37『違う、そういう意味じゃない!』
「ただいま、師範!」
ニードルの明るく元気な声が道場に響く。
数時間に及ぶゾンビ掃討戦でヘトヘトに疲れ切った俺たちとは対照的だ。
道場の奥で黙想していた父さんが、ゆっくりと瞼を開く。
その口元には、いつもの人当たりのいい完璧な営業スマイルではなく、憑き物が落ちたような穏やかな笑みが浮かんでいた。
「おかえり。よく頑張ったね、三人とも」
「ん? なんか師範、いつもと違うぞ?」
ニードルがこてんと首をかしげる。
「そう見えるかい?」
「ああ。なんというか、すごい穏やかだ」
確かに、今の父さんの表情は驚くほど穏やかだ。
……まぁ、ずっと俺に謝りたいと思っていたみたいだしな。
先ほどの電話越しとはいえ、それが果たせて満たされているのだろう。
俺がきっかけを作らなければならなかったことには腹が立つが。この意気地なし。
「……師範」
俺が短く呼びかけると、父さんのそこそこイケメンな顔がこちらを向く。
思えば、父さんの顔をこんなに正面からマジマジと見るのは久しぶりかもしれない。ここ数日は、余り目を合わせないようにしていた。
三年前と特に変わらない。
強いて言えば肌が少し荒れているくらいか。
魔法少女というガワを被り、赤の他人『エレナ』として立っているからこそ、こうして気負わずに顔を見られる。
そういう意味では、カミィに感謝しなければならないのかもしれない。
三年前のように、また親父が殴りかかってきても返り討ちにできる『力』を与えられたからこそ、俺は堂々とこの人の前に立てているのだから。
『ふふっ。もっと感謝したまえ☆』
……前言撤回。こいつに感謝するのは間違いだ。
脳内に直接響く鬱陶しい声に、俺は即座に思考を切り替えた。
「……どうしたんだい? エレナちゃん」
しまった。自分から呼び止めておいて、無言で見つめ続けてしまった。
コミュニケーションにおいて相手を一番苛立たせるやつだ。俺は誤魔化すように小さく咳払いをした。
「いえ……お別れを告げるのが忍びなくて」
「もう東京に帰るのかい?」
「はい。テロの余波も一応収まりましたし、明日から学校が再開するので」
本音を言えば永遠に休校していてほしいが、現実は無情なのだ。
俺の言葉に、ニードルが目に見えてしょんぼりと眉をひそめる。
「そんなぁ……。せっかく可愛い妹弟子ができたと思ったのに……」
「空手の稽古自体は続けるよ。ビデオ通話越しに一緒に稽古するのも、案外楽しいんじゃないか?」
「実際に隣で汗流すから楽しいんじゃんか……」
への字に口を曲げてすねるニードル。
門下生が自分一人しかいない道場に、ようやくできた同年代の仲間。それがすぐにいなくなるのだから、へそを曲げる気持ちもわかる。
「あの……東京から千葉ですし、月に一回くらい通うのはどうでしょうか?」
見かねたシルバが、遠慮がちに提案してくる。
俺は父さんをちらりと見て、少しだけ悩んでから頷いた。
「そうだな。ニードルに会いたいし、そうしようかな」
「やった! 愛してるぜ! エレナ!」
「うおっ!? ……ちょっ!?!?」
感極まったニードルが、むぎゅっと勢いよく抱きついてきた。
彼女の豊満で柔らかな双峰が、俺の胸にモロに押し付けられる。柑橘系の爽やかな香水の匂いが、ふわりと鼻腔をくすぐった。
人生で初めて、女の子に真正面から熱烈なハグをされた喜び。
――よりも、半端ない罪悪感で頭がショートしそうになる。
ガワこそ魔法少女だが、俺の中身は男なのだ……!
「シルバも! マジで愛してるからな!」
「えっ……ひゃあっ!?」
今度は、シルバに向かってニードルが勢いよくダイブする。
妖艶な美少女と、ヤンキー風の活発美少女による熱烈な抱擁。
絵面だけを見れば、百合の園のごとき最高に美しい光景だ。
……片方の中身が『おっさん』でなければ、だが。
「……コホン」
見守っていた父さんが、わざとらしく咳ばらいをする。
「ああ、ごめん師範! 道場でこんな浮かれちまって」
ニードルが慌ててシルバから離れる。
解放されたシルバは、そそくさと俺の隣に逃げ込んでくると、耳元で切実な声で囁いた。
「エ、エレナさん。何があっても、私たちの正体がバレるわけにはいきません……!」
「そうだな。わかってる。痛いほどわかってる……!」
俺たちがコソコソと頷き合っていると、父さんが改めて向き直った。
「エレナさん。シルバさん。短い間だったけど、楽しかったよ。……息子の彼方のこと、これからもよろしく頼むね」
そう言って、ペコリと深く頭を下げる。
……本当に、俺のことを大切に思ってはいるんだな。
だったら最初から殴るなよ、という話だが。
謝罪の言葉を聞いたとはいえ、やはり俺はまだ、親父のあの日の凶行を完全には許せていないのだと思い知る。
「はい、任せてください。彼方くんは、私にとって大切な人ですから」
ドンと、シルバが胸を叩く。
「「え?」」
父さんとニードルの声が、見事に重なった。
違う。シルバは『魔法少女の相棒として』俺を大切に思っている、という純粋な意味で言っただけだ。
しかし、目の前の二人は『彼方=エレナ』だなんて夢にも思っていないわけで。
つまり、この状況でシルバが発した言葉は――。
「も、もしかしてシルバさんは……うちの彼方と付き合っているのか!?」
「マジかよ!? 詳しく! 詳しく!」
盛大に狼狽する父さんと、パァァッと目を輝かせるニードル。
「ち、違いますよぉぉぉぉっ!!!」
真っ赤になったシルバの必死の絶叫が、道場に虚しく響き渡った。




