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魔法の死に際  作者: 藁草ワロタw
第一章『慈愛の死に際』
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15.善意に似た悪意


 一緒に暮らしていたわけではなかった。

 けれど、見かける度に声をかけてくれて、自分のために残しておいたはずの硬いパンを、ちぎって分けてくれた。


『おチビは、いつも一人だねえ』


 名前を呼ばれることは一度もなかった。

 というより、親も家も持たぬ自分には、最初から名前など存在しなかった。


 貧民街スラムの他の住人たちは、少年と関わることを避けた。明日死ぬかも知れない子供と情を交わすことは、失う時の痛みを増やすだけでしかない。

 皆、自分の命を繋ぐだけで精一杯で、そんなことに体力を使う余裕などなかったのだ。


 なのに、この老婆だけは違った。くしゃくしゃの笑顔で接してくれる彼女に『おチビ』と呼ばれることが、いつしか自分の名前が決まったかのように嬉しかった。


 そうして数年が過ぎ、少年は自分がもう小さな子供ではないことを自覚し始めた。

 もらうだけのパンでは腹は満たされず、老婆は自分の取り分さえ少年に差し出すようになった。目に見えて痩せ細っていく姿に、少年が無理をしないでほしいと告げても、彼女は歳のせいだと笑い飛ばすだけだった。


 少年は、自分の手で食い扶持を稼ぐ道を探し始めた。


 貧民街スラムの仕事はすべてヴィンセント商会が牛耳っている。壊れた魔導具を分解するような精密な作業は、幼い手には難しすぎたが、それでも子供にできる雑用があれば何にでも飛びついた。


 自分一人が満足に食うにも程遠い稼ぎだった。けれど、老婆が空腹を覚えずに済むならそれでいい。


 そんな折、貧民街スラムが異様な活気に包まれた。

 ──高額報酬を出す依頼者が来ている、と。


 何でも、騎士団の人間がお忍びで貧民街スラムを訪れているという話だった。


『やめな、行くんじゃないよ』

『いやいや、大丈夫だよ』


 老婆の忠告を聞き入れられるほど、少年は大人になってはいなかった。もう苦労をかけずに済むのだと、その反対を押し切った。


 駆けつけた先には、一人の男を取り囲む群衆があった。しかしそこにあるのは熱気だけではなく、躊躇いと怯えも混じっていた。


 男は上質な外套を纏い、その隙間から鈍い光を放つ剣を覗かせていた。角の生えた目に剣を突き立てたような、不気味な紋章。

 男は言った。出世祝いの景気づけに、その剣で試し斬りがしたいのだと。


 少年は思いとどまった。報酬がいくら高くとも、命を落としては何の意味もない。周囲の大人たちが動けない理由を即座に理解した。しかしそんな憂慮を断ち切るように、男の言葉は続いた。


『はは、そうだよね! なら──片腕だったらどうかな?』


 ハキハキと、耳障りなほど爽やかに放たれたその声は、淀んだ貧民街スラムには似つかわしくない明るさに満ちていた。

 そしてその絶望を掻き消すほどの明るさは、少年にとってひどく前向きな提案に感じられてしまった。


『ぼ、僕が──やる』


 片腕を失おうとも、生きてお金さえ手に入れられれば何も困らない。頼らずに生きられるなら、きっと老婆も楽になる。

 そんな希望が見えた気がした。


『いいね! 君のこと、気に入ったよ』


 少年は左腕を掲げた。

 右利きだから。ただそれだけだった。それくらいのこと、大金が手に入ればどうとでもなるのだから。


 けれど、すぐに後悔した。

 その決断の代償は、少年の想像を遥かに超えていた。

 少年の左腕は、一瞬にして付け根まで斬り落とされた──計五回もの、肉を断つ衝撃を伴って。


『が──っ!!』


 凄まじい速度で放たれた刃は、指先から手首、肘、上腕へと順に刻み上げ、最後には付け根から腕そのものを切り離す。叩き込まれた五回の衝撃を、頭が遅れて激痛として理解した。


 血を撒き散らしてのたうち回る少年に、見かねた大人が駆け寄り介抱を始める。貧民街スラムとはいえ、それだけ凄惨な光景だったことは言うまでもなかった。


 立ち上がろうにも、バランスが悪くて上手くいかない。痛み以上に、ここでようやく失うことの重大さに気付いた。

 追い打ちをかけるように、周囲からも声が聞こえる。


『まだ子供だろうに……なんてことを』


 おそらく男に向けて投げられたその言葉が、少年の心に最も深く突き刺さった。

 そうだ、自分はただの子供だった。老婆の言葉も聞かず、分不相応な夢を見て、左腕を失ったバカな子供。


 ──もう合わせる顔がない。


 行き着いたのはそんな言い訳じみた結論だった。

 実際は怒られるのが怖かったとか、心配をかけたくなかっただけの、いかにも子供のそれだと気付くことも出来ずに、少年は老婆の前から姿を消したのだ──。


「──隻眼隻腕……だね。はは、もう見つけちゃった」


 その声を聞いた瞬間、かつての記憶が鮮明に蘇った。


 見間違うはずがない。

 あの日と同じ外套に身を包んだこの男こそ、金と引き換えに左腕を捧げた相手だ。自分が望んで、男がそれに応えた。ただそれだけの相手。

 

 いずれ相応の礼はするつもりだったが、ガラムやヴィンセントのような私怨に比べれば、優先度は低かった。機会があればついでに始末すればいい。その程度に考えていた。


 それで良かった。それで終わるはずだったのに──、


「その血は、誰の血だ?」


 自分でも驚くほど、その声は殺意に満ちていたと思う。


 視線の先、男の持つ騎士剣の切っ先からは、今しがたまで誰かの体温であったはずの雫が絶え間なく滴り落ちて、地面を赤黒く汚し続けていた。


「さぁ、誰のだろうね? ここまでくると、もう僕にもわからないな」


 血染めの刃を軽く掲げて、男は何でもないことのように宣った。その瞳には、足元に転がる肉塊への感慨など欠片も宿っていない。


「そんなことより、君がゼノで間違いないね?」 

「……そんなこと、だと?」

「うん、そんなことだね。否定しないならもういいかな? ──《身体強化アクセルクス》」


 宣告と同時に、男の姿が掻き消えた。

 超速の踏み込みで、一瞬にして間合いを潰した男の刃が、ゼノの胴を両断せんと真横から叩き込まれる。

 凄まじい衝撃波が路地を駆け抜け、ゼノの体はくの字に折れた。そのまま何枚も小屋の壁をぶち抜きながら後方へと吹き飛ばされ、背中が何軒目かの柱に激突した衝撃で、肺の空気が一気に押し出された。


「っ、はぁ……っ!」


 無理やり酸素を肺へ取り込み、握りしめていた長杖スタッフを支えに立ち上がる。

 視界の先、男は悠然と歩み寄りながら、心底意外そうに眉を跳ねさせていた。


「すごい! 全然手応えがなかった!」


 咄嗟に編み上げた防御魔法がなければ、他の住人たちと同じく、物言わぬ死体に成り果てていただろう。


 一切の躊躇いがなかった。

 すなわち、男が何の逡巡もなく放ったこの一撃は、貧民街スラムの者たちにも当然のように向けられ、抵抗する術を持たない彼らは、理由も分からぬまま一方的な恐怖の中で斬り伏せられたということだ。


「さっきまでは非番だったんだけど、今のであの報告書が真実だと確信したよ。ここからは騎士として、君の相手をする」


 そう言いながら、男は返り血を浴びた外套を脱ぎ捨てた。夕闇の底で、その下に着込んだ白銀の騎士服が忌々しく浮かび上がる。


「ルドー騎士団副団長──レンゼルト・リヴエル。不本意だけど、仕事のときは名乗るのが規則なんだ」


 照れくさそうに指で頬をかく姿を見れば、彼にとって誰を殺し、誰の血を浴びたかなど、本当に些事そんなことでしかなかったのだと思い知らされる。


「魔王だなんて、君があまりにも目立つから倒しにきたのさ」


 この期に及んで騎士が魔王を討伐しに来たなどと、取ってつけたような大義名分に興味はない。しかしブレイドの伝言から計算して、王都の対応が早すぎるのは気掛かり──だが、それも後でいい。


「単独で来るなんて舐められたものだな」

「僕が君の腕を斬ったこと、国民や騎士団のみんなにバレたら困るからね」


 やはり、このレンゼルトという男の中をどれだけ覗いても、騎士の信念なんて存在しない。

 ただ自分の立場を守りたいだけの、浅ましい保身が言葉の端々から漏れ始めた。


「バレたら困る割に、随分派手に暴れるじゃないか」

「報告書にあった魔王ゼノ、最初から君だと思ってたからね。だからみんな片腕を落としておけば、隻腕なんて珍しくもなくなるでしょ? なぜ隻腕なのか、とか国が調べ出しても面倒だし、間違えて殺したんだって言い訳も立つし、最悪君のせいにも出来そうだと思わない? それに、あの日のことを覚えてる人がいても困るからね! でも君に会えたからもう大丈夫! 騎士として魔王と戦った際に生じた、必要な犠牲だったってことに出来そうだ!」


 ──ゼノは迷宮で目覚めてから、この数百年の空白をどう受け止めるか悩んでいた。


 復讐のために転生を果たしたのに、宿敵はもういない。それならば、蔓延る現代魔法を否定しよう──そう心に決めて怒りを振り撒きながら進む道が、果たして正しいことなのか。


 あちこちに不穏な種を撒いて手がかりを探していたのは、処刑台で燃やした厭悪の炎が消えぬように、少年の復讐に託つけた怒りを焚べて、なんとか自分を保っていたに過ぎない。

 そしてジャレッドやオルマのような、魔法を捨てた人間の気高さにも触れてしまった。

 いよいよ、この世界すべてが敵だとは思えなくなりかけていた。


 しかし、見誤っていた。

 数百年間も煮詰めた魔法の歪みは健在どころか、当時以上の怪物を生み出したのではないか──。


「ハッ……よく喋るクソだな。結局何が言いたい?」

「うーん、ま、せっかくならたくさん斬りたいと思ったことは否定しないよ」


 人間性など最初から期待していなかった。

 此奴は、ただの人間を相手に試し斬りを愉しむ──人の形をしただけのケダモノだ。


「あぁ……そうか、そうだった──」


 鮮烈に蘇る厭悪の炎が、心を煮え立たせる。

 処刑台で誓った復讐心が、再びどす黒い殺意で満たされていく。


「戻ってきてよかった──」


 魔法という毒に魅了されて腐った者を、人でなくなった者を、善意に見せかけた無邪気な悪意に満ち満ちた目の前の男を──、


「──ちゃんと殺してやれる……ッ!」


 吊り上げた口の端から血を滴らせ、ゼノの中から完全に消え去った迷いに代わり、その片方の瞳から底知れぬ殺意が剥き出しになった。


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