しかし、始まりはこれから
夜の帳が降りて久しく、燦々と輝く太陽とはもう何日も会っていない。
曇り空が続いていたが、今日は珍しく雲が晴れ星と月が顔を見せている。煌々と輝きを放つ大中小三つの月が石畳を飾る紅葉の絨毯を照らし、情緒あるその枯葉の絨毯を三台の荷馬車がゆっくりと踏み躙る。
ここはアウグスタ街道。
古に存在した大帝国の皇帝の名を与えられた街道は『皇帝街道』と呼ばれ、その名の通り大帝国の版図に太く長く張り巡らされた街道であり、街道の通じている場所は余さず大帝国の領土である。
大帝国の滅亡は今より七百年前、その版図は分裂した。東西南北そして中原――五つの地域で後継を自称する国が建ち上がり、飽きることなく興亡を繰り返している。
馬車が進むのは東西南北の強国に挟まれた中原――特に北方の聖王国に近い地域だ。
元々小国ながら列強が犇めき合い、戦国時代さながらの情勢を保つ中原と違い、王が君臨する北の聖王国は治安が良い。建国から数百年、『中原から北に逃げる者はいても、その逆はなし』と称されるほどに安定した治世を行っていた。
しかし平和とは、次の戦争までの準備期間である。
平和を謳歌した聖王国の綻びに付け込み始まった戦渦は国境から王都までを包み、人々は逃げるようにして中原を目指す。
「……」
黙して馬車馬の手綱を握る業者の姿こそ、情勢の不安定さそのものである。
誰にも見つからないように暗闇を進み、誰とも目を合わせないようにフードを目深に被る。個人を可能な限り消し去り周囲に同化して進む姿こそ、危険な情勢下で生き残る術だと彼らは知っていた。
「異常なし」
馬に跨った軽装備の騎士が駆けていき、擦れ違い際に言葉を投げる。
南下を選ぶのは、平穏を求める難民だけではない。
夜の闇に動く荷馬車の傍には、幾人もの軽装騎士が馬の鼻面を同じ向きに揃え、御者と同じ暗色のローブを目深に被り個人を隠して足を進める。
彼らは平穏など求めていない。
手綱を握る御者を含め、彼らは無法者に刈り取られる弱者ではない。
北から中原に南下する道中、盗賊や傭兵崩れに襲われた回数は一度や二度では済まないが、多々ある小競り合いを彼らは腰に佩いた剣で相手を黙らせることで収束させてきた。
特定の国家に所属する騎士ではない。様々な出自を持つ彼らは所謂傭兵として仕事を請け負い、その腕前と傭兵としては異質の信頼性の高さから破格な報酬で仕事を回されているプロフェッショナルだ。
彼ら――『紅燕の旅団』の仕事は護衛だ。
精鋭が護るのは北から仕入れた大量のモノである。
北方で仕入れ、中央と西方で売り捌く人間扱いされない、けれど物ではない奴隷だ。先頭の馬車には成人した女たちが、最後尾の馬車には男女混ぜ合わせた子供たちが物のように詰め込まれている。
中原のとある国で彼ら彼女らは競りに掛けられ、見目麗しいモノは貴族の情夫や愛人として、運よく――または運悪く選ばれなかったモノは娼館や荘園、そして更に暗い場所へと売り払われて人間としての生涯を終える。
護衛に就く『紅燕の旅団』の彼らとて、荷馬車の中身に同情しない訳ではない。
祖国を捨てているとは言え、彼らの中には南方の都市連合国や東方の皇国の出身者は多い。奴隷制度を頑として認めない祖国を持つ彼らにとって、同じ志を持つ北方の聖王国から奴隷を集める奴隷商人のやり方は目に余り、時に憤りも感じる。
彼らと同様、他者を売り捌いて贅を尽くす奴隷商人に懐疑的な目を向ける者は多い。
しかし卑しき者と誹謗中傷を向けてくる彼らも、日常生活の中で多かれ少なかれ奴隷の恩恵を享受している。何より国家に満たない組織において金と武力、そして権力が親密な相関関係にあると証明しているのも奴隷商人彼らであり、それに一役買っている傭兵たちに奴隷商人を責める権利などないと旅団の騎士たちは理解していた。
故に黙々と職務を果たす。
例え中央の馬車に繋がれたモノが、何であっても。
彼らは旅団の構成員として剣を振るっている。
彼らは国に捨てられ、国を裏切った。
国家の枠組みとは、懐郷と憎悪を併せ持つ過去の遺物でしかないのだ。
かつての君主の忘れ形見であっても、彼女はモノで、奴隷で、人間ではない。
長い時は要しない。
人間としての尊厳は、霞のように消え失せる。
「そんなの、嫌だ!」
荷馬車の中、一人の少女が吐き捨てる。
か細い両腕は天井から吊り下げられた頑強な鎖で縛られ、何度も鞭打たれた体はヒリヒリと痛み、赤く腫れている。本当は立っているのですら辛いが、座ることは許されていない。鎖の拘束から抜け出せても、万が一にでも逃がさないようにと少女を囲む鉄格子は真新しく、見える範囲には錆一つない。
震える足、痛む手首、朦朧とする意識を再起して、少女は逃げ出す手段を模索する。
最早何度目かも分からない、終着点の見えている虚しい思考だ。
少女を縛る鎖は硬く生身ではまず破れない。万一破れたとしても、即座に施された魔道術が発動して少女の動きを封じ、外の奴らに気付かれて再び鎖に繋がれる。鞭で打たれ、今より酷い状況になってから。
逃げる手段は……、ない。
ギリッと少女は口惜しさを噛み締める。襲い来る敵を十何人も斬り伏せ、天狗になっていた自分に少女は怒りを感じる。出来ることなら、あの時の自分に忠告してやりたいと後悔を重ねていくと、次第に涙が黄金色の瞳に溜まる。
少女は首を振り、涙を払う。
自分に悲惨な未来が待っていて、助かる手管が少しも残っていないのなら。
せめてここに居る奴らも巻き込んで――――、自殺してやる。
「《我は触媒》」
少女は震える声で一の句を唱える。
「《汝は夢幻世界を渡る者。志し無きその身に命を宿し、無為に魂燃やす者》」
詠唱を紡ぐごとに一点へと集まる魔力を少女は感じていた。
「《志しの有る我の声を聞き、耳を傾ける者》」
長い魔道術の歴史の中で、禁術の一つとされた伝説の魔道術。
「《我は汝の助力を求め、汝は我の志しを求めよ》」
少女は唇を噛み締め、渾身の力を振り絞る。
「《汝、我の志しを受け入れるのならば――――!》」
そして、叫ぶ。
「《応えよっ!!!》」




