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魔法の死に際  作者: 藁草ワロタw
第一章『慈愛の死に際』
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6.夜更けの贈り物


 日が暮れ始めた雑踏をただ歩いているだけで、人々の暮らしが目に入る。

 笑い合い、明日を疑わないその姿は、かつてゼノを魔王と糾弾し、捕らえるためだと扇動されるままに魔法を放った群衆と何ら変わりはない。


「魔法に毒されて異形にでもなってれば、わかりやすかったのにな」


 良くも悪くも人間という形だけは進歩していないらしい。そこに人の心が残っているかはわからないが。


 とはいえ貶められて逃亡を余儀なくされたゼノから退路を断ち、逃げ場を奪った人々はおそらくもういない。

 今を生きているだけの無害な家畜を屠っても意味はないのだ。しかし復讐の旅程で、彼らの本性を知る時が必ずくる。

 それが希望となるか、絶望となるか──。


 そんな殺意と理性に揺れるゼノの鼻にふと、香ばしい匂いが殴り込みに来た。


 肉の焼ける脂の匂いと、今まで嗅いだことのない複雑で刺激的な香辛料の香り。

 ぐごおおお、と大きな音が腹の底から鳴り響いた。


 そういえば、迷宮からここまで──否、貧民街スラムにいた頃からまともな食事など口にしていなかった。

 限界をとっくに超えていた少年の胃袋が、強烈な自己主張を始める。


 今のゼノは言うまでもなく食べ盛りの年頃だ。かつてライラが言った通り、魔力は食べ物にも微量ながら含まれている。ゆえに食事はれっきとした魔力回復の手段なのだ。……もちろん今のところ魔力に困ってはいないが。


 たった今、空白期間を言い訳に復讐を保留にしたくせに、こんな誘惑に負けるなどあってはならないだろう。


 そう、ちゃんと食べる理由があるのだと自分に言い聞かせて──、


「へいらっしゃい!」


 吸い寄せられるように一軒の屋台にたどり着くと、脂が弾ける小気味良い音がゼノを出迎えた。


 じっくり吟味し、選んだものを店主に伝える。

 差し出された串に刺さった肉の塊を無言で口に運び、噛み締める。


 肉質、焼き加減、そして何より味付け。

 前世では王侯貴族の食卓ですら味付けは塩か、せいぜい数種類の香草をまぶす程度だった。


 だがこれは、何十もの素材が溶け合い、舌の上で暴力的なまでの旨味を爆発させている。


「くそ……美味いじゃないか」


 精神も魔法も、退化していると断じたはずなのに。


 「食い物は数百年分きっちり進歩してやがるのか……」


 ゼノは口の中だけで呟いて苦笑する。

 空腹すぎたせいかもしれないと、二本目の串を注文するために銅貨を握り直し、気付けば三本目、四本目と満足するまで食べ続けた。


 満腹になった頃には完全に日が落ちていた。

 いよいよ宿を探さなくては外で寝ることになりそうだ。


 ゼノは迷わず手近な宿へ駆け込んだ。


 宿の部屋は、一晩金貨一枚というだけあって清潔だった。

 窓からは見えるグラトニアの街並みには、まだちらほらと明かりが灯っている。

 部屋の端にはふかふかのベッド。冷たい土の上や、迷宮の硬い石床とは比較にならない寝心地だろう。


 だが、今夜ゆっくり眠るつもりはない。

 ゼノは誘惑を振り切るように外套を脱ぎ、椅子に深く腰掛け、ガントレットを嵌めた右腕を机の上に置いた。


「悪かったな。俺のために」


 聖遺物アーティファクト《暴食のライラ》──。


 そのようは、あの日の司教の言葉通りであれば、彼女がゼノの無実を訴え続けた結果に他ならない。

 魔導具への転用──。前世の人類が辿り着いた、残酷で醜悪な忌むべき命の冒涜。それが奇しくも、数百年越しの再会を叶えてしまった。


「一人だったら、ただの化け物になってたかもしれない」


 見境なく全てを蹂躙するだけの力はある。だが、ひと呼吸置いて踏み止まっていられるのは、ひとえにライラと再会できたこと、そして今もどこかで歪められているであろう教え子たちの存在があったからだ。


「分からない奴らに、ちゃんと分からせてやろう」


 彼らの遺した叡智を、単なる殺戮兵器に貶めさせはしない。

 何より、かつてのゼノを信じた彼らの判断が正しかったのだと、その身を以て証明させる復讐にしよう──そう決めた。


 ただ爪や牙を振り翳して殺すだけではダメだ。ゼノやライラ達を否定したこの世界が間違っているのだと、徹底的に否定してやるのだ。


 ゼノは静かに目を閉じ、自らの魔力を右手に集めた。


 しかし貧民街スラムでの復讐は、あくまでゼノ個人のものだ。

 明日、あの地獄へ戻る。そこで振るうのはライラの権能ではなく、ゼノという一人の魔導師が積み上げた純粋な魔法でなくてはならない。

 とはいえ、右手だけは右手として使わせてもらうが。物一つ持てないのではさすがに支障が出る。


「ライラ、預けてた魔力核を部分的に取り出すことはできるか?」


 ゼノの問いに、右腕のガントレットが応えるように、内側から熱を帯びて拍動した。

 迷宮の最奥でライラへと託した魔力核。当時はライラの権能でしか作り出せなかった、ゼノにとっては真の聖遺物アーティファクトだ。


 右手に収まるように、結晶となった魔力核が現れる。

 魔力濃度で言えば全体の一割にも満たないだろう。


「分割した上に結晶化……さすがだな」


 実質的にはゼノが操作しているだけだが、それを実現可能にしているのはライラの権能だ。褒めずにはいられない。


「これなら加工がしやすくて助かる」


 結晶を机に置き、指先に魔力を込める。

 慎重に、かつ執拗に術式を書き込んでいく。

 時間をかければ片手でもなんてことのない作業だった。


「疲れた──ッハハ!! これは最高のプレゼントになりそうだ。一体どんな顔を見せてくれるだろうなぁ?」


 想像するだけで嗤いが漏れる。

 徹夜で完成させたのは、洗練された魔導具とは程遠い、ゼノのドス黒い魔力で満たされた魔力結晶だ。


 理知的なモノクルの向こうで、絶望に歪む顔が目に浮かぶ。


 売り物にはなりようもない粗悪で即席の魔導具だが、その内側には、かつて賢者と呼ばれた男の緻密な悪意が凝縮されていた。


 ◇◇◇


 翌朝。

 朝の陽光がグラトニアの街を照らし出す頃、ゼノは宿を出た。

 数分だけでも清潔なベッドで横になって、魔力を循環させたことで、少しばかりこの貧相な肉体も馴染んできた。


 迷宮でベヒモスを退けた血の魔法は、覚醒して初めての魔法としては上出来だった。けれどかつての実力には程遠く、不安定な出力だったのも事実だ。

 精緻な魔力操作は今後の課題として心に留め置く。


 ゼノは迷うことなく煌びやかな大通りを抜け、グラトニアの端へと向かった。

 綺麗に舗装された石畳が途切れ、湿った土とゴミの臭いが混じり合う。


 準備を整え、再び貧民街へと戻ったゼノに、声をかける者は誰もいない。

 

 住人たちは、どこかの貴人の子息が迷い込んだのかと、畏怖の眼差しで道を開けるのみだった。


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