16『嵐の前の静けさ』
ノーラ視点
「ノーラ。コーヒーを淹れてくれないか?」
「……私が世界で一番嫌いなものを知っていますか? そう、家事です。料理はもっと論外です」
「料理の定義が崩れてしまうな」
東京にある、対特定有害生命体防衛群の本部。
魔法少女課のオフィスで、上司である霧島さんが私にコーヒーを淹れろなどと不当な命令を下した。
時代が追いつけば、コーヒーハラスメントとして訴えることができるだろう。
「見るからに暇そうにしている同僚に、コーヒーマシンでコーヒーを淹れてくれと頼んだだけなんだが……」
霧島さんのデスクにそびえる双耳峰のごとき書類の山。
対して私のデスクには開きっぱなしのゲーミングPCと、飲みかけのエナドリが置かれているだけだ。
「霧島さん。私が淹れてきますね」
「ありがとう、エリュセイア。今は君だけが頼りだよ」
肩のあたりで切り揃えられた茶髪に、ちょこんと乗ったベレー帽。
エリュセイアは物静かな手つきでコーヒーマシンを操作している。
白シャツの衿元に結ばれた黒いリボン。
その上に重ねた灰色のベストと、ゆったりと羽織った濃紺のジャケット。
黒いショートパンツの裾から伸びるストッキングのラインまで含めて、彼女ほど「図書館」という厳かな空間が似合う魔法少女を、私は他に知らない。
「ノーラはもう少し反省すべき」
「……なにを?」
「野良の魔法少女二人に逃げられたこと」
その話になると立つ瀬がなくなってしまう。
普段の態度も相まって、ただでさえ足場が少ないのに。
「反省はしてる。……けど、魔法少女だからって網膜が光に強いわけじゃないんだし」
「エレナとシルバの保護任務を与えられているんだから、サングラスくらいは携帯すべきだったと思うけど?」
「ぐうの音も出ません」
彼女たちの能力は事前に把握していた。
ワイヤーに高電圧を流し、目眩ましの閃光を放つ。その程度のことを想定できなくてどうする。
内省している私に、霧島さんが助け舟を出す。
「反省会はそこまででいいだろう。……まったく、エレナとシルバが大人しく政府に登録し、私の部下になってくれれば万事解決なのだがな」
「誰もがエリュセイアみたいに真面目なわけじゃないですからね。仕方ないですよ」
「クソ真面目で悪かったわね」
「そこまで言ってない」
コーヒーカップを片手に、私たちのじゃれ合いを笑って見つめる霧島さん。
「固定給の政府と契約するより、プロメテウスでバイトした方が儲かるということなのだろうな」
ピクリ、と肩が跳ねそうになるのを必死に抑える。
よかった、二人にはバレていない。霧島さんが話を続ける。
「全ての野良がプロメテウスを利用しているわけではないが……魔法少女の力を得た人物が野良を選択する一因に、プロメテウスがある」
「野良を取り締まるという対症療法ではなく、プロメテウスを撲滅するという根本療法が必要ですね」
「その通りだ」と、エリュセイアを褒める霧島さん。
……まずい。本当にまずいことになった。
深刻な顔で議論を交わす同僚たちの声を、私はどこか他人事のように聞いていた。
プロメテウスが潰されたら、私の快適な引きこもりライフが終わる。
正確に言えば、週5日の家事代行サービスを雇う軍資金が、完全に断たれてしまう。
あそこは野良の魔法少女に法外な報酬を掴ませて怪物を狩らせる、紛れもない闇組織だ。
回収した素材で違法な薬や兵器を造っては、テロリストや悪趣味な富豪に売り捌いて暴利を貪っている。
政府の犬である私が、真っ先に噛みつくべき悪党。
……それは分かっている。
分かってはいるけれど、大嫌いな掃除洗濯を自分でやるくらいなら、悪魔に魂を売った方がマシだ。
だからこそ、せめてもの免罪符として、私は薬の素材にしかならない怪物の討伐しか受けてこなかった。
兵器の材料はNG。それが私の、薄汚れたプライド。
けれど結局、その薬が組織の資金源になっているのだ。
込み上げてくる罪悪感。
……うん、悪いとは思ってる。もの凄く反省してる。
でもね。それと同じくらい、私は絶対に家事をしたくないのだ。
「金目当てでプロメテウスを利用していた野良の魔法少女は、プロメテウスが消えれば政府に登録するだろう。政府の給料とて決して悪くはないからな」
「……ソウデスネ、霧島サン」
私は酷く抑揚のない声を出す。
魔法少女の年収は普通のサラリーマンよりは高いが、毎年300万円をポンと出せるほどの給料ではないのは確かだ。
「とはいえ、今すぐプロメテウスをどうこう……ん? 電話か。……霧島です。なに? エレナとシルバの目撃情報?」
霧島さんの指先が、スマホの画面の上を忙しなく滑る。
数秒と経たずに、私のポケットで短い電子音が跳ねた。
「ノーラ、位置情報を送った。今すぐ向かってくれ」
「了解です」
私は机に置いてあったエナドリの残りを一気に胃袋へ流し込み、勢いよく席を立った。
放り投げた空き缶が放物線を描き、ゴミ箱の底で乾いた音を立てる。
それを見て、優等生のエリュセイアが小さく眉をひそめた。
「……ガサツ。サングラスは持った?」
「ばっちり」
「ん。じゃあ、気を付けて。三人になって帰ってくるのを祈ってる」
「任せて。エレナとシルバが同僚になってくれれば、私の仕事も減るからね。気合は十分」
それに、人が増えれば遊べるボードゲームの選択肢だって増える。
賑やかになるであろうこれからの魔法少女課に胸を膨らませながら、私は事務所を後にした。




