3、内因
「広瀬くん、大丈夫?
ねえ、ホントに病院行かなくていいの?」
「開いてないだろ、もう8時になる」
運動部の猛者である先輩達は、思いのほかリンチに慣れていた。
廉の傷は、胸や腹に集中していた。
目立つ顔や手足には傷を作らぬように、骨を折ったり内臓を潰したりしないように。
じつによく考えて痛めつけてくれた。
廉はしばらく身動きとれず、校舎の隅に座り込んでいた。
盛岡るうに肩を支えられて、家の玄関にたどり着いた。
「廉!何時だと思ってるんだ!」
父親が飛んできて、予想通りの剣幕で怒鳴った。
「おまけに女の子をこんな時間まで引っ張りまわして!」
「怒らないで!広瀬くん、怪我してるんです」
るうが叫んだ。
「こんな時間になったのは、痛くて動けなかったからで」
「るうちゃん、いいよ言わなくて」
止めながら、廉は内心驚いていた。
るうはおとなしくて引っ込み思案な子と思っていたのに、いきなり廉の父親に噛み付いたのが意外でならなかった。
しかし、父親の反応はいつもと同じだった。
「喧嘩かあ?この馬鹿野郎!」
いきなり頬を叩かれた。
るうが悲鳴を上げた。
廉は、たたきに尻餅をついて顔をしかめた。
全身が痛くて起き上がれない。
でも一番痛むのは、体の外側じゃないんだ。
「わかった‥‥。やっとわかったぞ」
廉はゆっくり立ち上がって、父親を見据えた。
「父さん、あんたが恐れている通りさ。
僕はあんたの子供なんかじゃないね。
子供が怪我したと聞いて、どこが痛いと尋ねない親なんて、この世のどこにもいるもんか!」
「なんだと、こいつ親に向かって‥‥」
「今まで鈍くて、どうもすいませんでしたね。
甘い夢を見てた僕が悪かった。
どんなひどい親でも、いないよりはまし、って思ったんだ。
でももう現実から逃げるのはやめる。
認めるよ、僕はここの息子じゃない!」
廉はきびすを返し、勢いよく歩き出した。
痛みに顔をゆがめるのも、今だけだ。
平気になってみせる。絶対に。
玄関を出たところで、るうの手をそっとほどいた。
「もう遅いから、きみは家に帰らなきゃ。
僕はおじさんの家に行って泊めてもらうから」
「そのおじさんちまでは、一緒に行くわ。
うちの親は、母親だけで、夜の勤めだから家にいないの。
うるさいことも言わないから、心配ないわ」
るうは言い張って譲らず、結局おじの家までついて来た。
おじさんが車で、るうを家まで送り届けるはめになった。
「クラブの先輩のリンチだったそうじゃないか。
これはね、廉のせいじゃない。
俺んとこもそうだが、運動部の悪習ってのはどこにでもあって、伝承されちまうものなんだ」
高校の教師をしている大林の伯父が、父親に電話をしてくれている。
その横で、叔母に夕食をもらって食べた。
何故か手がぶるぶる震えて、箸が何度も落ちる。
「スプーンあげようか?」
叔母に聞かれたが,首を振った。
胃がおかしくて入りそうにない。
「今夜は止まってけ。
明日はうちに帰って、話し合いをしろって言っといた。
学校にも、知らせた方がいい。
そのあと多分いろいろ面倒があるだろうから、家に帰っといたほうがいいぞ」
伯父が電話を終えて、言った。
つまり、明日以降はここに泊めてはもらえないということだなと、廉は思った。
大林の叔母が、父親の妹に当たる。
廉と同じ年代の男の子が二人いる。
そのためか、伯父が廉をとても可愛がってくれる。
父親といさかいを起こすと、昔からここに逃げ込むのが常だった。
食後のお茶を飲みながら、ふたりの従兄弟と雑談していると。
「廉くん、電話よ。原井さんって女の子」
叔母が呼びに来た。
「麻衣ちゃん?」
なんでここがわかったんだろう。
「廉くん‥‥。大丈夫?」
思いがけず深刻な声で、麻衣は訊いて来た。
「るうに聞いたわ。
それでおうちに電話したら、ここだって言われて。
美由紀ちゃん呼び出して、こっそりここの番号教えて貰ったのよ。
るうと来たら、ものすごい馬鹿ね!部室の前で待つなんて。
思わず責めまくっちゃったわよ。
第一、なんでさっさと先生呼びに行かないんだか」
「るうちゃんも怖かったんだよ」
言いながら、感心した。
るうから聞いた話だけで、きちんと状況判断ができる麻衣は、やっぱり頭がいい。
「ごめんね、廉くん‥‥」
「なんで、麻衣ちゃんがごめんなの?」
「あんな馬鹿な子、紹介して‥‥。
あたしだったら、廉くんに怪我なんかさせなかった」
「べつにそれ、麻衣ちゃんのせいじゃないだろう?」
「だってあたしだったら、ちゃんと教室で待ってたもん!
ちゃんと先生に知らせてあげられたもん。
あたし、馬鹿だった。
こんなことなら、るうに譲ったりしなきゃよかっ‥‥」
最後の一文字を、麻衣は飲み込んだ。
「譲った?」
廉が問い返しても、麻衣はしばらく黙っていた。
うっかり口が滑ったらしい。
動揺のあまり荒くなった呼吸音だけが、受話器から聞こえて来た。
「麻衣ちゃん‥‥」
「い、言い出せなかったのよっ」
麻衣が、覚悟した様子で叫んだ。
「るうに相談されたの。廉くんが好きって‥‥。
るうったら、電話でぐちゃぐちゃになるほど、泣いたんだから。
言えやしないじゃないの、あたしも小学校の時から好きだとか。
もういいやって思ったのよ、どうせずっと片思いで、告る気なかったし。
るうは可愛いし。
男の子なら絶対、あたしみたいに生意気な女より、るうみたいに守ってあげたいタイプのが好きだもん」
「そんなの、思い込みだ」
廉はきっぱり言った。
「僕は好きだけどね、頭が良くてしっかりしてて、精神的に安定してる子。
そばにいて、安心するじゃないか」
麻衣は黙っていた。
「‥‥泣いてるの、麻衣ちゃん」
「廉くんが、優しいんだもん‥‥」
麻衣は泣き笑いの声になった。
「そういうとこが、好きなの」
「麻衣ちゃんも、優しいよ」
「‥‥大好き。廉くん」
「うん」
「でも、るうには言わないで」
「言わないよ」
電話を切ってから、廉も少し泣いた。
自分の体の中に涙があったことで、何故かとても安心した。
その次の日の、夜10時。
歓楽街の路地裏を、廉は歩いていた。
ホントは力いっぱい走り抜けたかったが、全身が痛くて無理だった。
昨日よりも、傷が腫れている分、痛みは強い。
ぎこちない人形のような動きで、歩いた。
昨日の今日でまた家出だ。
両親は学校に連絡だけはしていてくれたようだった。
3年生たちのやったことが、学校側にどう扱われるかはまだわからない。
学校を休んだので情報も入ってないのだった。
でも、父親は剣道をやめろと廉に言った。
熱の入らないものは、やる資格がないそうだ。
結局、原因を作ったお前が悪い、と言いたいわけだ。
「親父と話し合いなんて、所詮無理なんだ。
あいつは僕のこの顔を見ると、理性なんか吹っ飛んでしまうんだからな!」
廉にもこのごろ、家族の図式が見えてきた。
浮気はしてない、と言うのが、母の言い分だ。
それを信じるぞ、というのが、父の表向きの姿勢だ。
そういう形にしないと、離婚するまで収まりがつかなくなるのがわかってるからだ。
そうやって、この夫婦は、言いたいことが言えなくなってしまった。
父の不満は、廉の顔を見るたびに爆発する。
そうすることで、母への憎しみのガスを抜いている。
母はそれを庇えない。
父の怒りを自分に向けたくないから。
そして、それを庇わないことで、自分の反省を表しているつもりなのだ。
父は廉に当たることで。
母は、それを認めることで。
妹達は、それを無視することで。
自分の罪を認め、相手の罪を許す。
それが広瀬家の愛情の図式なのだ。
必要悪というわけだ!
生け贄というわけだ!
あんたら大人は、立派なもんだ!
まったく、ご立派なシステムだよ!




