8、悪化
玄関を開けると、
「ママお帰り、雨すごいけど濡れてない?」
パジャマ姿の少女が迎えに出て来た。
そして、悲鳴。
盛岡 るうは、腰を抜かさんばかりに仰天して叫んだ。
「いやだなんでなんでなんでなんで!
どうしてママが広瀬くんつれて帰って来るの?」
「ママのお持ち帰りだ、手を出すんじゃないよ」
「いやあ、ウソ!」
「なわけないだろ、濡れて雨宿りしてたから、声かけたんだよ」
けろっとして、ミサオが笑い出した。
「驚いたかい?
ママだって、たまには参観だの懇談だので、学校行くんだから。
同級生でこんな目立つ子の顔くらい、覚えてるよ」
そこで、るうは自分が寝巻きであることにやっと気付いた。
もう一度悲鳴を上げて、奥へと駆け戻って行く。
廉の心臓は渾身の力を込めて鼓動している。
「僕をだましたんですか」
ミサオに詰め寄った。 るうに聞こえないように、小声でだ。
「るうちゃんに聞いて、僕のことは知ってたんだろ?
占いが当たりすぎるとは思ったんだ。
女を教えてやるってのも冗談ですよね?
ここへ引っ張り込んで、うちにに連絡するためなんだ」
ミサオはピシャリと廉の額をはたいた。
「冗談? 失礼な。 連絡のために娘の好きなコとキスする母親がどこにいるのよ?」
「ってか、何の目的があっても普通しないだろ‥‥」
「占いの方も、残念ながら本当よ。
ただし、前もって知ってたことも、混ぜてしゃべったことは認めるわ」
「なんのためにですか」
「あたしはるうが可愛いからね。
あの子はまだ男を知らないのよ。
で、この前初めてあんたと会って,これが噂の広瀬くんだってわかったら、るうなんかひとたまりもないなと思ったんだわ。
女の子だから、好きな男と初体験ってのが理想でしょ。
でもそいつは一人の女に落ち着くヤツじゃないし、おまけに自分も経験がないとか言ってるし。
せめてあんまりひどい事しないように、調教してから娘に与えたかったわけだ。」
「調教って‥‥」
猛獣ですか。
ミサオは廉の耳元で囁いた。
「目的はどうあれ、あんたにとって損な話じゃないでしょ。
今日は覚悟を決めておいて欲しいからここに連れて来ただけ。
今度場所を確保してから、改めて連絡するわよ」
廉は叫んだ。ただし声は落として。
「冗談じゃない、僕はゴメンだ。大体あんたいくつなんだ」
「るうを生んだのは16の時よ、逆算しなさい」
「同級生のかーちゃんとなんか、できるわけないだろ!」
「何ビビッてんだい、情けない!」
ミサオは吐き捨てた。
「イバラの道を歩こうって人が、“親子どん”くらいで怖気づいててどうすんだい!」
むちゃくちゃだ。
「と、言うことだから。
あたしとがイヤなら、るうとは手を切って貰うよ」
ミサオはついに脅迫にかかる。
「なんて母親だ。 普通、逆だろ? あんたの感覚がわかんないよ!」
「どのみち普通じゃないわよ。 今にあんたにもわかるわ」
キッと真顔になって、ミサオが開き直った。
「あたしだって歩いて来たのよ、イバラの道ってやつ」
廉はハッとして、ミサオの横顔を見直した。
「16で子供産んで、ひとりで育てて見なさいよ。
フツーの感覚で生きてたら、今頃は餓死してるわよ。
友情も愛情も同情も、何だって食べるために有難く使わせてもらったわ。
欲しい物は人より早く、手を上げて欲しいというの。
それがダメなら、目を盗んでかっさらうだけよ!」
「るうちゃんのために、僕を利用したって意味ですか」
「違うわよ、鈍いわねえ! あんたのことを気に入ったの!
あたしが、欲しいの! るうにじゃなくて、あたしに!
もちろんるうにもあげるけど、あたしが先なの!」
廉はぽかんと口を開けた。
全身の力が抜けて行くような気がした。
同時に泣きたくなってきた。 腹からは、笑いの発作が攻めて来た。
「は、はは、はははは、なるほどね!」
「何がなるほどよ?」
「果報者、っていうんだよね、こういう時。
ありがたい事だって、今やっとわかったんだ。
きっとこの大きすぎる女運とバランスを取るために、神様は僕から家族を取り上げたんだ」
廉は笑いながら涙をぬぐった。
なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
もう悩むのはやめようと思った。
何によって満たされてもいいじゃないか。
ご飯がなければ、パンを食う。
パンがなければ、菓子を食う。
幸せに上質なものと、下劣なものがあってたまるか。
それぞれに与えられたものが違ってるのは当たり前だ。
その晩、るうの口からひとつの事実を知らされた。
3年生の除名が取り消されるかも知れないという。
剣道部の部員と生徒会が中心となって、嘆願のための署名を集めているらしい。
「広瀬くん、最初からダメって決め付けてたでしょ?
だから、吉見先生の机の上に黙って退部届け置いて帰ったりしたんだよね。
誰にも何にも相談しなかったんだよね。
みんなはね、剣道部の中のことなのに、剣道部の中で話し合って決められないのはおかしいって、先生達に訴えたんだよ」
「‥‥それが通るのか」
「通る方法を探したんだよ。
吉見先生が情けながってたよ。
広瀬はいつも、大人には自分を理解して貰えないって決め付けてるって。
広瀬くん、大人が全部、お父さんみたいなわけじゃないんだよ」
やっぱり、るうは見かけよりずっとしっかりしてる。
ちょっと人とズレた感じがするのは、母親似なんだろう。
どうかすると、麻衣より危な気がないかも知れない、と廉は思ったのだった。




