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姫さま一行は金欠で


 三つの月が地平の彼方に消え、太陽が逆の地平から鼻先を見せ始めた頃、獣人女を担いだ無頼はオレーサの郊外に辿り着く。

 オレーサは小高い丘に位置する都市だ。都市門に続くなだらかな道の傍には小麦か何かの作物が穂をつけ、重たくなった頭が冷たい朝風に揺られてザアザアと音を立てている。

 空が明るみ始め、街に続く坂を上るにつれて仕事に向かう農夫や小作人、淀んでいない空気を吸おうと出てきた住民の数が増える。

 その誰もが女を抱えた無頼を訝しみ、けれど腰の長刀に気付き早足で去っていく。

 無頼に抱えられた獣人女、ウィナーは道行く人々に視線を送るが、やはり誰一人として目を合わせようとせずウィナーを落胆させた。


「どうだ、晒し者になる気分は?」

「最低。アンタの性格と同じ」

「嫌なら逃げても良いぞ。何回もそうしたように」

「くそっ、死ねっ!」


 ウィナーの皮鎧は外され徽章らしき印が入った胸当てだけを無頼が確保し、後は脱がされ捨てられていた。そして柔らかな上着は無頼の手によって剥ぎ取られ、手足の拘束に使われている。必然的にウィナーは全裸一歩手前の下着姿を晒し、艶めかしい肌色と凹凸も衆目を集める要因の一つとなっていた。


「疲れたな、自分で歩くか?」

「ざけんな……、痛っ!!」


 無頼の蹴りを喰らった箇所、罅の入った肋骨付近は青痣が出来ていた。まじまじと見つめないと気付けない程に地味だが、大声を出したり体を派手に動かせば激しい痛みが全身を襲う。

 ウィナーは精一杯罵声を吐き睨み付けるが、無頼はどこ吹く風で受け流している。

 そして緩やかな坂を上り切り、街を囲う重厚な城壁と城門が目前に迫る。

 不審な二人を睨む門番をまるで気にせず歩み寄る無頼に、ウィナーは最後の抵抗を試みる。


「なあ、何でもするから助けてくれよ」


 甘ったるく縋る声色でお願いすれば、男なんてイチコロ! と同僚の言葉を思い出し実践した。

 だが無頼は侮蔑の視線を向け、突き飛ばすように言い放つ。


「危害を加えるのは俺じゃないぞ? 俺は門番に事情を説明して引き渡すだけ。敵国の斥候が無辜の旅人を襲って返り討ちに合ったとして、それに処罰を与えるのはオレーサの司法であり俺じゃない。『何でもするから助けてくれ』なんてしおらしい台詞は……ふふっ、敵国の役人の前で言えばいい」

「畜生め! この人でなしゴミ屑野郎っ!! 紳士ぶってんじゃねーよ強姦魔っ!!」

「ごっ!?」


 ウィナーが再び無頼に罵声を浴びせ始める。

 痴話喧嘩の類だろうと静観していた門番たちも、ウィナーの格好と処遇、その口から飛び出した言葉を無視できず、若い兵士二人を送り出す。

 事情を聴きに来た若い兵士に対し、ウィナーは騒ぎ立てるように持論を展開する。自分は何処から連れて来られたのか、如何に無頼が酷いか、服を剥ぎ取られて暴行も受けたなど、あることないこと――ではなく真実含有率一割以下の作り話を浴びせていた。

 困惑する若い兵士は何一つ喋らない無頼を前に固唾を飲み、まずは無頼に降ろすようにと説得を始めた。


「いいぞ」


 無頼は兵士たちの目の前にウィナーを投げ捨てる。

 そして、ウィナーに対するぞんざいな扱いに目を丸くする兵士たちの鼻先に、無頼は胸当てを突き出す。そこに刻まれていたのはネブラスカ中央軍の徽章であり、見るからにオーダーメイドで誂えた装備を着こなせるのは、サイズ的に考えて無頼でなくウィナーの方であった。


「……弁明、してみるか?」

「…………っ!」


 無頼は地面に伏したウィナーを嗤う。

 ウィナーは跳ねるように立ち上がると拘束を力尽くで解き、顔を真っ赤にして無頼に殴りかかる。それは到底弁明などではない。ただ感情に任せた反攻で、兵士としてではなく個人としての矜持を守る抵抗であった。

 武器は全て捨てられている。ウィナーの持つ武器は、ただ己の体のみ。

 初手の拳を無頼は楽々受け止める。


「《我は獣。狂気を縛る鎖を解き放つ》ッ!!」


 当然それは織り込み済みのウィナーは互いの呼吸すら聞こえる至近距離、大声で詠唱を行う。

 胸部の痛みは湧き上がるアドレナリンと活身魔道術で施した肉体強化によって上書きされて消え、風を纏うようにウィナーの発する威圧感が増す。

 無頼が顔を背け元の場所に戻した時には、ウィナーは別人のように変わっていた。


「こいつ、狂化を使いやがった!」

「騎士様か上級魔道士を早く……、早くっ!!」


 若い兵士の二人が悲鳴をあげて走り去る。こちらの異常に気付いた他の兵士たちも武器を手に街の住民の避難誘導を始めていた。


(これは不味い……調子に乗り過ぎた……)


 無頼は初めて見る魔道術を前に舌打ちする。

 無頼の両腕を握るウィナーは息が届く距離で詠唱を行い、それを境に筋力が桁違いに跳ね上がっていた。握られた両腕はみしみしと軋み、押し負ける体はジリジリと後方に下がっていた。


「コロ、し、テヤ、ル……!」


 ウィナーは理性を失った獣であった。押え付けた無頼(エモノ)を食い入るように見つめている。瞳孔は完全に開き微かに揺れ、口の両端からは涎が迸っている。腕を掴む指先の爪の何枚かはウィナー自身の筋力に負けて割れ、残りも太い無頼の腕に食い込んで朱に染まっている。

 その変貌振りに驚いた無頼も、腕から脳髄に伝わる痛みに喚起され冷静さを取り戻す。


「このっ!」


 まず無頼は魔道術では埋めようのない身長差を利用する。全身に力を籠め、ウィナーに掴まれた両腕を可能な限り上方へ移動させようとする。

 どれだけ筋力が凄くても重心が安定していなければ大した意味を成さない。ウィナーの体が浮けば、との意図を込めた無頼の行動も、ウィナーの爆発した筋力に邪魔され成果を出せずにいる。


「いい加減に……、しろっ!!」


 ギリギリと拮抗した最中、無頼がベクトルを真逆に変える。無頼の持ちあげる力に逆行して全体重を真下に掛けていたウィナーは、勢い余って手を離してしまう。

 超至近距離――二人は睨み合ったまま。

 無頼は空いた両手を迷わず動かす。左手は腰に佩いた魔剣の柄を下げ、居合宛らの早業で右手を魔剣に掛け躰を沈める。

 紫の刀身が僅かに覗いたその時、魔剣は無頼の右腕と一緒に無理矢理押し込められる。

 視界の外の出来事だぞ、と睨むウィナーから目を逸らした無頼は、理性の箍を外しながらもはっきりと目的を持って行動するウィナーを厄介に思う。

 嗅覚や直感――獣人の種族としての優秀さはベロニカと共に過ごす内にそれとなく理解していた。しかしそれが敵に回るとどれ程厄介なのか、それはいざ敵にしてみないと実感出来ない感覚であった。

 無頼はギリッと奥歯を噛み、ウィナーは口を開いて嗤う。


「……魔剣を、抜かせない気か!!」


 無頼はそう吐き出すと、至近距離で魔剣に頼るのを止める。息を大きく吸って歪んだ顔を元に戻すと、一歩踏み出して掴まれた右腕ごとウィナーを押し返そうとする。

 まずは距離を取り、その後で魔剣を抜けばいい。

 体重を一方だけが利用出来た前回と違い、一歩また一歩と今回の力比べは無頼が押していく。


「ぬ、ケバ、イイ」


 そして力を籠める無頼の体が、意図せず流れる。

 瞬間――強烈な蹴りが脇腹に突き刺さる。相手の力を丸ごと転用したウィナーの蹴りは凄まじく、無頼の巨体はゴムボールのように大地を跳ねる。

 肋骨の砕ける小気味よい音が暁に響き、遠巻きにする大勢の顔を青く染める。


 ――勝負は決した。


「舐めるな!」


 と思う彼らの判定を覆す。

 受け身を取った無頼は難なく立ち上がると一喝し、『亡霊挽歌』を抜き放つ。

 追撃はない。警戒し即座に構えた無頼を裏切り、ウィナーは逆方向に走り出していた。短い悲鳴が二人分聞こえ、観衆が蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。

 ウィナーの手には二本の剣――門番の兵士から奪った得物が握られている。

 その様子を静観しつつ、無頼は髑髏マスクで口元を覆う。


「ひ、ヒッ!」


 矢のような速さで迫るウィナーを無頼は真正面から迎え撃つ。

 一メートルの刃を持つ大太刀と歩兵用に誂えた剣が二本――射程も威力も取り回しもまるで違う武器を手にした無頼とウィナーは、何回と斬撃を繰り出し合う。駆け付けた騎士や剣を奪われた兵士含め、観衆の誰もが手を出せない速度で切り結んでいた。

 お互い無事では済まない。切り傷が体中に刻まれ、激しく動き相手の汗と血で自分の体が濡れている。

 剣舞のような殺し合いの最中、不意に距離が開く。

 小休止とばかりに互いが距離を取ったまま固まり、肩を上下に動かす。

 無頼とウィナー、二人は既に満身創痍である。睡眠不足と疲労、骨折やそれに類する負傷。体力はとっくの昔に限界を越えている。

 それでも動けるのは、魔剣や活身魔道術による身体の強制動作のお蔭であるが、それも終わりが近い。


「ハァ……ハァ……」


 小休止を挟む中、大きく肩で息をするウィナーは違和感を覚える。それが疲労や狂化による身体的負担とは別――外的要因、狂化に妙な細工を仕込まれたのだと気付く。

 環境マナが減っている、魔道士の仕業だ――と。

 始めは目の前の敵を疑っていたウィナーも、剣を振り回すだけの無頼に魔道術の心得、ましてその余裕はないと決めつけて観衆に目を走らせる。観衆たちは以前より離れてはいたが、数十メートルの距離はそもそも魔道術の射程圏内で、城門から見下ろす者も含めればその数は百を超えている。


「まるで、見世物だな」


 見世物と分かった途端に興が殺がれた――そう言わんばかりに魔剣を鞘に戻し、無頼は衆目に冷めた目を返す。ウィナーの狂化はまだ解けていないにも拘らず、無頼は何食わぬ顔で歩み寄る。

 無頼の意図が読めないウィナーは、双剣を構えたまま固まる。


「…………っ!」


 ウィナーは手を出さないのではなく、手を出せずにいた。

 東方には居合という剣術が存在する。

 相手の攻撃時に生まれる一瞬の隙を突き、高速の抜剣術を以て相手を制す技。剣や細剣では決して再現出来ず、東方に伝わる片刃刀にのみ許される後の先(カウンター)――片刃の大太刀を手足のように扱う無頼が、それを習得していないとは限らない。


「理性を飛ばしても見世物は気に食わないか。正直言うなら、俺もあまり好きじゃない」


 無頼とウィナーの距離は二メートル。

 ウィナーが飛び掛かれば無頼の喉を掻っ切れる距離であり、この距離で無頼が『亡霊挽歌』を振るえばウィナーの首は宙を舞う。

 一連の攻防に魅せられた観衆は目を見張り、二人の会話、次の動向を固唾を飲んで見守る。


「いい加減に疲れた。そろそろ終わりにする……が、その前に」


 無頼は不用意にも右手(ききて)で頭をわしゃわしゃと掻き混ぜる。

 右腕に頬、髪の毛までにも双剣の傷痕が残っている。無頼の魔剣に侵され右腕は熱を持ち、滴る血は余さず蒸発、赤い霧と化す。

 濃密な血の臭いは風に紛れてウィナーの鼻孔を擽り、獣人の本能を刺激する。

 ウィナーの集中が揺らぎ、それに付け入るように無頼は右腕で指し示す。


「お前の邪魔をしている魔道士は、あそこにいるぞ」

「――な、ニ?」


 ピクリ、とウィナーの耳が動き――――そして、一閃。


「ダロウ、な」


 魔剣の紫の煌めきは空を切る。

 居合による不意打ちを警戒していたウィナーは躰を沈めて無頼の斬撃を躱すと、ニヤリと笑う。そして双剣を強く握り締め、魔剣を振り抜いた無頼の、鎧一つ着けていないがら空きの胴体を狙う。


 ガッ!! と打擲音。ウィナーの体が真横に弾け飛ぶ。


 驚くウィナーの目には、嬉々とした無頼の顔が映る。

 双剣が走るより早くにウィナーの頭を打ったのは『亡霊挽歌』の鞘――『亡霊の棺』だ。右腕で振り抜いた魔剣を囮にして誘い込み、左腕の魔剣の鞘で蟀谷をピンポイントに打擲する、魔剣に宿る亡霊たちが辿った技能(みち)の一つだ。


「こ、ノ……っ!!」


 急所を打ち抜かれて尚、ウィナーは踏み止まる。

 双剣の片方は手放していたが、戦意に衰えはない。口から血泡を吐き、濁った瞳を限界まで見開いて、傾いた体を立て直す。

 精神と肉体、どちらの限界もとうに越えていた。

 狂化を保つ環境マナも充分に確保出来ず、ウィナーは自らが施した狂化魔道術に体内魔力を――つまり生命力をジリジリと蝕まれながら戦い、また戦わされていた。


「《払い除けよ》」


 そのウィナーを、風槌が弾き飛ばす。

 ゴルフクラブに弾かれたゴルフボールのように、大型トラックに跳ねられた歩行者のように、ウィナーの体はライナー性の軌道で城壁に衝突、頑強な一部を崩壊させる。

 秘境の渓流のように美しく流れ出た詠唱は、澄み渡る声色で殺人的な魔道術をウィナーに叩き付けた。それを放った者は麗しい容貌を不機嫌色に染め、奇しくも無頼が指差した辺りの人混みから歩み出る。

 滅多に見ることの出来ない人外級の剣舞(ころしあい)に胸躍らせていた街の住人や入門の順番を待っていた商人たちは、突然の横槍に憤りを感じる。無責任な彼らは口々に野次や非難を浴びせていくが、歩み出たミロシュが纏った桁外れの魔力に気圧されて言葉を失う。


「無頼さん、……弁明、してみますか?」


 ちょうどウィナーが立っていた位置にやってきたミロシュは、冷や汗を流す無頼にそう尋ねる。人混みの中にはローブを目深に被ったベロニカの姿も見える。

 まさか最初から……? と、無頼は仕掛けた悪戯を親に見つかった子供の気分に陥る。

 髑髏マスクを外して無頼は大きく深呼吸をする。

 相手が想像より強かった。魔剣の本領を引き出す為に必要だった。

 そんな弁明を他にも幾つか考え付いたが、どれもミロシュに一蹴されるのは目に見えていた。


「やめておく」

「賢明です」


 そしてピクリとも表情を変えないミロシュの追及から逃れる為、無頼は意識を断ち切り浅い眠りに身を投げた。


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