姫さま一行は金欠で③
ギルドの用意した宿の一階では、大勢が騒いでいた。
女たちは酒を飲んで笑い、男たちが負けじと杯を呷る。温い麦酒が口元から溢れ出し、中身を減らしたジョッキがテーブルを叩く。足早に駆け抜ける給仕の足音が喧騒に溶け、三階建ての木造建築を震わせる。
ここ『馬の蹄亭』の一階は、酒場として解放されている。
急造のステージでは管楽器が吹き鳴らされ、弦楽器が早い音色を奏でる。
演奏に合わせたソプラノが喧騒を割って聞こえ始めると、誰もが馬鹿騒ぎを止めて澄んだ歌声に耳を傾ける。
「無頼、食事中に日記?」
フォークを握ったベロニカが無頼の手元を覗き込む。
四人掛けの丸テーブルには申し訳程度の料理が並んでいたが、無頼とミロシュは料理とベロニカを置き去りに、紙とペンを手に唸っている。澄んだソプラノが場を鎮めても、最初から止まっていた二人の唸り声は止まらない。
退屈そうに川魚の香草焼きを突くベロニカを見て、ついにミロシュはテーブルに突っ伏して泣き言を吐き出し始める。
「うわあ、ダメダメダメ……」
「にゃっ、ミロ、どうしたの?!」
そう呟きながら木製のテーブルに額をぐりぐりと押し付けるミロシュを横目に、無頼は隣のベロニカに紙を見せる。紙には数字がびっしりと書き込まれ、ベロニカは無頼が指し示す数字の大群からツゥーと目を逸らす。
演奏が終わり、歌声が途切れる。
無頼はベロニカの前に紙を移動させると、ここぞとばかりに口を開く。
「これが竜退治パーティ(仮)の財布事情だ」
無頼が最初に示したのは左上に記された、132'247の六桁の数字である。これが出立当初の全財産、弟子想いのサクラメントが『紅燕の旅団』から巻き上げた金額そのものである。
「ここからオレーサの城門通過料で俺とミロシュが千シード、ローニャは五百。ミロシュとローニャが二人で食べた昼食が二百、リルエットと一緒に強請った露店の肉串が三本で百」
「……肉串?」
「にゃっ、にゃんでもない!」
綺麗な歌声に送られる喝采に紛れた申告をベロニカは掻き消して、ミロシュの追及を躱す。
ベロニカは無頼が敢てそれを口にしたのだと確信する。そしてそれ以上、余計なことを言わないようにと多くの数字が踊る紙を注視する。
その様子を視界の端に捉えた無頼は満足気にほくそ笑み、続ける。
「宿代が四人部屋、夕食付を七日で五千。連れてきた馬の管理と干し草代が五百。次の街までの道程で消費する食料と水の買い溜めを金貨二枚分、二千シードで見繕う予定だ。ここまでで幾ら掛かっているか分かるか?」
「えっ! えっと、…………分かんない」
「一万三百シードだ。これに日々の昼食代が嵩み、街を出る時には再び城門通過料二千五百シードが必要になる。ローブとは別に帽子か何かも新調せにゃならん。ローニャの耳は目立つからな」
「にゃああ……」
フードの下で揺れるベロニカの耳を指先で軽く撫で、無頼は笑う。
「だが、まあ……、ローニャは気にしなくていいぞ」
「算術の心得がないので、仕方ないです」
周囲には喧騒が舞い戻り、ステージからはテンポの速い曲が聞こえてくる。
蒸発する汗と酒に煽られ、ベロニカはそわそわと体を動かし始める。深刻な財布事情を前に無頼とミロシュは沈んでいたが、管理を二人に丸投げしているベロニカだけは周囲に惹かれ、気分を高揚させていた。広い酒場を兼ねた食堂では寧ろそれが正常で、ベロニカも楽しそうな喧騒の波に飲み込まれたいと頻りに首を動かしている。
「そこのお嬢ちゃんもっと前に来な! 好きな曲、弾いてやるぜ」
演奏の最中、ステージに立つ一人が声を張り上げる。幾つかの視線がベロニカに集まり、それから逃れるようにベロニカはフードを目深に被り直す。
本当は行きたい。
……けれど目立つと正体を知られてしまうかもしれない。
管楽器が吐き出す愉快なリズムがベロニカを誘い、ステージから注がれる自分とよく似た金色の眼差しが、前へ前へと駆り立てる。
「行きたいなら行けばいい。酒の席だ、誰も気にしないさ」
「いいの?」
「もし素性がバレたとしても、その時は俺とミロシュが何とかしてやる」
「好き勝手にどうぞ、とまでは言いませんが、楽しみたい時は遠慮しないで」
「うん、ありがと!」
ベロニカは立ち上がると、笑顔で送り出す無頼とミロシュに手を振りながらステージ目掛けて駆けていく。身軽にテーブルの合間をすり抜け、器用に給仕を躱しながら、ベロニカはステージの真正面、特等席を手に入れる。
ベロニカが落ち着いたと見るや否や、向い合う二人は密会を始める。
「ギルド、どうします?」
ミロシュは顔を近づけ、声を潜める。
周囲には雑音が溢れている。小声で話さなくても内容は掻き消されて漏れないし、ここに居るのは全員名前も知らない相手ばかりだ。知り合いがいないのだから無理に対面を気にする必要もない。
それでもここは酒場で、周囲は酔っぱらいの群れ。肴になりそうな話題を撒いたら食い付かれるのは目に見えている。
そして街に到着して早々に目立った無頼と人目を引く美貌のミロシュが餌を撒いたとなれば、誰もが食い付き、荒らしていくに決まっている。
「加入に異存はないが……、一人頭十万シードの登録費用が必要だなんて聞いていないぞ。三人で三十万シード、大金だ」
「ええ、私も驚きました。ですが、お金は何とか……」
「やはり、集落の件で報奨金は出たのか?」
「六十万シード、但し口止め料込です。国同士の小競り合いが絶えない地域での摘発が効いたみたいです。国のお抱え騎士団や治安維持を名目とした自警団では手を出せなかったみたいですから」
ミロシュは鞄をテーブルに乗せ、その中に収めた袋を無頼に見せる。
無頼は軽く腰を上げてミロシュの手元を覗き込む。袋の中身は金貨六百枚、六十万シードが黄金色の輝きを放っている。
黄金の秘める魔力に目が眩んだ無頼は頭を振り意識を保つ。
「……合わせて七十万シード、難しいな」
「ええ。それだけあれば、ギルドの手を借りなくても南部、そして紫電侯の領地まで辿り着けます。余裕綽々……には少し足りませんが、多少の金銭的非常事態には対応出来ると思います」
一千万シードの資産作りとサクラメントの知人巡行を目的とした今回の旅路、フラフラと彷徨うだけでは終わりが来ないと二人は感じていた。必要なのは効率の良い計画を練ることで、無頼とミロシュ、ベロニカの三人は延々と続く移動時間でそれを話し合い、指針を設けた。
まず、一千万シードを稼ぐことは忘れる。
大金を持って移動するのは危険だ。十万二十万なら旅費で済むが、百万シードを超えると黄金の魔力に敏感な小悪党が群がってくる、……かもしれない。
冒険者の資産管理を請け負うシステムをギルドは確立しているが、これも金が掛かる。入会費で二十万、年会費が一年で五万。ジャラジャラと金貨を持ち歩けない冒険者や傭兵の足元を見て、足回りを整える手伝いをするのである。
「だがギルドに加入して、資産管理を使えば手元に二十万しか残らん。使わなければ一応四十万残るが、四百枚の金貨を持ち歩くのはリスクが大きい」
「そこです。ローニャの追手と道中の危険を鑑みると大きな金額は持ち歩きたくないです。今も分散させてます。仕方なく荷物を手放す状況に陥れば、それだけで数万シードが消える。それを考えるとギルドの資産管理は有難いんです」
「一年間の旅路で失う金貨が二百枚以下と踏むなら使わず、以上と見るなら使う。複数年なら更にメリットが大きい」
「でも、手持ちを減らし過ぎるのも恐ろしいです。ギルドの無い街で立往生でも喰らったら……。路銀を稼ぐ日々を送るのは本末転倒……難しい!」
ミロシュはジョッキの葡萄酒を煽ると再び額をテーブルに擦り付ける。
その表情は見えないが、ミロシュは悩むことを楽しんでいるのではないかと無頼は気付く。目的地までの道順を考え、通る国や街を念入りに選び出し、掛かる費用を計算して頭を抱える。定住生活では味わえないスパイス、まさに旅の醍醐味である。
顔を横に向けたミロシュは、そのままくだを巻く。
「世界に七人しか魔法使い、師匠を除いて六人。広い広い世界で、その内三人を探し出して会って来いだなんて……師匠を除いて六人しか居ないのに……」
三人は一先ず、サクラメントの依頼を優先した。
依頼内容は弟子の紹介……と言う名目の伝言係である。サクラメントが指名した魔法使いの内、所属のはっきりしている者が一人、サクラメントと同じく世界的に所在地が知れた者が一人、定住地や定職を持たず根無し草のようにフラフラと世界を彷徨う放蕩魔法使いが一人。
年単位の依頼、その要所が最後の一人であるのは明白だ。
なので最初は南部に居る『空色の魔法使い』に会い、旅費が溜まり次第引き返して中原に存在する『金色の魔法使い』の居城を訪ねる。厄介な『風色の魔法使い』は一千万シードを溜める傍ら情報を集め、それでも見つからないようであれば正直にサクラメントに具申しようと算段を立てていた。
「魔法使い、かあ……」
ミロシュが吐き出した溜息は軽快な音楽に掻き消される。
魔道士にとって魔法使いという存在は、魔道術の到達点ではない。実物の魔法使いと生活を共にして、実際に魔道術の指南を受けたミロシュはそれを誰より知っていた。
魔道術の原理は単純だ。
魔道士はまず世界に溢れる環境マナを詠唱を使って体内取り込み、魔力核でマナを魔力に変換、そして再び詠唱によって放出、環境マナに作用を及ぼして魔道術となる。
ファンタジーのように炎や水を扱いたいのなら、炎や水のある場所を選ばなければならない。周囲に炎や水がない場所で詠唱を行っても魔道術は発動しない。風に作用する魔道術が盛んなのは、大気が普遍的で扱い易い対象であると誰もが認識しているからだ。
「なりたいのか、魔法使いに?」
「なれないんです。私みたいに普通だと、師匠みたいな魔法使いには」
魔法使いには詠唱が必要ないのは周知の事実だが、省かれた工程は詠唱だけではない。環境マナの吸収や変換――強いて言うなら魔道術の仕組を根本から覆して、無尽蔵の魔力で環境マナすら捻じ曲げる、それが魔法だ。
砂漠に雪を降らせ、大河を炎の海に変える、それが魔法使いにとっての魔道術だ。
詠唱を口遊み、魔力核を経由させて環境マナを取り入れる魔道術が身体の隅々まで染みついた人間は、手足より気軽に魔道術を扱うことは一生出来ない、とミロシュは吐き出す。
酔うと沈むタイプなのか? と無頼が思いを巡らせていると、彼方からご機嫌な足音が近づいてくる。
「なになに? 魔法使いの話題?」
突っ伏したミロシュの後ろから、沈むミロシュと正反対の明るい声色が聞こえる。
声の主はステージで綺麗な歌声を披露していたリルエットであった。
リルエットはテーブルの合間を意気揚々と進む。その青白く大きな翼が客の頬を撫で、いくつもグラスやジョッキを落として従業員に睨まれる。
しかしまるで気にした様子を見せずに無頼の隣、ベロニカの席の前に立ったリルエットは、ベロニカが半分ほど平らげた皿を前に押し出して自分の食事を並べると、嬉々としてそこに腰を下ろす。
「歌、凄かった。初めて歌声で心が震えたよ」
私の歌、どうだった? と言わんばかりの笑顔で無頼を見つめるリルエットに無頼が当たり障りのない感想を伝える。意識の大半は金勘定に向けていたが、一応は耳に入れていたのだ。ちなみに"歌を聞いた記憶"がないので、初めてだとの感想も嘘ではない。
破顔一笑、無頼に抱き着こうとするリルエットを見て、ミロシュは不満げに眉根を寄せる。
ベロニカの席を陣取っているのは構わない。当のベロニカ本人がステージの真正面で音楽を楽しんでいるのだから余計な口出しをするつもりは更々ない。けれど自分たちの輪に無遠慮に入り込むリルエットの存在は疎ましく、それを受け入れる無頼にも不満を募らせる。
「そう、魔法使いだ。リルエットは会ったことがあるか?」
「うん、一人だけ! 僕、初めて見たんだ!」
「それは凄いな。ひょっとして、会ったのは『空色の魔法使い』か?」
「正解なんだ! 擦れ違っただけなんだけど、やっぱり他のギルドのメンバーたちとはオーラが違ったんだ。何て言うか……、晴れた日の夜空みたいな魔力だったんだ! 満天の星粒に、輝く月!」
熱を籠めて語るリルエットに無頼は相槌を打つ。
冷めた目でその様子を眺めるミロシュは、考えるまでもなく無頼の狙いを察知する。
「夜空みたいな……、か。俺も会ってみたいな。ギルドの本部に足を運べば、俺たちでも会えるのか?」
そう問い掛ける無頼は、普段は片鱗も見せない甘い笑顔を張り付けていた。
無頼はリルエットが向ける好意に気付いて、それを情報収集に利用している。普段は嫌悪を向けるに値する行為であったが、それはベロニカの腕の為。事情を知るミロシュはそれが一概に悪いと断言出来なかった。魔剣を手放したくない、と言い放つ無頼を最初は疑いもしたが、それだけの為に身を削るになら、建前だけで何もしない輩より何倍も尽くしている。
リルエットを利用するだけ利用して、用が済んだら捨てる。無頼がそんな冷血漢だとミロシュは考えていないし、傍から見れば無頼が無理をしているのだとも分かる。不自然に作り上げた笑顔は引き攣り、会話の内容も誘導しようとする意図が見え透いている。
ミロシュは苦笑を隠しもせず、二人の会話に参加する。
「それは私も気になりますね。リルエットさんは何処で会ったんですか?」
初対面の前に魔道術で自分を吹き飛ばした相手に、リルエットは露骨な警戒心を顕わにする。椅子を少し後ろに引き、ミロシュが妙な素振りを見せたなら文字通り飛んで逃げられるようにして、リルエットは答える。
「上」
「……?」
「だから、空の上なんだ」
リルエットは漠然と天井を指差し、その指先を呆然と見つめていた二人は、ハッと気付く。
リルエットは人間や獣人ではない。翼人だ。背中で存在感を示す青白い翼は飾りではなく、重たい翼を背に大地を駆けるより大空を羽搏く機会の方が断然に多い。
店内に溢れる熱気とは関係なく、二人の背中にじわりと汗が滲む。
「『空色の魔法使い』は滅多に地上に降りて来ない。ギルドに所属してるなら、誰でも知っているんだ」
現在のギルドの頂点に立つ人物こそ、『空色の魔法使い』だ。
嫌な予感が的中して、二人は頭を抱える。
強欲の魔女が一千万の額を提示した依頼が一筋縄で行く筈もない。
そんな当然のことに気付かず、見落としていたのだから。




