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ショートえっち  作者: 友野久遠
第1話  広瀬 廉の発病
7/22

7、発病

 「おや、あんた」

 占いの女は、厚化粧の目を輝かせた。


 安っぽい白布のクロスに、廉は千円札を4枚投げ出した。

 「見料って高いんだね。 お年玉貯金、崩しちゃったよ」

 「子供はタダでいいよ」

 女は金を押し返した。


 「で、寝てみる気になったのかい?」

 腰を下ろした廉に、女が尋ねた。

 「そうじゃなくて‥‥これ」

 廉の指先が、テーブルの上の行灯の「人生相談」の文字をなぞる。

 「恋愛相談でもいいの?」

 「そりゃいいさ」

 

 「いきなりふたり、逃げられたんだけど」

 「なんかやったね?」

 「キスしたら‥‥」

 「ははあ」

 女はさも楽しそうに笑った。


 「あんたへのアドバイスは、二つしかないね。

  まず、絶対にあんたから攻めないこった」

 「えっ?」

 廉は目を丸くした。


 「告白するのも、キスするのも、えっちするのも同じことでね、ステップアップする時は、必ず相手の女の子にやらせるんだよ」

 「どうやって‥‥」

 「いいムードをキープすることだけ考えて、ひたすら待つんだよ。

  相手が焦れて、何か仕掛けて来るまでね」


 「仕掛けてこなかったら?」

 「来る女だけ相手してりゃいいんだ、どうせ相手が誰でもそこまで執着しないタイプだろ?

  それだけだって、あんたなら結構忙しいはずだ。

  待っていて、相手が何か仕掛けて来てるって気付いたら、すかさず乗っかるんだ。

  タイミング外すと、情けない事になるよ」


 廉は、盛岡 るうの顔を思い浮かべた。

 肩を抱いた瞬間、ビックリして廉を見上げた顔。

 あの時、るうは待ってなんかいなかった。


 待っていたのは、麻衣だ。

 これを気付かず、外してしまってえらい目に遭った。

 

 「あんたの言うことは、当たってるな。

  ……で、二つめは?」

 「二つめはね。 女の子がちょっとでも嫌がったら、電光石火で撤退することだよ」


 ギョッとした。 顔が赤くなるのがわかった。

 この女、見てたのか?


 「何に限らずすぐに?

  だけど、相手はカッコつけて渋ってるだけかもしれないじゃない?」

 動揺を隠して、反論してみた。

 女は首を振った。


 「だからさ、そういう作戦めいたことを、あんたが考えちゃダメ。

  向こうに考えさせるんだよ。

もしもあんたが女だとして、例えばキスして欲しいのにカッコつけてイヤと言ったとする。

  それで相手に、ごめんってすぐ引かれちまったら、どう思う?」


 「しまった、‥‥かな」

 「そうだよ。 はっきりアプローチしなきゃ、通じないんだと反省する。

  同時に相手を信頼するね。

  “この人は私が嫌がることは、絶対しないんだ、いつでもやめてくれるんだ”ってね」

 「そうか」

 「次に会うときはもっと積極的になってるさ」


 廉は感心した。

 「すごい。女の子に狩らせるんだ」

 「誰でもってわけじゃないよ。 あんたはそういう星まわりの人間だからさ。  

  男同士でもそうだ。 結構いじめられるだろ?」


 女の指が、廉の頬っぺたの腫れているところを突付いた。

 苦笑するしかなかった。


 「男同士でも、上手にいじられといた方がうまく行くよ。

  反抗的になったらアウトだ、コントロールを覚えな」

 廉はおとなしくうなずいた。


 

 アーケードを、パラパラと雨音が叩いた。

 「おや、降り始めたね。 今夜は客も来そうにないし、さっさと帰るかね」

 女が言った。


 廉は胸が痛くなった。

 「もう少しいちゃダメかな。

  ……行くとこ、ないんだ……」

 思わず口をついて出た言葉が、わずかに震えた。

 

 「いいとも、好きなだけ居るがいいよ」

 女はにっこり笑って、そのあと釘を刺した。

 「その代わり、あんた、そろそろ本音を言いなよ。

  相談したかったのは、ホントに女の子のことかい?」

 

 息が止まりかけた。


 廉は静かに首を振った。

 それを聞きたい気持ちを抑えるために、恋愛のことでお茶を濁したのだ。

 口に出すのが怖くて、聞けなかったこと。

 「あんたを信用する。 教えてくれ。

  僕はどうやったら、家族とうまく行くようになる?」


 「手を見せてごらん」

 女は廉の手を開かせ、虫眼鏡で手相を見た。

 それから、ずいぶん長いこと黙っていた。


 「どうなの?」

 沈黙に耐えかねて廉が問い直すと、女は小さく首を振った。

 「こんなこと、言わずに済めば言わないで置くんだがね。

  まあ早いうちの方が、傷が浅いかもね。

  残念だけど‥‥家族のことは、あきらめな‥‥」


 廉は両手で女の手にしがみついた。

 そうしないと、体がどこまでも沈んでいくような気がした。

 唇から、悲鳴に近い泣き声が小さく漏れた。

 涙が白いクロスに落ちる音が、雨音に消された。


 絶対に聞きたくなかった言葉。 でもいっそ、誰かに最後通告して欲しかったこと。

 もうあきらめろ。 お前が家族に愛される日は、決して来ない、と。

 胸がしめつけられるような失望が、雨音と一緒に廉の心を揺さぶっていた。

 でも不思議なことに、一つの安堵感が悲しみの後ろに控えていることに、廉は気づいていた。


 それは絶望と同時に、解放の瞬間でもあったのだ。

 (もうあきらめてもいいんだ)

 廉は思った。 心の奥に、そのことで楽になる部分が確かにあるのだった。

 (もう家族を愛そうとしなくていい。 

  貰えもしない愛情を求めて顔色を窺わなくてもいい。

  僕もお前らなんて嫌いだと叫んだあとで、自分を冷たい奴だと思って落ち込まなくていい)

  

 

 長い時間かけて、涙を落ち着かせてから、廉は顔を上げた。

 女の目を、濡れた瞳でまともに見据えた。

 

 「決めた」

 静かで怖い声が出た。 かなをの声とよく似ていた。


 「僕に、女を教えてください」


 「本気かね?」

 女は、身じろぎせずに廉を見返した。

 「本気だよ。 これから海で暮らすと決めたのに、泳げないんじゃ話にならない。

  どんな天候でも流されないように、ちゃんと教えて欲しい。

  それに‥‥」


 廉は言葉を切った。

 次の言葉を言うために、少し勇気が必要だった。


 「‥‥それに、あんたがこの前言ってたじゃないか。

  情けないことにならないように、努力しなけりゃならないって。 あれの意味がわかったよ。

  この先、親を捨てるとしたら、別の誰かに頼って生きなきゃならない。

  僕の場合、その誰かって女の人だよね。 あんたみたいに僕を気に入ってくれる人のことだ。

  そんな暮らしをするなら、何かで相手を喜ばせなきゃ。

  心のどこかで、自分はただのお荷物だ、って思いながら生きるなんてごめんだからね」

 

 女は少し怒ったように、廉の顔を睨んで言った。

 「あんたをヒモにしようって気はないよ」

 「当たり前だよ。 ヒモ以上のことができるように、あんたが仕込んでくれるんだろ」

 「おや、言うね」


 広瀬 廉が発病したのは、まさにこの瞬間だった。




 廉は、女がかぶっている白黒の布を引っ張って取った。

 女の顔が、アーケードの蛍光灯にさらされた。

 「やっぱりね」


 若い。

 30そこそこ、どうかすると20代でも通るかも知れない。

 鼻筋の通った、豪華な感じのする美女だった。

 「カモフラージュだなとは思ったんだよね」

 そうはいったものの、こんなに若いとは思ってなかった。


 女は微笑んだ。 ちょっと濃い目の顔が、妖艶な表情になった。

 「どこでばれたのかね」

 「手を握った時」

 「‥‥抜け目ないわね、先が楽しみな子だ」

 

 だぶだぶのローブを脱ぐと、女はスマートなオフィスレディになった。

 「仕方ないんだよ。 占い師があんまり若いのも、有難がられないものでね。

  この顔だと酔っ払いに絡まれるばかりで、客らしいのが寄り付かないの」


 女は、ミサオと名乗った。

 

 

 ミサオのマンションが近いというので、ふたりで歩くことにした。

 一つしかない女物の傘を、ふたりで広げて肩を寄せる。

 まだ成長過程にある廉の身長は、ハイヒールをはいた女のそれとほぼ同じだった。

 

 歩きながら、ミサオは廉の腰を抱き、顔を寄せて誘って来た。

 キスしようとすると、いきなり鼻をぎゅっとつままれた。

 「がっつかないで、少しは焦らしたらどうなのよ?」

 教育的指導を頂いてしまった。  



 そのあともミサオの唇は、道中さんざん勿体をつけて、廉を焦らした。

 結局手に入れたのは、マンションのエレベーターの中だった。


 一旦触れてしまうと、今度はなかなか離れない。

 初心者の廉が暴走しないように、コントロールしながら。

 深く浅く、長く短く、くちづけを繰り返した。

 体を押し付けてくる。

 刺激が強すぎる。

 廉はあやうく暴発しかけ、あわてて体を離した。


 「言っとくけど、女の子が経験浅い子だったら、いきなりここまで濃厚にやっちゃダメよ」

 「ど、どの口がそんなこと言うんですかっ。 僕だってろくに経験は」

 「いいから聞きなさい。

  未経験の女の子の恋の主食は、“妄想”よ。

  王子様にキスされたら、彼女らはその記憶を持って帰って、ベッドで育て始めるの。

  その赤ん坊が育つまで、あなたはじっと待つの」


 「妄想が育つのを待つ‥‥」

 「その赤ん坊が、狩人に成長して、あなたに銃を向けるまで、絶対に狼に変身しちゃだめなのよ!」


 そんな大事なことを今言われても、廉の頭の中は、初心者パニックですでに真っ白だ。

 下半身に至っては、崖の淵で辛うじて食い止めてる状態。


 そんなに過激な欲望でも、おっぽり出して逃げ出したいキモチがまだ残っている。

 あとで思えば、この時さっさと逃げ出していたら、廉のビョーキは悪化を免れたかもしれない。

  

 ミサオの部屋の表札を見た瞬間。

 白かった廉の頭の中が、真赤になった。


 

 “MORIOKA”




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