しかし、旅にトラブルは付き物で②
ガタガタと揺れる荷馬車の御者台に座った初老の農夫が豪快に笑う。その隣には大きなローブに着られたベロニカが座り、ケラケラと笑い楽しそうに旅の目的を語っていた。
「ほっほっほ、竜退治一行がいてくれるなら心強い」
「にゃふふ~、まだまだ仲間を集める途中だけどね」
三人が荷馬車を掴まえたのは夜明け前に森を抜け、当面の目的地であるカンザス公国を目指して皇帝街道沿いを歩いていた時のことであった。
中原を中心に世界に伸びる皇帝街道は季節問わず、朝日が昇り切る前に往来が始まる。照り付ける日差しに残暑を感じ取れる時間帯ともなれば、擦れ違う馬車や旅人の数は目で追うのも辟易してしまう程に増える。顔見知りの者同士が挨拶を交わし、行先を同じとする旅人は退屈な時間を潰そうと誰彼構わず声を掛ける。
三人が隠れ家を出発してそれなりの時間が経過した。太陽が昇り切る頃になると、無頼とミロシュに挟まれ真ん中を歩いていたベロニカが疲労と日光にやられ、肩を落として歩き、その供として愚痴を零し始めた。
無頼とミロシュは、元気な時の姿と比べてしまい苦笑する。
そして木陰でベロニカを休ませ、本来の予定を前倒しにして道行く馬車に声を掛ける、所謂ヒッチハイクに活力を割き始めた。
「だがまあ、心強いのは確かじゃよ。儂一人なら襲われるかもしれんが、若者が一緒だと手出しされんからのう」
「へえ、襲われるって、何に?」
「まさか知らんのか?」
「うん、遠くから来たからね」
「まあ、この近辺を騒がせておるのは盗賊やら傭兵崩れのならず者やら、一人じゃ動けん臆病者どもじゃな。この街道を通る商人や農夫を集団で襲い積荷を略奪、公国騎士団や自警団の姿を見るとあっと言う間に逃げ出す卑怯者ども。ネブラスカとの国境に近いからとやりたい放題じゃ。カーッ、思い出しただけでも腹が立ってくるわい!」
初老の農夫はゆっくりと走らせていた馬に鞭を入れ、いつ振り掛かるやもしれない理不尽に怒りを燃やし、代わりにぶつける。鞭打たれた馬の足が速まりガタガタと古い荷馬車が悲鳴をあげるが、少し走ると車輪は元のからからと安定した動きを取り戻す。
当然農夫は三人が本気で竜退治を目的としているとは考えていない。
楽しそうに話すベロニカの後ろで何とも言えない表情の無頼とミロシュがいて、二人の表情を見ればそれは理解できる。しかし嬉々として語る少女を前に"本当"を求める気にもなれず、結果として冗談半分に聞き流すだけに留まっていた。
「盗賊……」
「傭兵崩れ……ですか……」
小麦が積まれた荷馬車の後ろに座った無頼とミロシュは前二人の会話を聞いてポツリと漏らす。
無頼とミロシュの座った場所は近いが、その中間にはベロニカ一人分の空間があり、向きも逆――ミロシュは馬車の進行方向を、無頼は辿った道程を眺め、少しずれてはいるが背中合わせになっていた。
ミロシュは狙撃スコープで進行方向の遥か先を見つめ、無頼は懐中時計を取り出し時刻を確認する。
小麦袋と初老の農夫を乗せた馬車は、更に予定外の三人を加えた所為でその速度を酷く鈍らせていた。本来なら到着していてもおかしくない現在時刻に、その道程は七割にも達していない。
馬車は既に皇帝街道を離れ、農夫の村に向かっている。
荷馬車から小屋に小麦袋を移し替える、農夫にとって辛い作業を無頼が肩代わりすることが三人を馬車に乗せた条件であり、三人も多少の道筋を外れると了承した上で同乗している。
「もしもの時は俺が引き付ける。ミロシュは姫さんを連れて逃げろ」
「…………」
無頼の言葉にミロシュは何も答えない。
太陽は既に真昼の勢いを失くし、その足元を生い茂る木々で隠す。皇帝街道から外れた道は石畳でなく踏み固められただけの土の道で、太陽の残り香を一切残さない。それどころか森から染み出す夜霧に合わせ、馬車は次第に夜の冷たさに包まれてすらいた。
御者台で弾んでいた会話も今は鳴りを潜め、森の静寂にカラカラと車輪の音だけが木霊する。
「……誰かいる?!」
静寂を裂き、ベロニカが立ち上がる。驚く初老の農夫を無視してフードに隠れた耳をぴくぴくと動かす。素早く周囲に目を向けると、何かを察して無頼とミロシュに振り返った。
「ミロ、詠唱を始めて。無頼は露払い――でも遺恨が残るから殺しちゃダメ。敵は九、可能な限り魔剣は抜かずに制圧!」
そう手早く指示を出し、ベロニカ本人は慌てる農夫の襟首を引き二人の元に戻ってくる。
ベロニカの瞳は今までになく燦々と輝きを放ち、農夫だけでなく無頼とミロシュの二人ですらベロニカの変貌に驚きを隠せなかった。
「ぼさっとしにゃい!」
器用に片腕でバックパックを漁るベロニカはそう叱咤すると、無頼に顔の下半分を覆い隠す髑髏マスクを、ミロシュには魔道士のローブを投げ渡す。
無頼はマスクを口元に当て魔剣を掴み取り、ミロシュは手早くローブを纏い小声で詠唱を始める。
座らせた農夫が無意味に動かないよう肩を押えたベロニカは、緊張した面持ちで黄金色の瞳を巡らせ、――――叫ぶ。
「――ミロ、今!」
緩慢な足取りの馬車場の鼻先を、勢いを付けた馬が掠める。驚いた馬車馬は前足を上げて嘶き、馬車は止まってしまう。
そして走り去った男に、詠唱を終えたミロシュの魔道術が炸裂する。
男は風の槌に背後から殴られ、馬ごと木々を圧し折っていく。
「《我は求める者。我が声に応える風の祖よ。いま刃となって遮るモノを裂け!》」
続くミロシュの二撃目は周囲を覆い隠す森を裂き、葉を巻き上げる。
馬車を中心に百メートルの木々が禿げあがり、馬車馬が止まり次第吶喊しようと画策していた男たち――傭兵崩れの盗賊たちは、唐突な魔道術による先制攻撃に度肝を抜かれる。
ミロシュの魔道術は薄皮を裂く程度に威力を抑えた風の刃ではある。数と包囲による優位性を完全に無意味とする攻撃範囲は、雪崩れ込もうとした盗賊たちの足を止めるのに十分な効力を発揮した。
馬車を囲む盗賊は馬ごと撃ち落とされた男を含め八人。
人間もいれば獣人もいる、年齢層は少し高めの集団だ。
「野郎、出てきやが――――」
その中から三人が己の蛮勇と数の優位を頼りに馬車の前に立ち塞がる。
「出て来たぞ」
ガンッ! と鈍い音が連続して響く。
剣を手にした一人が叫び終わる前に、馬車から飛び出した無頼の魔剣が肩口を叩く。そしてV字に掬い上げる斬撃で二人目の顎を打ち、反応出来ず何が起こっているのかすら分からない三人目の後頭部に鋭い一撃を叩き込み昏倒させる。
瞬く間に頭数三人分を潰した無頼は、封じている刀身を僅かに晒して姿を隠せない残りの盗賊たちを威圧する。
日の沈みかけた薄暗い森の中、煌々と輝く刀身が存在感を放つ。
同じ鮮やかな紫色に侵されている無頼の右腕もまた、彼らに底知れぬ恐怖感を与え、顔の下半分を覆った黒色のマスクに金属の歯が夕日に反射して妖しく光る。
「どうした、投降しないのか?」
無頼は訝しむ。
視界の盗賊たちは大なり小なり皆怯えている。震える手を誤魔化して気丈に剣を握り直す者から今にも尻餅をつかんばかりに腰が引けている者までいる。
だが誰一人として武器を捨て、両手を挙げはしない。
(俺が知っている降参の仕方と違うのか……?)
無頼は不安になり、馬車で控えるベロニカとミロシュに助力を求める。
「……? ――ッ、後ろだローニャ!」
そして盗賊たちの助けを求める視線の先とミロシュの死角からベロニカに迫る危機に気付き、無頼は叫ぶ。
ミロシュが気付いた時には既にベロニカは背後から忍び寄る人影の太い腕に捕まり、隠し持っていた短刀を柔らかな頬に突き付けられていた。
「てめぇら、妙な動きはすんな!! そっちの男、武器を捨てろ!」
ベロニカの細身を抱くように捕まえた初老の農夫は顔面を険しく作り変え吼える。
長年培った勤労の証だと語っていた深い皺と日焼け跡も、今は他人を貶めようと悩み駆けずり回った痕跡にしか見えなくなっていた。
短刀を間近で眺めるベロニカは、刀身から削られた紋章を見て、この農夫を偽った老人も以前は没落騎士か名のある傭兵団に所属していたのだと悟る。
「にゃああ……、ぶーらいー、ミーロー、助けてー」
緊迫した雰囲気の中であるにも拘らず、あまり切実さを感じさせない救援要請に無頼は呆れ、ミロシュは必死に笑いを堪えようとする。
しかし笑いの衝動を耐えれば耐えるほどに、ベロニカと切羽詰まった農夫の態度の隔絶具合が可笑しくなり、ついには大声で笑い始める。
「あっはっはははは! ローニャ、やめて! その顔情けな……、ひっ、あははは!」
人質の存在などまるで気にせず笑うミロシュを見て、農夫は顔を真っ赤に染める。
元々高貴な家柄の息女が我儘言って外に出たに違いないと決めつけて行動した農夫にとって、ベロニカを顧みないミロシュの笑い声は癪に障った。
その嘲笑がベロニカにではなく、ベロニカを人質にした自分に向けられたのだと感じられたのである。
「笑うんじゃねえ!! てめえ、ぶっ殺――――」
激昂した農夫がミロシュに切先を向けた瞬間、早回しの引き潮のようにミロシュの顔から笑みが消え元の涼しい顔に戻る。詠唱をしていないと分かっていても農夫は焦り、短刀の切先をミロシュに向けたまま無頼の現在地を確かめる。
武器を捨ててはいないが動いていない無頼、緊張を張り直したが詠唱する素振りを見せないミロシュ。
その二人を見て、農夫はそっと胸を撫で下ろす。
「この、次ふざけた真似してみろ!」
余裕を取り戻した農夫が短刀を動かしながら牽制した瞬間、農夫の右足が馬車の床を突き破る。遅れて全身に走る激痛と、体勢を崩して下がった顔面に叩き付けられた肘が逃げる様を見て、農夫はいったい"誰"が自分に"何"をしたのかを知る。
「ふざけた真似~って三下みたいな台詞、私は嫌いじゃないよ」
ニッと笑うベロニカが、鳩尾に容赦なく右膝を叩き込む。
農夫の老体は軽く蹴り飛ばされ、小麦袋の一つを破り止まる。
胃の内容物を吐き出しながらも離した短刀に手を伸ばすが、ベロニカはそれを許さない。
「でも、手応えが無さすぎるのはダメだにゃあ……」
片腕のない私に負けるなんて、と口から出そうになった続きをベロニカは飲み込む。
ベロニカは農夫の右腕を踏み躙り、無頼から貰った黒短刀を誇らしげに突き付ける。短刀捌きも農夫がやったような振り回して突き付けるだけの脅しではなく、身動ぎ一つで後遺症が残る部位に――左目の数ミリ先に切先が漂う、本物の警告である。
ふざけた真似をすると、片目を失うぞ。
冗談ではなく本当にやりかねない雰囲気を纏ったベロニカを前に、止めようもない冷や汗だけがダラダラと流れていた。
そして農夫は気付く。
ベロニカは最初に「敵は九」――そう口にしていた。
つまり農夫と取り囲む八人、合わせて九人だと気付いていたのだ。
「投降せよ!」
幼い声色が宵闇を切り裂く。
「投降するなら殺しはしないが、逃げるなら容赦せん。食べやすいようにバラバラに裂いてから狼どもの餌にしてくれる! 我らの魔道士を前に、丸裸にされた木々の合間を縫って逃げる自信のある者だけ逃げよ! 我らの剣士を倒せる自信のある者だけ立ち向かって来い!
そうでない者は無駄を選ばず、投降せよ!!」
ベロニカが高々と宣告し、ミロシュが朗々と詠唱を始める。
続けて聞こえたのは、顔を真っ青にした盗賊たちが武器を投げ捨てる音だった。
泣きじゃくっていた時や馬鹿を晒していた時とはまるで別人のベロニカに、無頼とミロシュは驚嘆を隠せなかった。




