30『ゾンビパニック』
「……本当に、いいんですか?」
二日目の空手稽古を終えた直後。シルバが小声で耳打ちしてきた。
「なにが?」
「お父さんとの会話ですよ。このままでいいんですかって聞いてるんです」
「……明日でいい」
ぶっきらぼうに返すと、シルバは深いため息を吐いた。
「明日やろうは馬鹿野郎って言葉もあるんですよ。別に正体を明かす必要はありません。それとなく『息子さんと仲直りしたらどうか』って、背中を押してあげればいいんです」
「……明日な、明日」
「もう……」
シルバが呆れたように二度目のため息を漏らそうとした、その時だった。
静かな道場に、鼓膜を突くような警告音がけたたましく鳴り響く。怪物の出現を知らせる、災害アラートだ。
さっきまで父さんと話し込んでいたニードルが、弾かれたようにこちらを振り返る。
「エレナ! シルバ! 頼む、手伝ってくれないか!?」
「……ああ。俺たちとニードルは秘密の関係だろ?」
隣でシルバが頷くのを確認し、俺はニードルに返事を返した。
道場を飛び出そうとする魔法少女三人に、背後から父さんが声を張り上げる。
「気を付けるんだよ、三人とも!」
「了解! アタシたちに任せて、師範は大人しく避難しててくれ! いくら空手の達人でも、相手は怪物なんだからさ!」
先陣を切って突っ走るニードルの背中を、俺たちも猛追する。
ニードルが勢いよく道場の門を開け放った。だが、俺は門をくぐる直前で、どうしても足が止まってしまう。
振り返ると、父さんはクローゼットから防災グッズを取り出しているところだった。
……あそこが置き場所なのは、昔から変わってないんだな。
「エレナさん?」
「……悪い! すぐ行く!」
遅れる俺をとがめるシルバの声で、現実に引き戻される。
俺は父さんから視線を切り、一歩を踏み出した。
(――いくら昔、父さんに殴られたからって)
胸の奥がチクリと痛む。だけど、答えはとっくに出ている。
(あいつに死んでほしいなんて、これっぽっちも思ってない)
「……さっさと片付けよう」
子供の頃、母さんに手を引かれてよく通った思い出の商店街。
そこに怪物が出現したようで、人々の悲鳴が遠く響いていた。
◇ ◇ ◇
「ゾンビ……?」
「みたいですね。……ちょっと気持ち悪いです」
視界に飛び込んできたのは、パニック映画を現実にしたような最悪の光景だった。
アーケードの奥から、何百もの生ける屍が溢れ出している。風が運んでくる強烈な腐敗臭に、俺たちの鼻はまたたく間に麻痺していった。
呆然とする俺たちの先頭で、ニードルが即座に指示を飛ばす。
「商店街から続く道は三つ! アタシが真ん中を食い止めるから、エレナは左、シルバは右を頼む!」
「了解! シルバ!」
左の路地へと駆け出す俺の四肢に、シルバが素早くワイヤーを巻き付けていく。
路地の中央で待ち構え、迫り来るゾンビの右腕を掴み取った。ワイヤーに電流を流し、ショック死させる。
――その算段は、一瞬で裏切られた。
ゾンビは火花を散らしながらも動きを止めず、自由な左腕を容赦なく振り下ろしてきたのだ。
「しまっ――!?」
慌ててバックステップで爪を避ける。
「エレナ! そいつらはもう死んでるから、痛みも電気も感じないんだ!」
遠くからニードルの怒鳴り声が響く。
彼女は空中に向かって凄まじい正拳突きを放ち、その衝撃波で数十体のゾンビを粉砕していた。
「マジかよ……! 電気が効かないなら、俺ただの役立たずじゃん!」
「私のほうは上々です!」
見れば、シルバはゾンビの足元へ次々にワイヤーを設置していた。
足を高く上げられないゾンビたちは、 面白いように引っかかって転んでいく。
二人が確実に群れを減らしていく中、俺だけが未だに戦果ゼロ。焦りが募る。
「いや、やるしかない。空手の修行を実践する良い機会だって、ポジティブに捉えろ……!」
深く息を吐き、腰を落とす。
正拳突き、回し蹴り、前蹴り。昨日と今日、道場で何百回と繰り返した基本の型を、迫る肉塊に叩き込んでいく。
相手の移動が遅いおかげで、技は外れない。肉を殴る嫌な感触が拳に伝わる。
「……クソ、これじゃただの動くサンドバッグだ。キリがない!」
「エレナ、シルバ!」
中央の敵を散らしたニードルが声を張り上げた。
「このままじゃゾンビが尽きるより先に、アタシたちの体力が尽きる! 発生源の奥を叩きに行くぞ!」
「ですが、ここを空けたら街にゾンビが溢れてしまいます!」
シルバの反論に、ニードルは不敵に笑う。
「道路に大量のワイヤーを張っておけばいいんだよ。さっきシルバがやってたみたいに、ゾンビの足元の高さでさ!」
「なるほど……。それなら足止めが可能です!」
シルバは即座に両手を広げ、路地を埋め尽くすほどのワイヤーを目に見える範囲へ張り巡らせた。罠にかかったゾンビがドミノ倒しになっていく。
「問題は、どうやってアタシたちが奥に進むか、だけど……」
ニードルが顔をしかめて商店街を睨む。
その通路は、未だびっしりとゾンビの群れで埋め尽くされていた。まともに突っ切るのは不可能だ。
「いや、策はある。シルバ、商店街のアーケードの屋根の内側にもワイヤーを張れるか?」
「? はい、それくらいならお安い御用ですが……」
シルバの手から伸びたワイヤーが、蜘蛛の巣のように天井を覆っていく。
俺は天井のワイヤーに強力な電流を流し、一瞬でそれを電磁石へと変貌させた。
俺の狙いに気づいたシルバが、俺たちの体にワイヤーを巻く。
狙うは、強力な磁力による牽引――。
「うわぁっ!? 体が浮か――ぶへしっ!?」
凄まじい速度で天井に吸い上げられたニードルが、顔面から思い切り衝突した。
「だ、大丈夫か……?」
「……だ、だいじょうぶ。ちょっと鼻に強烈な正拳突きを喰らっただけ……」
ニードルが涙目で鼻を押さえる。
「悪い、出力の調整不足だ。じゃあ――このまま天井を這って、一気に奥まで移動しよう!」
俺たちは今、忍者のごとくアーケードの屋根の内側に張り付き、腕の力で前進していた。
眼下では、天井を仰ぎ見る大量の死者たちが、届かない手を伸ばして不気味にうごめいている。




