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地下道

最初に感じたのは揺れだった。


規則正しく上下する感覚。


誰かの背中にいる。


そして、湿った土の匂い。


水が岩を伝って流れる音。


遠くでぽたり、と雫が落ちる音が反響している。


目を開けても、何も見えない。


闇だった。


底なしの闇。


「……起きたか。」


背中越しに、あの声が聞こえた。


「……ここは。」


「地下道だ。」


息を切らしながら牢番が答える。


「王城の地下を通る古い避難路だ。王家でも一部の人間しか知らない。」


私は小さく頷いた。彼の言葉の意味を深く考える余力は、今はない。


身体はまだ薬のせいで重い。それでも。


「……降ります。」


「駄目だ。」


「でも。」


「歩けないだろう。」


その通りだった。


足に力が入らない。


牢の中で衰えきった筋肉では、まともに立つことさえ難しい。


私は黙って彼の背中に身を預けた。


しばらく、二人とも何も話さなかった。


聞こえるのは靴底が石を踏む音だけ。


時折、彼が壁を探る音がする。


暗闇の中、慎重に進んでいるのが分かった。


「……見えないな。」


牢番が独り言のように呟いた。


「松明があれば早いんだが。」


「灯りをつければ追手に見つかります。」


「ああ。」


また沈黙。


私はゆっくり目を凝らした。


真っ暗だ。


けれど──


少しずつ輪郭が浮かび始める。


岩肌。


天井から垂れる鍾乳石。


床を流れる細い水路。


ぼんやりとだが、見える。


牢で暮らした年月は長い。


昼も夜も薄暗い石牢。


小さな鉄格子から差す月明かりだけを頼りに過ごしてきた。


いつしか私の目は、人よりも闇に慣れていた。


「右。」


思わず口をついて出た。


牢番が足を止める。


「何だ?」


「右です。」


「……?」


「そのまま真っすぐ行くと落ちます。」


彼は半信半疑で足元を探った。


石を転がす。


数秒後。


カラン、と音がした。


かなり深い穴らしい。


「……。」


「穴があります。」


牢番は驚いたように息を呑んだ。


「分かるのか?」


「少しだけ。」


再び歩き出す。


今度は慎重に右へ迂回する。


「左の壁に手を添えてください。」


「……。」


彼は言われるまま壁を触る。


「ここだけ岩肌が滑らかです。」


「本当だ。」


そこだけ人工的に削られている。


昔、人が通りやすいよう整えた跡だろう。


牢番は振り返れないまま、小さく笑った。


「大したものだ。」


私は首を振る。


「慣れているだけです。」


「慣れ?」


「牢はいつも暗かったので。」


その一言で、彼は黙った。


自分が何を言ったのか気付き、私は少し後悔する。


また空気が重くなる。


しばらく進む。


地下道は複雑だった。


枝道がいくつもある。


牢番は何度も立ち止まり、記憶を探るように周囲を見回していた。


「……おかしい。」


「どうしました。」


「こんな分岐があったか。」


彼は低く呟く。


「昔の地図では一本道だった。」


私は目を細める。


闇の中に三つの通路。


左は湿気が強い。


正面は崩れた岩が積もっている。


右は──


微かな風。


「右です。」


「風か。」


「ええ。」


「出口につながっています。」


「見えるのか?」


「風が流れています。」


牢番は少し考え、右へ進んだ。


数十歩歩くと、空気が明らかに変わった。


湿気が減っている。


「当たりだ。」


彼は感心したように笑う。


「勘です。」


「いや。」


牢番は首を振る。


「勘じゃない。」


また歩く。


その途中だった。


私は天井を見上げた。


「止まって。」


「どうした。」


「一歩も動かないで。」


声が少し強くなった。


牢番はぴたりと止まる。


私は天井を見つめた。


細いひび。


その奥に浮いた岩。


「崩れます。」


「……何?」


「三歩先。」


「天井です。」


牢番は足元の小石を投げた。


コツン。


その瞬間だった。


ゴゴゴゴッ……


天井の岩が崩れ落ちる。


轟音が地下道に響いた。


土煙。


巨大な岩が道を塞ぐ。


もし歩いていたら。


二人とも押し潰されていただろう。


牢番は振り返れないまま呟く。


「助かった。」


私は胸を撫で下ろす。


「……よかった。」


しばらく沈黙が続いた。


やがて牢番が静かに言う。


「お前。」


「はい。」


「本当に見えているのか?」


私は少し笑った。


「ええ。」


「牢の暮らしで目が慣れたんです。」


「暗闇には。」


牢番は驚きを隠せない様子だった。


「普通はここまで見えない。」


「それだけじゃありません。」


私は少し迷ってから続けた。


「私は昔から、一度見たものを忘れないんです。」


「忘れない?」


「子どもの頃から。」


父はよく笑っていた。


『お前は一度描いた景色を全部覚えているな』と。


王宮でも。


一度通った廊下。


飾られていた絵画。


窓の位置。


柱の傷。


全部、頭の中に残っている。


「だから。」


私は壁へ手を伸ばした。


「さっきから気になっていました。」


指先が岩をなぞる。


「この地下道。」


「昔、王宮で描いた見取り図と一致しています。」


牢番が息を呑む。


「見取り図?」


「工事記録です。」


王宮の改修工事。


完成記念の記録画を描いたことがある。


もちろん地下道そのものは描いていない。


だが、地上の建物と地下の支柱の位置は記憶していた。


「この先。」


私は静かに言った。


「左へ曲がってください。」


「……理由は?」


「真っすぐ進むと行き止まりです。」


「左は?」


「外につながります。」


牢番は苦笑した。


「いつの間にか。」


「はい?」


「案内役が入れ替わったな。」


私は思わず笑ってしまう。


何年ぶりだろう。


こんなふうに笑ったのは。


牢番も小さく笑った。


「お前を助けるつもりが。」


「気付けば俺がお前に助けられている。」


私は首を横に振る。


「違います。」


「私は歩けません。」


「だから。」


彼の肩へ額を預ける。


「運んでくれるあなたがいて、初めて進めるんです。」


牢番は何も答えなかった。


ただ、その足取りだけが先ほどよりも少し力強くなっていた。


暗闇の中、二人は互いに足りないものを補い合うように、出口を目指して歩き続けた。


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