28『シリアスクラッシャー』
「さて……」
見上げた建物の正面には、『剛誠館』と力強く彫られた一枚看板。
意を決して扉を開けると、ズドン、と重く床を踏み込む音が鼓膜を震わせた。
そこにいたのは、特別イケメンというわけではないが、百八十センチの長身に引き締まった筋肉を鎧のように纏った男。
俺の父親――結波康介だ。
相変わらず、見上げようとすると首が疲れる。
悲しいかな、俺にその高身長は遺伝しなかった。……もっとも、今の俺はエレナの姿なので、いつも以上に背が低いわけだが。
「いらっしゃい。君たちが彼方の友達のエレナちゃんとシルバちゃんだね」
父さんが、非の打ち所がない完璧な笑みを浮かべて俺たちを出迎える。
本当に、外面だけは一級品だ。
「彼方くんには日頃からお世話になっております。私はシルバ、こちらがエレナです。短い間ですが、空手のご指導よろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそよろしく」
シルバが完璧な所作で父さんと握手を交わす。さすがはシルバ、中身が社会人なだけあって大人の対応だ。
しかもありがたいことに、「エレナの中身が、息子の彼方である」という秘密をちゃんと守ってくれている。
「ところで……君たちが野良の魔法少女というのは本当かい?」
「……はい。彼方くんからお聞きに?」
シルバが、探るようにちらりと俺に視線を向けた。
「ああ。だが安心してくれ。誰にも言うつもりはないよ。大事な息子の友達だからね」
「助かります」
「それで……彼方は元気にしているかい?」
父さんの質問に、シルバが再び俺を見る。
ここはいっそ、本人である俺が答えた方が自然だろう。
「元気ですよ。一人暮らしは自由だし、何より安心できて最高だって言ってました」
「そうか、安心、か。……彼方が元気そうで何よりだよ」
『安心』という単語に一瞬だけ父さんの眉がピクリと動いたが、すぐに元の完璧な笑顔に戻る。
事情を何も知らないシルバは、その「安心」という言葉を、至極真っ当な意味として受け取ったらしい。
「彼方くんも思春期ですからね。家族にプライベートな空間に入られたくない気持ちが強いんでしょう。その点、一人暮らしは気兼ねがなくて最高だと思いますよ」
父さんは何度か頷くと、不意に、まとう空気を真剣なものへと変えた。
「……ところで。君たちと彼方は、どういった関係なんだい?」
「ええと、それは……」
言い淀むシルバの前に、俺は一歩踏み出した。
「彼方くんが怪物に襲われているところを、シルバが助けたんです」
父さんの顔から、完璧だった笑みが綺麗に消え失せた。
「……それは、本当かい?」
「はい。間一髪のところを、シルバが。だろ?」
「……はい。間違いありません」
嘘は言っていない。俺がドラゴンに襲われたあの日、シルバに救われたのは紛れもない事実だ。
父さんはシルバに真っ直ぐ向き直ると、深く、深く頭を下げた。
「シルバちゃん。……息子を助けてくれて、本当にありがとう」
声音に滲むのは、心の底から我が子を案じる父親の情愛。
誰もが胸を打たれるであろう、あまりにも美しい「家族愛」の光景。
吐き気がした。
俺は黙って、握りしめた手のひらに爪を食い込ませる。
俺を殴り飛ばし、それをずっとなあなあにしてにしているくせに。どの口が父親ぶっているんだ。
シルバが何かを言いかけた、その瞬間――。
バァン! と、道場の扉が勢いよく撥ね上がった。
「師範、押忍ッ!」
静寂を破って響いたのは、昨日一緒に猿を追いかけ回したヤンキー魔法少女、ニードルの元気な声だった。
「あれ? エレナにシルバじゃねぇか! 師範に弟子入りしにきたのか?」
「……ああ。短い間だけどな」
「マジか! じゃあついにアタシにも、ついに妹弟子ができたってわけだな!」
ニードルは俺たちの背中をバシバシと豪快に叩きながら、嬉しそうに声を弾ませる。
「この道場、アタシ以外に生徒がいなくてさ。毎日寂しかったんだよな」
「毎日? ニードル、毎日ここに通ってるのか?」
「おう、そうだけど?」
不思議そうに首を傾げるニードルに、俺は思わずため息をこぼした。
「……お前、本当に真面目だな」
「はぁ!? アタシは不良を極めるために空手を習ってんだぞ! 動機が不純なんだから不真面目だろ!」
「なんだそれ」
ぷいと腕を組み、ぷりぷり怒りながら視線を逸らすニードル。だが、すぐに思い出したように、自慢げに胸を張った。
「だいたい、アタシの凶悪さを舐めるなよ? この前なんか、公園に落書きして警察にガッツリ注意されたんだからな!」
これにはシルバが引いた目で困惑する。
「……ニードルさん。それは本当ですか?」
「本当だとも! どうだ、立派な不良だろ?」
得意満面なニードルの頭に、父さんが横から容赦なく冷や水を浴びせた。
「わざわざ水で消せるチョークを選んで、壁に『ポイ捨て禁止』って書いたくせに。ポイ捨ての酷い公園だったからね」
「ちょ、ちょっと師範! 余計なこと言わないでくれよ!」
「それは……ええと。犯罪、なのでしょうか……?」
さすがのシルバも、怒るべきか感心するべきか分からず頭を抱えている。
父さんは可笑しそうに破顔した。
「それだけじゃない。怒ったニードルはその公園を自分の縄張りにすると宣言してね。行くたびに空き缶を分別して、雑草を抜いてるんだよ。おかげで最近はいつもピカピカさ」
「……うう、うるっさいなぁ、もう! ともかく、さっさと稽古を始めるぞッ!」
真っ赤になったニードルの絶叫が、道場の天井に木霊した。




