中を押される。

 激情だ。


「お前たちは、あの子に何をしたっ!」

「貴様こそ何処から入り込んだ!!」

「俺が……、知りてえよっ!!」


 俺は言葉に合わせて固めた左拳を男の脇腹に叩き込む。

 不意の攻撃に優勢を保っていた男は体勢を崩し、前のめりに倒れ込む。


 ――――サクリ。


 すれ違う瞬間、俺の右手のナイフは男の首筋を綺麗になぞる。男は倒れながらも驚き振り返り、喉元にぱっくりと赤い花を咲かせて荷馬車を揺らした。

 キンッと男の懐から鍵が抜け落ち跳ね血溜まりに収まる。

 床に満ちていた少女の血液は見る見るうちに男の血液で上塗りされ、真新しい鉄錆の臭いが逃げ場を求めて御者台の傍で大きく息を吸い込む俺の横を抜けていく。

 ぴくぴくと先程まで小刻みに痙攣していた男は、血液と共に生命の全てを吐き出したのか、ぴくりとも動かなくなる。

 俺は湧き上がってきた吐き気と眩暈を少女の生命を盾にした正当化で抑え込み、一先ず少女を解放する為に男が落とした鍵を拾い上げる。


 ヒュッ――――、カッ!!


 拾い上げようと腰を下ろした俺の頭上、ちょうど数秒前に頭が存在した位置を矢が射抜く。遠くから向けられた殺気に身体全体がゾッと震え上がり、態勢を低く保ったままナイフを構える。

 矢の飛んできた方向には目深にフードをかぶった騎士が居て、次の弓も番えずに馬上からジッとこちらを睨んでいた。他にも周囲からは幾つかの蹄が石畳を打つ音が聞こえ、反射的に手に掛けた相手がどのような立場であるのかを改めて知らされた。


「ふざけろっ!!」


 鍵を拾い上げて慎重に鉄格子まで下がった俺は、その鍵を思い切り床に叩き付けた。

 一部を赤く染めた真鍮の鍵は再び床を跳ねて、まるで開錠を拒否するかのように黄金色に輝く金貨の中に紛れ込み存在を消す。

 俺は荷馬車の外でピリピリと殺気を飛ばす奴らを一先ず視界の隅に置き、暗闇の中、手と目で鉄格子についている筈の錠前を探す。荷車の半分以上のサイズを持つ鉄格子には見た限り錠前どころか開閉口すら存在しない。出来合いの荷車に設置したと仮定しても、これだと奴らも少女を取り出せない筈だ。

 手にした黒短刀で鉄格子の表面をなぞるが、全力で斬り付けたとしても表面に傷を刻むのが関の山だ。先に黒短刀が限界を迎える。


「賊に告ぐ!」


 外で降伏勧告が始まる。

 良く通る男の声が「素直に出てきたら命は保証する」や「返答がなければ強制的に排除する」と聞くに値しない言葉を口にしている。


「剣を……使えと、私は何度も……」

「腕が下がっている、きつくても高さは維持しろ。出血多量でショック死したいのか?」

「……っ、黙れ」


 その勧告に紛れ、行き絶え絶えの少女が苛立ちを込めて囁く。

 彼女の指す剣が宝石箱と共に散乱する装飾過多な宝剣だと決めつけていた俺は、同じような苛立ちを含めて言い返す。


「それに、剣一つでどうにかなる状況か?」


 俺は狭い出入口を通してこちらを窺う騎士を横目に吐き捨てる。

 外に何人いるのかは知る由もないが、蹄の音は前後左右から漏れなく聞こえてくる。それだけで最低四人居て、勧告と共に正面に立つ男の騎士は馬上での取り回しを重視した短槍を手にしている。弓と槍、そして馬――リーチと移動速度で圧倒される相手に近接戦闘の選択肢しか持たない剣で勝てないのは、武術の心得のない素人ですら分かる一般常識だ。


「あれは魔剣……っ!」


 しかし少女は首を振り、動かせない腕の代わりに視線でその位置を示す。

 渋々ナイフを収めた俺は少女の真剣な眼差しに導かれるままに身体を向けて、疑い半分で宝石の山を掻き分ける。金貨の山がジャラジャラと崩れ落ち、指に絡まる鬱陶しいプラチナのネックレスを振り払う。何本もの宝剣や短剣を無造作に放り投げ――――見つける。


 他の宝剣とは一線を画した、簡素な刀剣だ。


 それを手に振り返ると少女は辛そうな表情のまま首肯する。

 俺は少女の言う"魔剣"を包むボロ布を剥ぎ取ると、紫の鞘に収まった刀剣が現れる。全長は恐らく一メートルと三十センチ、鞘の中で沈黙を保つその内の一メートルが刀身だ。

 俺は魔剣と称される刀身を拝もうと柄を掴むが、途端に驚き手を離す。


「すごい、なんだこれは」

「本物だ……本物の、魔剣……」


 剣が、俺を威圧するように震えだす。

 手の中でカタカタカタと小刻みに震える刀剣に俺は興味を引かれ、一息に鞘から引き抜く。シャンと小気味よい音に合わせて現れた刀身は鞘の鮮やかな紫に黒錆を混ぜ込んだ濁った色をしていた。けれど黒錆は汚れの類ではなく、刀身の素材も分からない。

 形状は西洋剣より太刀に近く、魔剣より妖刀と呼ぶに相応しい刃渡りを持っている。

 俺が手にした魔剣は、刀身を大気に晒した瞬間からピタリと震えるのを止め、代わりに熱を持ち始める。

 その熱に巻き込まれた俺の右手には、火傷とはまるで異なる激痛が走り――――


「これより、強制排除を開始する!」


 最終勧告に先んじて放たれた矢を切り落とす。

 目深なフードの奥、驚愕で見開いたまん丸な瞳を持つ騎士と目が合った。

 きっと俺も似たような顔をしているのだろうが、そんな下らない分析を振り払うかのように剣を持った男が狭い荷車に乗り込んで来て、それに合わせて馬車馬と荷車を繋いだ金具が断ち切られる。

 馬車馬が離れ、荷馬車が緩やかに止まる。


「…………」


 荷馬車に乗り込んできた無言の男は俺の手にした紫の太刀を目にしてローブを脱ぎ捨てる。

 最初の男よりも背丈は一回り小さい。けれど子供にしては体幹が太く、一朝一夕では身に付かない場慣れた立ち振る舞いから鑑みるに、狭い空間で戦うのに長けているのだと推察できる。


 男はローブと邪魔な仲間の死体を蹴落とすと、予備の短剣を抜いて逆手で構える。

 屋根付きで大型の荷馬車とは言え、流石に刃渡り一メートルを超える太刀を易々と振り回せる程広くない。可能な動作は精々突くか小さく振り払うかのどちらかである。あの長さの太刀は重量もあり扱うには両手を使う必要もある。

 ならば初撃を躱すか防ぐかでしのいだ後に返しの刃をくれてやればいい、と男は今までの経験から対処を決め、一歩を踏み込む。


「待て、一つ聞きたいことがある」


 その一歩目に被せるようにして俺は声を出す。

 男は時が止まったかのように全身を止め、数秒置いて「何だ?」と口を開く。

 俺は背にした鉄格子を汗ばむ左手で掴み、刃先を静かに滑らせる。


「この子は何故、こんな状況に置かれているんだ」

「何故……とは奇異なことを訊く」

「罪人……何か落ち度があって、惨い処遇にあるのか? まだ幼く見えるぞ。檻に入れられ、鎖に繋がれ……左腕も……」

「何を言っている? そいつの素性を知って暗殺に来たのではないのか?」

「そもそも、そこが分からないんだ。俺は誰で、何故ここに居る? 記憶が抜け落ちている気がするんだ。どれがないのかは分からないんだが……確かになくなっている……、お前は何か知らないか?」


 男は俺の疑問に対して警戒を深め、俺は益々少女の立ち位置――そして自分自身が分からなくなる。知識の海に漂う記憶と言う空白の島の上に立っている。必要な情報は周囲から釣り上がるのに、肝心の自分の足元が覚束ない。ただグラグラと揺れ続けて眩暈を呼び込む。


「俺は誰だ。何故お前たちは頭に耳を生やしている。この衝動は何だ! 何故俺は自然に剣を握っているんだ!! 何故殺人に抵抗を感じないっ!!!」


 背後の鉄格子に向け、紫の刀身を叩き付ける。


「答えろっっ!!」




冒頭要約

「これと次は一人称ですが、それ以降、人数が増えてからは三人称に変わります」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ