25『猿ロードレーサー襲来』
房総半島の南部。
どこまでも広がる青い海と、青々とした山に囲まれた自然豊かな一本道を、俺たちはサイクリングしていた。
正確に言うなら、魔法少女の姿のまま、明らかにサイズの合っていない自転車を二人で漕いでいた。
「もう四時間くらい漕いでますけど、全然疲れませんね」
「さっきすれ違った軽トラのおっちゃん、こっちを二度見してた。少女二人が爆速でサイクリングしてるから」
「このサイズの合わない自転車も驚かせるのでしょうね」
「この体型用の自転車をレンタルしたかったのに、店がどこも閉まってたからな」
『対特定有害生命体防衛群本部襲撃事件』の影響は大きかった。
社会人の七瀬さんが俺の実家に武者修行をしに行けるのも、電車が止まっていて自転車移動を余儀なくされているのも、全部そのせいだ。
ノスタルジックな佇まいの駄菓子屋を通り過ぎたところで、タイミング悪く赤信号に捕まる。
キキィッ、と派手なブレーキ音を響かせて俺たちは止まった。
「もうすぐ俺の実家に着くよ」
「お父さんには、エレナさんの正体が彼方くんだってことは秘密なんですよね?」
「『父さん、俺、美少女になったんだ』なんて言えるわけないだろ。だから、エレナの中身が俺のことは内緒にしてほしい」
「分かりました」
七瀬さんことシルバには、俺と親父の複雑な関係は話していない。
高校生なのに一人暮らしをしている理由も、「自立したくて駄々をこねた」と嘘で誤魔化している。
『父親に殴られて別居しました』なんて話、まだ出会って日の浅いシルバにするには重すぎる。
信号が青に変わる、その数秒前。
俺たちの横に、音もなく三台の自転車が滑り込んできた。
この過疎地で並走か? と視線を向けた瞬間、俺の思考は完全にフリーズした。
サドルに跨がっていたのは、人間ではなかったからだ。
「……さ、猿?」
それは、どう見ても毛深いニホンザルだった。
しかも、ただの野生の猿じゃない。
ピチピチの本格的なサイクルジャージを着用し、頭には流線型のヘルメット。ロードバイクのドロップハンドルを完璧なフォームで握りしめている。
完全にガチの自転車乗りである。
中央の猿が、こちらをチラリと見た。
そして、フッと不敵に笑うと、片手を上げて「こんにちは」とでも言うようにスマートに挨拶してきたのだ。
「「「ウキッ」」」
信号が青に変わった瞬間。
三匹の猿は恐ろしいほどの足の回転でペダルを回し、凄まじいスタートダッシュを決めた。あっという間に豆粒のようになって遠ざかっていく。
「……え? えええ!?」
俺とシルバが開いた口が塞がらない状態で呆然としていると、今度は背後から鼓膜を引き裂くようなバイクのエンジン音が迫ってきた。
「待てコラァ! 猿畜生どもがぁぁぁ!」
ノーヘルで法定速度を完全にぶっちぎり、原付バイクで猛追していく人影。
それは、髪を編み込んだコーンロウのヤンキー風の魔法少女だった。
「……千葉の日常って、こんなに混沌としてましたっけ?」
「……いや、俺の知る千葉はもっと平和だったはずだ、たぶん」
俺たちは呆然と顔を見合わせ、引きつった笑いを浮かべながら、再びママチャリのペダルに力を込めた。
だが、五秒ほど経過したところで、俺はある事実に気づく。
「……なぁ、シルバ。荷物は?」
「えっ? ……あ、あれ!? ない、ありませんっ!?」
空っぽになった前カゴを何度も手でまさぐり、シルバが悲鳴を上げて振り返る。
しかし、のどかな一本道のどこにも、それらしきバッグは見当たらない。
「さ、さっきの赤信号で止まったとき、水分補給のためにカバンを開けて……」
「……ってことは、あの猿たちにスられた!?」
仮にあの猿に盗まれたのだとしたら、かなりまずい。
あのカバンの中には、七瀬さんと特定できる物品が入っている。
もし中身を見られたら、シルバの正体がアラフォーのおっさんである七瀬さんだとバレてしまう。
「まずい、まずいです。社会的に死んでしまいます!」
「取り戻しに行こう! シルバ、後ろに乗って」
シルバの身体能力はお世辞にも高くない。俺の脚力で二人乗りした方が、遥かにスピードが出る。
シルバが俺の後ろに座り、ぎゅっと腰に手をまわして密着してくる。
背中に押し当てられる、柔らかで確かな感触。
――人生初。女の子に後ろからハグされた。
心臓が跳ね上がる。いや落ち着け俺、中身は加齢臭を気にするおっさんなのだ。
邪念を振り払うように足に力を込め、風を巻き起こしながらペダルを回転させる。
「猿畜生ども! 大人しく動物園に戻れヤァ!!」
前方から、さっきのヤンキー魔法少女の叫び声とエンジン音が聞こえてきた。その距離はどんどん縮まっている。
「あれ? 意外とバイクより自転車の方が早くないですか?」
「あのバイク、多分そんなに速度が出ないんだよ。だから、魔法少女の漕ぐ自転車の方が早いんだと思う」
キゴキゴキゴキゴと爆音を鳴らして自転車をこぐ。
その猛烈な音に、ヤンキー魔法少女が気付いた。
「ああん!? お前ら魔法少女か? てことは野良だな!? 保護だ保護!」
「野良なんだけど、今は協力しよう。ダメか?」
「ああ? ……まぁいいぜ、怪物を捕まえるのが先だ!」
「案外、聞き分けはいいのですね……」
シルバが背後で驚いたように呟く。
「アタシのバイクじゃ追いつけねぇ。ご一緒させてもらうぜ!」
「えっ……ちょっ、待て!?」
ヤンキー魔法少女が疾走しているバイクから飛び、俺の自転車のカゴの中に足を滑り込ませてきた。
急激にバランスが崩れそうになり、必死にハンドルを立て直す。
「アタシはニードル。しっかり運転しろよ、野良犬!」
「い、いや……乗るにしてもカゴはやめてくれ! 前が見えないって!」
「アタシが指示するから大丈夫だ!」
「いや……マジでどいてくれって!」
海沿いの道には、四台の自転車が疾走している。
三台は猿。残りの一台は、カゴとサドルと荷台に魔法少女が一人ずつ乗った、あまりにも異常なママチャリだった。




