3.糧
実に滑稽な光景だった。
温度の制御すらままならぬ火を放ち、無理矢理な治癒で蓋をする。そんなものは魔法ではない。誰に教わったのか、現代魔法の底が知れる。
ゼノは一歩、踏み出す。
激痛に悲鳴を上げる少年の肉体。だが、今はその神経の軋みすら心地良かった。
足元に転がる布包み。
肘から先のない腕で、縋るように布を払い退ければ、そこにかつての面影が見えた気がした。
『──先生、見て! 魔力ってこんなちっちゃい木の実にも入ってるんだよ!』
脳裏を掠める懐かしい声。
いつも何かの木の実を頬張り、ゼノの魔法理論を誰よりも純粋な瞳で聞いていた少女──ライラ。
彼女は誰に教わるでもなく、万物に宿る魔力の変質を見抜く洞察力を持っていた。陰系統の魔法を得意とした彼女は、本来、相手の力を削ぎ、動きを縛る繊細な術を扱う天才だった。
だが、ゼノと共に歩んだ日々の中で、彼女はその“陰”を極限まで研ぎ澄まし、ついには物質に宿る魔力の性質を書き換える技術を確立した。
食材から、より効率的に魔力を得られるように。魔力を人体に無害な性質へと組み換え、凝縮し、糧とするために。
純粋な探求の末に生まれたその叡智が、今や悍ましい名を冠する無機質な魔法兵器に貶められている。
──聖遺物《暴食のライラ》。
禍々しくも美しい、漆黒の金属で編まれたガントレット。
よりによって右手用なのが憎たらしい。
教え子だったライラはみるみる実力をつけ、いつしか助手のように、文字通りゼノの右腕として支えてくれていた。
何の因果か、あるいはただの皮肉か。
この迷宮にきた目的が『聖遺物の回収』であることは、冒険者たちの会話から推測できていた。当然、その遺物が冠する名も。
「暴食……か。随分と物騒な名を付けられたもんだな、ライラ」
ゼノは欠損した右腕を、迷わず漆黒の口へと差し込む。
本来、魔導具は適合者による魔力同調がなければ起動すらしない面倒な代物だ。
現代魔法でどう定義されているのかは、少年としての記憶にもないため知る由もないが。
──つまり、何の問題もないということだ。
漆黒のガントレットに触れた直後、滴る血を吸い上げるように金属が脈打ち、形を変え、足りない肉を補うように実体化していく。
ガチリと、嵌め込んだ腕に噛み付くように固定されて神経が繋がり、魔力の奔流がゼノの全身を駆け巡る。
ガントレットから伝わる拍動は、まるで再会に歓喜して泣いているようだった。
「ライラ……いろいろと積もる話はあるが、まずはここを切り抜けなきゃな!」
様子を窺うように恐る恐る距離を詰めてきていたベヒモスへと意識を切り替え、ゼノは不敵に笑う。
ゼノの意志と《暴食のライラ》に込められた魔力が一つに溶け合った。
「────ッ!!」
決死の咆哮の直後、ベヒモスはゼノに向かって跳躍した。圧倒的な質量が、迷宮の天井を覆う。
弱者から狙う卑怯者のはずだった。
まずは獲物として、強者と理解した途端に無関心を装い、さらに上位の存在であると気付けば錯乱して特攻──。
圧倒的な魔力の奔流を前に、本能で死を悟った故の行動だろうか。
ゼノは仮初めの右腕を掲げ、記憶の中の愛弟子と声を揃えるように、彼女の魔法を口にする。
「──《万物をこの手に」
短い詠唱に呼応し、ガントレットから紡がれた不可視の闇が蜘蛛の巣のように隙間を詰めながら、触れたモノの性質を書き換えていく。
「守護者なんて荷が重すぎたんだよ。お前には──ッ!!」
ライラが得意とした“陰”の性質。相手の力を削ぎ、動きを縛る呪詛の極致は空間そのものにまで作用し、意のままに掌握する。
「──《糧となれ》」
右手で虚空を掴むと同時、ベヒモスの半身が空間ごと喰らわれたように消え去った。
バリバリと世界がひび割れるような異音が響く。不可視の闇が、巨大な顎となってベヒモスを丸ごと囓り取って咀嚼する。
誇らしげな竜鱗も、強靭な骨も、膨大な魔力も。
一噛みごとに、ベヒモスの巨躯が消失していく。
断末魔すら闇に呑み込まれ、一滴の血、一欠片の肉すら残さず、災厄級の魔獣は完全に消滅した。
そして、足元には満身創痍の四人の冒険者たち。
「ひ……あ……。なん、で聖遺物が使え……化け、物……」
戦闘中、ブレイドと呼ばれていた男が呼吸すら忘れて震えている。
「さて。せっかく立派な治癒師がいるんだ」
ゼノは男を見下ろし、凶悪に嗤ってみせた。
「まずは魔法の授業から始めようか」




