16.一歩遅れて
──必ず殺す。最も苦しむ方法で。
オルマに贈るはずだった杖を支えに立ち、ゼノは足元の瓦礫を蹴散らして進み出る。
「悪いなオルマさん、また別のを用意するよ」
血溜まりの中に沈んだ彼女へ、もう叶わぬであろう約束を一つ、掠れた声で落とした。杖を握る右手の金属が軋みを上げる。
改めて正面のレンゼルトを見据え、即座に防御魔法を再構築する。
生身で受ければ一太刀で両断、即死だ。
緊急の展開だったとはいえ、ゼノの防御魔法を容易く貫通してみせたその威力。即座の自己治癒で事なきを得たが、喉の奥にこびりつく鉄の味が、レンゼルトの持つ暴力的な威力を雄弁に物語っている。
「あれ! もしかして今、僕を殺すって言ったの?」
剣についた血を払い、レンゼルトは愉悦混じりの驚愕を浮かべる。かと思えば、彼の輪郭がふわりと霞んだ。
弾かれるような初速。瞬き一つの間にゼノの懐へと肉薄する。掲げた長杖の先端をなぞるように白刃が迫る。
「──それは無理だと思うな」
「──《波紋よ、標せ》」
レンゼルトの剣撃がゼノの首筋を捉える刹那、突き出した長杖の先から水の波紋が同心円状に放たれる。
本来は周囲の水分に干渉し、動きを感知して標的の位置を特定するだけの、ただの索敵魔法。
だが杖を介し、ゼノの殺意を込めて最大出力で放たれたそれは、静かな波紋を荒れ狂う大波へと変貌させる。
全方位に拡がった衝撃は次の一瞬で一点に収束。極限まで高められた水の圧力は、レンゼルトの剣を正面から叩き伏せ、その細身の体を容赦なく弾き飛ばす。
土を抉りながら遠くなるレンゼルトの着地を待たず、ゼノは追撃の術式を構築する。
「《奇跡よ、沈黙せよ》」
即座に放たれるのは、対象を広げ領域内に存在する全ての魔法現象を強制的に霧散させる、沈黙の呪詛。
いかなる魔法もその発動を許さない絶対的な否定──しかし、レンゼルトはただ一度、僅かに乱れた髪をかきあげた。
「へー……驚いた。でも残念。僕のは魔法じゃないからね」
レンゼルトは何事もなかったかのように立ち上がり、騎士服に付いた土を軽く払う。
その身体には、先程の大波を至近距離で浴びたはずの傷ひとつも、打撲の跡すら見当たらない。
魔法ではない──その言葉にゼノの眉間に皺が寄る。
魔法封じが効かないという一点に限って言えば、呪術の類か、あるいは物理的に術式が刻まれた魔導具そのものか──。
いずれにせよ、小手先の小細工ではレンゼルトの速度と殺傷力を封じることは叶わない。
「でも手加減とか諦めとかいらないからね? 斬れないものを斬れた時が一番気持ちいいんだから、さ──!」
再び地面を爆発させたレンゼルトが迫る。
魔法使いが同時に行使できる魔法は、二つ。
例外がないとは言わないが、それが人間が持つ演算能力の限界であり、数多の魔法を生み出した賢者であっても、人間という枠に収まっている以上は覆しようのない枷だ。
防御魔法の常時展開。その一枠を維持し続ける以上、残るもう一手で、あの人間離れした動きを上回る魔法を叩き込む必要がある。
「──《万象の凪》」
詠唱に呼応し、湿り気を帯びた貧民街から全ての音が死に絶える。レンゼルトが踏み込みで巻き上げた土埃すらも空気中の水分に捕らえられ、世界の法則に逆らうようにその場に固定される。
これこそ《奇跡よ、沈黙せよ》の元となった魔法。
レンゼルトの剣筋も、ゼノの目の前で凝固した水の壁に阻まれ、火花を散らすこともなく静かに勢いを殺され──、
「──そろそろ本気出してくれないかな!」
固定された剣を軸に、鋭く旋回したレンゼルトの回し蹴りがゼノの左──腕がなく防御姿勢の取れない脇腹に容赦なくめり込む。
骨が砕ける音が全身を伝って鼓膜に響く。
もんどり打って転がってなお杖は手放さない。
精緻に編み上げた防御魔法でさえ防ぎ切れなかった──否、術式ごと叩き潰されたような感覚だった。
「っ──!」
肺が潰れ、呼吸が止まる。治癒をかける暇などない。
ゼノは進行方向に水の膜を張り、全身で衝撃を受け止めると、それを即座に霧散させて次の魔法へと繋げる。
「──《水弾》」
最低限の簡易魔法。無数の水の礫を乱射し、その目眩ましに乗じて掘っ立て小屋の影に身を隠した。
中空で旋回する礫がレンゼルトを追い立てるが、男は地面、壁、あろうことか飛来する礫すらも足場にして縦横無尽に跳ね回る。
一通りの礫を躱し終えたレンゼルトは、騎士剣を一閃し、残光とともに大量の水を霧散させた。
「あーもしかして、全部出し切っちゃった?」
呆れ、落胆したような声が、冷たい夜の貧民街に響く。
水系統操作魔法──かつてベヒモスを退けた、血液操作を使えばやりようはあるかもしれない。水と比べるまでもなく、血液は魔力との親和性が高く、操作精度は格段に上がるからだ。
だがあたり一面を染めている血はゼノのものではなくオルマを含め見知った者たちのものだ。惨殺されてなお武器として弄ばれることを許容する気にはなれない。
「あぁ、クソ……」
喉元までせり上がる絶望を、悪態とともに吐き捨てたところで何も出てこない。
盛大な啖呵を切ったが、決定打が足りない。
前衛の剣士と、後衛の魔法使い。一対一の距離では、機動力と予備動作の面で魔法使いが圧倒的に不利だ。
それは前世、あの裏切った剣士と共に魔法研究をしていた時に、嫌というほど思い知らされた事実。
レンゼルトの身体強化を封じることが出来ないなら、なおさらのことだった。
「──頭であれこれ考えるより殴った方が速い、だったか」
かつての彼奴の暴論が、この期に及んで脳裏をよぎる。
魔法使いが魔力を練り、詠唱し、現象を引き起こす間に、剣士は三歩進んで首を跳ねる。実に不愉快だが、反論の余地もない真理だった。
ゼノは杖を握り直して内側から治癒をかけ、肺に溜まった血を吐き捨てる。
魔法使いである限り、常に一歩遅れているのだ。ならば、
「ククク……身体強化魔法で対抗してやる」
自分でも笑えるほどの無茶。
レンゼルトのような肉体性能が得られるわけではない。というより、魔法で強引に無茶な肉体強化をすれば、それこそ少年の体が爆散してしまいそうだ。
だから、ゼノはゼノのやり方で身体を強化する。静かに、己に向けて──。
濃厚な鉄の味を飲み込み、生温い血と土の匂いが鼻腔にへばりつき、舞う土埃の粒子一つ一つを視界に捉え、頭からつま先までのわずかな温度差すらも感じ取る。
「隠れてないで出てきてよ──もう殺してあげるからさ」
後半で僅かに低くなったレンゼルトの声からは、ありありと苛立ちが感じられる。
その呼吸の深さも、地を踏みしめる音も、規則正しく打つ心音も──全てが耳元で囁かれているかように、手に取るようにわかる。
「……あぁ、相変わらず気持ち悪い感覚だ」
一瞬の後悔は防御魔法とともに脱ぎ捨てる。
強化されたのは五感だけで、腕力も機動力も据え置きだ。ただ、世界が残酷なほどに鮮明になった。
「待たせたな、クソ野郎──」
小屋の影からゼノは悠然と歩み出る。
「本気出すなら、条件は揃えないとな」
防御を捨て、感覚を研ぎ澄ます。
それは魔法使いとしての死線を越えた、狂気の歩み寄り。
これで対等だ。




