33『情報の非対称性』
ボトリ、と。
地獄のような喧騒の中、シルバの首が地面に落ちる音だけが、やけに生々しく鼓膜を揺らした。
首を失った胴体から、噴水のように鮮血が吹き上がる。ゴロゴロと、見慣れた彼女の頭部が路地裏の隅へと転がっていく。
あまりにも突飛でグロテスクな光景に、俺の思考は完全にフリーズした。
血まみれになった己の手を、吸血鬼が恍惚とした表情で舐めとっている。
「てめぇぇぇぇッッ!!!!」
狂わんばかりに激昂したニードルが、がむしゃらに吸血鬼へと突撃した。
最短最速。至近距離からの正拳突き。そこから放たれた爆発的な衝撃波が炸裂する。
吸血鬼は両腕をクロスして防御に回ったものの、その凄まじい風圧に耐えきれず吹き飛ばされた。衝撃波は周囲のゾンビをまとめて巻き込み、商店街の外まで奴の身体を派手に弾き飛ばしていく。
爆風が荒れ狂った直後、視界が急に真っ黒に染まった。
顔面に、バサリと何かが張り付く感覚。
鼻腔を突いたのは、インクと紙の、やけに安っぽいチラシの匂い。――そのあまりにも日常的な刺激で、俺はようやく正気に戻った。
顔からチラシを剥ぎ取る。
「カミィ! 見ているか!?」
『んん? そんなに焦ってどうしたんだい?』
返ってきたのは、脳が融けそうなほど気の抜けた声だった。
こいつ、絶対にすべてを把握した上でこのトーンを出してやがる。
その事実に激しい苛立ちを覚えるが、今は怒っている場合じゃない。
「大丈夫なんだよな!?」
『大丈夫だとも。君が生きてるじゃないか』
「ならいい。……ふぅ」
深く息を吐き出し、荒んだ精神を強引に落ち着かせる。
ニードルはぶっ飛んだ吸血鬼を追って、もうここにはいない。早く彼女の援護に向かわなければ。
そう思って足を動かそうとした瞬間――シルバの肉体が、眩い光に包まれた。
「うおっ!?」
思わず手をかざし、瞼を閉じる。
数秒ほど経って光が収まり、恐る恐る目を開く。
すると、そこには信じられない光景があった。さっきまで首無し死体だったシルバの体から、新しい首が生えていたのだ。
パチクリと、シルバが瞼を開閉する。
「すごい……めちゃくちゃ気持ちのいい目覚めです……!」
シルバがガバッと勢いよく起き上がった。
背中の傷も完全に元通り。どこからどう見ても、ピチピチの健康体そのものだ。
「シルバッ! 無事なのか!?」
「はい! 元気いっぱいです! 社会人は常に寝不足なのですが、長年の倦怠感からすっかり解放されました!」
一度死んだ人間のセリフとは思えない、朗らかな笑顔。
首を左右に傾げても骨の軋む音ひとつせず、肩を回しても違和感がない。そんなことを、彼女は本当に嬉しそうに語っている。
……なんか、本気で心配して損した気分だ。
俺が呆れて視線を落とすと、ふと、ある「異物」が目に入った。
「……うわ。シルバの生首、あそこに転がってる」
「……ほんとですね。気持ち悪い」
胴体から新しい首が生えてきた、ということは。
元々あった首はそのままなわけで。シルバは自分の生首を見て、何とも言えない表情で顔をしかめている。
「――って、そんなことより! 今ニードルが一人で戦ってるんだ、急がないと!」
「そうなんですね、わかりました!」
「シルバは隠密行動を頼む! 吸血鬼はシルバが死んだと思ってるはずだから、不意をつける!」
「了解です!」
言うが早いか、シルバは先ほどニードルが商店街の天井にあけた大穴から飛び出していった。
◇ ◇ ◇
「このぉッ!!」
「随分と楽しそうだな? どうした、娘よ」
「……てめぇ……ッ!」
吸血鬼は、心底この状況を愉しんでいるように口角を吊り上げている。
アタシの衝撃波を乗せた必殺の回し蹴りを、奴は軽やかなバックステップで、紙一重でかわした。
大量の魔力を込め、面を制圧するような連続攻撃を叩き込む。
愉悦の笑みを浮かべる奴だが、その瞳の奥には、油断のない真剣な光が灯っていた。
「この荒波さえ超えれば、私の勝ちだな」
「波に呑まれて死ねッ!!」
シルバを守れなかった。
また、知り合いの魔法少女が死んでしまった。
今は目の前の敵に集中すべきなのに、どうしても、脳裏に『あの人』の姿がよぎる。
近所の姉ちゃん。
不良に憧れるどうしようもないアタシを、ずっと見捨てずに優しくしてくれた、本当の姉みたいな人。
カミィに魔法少女としての力を授けられて、正義のために政府の魔法少女として戦うことを決めた人だ。
けど、魔法少女になってすぐ、この街に怪物が現れた。姉ちゃんはろくな訓練も受けられないまま、現場に出動させられてしまった。
怪物自体は倒せたし、姉ちゃんも無事だった。けれど、未熟だったせいで上手く戦えず、一般人に被害を出してしまったんだ。
一人の男の子が死んで、責任を感じた姉ちゃんは精神を病み――自ら命を絶った。
……確か、そのとき死んだ男の子の名前は、藤堂大介くん、だったっけ。
その後、アタシはカミィに目を付けられて魔法少女になった。
正直、ふざけるなと思った。姉ちゃんが死んだのは、カミィが魔法少女になんかしたからだ。
魔法少女なんて大嫌いだ。
なんでアタシがこんな姿に、って。
『私は、みんなを守りたいんだ』
お人好しで、どうしようもないほど善人だった姉ちゃんの言葉。
それを思い出したから、アタシは――。
姉ちゃんの代わりに、姉ちゃんが愛したこの街を守れるように、必死で強さを求めてきたんだ。
なのに。
「アタシは……守れなかった……!」
視界が涙で歪む。アタシはボロボロと涙を流しながら、吸血鬼への猛攻をがむしゃらに続けた。




