魔族とバトる弟子①
魔族がこの場に現れた瞬間、周囲の空気が一変した。
護衛も、馬車の走者も、乗客も、この場にいる誰一人声すら発せられなくなった。
この空気を支配する感情は絶望。
誰一人生きて帰ることは出来ないという、諦めから生まれた空気であった。
「ウシャシャシャシャ!!こんなに餌が多いとどれから喰うか迷っちまうなぁ!!」
恐怖に包み込まれた人々はその場から一歩も動くことができない。
空気も重く冷たい。
息が上手くできず、この中で一番経験があるはずのパーティーメンバーですら、緊張から過呼吸になりかけている。
「おうおう可哀想に、そんなに俺様が怖いのか。」
魔族はニヤニヤしながら護衛に近づく。
一歩また一歩と距離が詰まるほど、魔族が放つプレッシャーに押しつぶされそうになる。
その距離が数メートルになった時、全ての人々は立つことさえできず、その場に膝をつき動けなくなってしまった。
「ッくそが……」
リーダーは何とか立ち上がろうと抵抗する。
しかし魔族にとってその行動は気に食わないものであった。
「ゴミが逆らうんじゃねーよ。」
一瞬だった。
魔族は目の前にいる虫を払い除けるかのように、横に一振腕を払った。
それだけでリーダーは遥か先にある岸壁に叩きつけられてしまった。
「リ、リーダー!!」
「っぅ……」
どうやら息はあるようだが、それも風前の灯火である。
頭から血は流れ、呼吸は乱れている。
口からも吐血している様子から内蔵に損傷があることが推測される。
いち早く治療を行わなければ、命の保証はないような状態であった。
「騒ぐな騒ぐな。順番に喰ってやるから大人しくしておけ。」
この場にいる誰もが自分を恐れ絶望している。
この状況に満足し悦に浸っている魔族だが、馬車の中の異様な雰囲気に気づいた。
「……師匠、そろそろやらないと死人が出ちゃいますよ?」
「……それはめんどくせぇなぁ。でも動きたくないしなぁ。」
「……この怠惰師匠!人の命と面倒くささを天秤にかけないでください!」
馬車から聞こえてくるその声に一切の恐怖は感じられない。
生と死の狭間において、馬車にいる人物は日常のいつもの一コマのような雰囲気で会話を続けているのだ。
(何を話している?どうして俺様を恐れない?)
奇妙に感じながら魔族は馬車に近づいていく。
「ほら師匠!相手さんが痺れ切らしてこっち来ちゃいましたよ!」
「うるさいなぁ……あんな雑魚別にどうだっていいだろ?」
「いやいや、あんたにとっちゃ雑魚でもみんなにとったら死の象徴なんでしょ!?」
その一言は魔族の逆鱗に触れるスイッチとなった。
瞬時に発動された風魔法は馬車に直撃し荷台は粉々になった。
「人間風情が……!俺様をコケにするからこうなる。」
跡形もなく吹き飛んだ荷台。
しかし飛び散ったのは外観だけで、そこにいた人も馬も傷一つない状態でその場に固まっていた。
周囲には光の膜が人々を中心に球体上に広がっている。
「ほらぁ、師匠が雑魚雑魚言うからあいつ怒っちゃったじゃないですか?」
「……いやいやお前も大概だからな?」
この状況で漫才のような掛け合いをしているのは40代の女性と、親子ほど年の離れた女の子である。
「何者だテメェら?」
「ただのしがない魔法使いさ。」
「そして可愛い弟子です。」
ナタリアとアイリスは簡単に自己紹介をすると魔族と向かい合う。
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魔族の接近にいち早く気づいた男は愕然としていた。
目の前に現れた魔族。
実力は桁外れで、この場にいる全員の命は刈り取られてしまうと諦めていた。
リーダーは吹き飛ばされ、護衛対象の人々は魔族の魔法によって全員やられてしまったと思った。
しかし目の前に起こっている現実はどうだ?
謎の光に覆われて無傷の人々。
魔族を前にしても、まるで日常を過ごしているような軽い口調で話す親子のような二人。
その二人を見て明らかに動揺している魔族。
目の前ので起こっている出来事の処理がようやくできた時、魔族が高らかに笑い出した。
「アハハハハハ!!その魔力!貴様が噂に聞く魔女ナタリアか!?」
その名を聞いた瞬間、男は驚きとともに希望を抱いた。
人類最後の希望『異端の魔女ナタリア』。
その力は敵対する魔族からだけではなく、同族の人間からも恐れられ、人と接することのない森の奥に住む魔女。
正体を知らなかった人々も噂は知っていた。
中には恐れの表情を浮かべる者もいたが、ここまで一緒に過ごし、ナタリアがそんな悪い人物ではないと分かっている者は態度を変えることはなかった。
「助けていただきありがとうございます。」
アイリスと話をしていた商人もそのうちの一人だった。
助けてもらったことに対してお礼を言う。
ナタリアは一言だけ返事をすると目の前の魔族に意識を向ける。
とはいえ相手の魔力と使用した魔法の威力と精度から大した相手ではないと分析する。
(めんどくさいなぁ……)
わざわざ労力を割くような相手でないと分かると急激にやる気がなくなった。
「俺様の力に恐怖を感じて身動きすら取れないか!!」
目の前で見当違いな解釈をする魔族に鬱陶しささえ感じ始める。
「って、別に私が相手することないじゃないか。」
そう呟くと冷めた目で魔族を見つめるアイリスに視線を移した。
「お前あれに勝てるか?」
「あれにですか?」
この世界の死の象徴を「あれ」呼ばわりする二人。
「貴様ら……舐めた言葉を…!」
当然、魔族の怒りはアイリスとナタリアに向けられた。
「おいおい、お前が舐めた態度取るから機嫌を損ねてしまったぞ?」
「えー私のせいですか?どちらかといえば師匠が挑発するからでは?」
臨戦態勢の魔族は両手に魔族を練り始める。
『ξιεζγβΞΔΔΗыцъшщ』
魔族は人が理解できない言語を発しながら、魔力を最大限まで高めていく。
これは魔族だけが使える古代魔法で、使用されるのは古代言語である。
この辺り一帯を吹っ飛ばせる程の威力を持つ魔法であった。
「で、あれを倒せるかって話でしたよね?」
アイリスはおもむろに歩を進める。
その背中はいつまでも可愛い小さな背中ではなかった。
「あまり弟子のこと舐めない方が良いですよ?」
振り返り見せた笑顔は、今まで見せたどの笑顔より綺麗に輝いていた。
「ちゃんと見ててくださいね?」
それだけ伝えるとアイリスの姿は目の前から消えた。




